先日、実家に忍び込んで、沢山の写真をゲットしてきた私ですが、
今日はそれらの写真を見ながら思い出した、父の記憶を書こうと思います。
妹たちに言わせると、父は全然怒らない人。ですがー
2番目の妹と3つ、3番目の妹と4つ離れている私には、
妹たちの知らない父の記憶があります。
今でこそ、とても温厚で、メタボが心配な大きなお腹の父ですが、
若い頃は結構キレやすかったー
父は、毎日仕事から帰ってくると、障子の桟を指でなぞって、
少しでも埃があると、「おまえは1日何をしとったんや!」と母に怒りました。
目の前にゴミが落ちていても、決して自分で拾う事はなく、母を呼びました。
ちゃぶ台返しならぬ、”テーブル返し”を見た記憶もあります。
なにより今でも忘れられないのは、私が小学生の頃、
父にひどい口答えをしたら、
髪の毛と足を持って畳に叩きつけられ、母がスッ飛んできて助けてくれた事・・・
もう自分がなんと言ったかは覚えていませんが、
母に言わせると、かなり酷いことを言ってたそうです。
すごく怖かった事を覚えています。
この話しをどれだけ妹達に話しても、決して信じませんが・・・
いつからか、父は私の目の前で怒る事はなくなりました。
父は娘達を怒鳴りつける。という事は決してしませんでしたが、
その代わり、子供の事で気に入らない事があると、
母に「お前の育て方が悪い!」と秘かに怒っていました。
娘たちの前では、何をしても決して怒らない優しい父ー
その結果、母が私達を叱る事になり、父は娘達に好かれます。
母が「私だけ悪者にしてー」と怒っているのを見た記憶があります。
妹達は、決して自分達に怒らず、
むしろ普段は母に叱られている父を見て育ちました。
妹達は父のそんな姿しか見た事がないので、
父を恐れるという事はまったくありませんでした。
平気で反抗し、生意気な口答えをしていました。
私はその度に、父がキレるのではないか?とハラハラしました。
よく妹に、
「お父さんが本気だしたら凄く怖いんやよ。」と忠告しましたが、
妹達は信じませんでした。
(実際父は、現在に至るまで妹達にキレたことはないのですがー )
まあ私が物心ついた頃は、父もまだ20代と若かったので、
パワーが有り余っていたのだと思いますが、
私が生まれてから妹達が物心つくまでの数年の間に、父に何があったのかー
本人に聞いてみないとわからないけれど、
私のかすかな記憶の中に、
母が大きなお腹をして、小さな私を連れて、
叔母の元に暫く滞在していた記憶が僅かに残っていますー
何があったのかは、だいたい想像つきますよね。
沢山の写真を見ていて、気づいた事がひとつー。
私が生まれた頃の父の写真(28歳)と、主人が私と結婚した頃(24歳)の写真。
年齢的にも同じくらいと言うのもあるのでしょうが、
2人の顔は、
スゴク似てました・・・。
父とは全く違う人を選んだつもりだったのだけど・・・
やっぱり、『娘は父親と良く似た人と結婚するー』というのは、
本当のようです・・・。
☆ 若い頃は亭主関白だった父も、今では優しいお爺ちゃんです。
☆ 若い頃の父と主人が似ていた事は、ちょっとショックだった・・・。
ー古希祝い編(6)はコチラー
今日はそれらの写真を見ながら思い出した、父の記憶を書こうと思います。
妹たちに言わせると、父は全然怒らない人。ですがー
2番目の妹と3つ、3番目の妹と4つ離れている私には、
妹たちの知らない父の記憶があります。
今でこそ、とても温厚で、メタボが心配な大きなお腹の父ですが、
若い頃は結構キレやすかったー
父は、毎日仕事から帰ってくると、障子の桟を指でなぞって、
少しでも埃があると、「おまえは1日何をしとったんや!」と母に怒りました。
目の前にゴミが落ちていても、決して自分で拾う事はなく、母を呼びました。
ちゃぶ台返しならぬ、”テーブル返し”を見た記憶もあります。
なにより今でも忘れられないのは、私が小学生の頃、
父にひどい口答えをしたら、
髪の毛と足を持って畳に叩きつけられ、母がスッ飛んできて助けてくれた事・・・
もう自分がなんと言ったかは覚えていませんが、
母に言わせると、かなり酷いことを言ってたそうです。
すごく怖かった事を覚えています。
この話しをどれだけ妹達に話しても、決して信じませんが・・・
いつからか、父は私の目の前で怒る事はなくなりました。
父は娘達を怒鳴りつける。という事は決してしませんでしたが、
その代わり、子供の事で気に入らない事があると、
母に「お前の育て方が悪い!」と秘かに怒っていました。
娘たちの前では、何をしても決して怒らない優しい父ー
その結果、母が私達を叱る事になり、父は娘達に好かれます。
母が「私だけ悪者にしてー」と怒っているのを見た記憶があります。
妹達は、決して自分達に怒らず、
むしろ普段は母に叱られている父を見て育ちました。
妹達は父のそんな姿しか見た事がないので、
父を恐れるという事はまったくありませんでした。
平気で反抗し、生意気な口答えをしていました。
私はその度に、父がキレるのではないか?とハラハラしました。
よく妹に、
「お父さんが本気だしたら凄く怖いんやよ。」と忠告しましたが、
妹達は信じませんでした。
(実際父は、現在に至るまで妹達にキレたことはないのですがー )
まあ私が物心ついた頃は、父もまだ20代と若かったので、
パワーが有り余っていたのだと思いますが、
私が生まれてから妹達が物心つくまでの数年の間に、父に何があったのかー
本人に聞いてみないとわからないけれど、
私のかすかな記憶の中に、
母が大きなお腹をして、小さな私を連れて、
叔母の元に暫く滞在していた記憶が僅かに残っていますー
何があったのかは、だいたい想像つきますよね。
沢山の写真を見ていて、気づいた事がひとつー。
私が生まれた頃の父の写真(28歳)と、主人が私と結婚した頃(24歳)の写真。
年齢的にも同じくらいと言うのもあるのでしょうが、
2人の顔は、
スゴク似てました・・・。
父とは全く違う人を選んだつもりだったのだけど・・・
やっぱり、『娘は父親と良く似た人と結婚するー』というのは、
本当のようです・・・。
☆ 若い頃は亭主関白だった父も、今では優しいお爺ちゃんです。
☆ 若い頃の父と主人が似ていた事は、ちょっとショックだった・・・。
ー古希祝い編(6)はコチラー
はやくに父をなくした母は一途にわたくしの事を思い
妻はなくなる前(私が出て行っても)ようついてきてはくれんやろと思ってあきらめたといいました
ぼんくらなわたくしにはkoyiyuさんよりもっとたくさんの時間が必要だったのかも
人生にはいくつかの列車のルートを変えるようなポイントがたしかにあります
どうかおそれずに、まよわずに、後悔することのないようにそしてお幸せに
PS 重い置石だったりする・・・(笑)
いつも、えいちあーる亭さんの言葉は胸に響きます。
>家族も川の石のように長い時間をかけて磨かれていくもの
たぶん、そうなのでしょうね。
えいちあーる亭さんは、お父様を早くになくされた分、お母様の愛を一心に受けて育たれたのでしょう。
妻よりも親?と奥様が感じるほど、
親子愛の繋がりは強かったのだと思います。
人生のポイントー
確かに私にも今までに何回かあったと感じます。
その都度、後悔する事のないように道を選んできたつもりなのに、
やっぱり「もしあの時、もう一つの道を選んでいたらー」と、
考える事がシバシバ・・・
どんな道を選んでも、きっと同じ事を考えるのでしょうね。
昔の浜田省吾の曲に、
”自由に生きてく方法なんて100通りだってあるさ”という歌詞があります。
私はそれを聞いて、逆に、
決められた道をレールから逸れずに走り続ける事の難しさを感じました。
時々、”自由になりたい!”と思う事があります。
重い置石だけれど、もうひと頑張りしてみましょうかー