各国が保有する海軍。
海上での実力機能を有する組織であり、
地勢によってその優先度は微妙に変われど、
海洋国家にとって最も重要な存在である。
海軍の存在意義とは第一に、自国商船を脅威から遠ざけ、海上交通路を守ること。
それは古代から現代まで通じる普遍的な原則である。
その脅威とはもちろん、敵性船舶などによる襲撃であるが・・・。
実際に襲撃しなくても、天下のイギリス海軍を翻弄した艦があった。
今日は戦艦ティルピッツについて。
第二次世界大戦中、ドイツ海軍は戦艦を2隻建造した。
それが「ビスマルク」と同級2番艦「ティルピッツ」である。
ビスマルクはドイツ軍による北欧電撃戦に参加し、イギリス戦艦フッドを撃沈、
空母や戦艦を動員したイギリス海軍の追撃部隊と幾度も交戦した末に、
ドラマティックな最期を遂げた戦艦である。
そしてビスマルクを喪失したことにより、ドイツ海軍は慎重にならざるを得なく、
ティルピッツを北欧奥深くで温存してしまった。
なのでビスマルクのようなハデな活躍譚がなく、
ティルピッツはややマイナーな戦艦である。
しかしそれがイギリス海軍に脅威を与えないという結果にはならなかった。
1941年当時、ドイツがソ連に条約破りの奇襲侵攻作戦を始め、
日本も真珠湾奇襲攻撃を敢行しアメリカ相手に太平洋で連勝連勝、
第二次世界大戦は主要国全ての参戦を迎えて最高潮に達していた。
このとき、強力無比なドイツ軍のほとんどを引きつけていたのはソ連軍だった。
イギリス軍もアフリカ戦線でロンメル将軍率いる多少のドイツ軍と交戦していたものの、
独ソ戦の規模とは何十倍もの開きがあり比較にならない。
アメリカ・イギリス・ソ連でドイツに対しての連合を結んでいる以上、
アメリカとイギリスはソ連に対して何かを報いなければならなかった。
それはレンドリース法案という形になり、アメリカはソ連に対して大量の軍需物資と兵器を貸与する。
しかしアメリカで生産された軍需物資は、実際に遠く離れたソ連の地に運ばれなければならない。
そのルートをどうとるかが問題となった。
太平洋ルートは安全であった。
アメリカとソ連が隣り合ってるし、日本はアメリカとは戦争状態であったが、ソ連とは中立であったので、
実際のところ日本海軍はアメリカからソ連に運ばれる輸送船団を無視し続けた。
同盟国ドイツからの再三の阻止要請にも関わらず。
下手に手を出すとソ連が日本に宣戦布告するのではないかと恐れたからである。
しかしそこは広大なソ連の地。
極東に陸揚げされた物資を、実際的に必要としている西方に送り込むのは、確実ではあったが簡単ではない。
陸路で何千何万トンもの物資をシベリアを挟んで長距離運ぶのは、とてもコストと手間と時間がかかるのだ。
結局は船で一気に輸送できる海路が一番効率的だったのである。
手っ取り早いのは上記ルートであった。
アメリカから大西洋を渡った物資、またイギリスからソ連へ運ぶ物資は、一旦アイスランドのレイキャヴィクに集積され、
そこから北海を通りソ連のムルマンスクかアルハンゲリスクに入港する。
これは最も効率的なルートであったが、輸送船団には最も危険だった。
まずアメリカからアイスランドに渡る過程の大西洋上でドイツ海軍の潜水艦(Uボート)に襲撃されるし、
次の段階のアイスランドから北海を渡る場合も、ドイツ軍占領下のノルウェーの目と鼻の先を通らなければならない。
これだけ近ければドイツ空軍の哨戒網にひっかかるので隠匿は困難で、爆撃機も飛んでくる。
しかしレンドリースで供与された物資の3分の1はこのアイスランド・ルートが使用された。
このルートを渡る輸送船団は、1ヶ月か2ヶ月に1度ぐらいの頻度でソ連へ向けて出航し、
PQ船団と呼ばれ、1回目の船団はPQ1、10回目はPQ10といったように呼称された。
このPQ船団は1回につき、戦車や戦闘機を数百も積んでいたりした。
つまり大消耗戦争中のソ連にとってとても大きな軍需物資だったので、当然ドイツ軍もPQ船団を放置はしない。
アイスランドから船団の出港をキャッチすると、その航路を追跡し、
至るところで爆撃機や潜水艦などによる波状攻撃を仕掛けてきたのだ。
そしてイギリス海軍をことさら悩ませたのが、ドイツ戦艦のティルピッツがノルウェーに停泊していたことである。
ビスマルク撃沈以来、ドイツ水上艦部隊は派手な活動を控えざるを得なく、
この世界の果てとも言える場所に腰を下ろしていたのだが・・・。
通商破壊はドイツ海軍の潜水艦作戦が有名だが、
真に恐ろしいのは巡洋艦や戦艦などの大型艦による通商破壊である。
潜水艦や爆撃機では1~2発、多くとも3~4発の魚雷や爆弾を射てば弾切れである。
そして潜水艦は鈍足であり、待ち構えている場所さえ読めれば逃げ切ることは容易いし、
味方に駆逐艦でもいれば逃げまわるのはあちらの方だ。
その点、戦艦は、その主砲威力は当然、駆逐艦や輸送船を沈めるのを苦としない。
搭載された砲弾の数は1000発以上にのぼる。
速力も全速なら30ノット前後に至り、当時の輸送船の2倍、極端な場合なら3倍となることもある。
装甲は駆逐艦や巡洋艦の攻撃を多少食らってもビクともしない。
つまるところ、潜水艦や爆撃機に見つかっても無駄弾を撃たせれば弾切れで勝手に撤退していくし、
護衛艦の火器が当たれば撃退も現実的で、速力差に物を言わせて逃げ切ることもできるが、
戦艦相手にはその全ての方法が一切通用しないのである。
戦艦を相手に戦うには、空母からの艦載機で一方的にいたぶるか、
もしくは同サイズの戦艦をぶつけるかしかないのだが・・・。
当時のイギリス海軍は忙しかった。
なにせ地中海や太平洋でイタリア海軍や日本海軍との死闘を演じていたので、
序盤は空母や戦艦などの主力艦をこの極北の輸送船団の為に抽出する余裕がなかった。
それでも後には貴重な空母や戦艦をやっとこさ、やりくりして極北に張り付けにした。
しかしそれら主力艦もノルウェーにいるドイツ空軍を恐れ、護衛が許されたのは航路の前半だけで・・・。
PQ船団の直接的な護衛についていたのは掃海艇や駆逐艦、大きくとも巡洋艦サイズであった。
つまり、もし船団が直接ティルピッツに出くわすようなことがあれば、
輸送船団も護衛兵力もまとめて容易に殲滅されてしまうことが誰の目にも明らかであった。
悪夢以外の何物でもない。
なので「ティルピッツが出撃した」という情報が届く度に大わらわし、
船団に混乱が走り、かえって損失が増えるということが続いた。
最大の悲劇は1942年6月のPQ17船団で起きた。
イギリス本国艦隊の戦艦や空母などの強力な護衛がついていたのだが、
前述したように彼らはドイツ軍勢力下のノルウェーには接近することを許されていなかった。
陸上から一方的に攻撃され損失することを恐れたのだ。
なのでドイツ空軍偵察機に発見された途端、
船団のはるか後方にあたるそこで停止してしまった。
PQ17船団に向かって「ティルピッツ出撃す」の情報が届くも、
空母や戦艦を擁する本国艦隊はドイツ空軍を恐れて前進してこない。
ともなれば・・・PQ17の直接護衛についていた巡洋艦4隻を擁する護衛戦隊も無駄死にを恐れ、
PQ17船団を見捨てて撤退してしまったのだ。
こうなればPQ17の輸送船団は、大慌てである。
護衛戦隊に見捨てられ、もはや為すべきことは、被害を最小限に食い留めることだけ。
輸送船団は一網打尽を恐れて、バラバラに散開してしまったのだ。
船団の自衛火力というのは密集してこそ効力を発揮する。
散り散りになればただの打ち上げ花火同然で・・・
ドイツ軍の爆撃機や潜水艦からは、大した反撃もされずに撃ちまくれる、格好の的となってしまった。
問題は・・・護衛戦隊の帰投、船団散開の悲劇を招いた元凶のティルピッツは、獲物に遭遇していない。
それも当然で、ドイツ空軍の偵察機がイギリス本国艦隊の空母と戦艦部隊を発見した後に、その居場所をロストしてしまい、
今にも空母部隊がティルピッツに向かってきているような気がしたドイツ海軍司令部は、
損失を恐れてたった9時間の航海でティルピッツを帰港させたのだ。
あちら側も同様に損失を恐れて進出してこないことを知らぬまま。
要するに互いに臆病な勘違い合戦をしてしまい、
向かってこない敵を恐れてしまった故のPQ17の悲劇である。
結果的にPQ17船団は33隻中、24隻の損失を招いた。
これはPQ船団中でも最大の損害である。
このようにティルピッツは、実際に有効な海戦を行ってもいないのに、
ノルウェーに引きこもって"存在する"というだけで敵に大きな脅威を与え続けた。
結局ティルピッツは停泊中に幾度もの空襲に晒され、1944年10月にとうとう撃沈されるのだが、
温存するだけで敵海軍の戦力と作戦を拘束する「フリート・イン・ビーイング」の実例とされる。
ユニークな戦歴を誇る戦艦となったのである。
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