ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

日本と海外編・・・モルディブ共和国

2008年11月18日 09時52分24秒 | ちょっといいじゃん!日本♪
これも大変な自然災害でした・・・

* インド洋津波
2004年12月26日に発生した、
インドネシア・スマトラ島沖地震に伴って発生した大津波のこと。  
2004年12月28日の毎日新聞の記事だそうです。

-「日本の防波壁が首都を守った」モルディブ -

「日本の支援がなかったら、マレはなくなっていただろう」。
 モルディブの人口の約3分の1が住む首都マレでは、
 日本からの公的支援で建設された防波壁が、
 島を津波の大惨事から守ってくれたとの見方が広がっている。
 海抜1メートル程度しかない約1200の島々から成る同国は
 地球温暖化の進行で国全体が沈みかねないとの不安を抱え、
 常に海面上昇への恐怖と隣り合わせで生きてきたが、
 88年以降、進めてきた首都の護岸工事が壊滅的な被害を回避するのに貢献したと、
 島民は口々に語った。

 災害対策本部の置かれたマレ市の小学校校庭でボランティア活動を指揮
 するフセイン・ハリームさん(35)。
 彼になぜマレは3分の2が冠水しながらも死者が出なかったのだろうと尋ねた。 
 するとすぐに答えが返ってきた。
 「10年以上かけて作った防波壁が大いに助けになった。
  日本の援助のおかげだと聞いている。」
 その防波壁を見たくて市南部の海岸まで案内してもらったタクシー運転手の
 アハメド・シャフィールさん(30)も
 「日本が作ってくれたあの壁がなかったら今ごろマレはもうない」と語り、
 「助けてくれた日本人からこんな時に金を受け取るわけにはいかない」と
 決して料金を言ってくれなかった。

 大統領府によると、日本はモルディブ最大の援助供与国で13年をかけた
 防波壁工事の費用6600万ドルの主要部分を日本の援助が支えたという。
 南部の海岸通りには、
 「日本とモルディブの友好のため日本政府が提供した支援で作られた」と
 消波ブロックに記した記念碑が海に向かって建っていた。


この時の被害も大変なものでしたー
TVから流される光景は目を覆う物でしたー
モチロン、日本は被災後もいろいろな支援をしています。
(なにしろ、この辺りの人々は”津波”という物自体を全く知らなかったんですからー)

でも、こんな災害が起こる前から、
日本がこの国の為にお手伝いしてきた事が少しでも役に立った事が嬉しい!
ちゃんと日本は世界に貢献している!

モルディブの首都 マレ

ホントにちっちゃな島だな~。
防波壁ってどこにあるのかしら?


☆ ちなみに~、日本政府は、緊急支援として、
  インドネシア、スリランカ、モルディブの3カ国を中心に、
  計3000万ドル(約31億円)の緊急無償資金協力を表明しています。
  3000万ドルの資金援助は、米国の1500万ドルや欧州連合(EU)の
  410万ドルなどを上回り、当面の支援額としては最高規模。
  アメリカの2倍、EUの8倍弱の援助額です。

☆ もう4~5年も前の事になるんだなあ~
  この震災や津波で被災した方々、まだまだ大変だろうケド、ガンバレえ~!


 
参考資料 スマトラ島沖地震インド洋津波ポータルサイトモルディブWikipedia  
       スマトラ沖地震及びインド洋津波被害への支援セーブ・ザ・チルドレン
        その他沢山ー
       
おまけ・6600万ドル=約70億円を13年で提供したとすれば、1年間では5億円強。
    それがモルディブの人々を救い、これほど感謝されるのだから、
    こんな嬉しい事はない。
     かたや、日本の隣には、ODAや経済援助を合わせて既に6兆円もの大金を提供し、
     空港や病院、地下鉄建設に協力してもまだ足りないと言われ、罵倒する国もある。
     当然のことながら、
     その国には日本の資金提供でこの施設が出来たと言う記念碑などはありえない。
     民族の違いとはいえ、いかがなモンなんでしょうねえ~・・・。
     虚しくなっちゃうわ・・・

日本の国内編・・・阪神震災

2008年11月13日 08時57分25秒 | ちょっといいじゃん!日本♪
このニュースは、私も当時聞いた事があります。
これ聞いて、すっごく泣けたのと、
「神戸、頑張れえ~!」って思った事を今でも覚えています。

それではどうぞー

1995年(平成7年)1月17日火曜日午前5時46分52秒
淡路島北部(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として発生した
M7.3[1]の兵庫県南部地震は、
淡路島ならびに阪神間(神戸・芦屋・西宮・宝塚・尼崎・伊丹・豊中・川西・池田など)の
兵庫県を中心に大きな被害をもたらした。特に、神戸市市街地は壊滅状態に陥った。
  死者6433人、重軽傷者43792人。被害額約10兆円・・・



         ー 長い間 ー

「若者の代表としてひとつだけ言いたいことがあります・・・」
焼け野原に立つ避難所の一角で、その青年は拡声器を握り締めて話し始めた。
真っ赤に泣きはらした瞳から流れる涙をぬぐいながら、
搾り出すように、しかしハッキリと話を続ける。
「これから僕らがこの神戸を立て直していかなければなりません。
 その後ろを押してくれたのが自衛隊の人達です」
周りにいた大人達も涙を流し、
そして思わず、今日別れることになった陸自・災害派遣部隊の人々に駆け寄る。
「長い間、ありがとうございました!」
青年はそう叫ぶと、ひとりの自衛官の胸に飛び込み、
そして声を出して泣き出した。
自衛官も頼もしい腕で抱きしめ、共に泣いた。
”自衛隊さん、ありがとう”
そう書かれた横断幕が風で揺れる中、自衛隊最大の任務はここに幕を閉じた。


あ、ダメです・・・
この記事書きながら泣けてきちゃいました・・・。
あの時の驚きと絶望感は忘れられない・・・
あの頃は、毎日TVのニュースを見ては、被災地の人々の事を思って、
泣いてばかりでした。
まだ生まれて間もない子も含めて、小さな子供3人も抱えていた私は、
ボランティアに参加する事も出来なくて、
遠くから1人でも多く被災者の方が助かるように祈る事しか出来なかったー
そんな中、黙々と救助作業をする自衛隊の方々の姿はとっても心強かった。
地元の人達は、もっと だったでしょうね。
そして、みんなが少しずつこの震災を忘れていく中、ずっと支え続けてくれた自衛隊の方々・・・
それゆえに、なおさらこの青年の言葉は心に響きますー

                 参考サイト Wikipedia・阪神・淡路大震災


☆ あれからもう10年以上経って、当時の被害が想像つかない程、復活したと聞きます。
  でも決して忘れてはいけない事ー

☆ なのに、兵庫県知事がこんな事言ってちゃダメでしょ!
  コレ⇒ 兵庫県知事、不適切発言で反省「関東大震災はチャンス」 
  市民の気持ちをもっと考えようよ。
  例え関西経済が関東経済に負けていたとしても、
  関西の人達は、こんな事で関東に勝ちたいとは誰も思わないよ! 

日本と海外編・・・地雷

2008年11月07日 13時35分10秒 | ちょっといいじゃん!日本♪
最初にー  この記事は古いので、貼ってあるリンクは今では見ることが出来ません。

毎日マスコミによるいろんなニュースを見ていると、
「もう、日本ってなんて情けない国なの?こんな国イヤだ!」
と思ってしまいます。
特に、中国や韓国などとのモメごとは、
益々日本国民の国を愛する気持ちを失くさせていくと思います。
こんな風に簡単に自分の国を嫌う事が出来てしまうのは、
戦後の教育の影響が大きいのは言うまでもありません。

子供の頃も成人しても、日本ってアメリカの金魚の糞の情けない国ー
と思っていました。
でも、結婚して子供が出来て、社会や政治に興味を持ち出したとき、
”日本って本当にそんなに悪い国なの?”と思いはじめました。
いろいろ調べてみたら、
本当は世界中の国で日本を嫌う国がとても少ない事がわかってきました。
だから、『ちょっといいじゃん!日本♪』というカテゴリーを作り、
今日から時々日本の良いお話しを記事にしていこうと思います。
今の若い人たちに、「お、日本も結構いいじゃん♪」と思ってもらえればいいな~と。
私のブログに来られる方は、年齢的にそんなに若い方は少ないと思います。(失礼)
でも、現代の大人だからこそ、今まで教えてもらえなかった日本を知って、
大人の立場から子供達に「実は日本ってこんなすばらしい国なんだよ。」と
伝えてもらえると嬉しく思います。

それでは 『ちょっといいじゃん!日本♪』カテゴリーの第一弾として、
「日本と海外編・・・地雷」です。
 
  ーー これはあるサイトに書かれていた文章のコピペ ーーー

山梨県で建設機械の会社の社長である、雨宮清氏。
雨宮氏は仕事で立ち寄ったカンボジアで、内戦によって取り残された地雷によって
足を失ったたくさんの市民、それも子供達の姿を見て強いショックをを受けたそうです。
雨宮氏は帰国してから「地雷処理機プロジェクト」を立ち上げ開発に取り掛かりました。
「世界から地雷を無くすこと」が今まで建設機械を作ってきた
「技術屋」としてのプライドに火をつけたようでした。
それは研究のために
持ち帰った地雷を見て「良く出来ている・・・」と感心し、
そして怒りが込み上げてきた・・・こんなものに負けない機械を作らなければ!!
それが雨宮氏のプライドであり、人生の目標となったのでした。

子供達が遊び、生活している場所のすぐそばに 赤いマークの立て札がありました。
「地雷が埋まっている」場所を示しているのです。
ほんの2,3m先に 
踏んだ途端に爆発し片足を吹き飛ばす威力を持つ地雷があるという衝撃の現実。。。
貧しい家庭が多いために、ちゃんとした義足がなくても、
片足だけで元気に過ごしている子供の姿が 痛々しくて目を覆いたくなりました。
地雷に囲まれた地域に住む子供に「怖くない?」と聞けば
「地面に埋まっていて見えないから怖くない」と笑顔で答える子供、
「ココしか住むところがないから・・」という答えに 
雨宮氏は「この子たちには何の罪も無いのに」と悔しい思いを滲ませていました。

雨宮氏の作った「地雷処理機」のショベルカーには 土を耕す機能もついています。
地雷が埋まっている土地を ガリガリと土ごと掘り起こし、爆発させて処理をし、
その後の土をきちんと耕し農地として使えるようにする、
そこまで考えて作られた機械の素晴らしさに感動しました。
そして技術屋・雨宮氏の真骨頂を見たようでした。

5年前に地雷を処理し、農地にした所に行った雨宮氏の目に飛び込んできたのは・・・
たくさんの野菜が育ち、ひまわりの花が咲き 
笑顔で収穫をしている現地の人たちの姿でした。
雨宮氏の横顔が誇らしく そして嬉しそうでした。
思わず目頭が熱くなってしまいました。。。

次はアフリカに行くって言ってたなぁ。


 -- ここまで ---

え? 日立って、あの「この木なんの木 気になる木~♪」の日立?
あの会社は家電製品の会社じゃないの?と思った私は世間知らずう~
今時どこの企業だって、いろんな分野に手を広げてるんだよね。
今回の日立グループの1人、雨宮さんは ”社会貢献の功績”という事で、
平成19年に表彰もされてます。
その功績を詳しく説明しているサイトはコチラ↓
          『社会貢献の功績・雨宮清』

もっとわかりやすく、ムービーで見る事が出来るサイトは
コチラ⇒ 『Hitachi Theater』
「地雷廃絶への挑戦 前編」・「地雷廃絶への挑戦 後編」・「アンゴラ編」の
3つがあります。


☆ 単純だとは思う。こんな会社の見せ掛けに誤魔化されてーと思われるかもしれない。
  でも私は、この出来事を知って、日立が好きになりました。

☆ 日立グループ、頑張れえ~! 
  これで、この地雷処理機を
  それぞれの国内で自分達で作れるくらいにまでしてあげられたら、100点満点!