ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

豚の思い出・・・

2010年05月26日 21時57分26秒 | 思う事・・・
現在宮崎では、殺処分にした家畜を埋没させる埋却地の確保に苦労しているようだ。
そりゃあそうだろう・・・。
誰だって、自分の土地を墓場にするのはゴメンだー
ましてや、殺した家畜を埋めた跡は、イロイロと問題も出てくるようだ・・・
農家の方の持ち物の土地ならまだしも、そんな土地を持っていない農家も沢山あるわけで、
その場合は、役所の人が探して回るー
役所の人達も、相当な苦労をされているだろう。
ついに、口蹄疫対策の農政水産部長が体調を壊し、長期療養となったー
相当の過労・心労・プレッシャー等があったのだろう。
早くお元気になられることを祈るのみー

さて、ココ最近は口蹄疫のお話しばかりですが、
今回の事でちょっと思い出した、
私の豚にまつわる思い出話しをー

昔、私がまだ小さかった頃(今から30年以上前)、
私の母方の祖父母は沢山の豚を飼っていました。
たぶん、養豚業をしていたんだと思います。(なにぶん、私もまだかなり小さかった頃なので、よく知らない。

毎年、この祖父母の住む地域の祭りの時期が来ると、私は家族と共に祖父母の家に行きました。
その時には、母の兄妹&その家族全員集合で、
年齢もそれほど変わらない、十数人にも及ぶイトコ達(私から見て)も大集合。
これだけ子供が集まるとニギヤカ極まりありませんが、いつも楽しみにしていました。

イトコ達との遊びの中のひとつに、”子豚数え”という遊びがありました。
家の前にある大きな豚小屋。入り口の扉は、大ーきな鉄の両面開き戸の扉だった。(高さ3mくらいあったと思う。)
大きな南京錠が付いていて、普段はしっかり閉まっているその扉。
でも、祖父が豚の世話をしに行く時だけは、その扉が開きます。
私とイトコ達は、祖父が豚小屋に行くのを見計らって、家の窓からジッと豚小屋の扉を見ているー
すると、扉の少し開いた隙間から、子豚がチョロチョロ出て来るんです♪

子豚が1匹、チョンボリチョロリ、チョンボリチョロリ、チョンボリチョロリ、おもしろ~いなあ~。
次の子豚が出て来ると、
子豚の2匹目、チョンボリチョロリ、チョンボリチョロリ、チョンボリチョロリ、おもしろ~いなあ~。
更に、3匹目が出てくるとー
子豚の3匹目、チョンボリチョロリ、~~~~」

と、”おんまはみんな”の曲を歌詞を少し変えて、1匹出てくるゴトに歌うんです。
しかも、1オクターブずつ高くしていって、誰が一番高い所まで歌えるか?
なんてコトを競う遊びでした。

さて、元気いっぱいの子供達がたくさん集まると、イタズラもしはじめます。
今では、いったい何のイタズラをしたのか覚えていないのですが、
ある時私はイトコ達と一緒に、何かイタズラをしました。
でもそれが祖母に見つかり、その時イタズラした子供達全員祖母につかまり、
バツとして豚小屋に閉じ込められたんです!(確か5人くらいだったと・・・

大きな鉄の扉の中に放り込まれて、その扉を閉められてしまった・・・
子供達の後ろには、大きいのから小さいのまで沢山の豚がいっぱい!
特に母豚はとーっても大きくて、子供の私達にとっては、怖いのなんのって・・・
閉じ込められた子供達、全員で泣きながら、鉄の扉を手でバンバン叩いて、
「おばーちゃん、ごめんなさ~い!」
「もうイタズラしないから、出してえ~!」
「ぎゃあ~、こわいよお~~~~~!」
もう、怖さのあまり、泣き声(悲鳴?)の大合唱!
豚達は何もするハズもないんだけど、豚がちょっと動くだけで大騒ぎ!
豚がコッチを見ただけで、「ギャア~、怖いい~」
豚がちょっと顔をブルン!と振っただけで、「イヤア~、お母さあ~ん」
それでもなかなか祖母は私達を豚小屋から出してくれなかったー
(きっと豚達にとっては、さぞかしウルサクて迷惑だったでしょうね~。

暫くして、やっと伯母の1人が鍵を開けて扉を開けてくれた時には、
子供達一斉に豚小屋から飛び出して、泣きながら一目散にそれぞれの母親の元に逃げ込みました。
その様子を、家の窓から見ていた叔父の1人が、
「おお~、元気のいい子豚が一気に飛び出してきたゾオ~!
 ♪子豚がたくさん、チョンボリチョロリ、チョンボリチョボリ、チョンボリチョロリ~
と、ゲラゲラ笑いながら歌っていたのを覚えています。

いまでも、あの時の、
自分よりずっと大きな鉄の扉の様子(青いペンキが塗られてて、それが所々ハゲて、錆付いてたー)と、
その扉をギャーギャー泣きながら、バンバン叩いていたあの時の事はハッキリと覚えていますよ。
それ以来、”お婆ちゃんを怒らせると怖い!”と、祖父母の家に行く時は緊張したなあ~。

その祖母も、私が小学校3年生の時に、脳溢血で亡くなりました。
畑に座りこんで、マメの鞘を取っていた祖母ー
伯母が気が付いた時には、アグラをかいたそのままの格好でコロンと横になっていたそうです。
苦しんだ様子もなく、大往生でしたー
私の母は、「私も母ちゃんのように死ねるのが理想!」といつも言っています。

今でも、豚を見かけると、あの時の豚小屋と、そして祖母を思い出しますー


☆ちなみに、この怖~い祖母は丙午生まれでした。
 その気の強いコトといったら・・・
 私の”丙午のサラブレッド”たる元です・・・。

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