沖縄の最北端にある辺戸岬
1972年(昭和47年)の沖縄返還にさいして建立された「日本祖国復帰闘争碑」
沖縄県がアメリカの統治下にあった頃、本土復帰を願って、ここからのろしを上げた。また年に1度、辺戸岬と与論島との間(北緯27度の海上)で、本土との交流集会も行われていたそうです。(Wikipediaより)
若い頃、岩国基地の周りををみんなで手をつないで囲んだことも・・・
サークルでも
おきな~わを返せ~
おきな~わを返せ~
って歌っていました。
懐かしい思い出です。
この碑を見て当時の事がよみがえりました。

「ヨロン島・国頭村友好記念碑」

このは日風が強く、高い波がサンゴ質の絶壁に打ち付けていました

備瀬のフクギ並木(びせのふくぎなみき)
南蛮貿易時代にアジアから移植されたフクギは防風林として発達し
一軒一軒がこのようなフクギの中に建っているのです。
備瀬崎に面した備瀬集落は、全体がこのフクギに囲まれてまるで迷路のようでした。
自転車で回りましたが、方角が分からなくなるほど・・・

ホテル近くのエメラルドビーチの夕焼け

真っ白な砂浜にいつまでもたたずんでいたかったのですが。。。
1972年(昭和47年)の沖縄返還にさいして建立された「日本祖国復帰闘争碑」
沖縄県がアメリカの統治下にあった頃、本土復帰を願って、ここからのろしを上げた。また年に1度、辺戸岬と与論島との間(北緯27度の海上)で、本土との交流集会も行われていたそうです。(Wikipediaより)
若い頃、岩国基地の周りををみんなで手をつないで囲んだことも・・・
サークルでも



って歌っていました。
懐かしい思い出です。
この碑を見て当時の事がよみがえりました。

「ヨロン島・国頭村友好記念碑」

このは日風が強く、高い波がサンゴ質の絶壁に打ち付けていました


備瀬のフクギ並木(びせのふくぎなみき)
南蛮貿易時代にアジアから移植されたフクギは防風林として発達し
一軒一軒がこのようなフクギの中に建っているのです。
備瀬崎に面した備瀬集落は、全体がこのフクギに囲まれてまるで迷路のようでした。
自転車で回りましたが、方角が分からなくなるほど・・・

ホテル近くのエメラルドビーチの夕焼け

真っ白な砂浜にいつまでもたたずんでいたかったのですが。。。

普天間が、どげんないか心配です。
徳之島・馬毛島…大変心配そうです。
車で行けるものなら明日でも行ってみたいです。綺麗な景色有難うございます。
土日、かごっまは最高の花見日和になりそうです。
南方系の木なんでしょうね。
指宿当たりでは ヒトッバ(イヌマキ)が生垣兼防風林としていっぱい植えられていました。
私の世代は知りません。
私の世代は平和の真っただ中です。
沖縄最北端。
そう云えばそんなコト考えもせずに車で走り回ってたなぁ。
交差点で信号待ちしてたら、対向車側は雨が降ってて、こっちは晴れていた・・・
そんなのを見ましたよ。
あれは凄かったです。
そうですね、沖縄は戦争抜きには語れませんね。
私達の頃は70年安保で、主人にくっついてシュプレヒコールやりながらデモに参加しました
目頭が熱くなりました。その方も最後がきららさんとお話できてよかったですね。
ひめゆりの塔、昔のほうがよかったかな?
今のは塔って言うより・・・碑って感じですね。
お花を供えてきました
嘉手納基地を両側に下道路を偶然通ったのですが、複雑な気持ちでした。
基地問題、どうなることでしょうね。
有事のとき、日本の守りとして米軍は必要なんでしょうかね
今日も花見日和です。花見してますか~
沖縄は暖かので大きくなるのが早いと言っていました。
まるでジャングルでした。
家がぜんぜん見えないんですよ・・・
過激なことはありませんよ
60年も生きてれば、いろんなことがありますね。でも、戦争を知らない子供たちなんですよね。私たちも・・・