ヘボのアルバム (続編)

四季折々の戯言を・・・
そこから何が読めて来るか?

     『 高精度時計の思い出・・・ ③ 』

2015-12-19 16:30:12 | 日記

             


一般的に振動論の常識としてQ値が上がれば、高くなれば精度は高くなる・・・
この常識を当時メカ時計に採用した!!!一般的に腕時計の振動数は、5.5~6振動/秒というのが多い・・・
この程度の振動数では高精度の腕時計を造り上げるのにかなり困難を伴っていた。
先にも書いたようにメカ時計の場合、動力源のゼンマイ、テンプの重り取り、ヒゲゼンマイの巻き込み角と温度係数、それに脱進器誤差等考えるとかなり苦しい!
依って精度を上げる為にハイビート時計の採用が検討され出した!!! 8振動、10振動時計だった。
高振動化を狙うのもイイが、これとてそう簡単なものでもない!!!
強引に高振動化させるにはそのエネルギーであるゼンマイのパワーアップを図らねばならない!!!
手巻きなら兎も角自動巻きともなると回転錘の捲き上げ能力不足等が発生し、また、持続時間が減るマイナス要因も起こり匆々簡単なものでもなかった。
しかし、「グランドセイコー」で10振動化に成功し一頃流行?ブームになった時期があった。 持続時間は4~5時間に減りこういう面で苦戦した記憶も新しい!!!

そしてそして、この時代が過ぎるとクォーツ全盛時代に入って行く・・・
水晶発振器を発振させ、その超高振動を精度に反映させるという代物だった。 マスコミを上げ高評価されたのは言うまでも無い!!!
この頃、yは、後神を曳く思いで時計技術から去って行く・・・  新事業のプリンター事業への配属転換命令が出たのだった・・・
腐肉なもんで時計産業に憧れ時計会社に入ったのだが志半ばにして全く異種業務へと転換させられてしまった。
不思議なもんで職種が変り月日が経って行くと愛着はプリンター事業へと変わって行った。 しかし、そこには計り知れないプレッシャーがあり、正直苦戦の連続だった。
新事業を構築するという事は生易しい心構えでは成就出来ず毎日心臓が破裂しそうな日々を送っていた・・・

月日が経ち、時計事業の魅力はさっぱり抜け去り職種転換後は傍で見ている傍観者となりつつあった・・・
そして、13年ほど経った或る日、まともや会社命令が起き、時計事業へ戻れ!!!という辞令が!!!!! 
サラリーマンに悲劇?
事例には従わざるを得なかった・・・
そこには時計事業の大集積という新たな難問が控えていた・・・
しかし、この業務も2年と持たず、又もや新規開拓中のメモリー事業へと事例が飛んで来た!!!

その後何だかんだで色々な事業を経験させて貰い、定年を迎える事になる・・・
現在は老後の生活を送っているが、世の中不思議なものであれほど注目を極めたクォーツ時代が去り、今ではメカ時計が再復活をしているという!!!
クォーツの利点は言うまでも無く時間制度抜群という超メリットがあるが、電池が切れると唯の見世物? 糞の役にも立たずこれが癌となり大衆が離れ出しているという!!!
実に皮肉な現象である!
しかし、そこが流石SEIKO!!!、スプリングドライブという新しいメカニズムを開発してこれが世界でもTopを走るメカ時計であり、しかも精度抜群のクォーツ機構を托しているという代物を開発してしまったのだ!!! 
これは凄い代物で電池レスといい、精度抜群といい腕時計の最高峰に君臨すること間違いナシ!!!!!
  
惜しむらくは生産数が少なく超高値!!!!!大衆商品になり得ていない事だ。     
今では専門家でもないのでその詳細について言える筋合いも無いが、原理的に考え極めて卓越した機構を採用していると呻らざるを得ない!!!
そして、惜しむらくは「グランセイコー」のデザインが、半世紀前のモノズバリで新鮮味に欠ける。これイイという客層が多いというが・・・   
人の趣向は人夫々で中々難しいものだがこの商品はデザインを覗けば極めて優れたメカニズムを托していると言える!!!   
実は、お金があればSEIKOの「ソムリエ」とか「ピューリッツアァー」を手元に置きたい所だが到底貧乏人が果たせる代物ではない!!! 
それにしても魅力ある商品が世の中にはあるもんだ!!!と時計好きの老い耄れ爺・・・・・・ 
昨今の雑誌や新聞記事を見ていて興味深々。。。。。。。。 これ等がコマーシャルレベルで購入出来るようなればと・・・ 
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     『 高精度時計の思い出・・・ ② 』

2015-12-19 10:22:08 | 日記

             


yの上司は検査部門と品質管理部門も兼ねていたので超忙しい方だった!
依って、入りたてのyを中心にかなりの任務を播かせ大目に見てくれた。 言うなれば任せてくれる太っ腹なところがあった!!!
入社2~3年もすると親方伝承主義の組み立て方式は組み立て標準書、技術標準書に基づき総て展開される近代的な生産方式へと変貌をし始める・・・
組み立てに関する技術標準は1年足らずで集大成されこのノウハウ集で運用されるようになる・・・
そして、大発展を遂げる新製品販売ラッシュ時代へと様変わりする・・・
最も遣り甲斐を感じたのは新製品が出る度我々組み立て技術要員は2~3人でベルトコンベアーで流す生産方式に作業分解し組み立て作業標準書を造った!!!
出て来る新製品の総ては我々2~3人の出来で如何でベルトコンベアーんがスムースに流れるか?が掛かり、その出来具合が現場主任のお目玉にも関わっていたのでかなりのプレッシャーがあった。
ベルトコンベアーは、通常、24~5人で構成されるので複雑時計でもこの人数に合わせた作業分解をしなけらばならない!
ベル機構が付いた「べルマチック」、複雑怪奇な「クロノグラフ」等の組み立て標準書作成にはかなりの脳味噌を使った。。。

超高精度時計:「グランドセイコー」は、生産される時計総てが日差1~2秒以内に抑え込まれていた!!!
当時の機械式時計では超雲の上の存在でスイス時計、ロンジン、オメガ、ローレックス、パテック等でも成し得ていなかった!!!
それを量産方式でジャカジャカ造り上げるのだから一寸脅威だったに違いない!!!
それには訳があった!!!
部品加工はスイス式の自動盤:トルノスやこのコピー品島津のT-7自動盤、歯割自動機、そしてシェービングプレス等の機械が惜しみも無く導入されるようになり部品精度は飛躍的に上がって行く・・・
そして、何よりSEIKOグループの強かったのは、金属材料加工部門に東北大学の協力も得て精材研研究所を仙台市に設け此処で特殊鋼加工のゼンマイやヒゲゼンマイを造っていた事だった。
エリンバー、コエリンバー等Ni、Cr、W等の特殊金属を使った超強強度、温度係数の優れた材料を量産体制で造れる工場を持ち合わせていた事だった。
腕時計の難しい所は、腕に付けあらゆる姿勢で持ち歩くので如何なる姿勢であろうが等時性を維持することが肝心でこれを日差1~2秒に抑え込むという事は当時の技術では至難の技だった!
依って、機械時計ではなく水晶時計や電波時計の研究も並行して進められていた・・・ 後後この時代が来るのは時間の問題だった。。。。。。 
時計の専門家の間では、等時性という言葉は常識中の常識!!! 等時性なくして時計を語る事は出来ない!!! 
この当時性を確保するのに腕時計の調整機構、脱進器機構の研究なくして語れない!!! あんなチッポケなメカニズムだがこの心臓部の研究に理論時計学という学問がある!!!
組立技術要員のyは、日夜この理論時計学を勉強した!!! 座右に置かれていたのがグロスマンの「理論時計学」だった。 微分積分学をフンダンに使った一端の研究分野で数学の好きなyは好んでこの勉強に浸った・・・
理論時計学の神髄は、調整機構のテンプのアンバランスの除去、これをテンプの重り取りという!!!
この技は誰にでも出来るような代物ではなく、10年、20年の熟練を要した!!! 何せ、時間の遅れ進みを測るタイムグラファーの+、-を見ながらテンプのどの位置に如何程のアンバランスがあるか読み取り、これを超小さな錐で削り取るのだから至難の技だった・・・
また、テンプの回転運動を戻す為にヒゲゼンマイという小さな小さな渦巻きバネが使われている・・・
これにも一端の理論があり、ヒゲゼンマイの捲き出し位置と最終固定する播き終わり位置との間に姿勢差を超左右する巻き込み角という理論がありこれが時間:つまり等時性に大きく関わっていたのでヒゲゼンマイの造り込みにはかなりの技術力を必要とした・・・ そして、嫌な事にこの部品は、温度で伸び、縮みするという温度係数成る要因を秘めていたのでかなり厄介な部品の一つだった!!!

時計の時間制度はこうした幾つもの要因の塊で左右されるので言うなればかなり厄介なメカという事になる!!! 

我社ではこうした理論時計学の一端がかなり解明されていて、高級時計を中心に普及品時計にまで波及落とし込んでいたので普及品と雖も品質の高い時計を世の中に送り出していた。。。
高級時計ローレックス、オメガ、ロンジン等に伍して世界中で戦えた由縁と言えよう!
何より痛快だったのは、我が時計調整師数名で造るコンクール用の時計がニューシャテル天文台のコンクールで首位を独占、スイス時計会社の鼻を挫いてしまった快挙事件があった。
これは、世界中から脅威と受け止めれられ、翌年からコンクールが中止されるという大事件へと・・・・
そして、この事件後、我社では、腕時計のクォーツ量産に成功するという快挙を成し遂げ世界中を驚かす!!!  入社後10年足らずの極めて短い時間だった!!!

( つづく・・・ )
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     『 高精度時計の思い出・・・ ① 』

2015-12-18 09:36:00 | 日記

               


新聞情報等に依ると景気の回復?等も手伝い高級時計が売れに売れているようだ!!!
それもメカ時計だというから恐れ入る!!!
何故こんな馬鹿げた事象が起こるのだろう? 

オイドンは子供の頃から機械弄りが大好きでへっポコ大学の工学部機械工学科を卒業して腕時計メーカーに就職した。 主任教授の勧めもあり時計造りに関心があり情熱を燃やし出していた・・・
指折り数えるともう半世紀も前、60年もの昔の話である・・・
時計メーカーは日本トップクラスの一流メーカーだった・・・
入社すると一流メーカーと雖も社屋は木造造りの珍奇な建物で其処で造っている腕時計はマーベルという男向けの腕時計たった1機種で情けない位貧弱な規模だった!
嬉しい事に貧弱な規模会社だったが腕時計の技術部門、最終組み立てのまとめ技術を担当する部署に配属され、そこで苦も経て技術を勉強することになった・・・
タッタ1機種しか持たない情けない小規模群団だったが、兄貴会社である亀戸の工場は流石一流で女物腕時計を中心にクロノス、ストップウォツチ、懐中時計等幅広く生産しこの業界の先端を走っていた。
腕時計の精度を司る組立生産技術は、まだまだ町工場の術程度で、先輩達の言い伝えを伝承する口伝えの親方主義術でこれから日本を背負い立ちこの業界を牛耳って行くには程遠い低レベルの生産技術力だった!!!
しかし、マーベルという腕時計は設計の狙い所に非凡なものがあったと見え、職人さん達が特殊な手を加えると日差1~2秒位まで追い込める精度を発揮しこれが超脚光を浴び「ロード・マーベル」と称し、売れに売れていた!!! 当時の名称品となりつつあった!!!
y等大卒組は口伝え伝承の親方丁稚小僧的生産方式を何とか標準化技術に集大成し何時でも誰でもが技術標準初を覗けばある制度の腕時計が組み立てられる!!!というレベルに持ち上げるべく伝承技術を工業化できる水準に持ち上げられるべく懸命に日夜努めていた・・・
そんな過渡期に高精度腕時計「ロード・マーベル」ベルトコンベアーで流され、精度調整はロット化するという画期的生産方式を確立させた!!!
夢のような話だった。
時同じくして、「マーベル」の廉価版「ローレル」が大量に組み立てベルトラインで何本も流されるようになり、会社は飛躍的に生産規模を拡大して行った・・・ 
造れば飛ぶように売れる時代へと・・・  
当然の事ながらボーナスは年間9~10ヶ月も支給され従業員は遣る気に充ちていた!!!
そして、「クラウン」という腕時計をベースにした超高級時計「グランドセイコー」が陽の目を見るようになり日差1~2秒を争う高級時計が200~300個/日生産されるような時代を迎える・・・
時同じくして、超薄型自動巻き腕時計「セイコー・マチック」が開発生産され毎日物凄い繁忙時期を迎える・・・
確かこの頃を期して毎月のように新製品が発売され、繁忙を極める・・・
腕時計全盛期の幕開けだった!!!

本論に戻ろう!
腕時計の精度確保は非常に難しく、基本設計技術は基より、精度確保には色々なノウハウがあり、この確立は一朝一夕には出来上がらない大変な作業だった・・・
歯車の精度、動力源である、ゼンマイの出力平準化技術、回転運動を一方向回転に転換する脱進機:ガンギ~アンクル器誤差、回転運動を一定化するテンプのアンバランス除去、ヒゲゼンマイの温度誤差等党、数え上げれば限がない程の要因で構成されていた!!!!!
これ等を町工場的親方伝承志向の方式から大量生産方式工業化への転換はそれほど生易しい作業ではなかった・・・
今でこそ昔懐かしい「ウランド・セイコー」が40~50万円もの高値で飛ぶように売れているという話が伝わって来るが、この出発点はこうした町工場的伝承技術の集積が成し得た技と言えよう!!!

オモロイ話がある!!!   

( つづく・・・ )
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     「 トークショー ・・・ 』

2015-12-16 22:14:58 | 日記

             


オラガチームの監督:反さんのトークショーがあった!!!
トークショーの前売り券、英ちゃんに買って貰った。その購入苦労の程度は判らないが2~3時間で売り切れた!というからその困難度は推して知るべし!!!!! 
察するに購入の難易度、手に取るように判った!!! 有難うさん!!! 
実は、その昔入場券の買い付けを何回か試みた事があるが、老い耄れ爺にはかなり困難を伴った! 増してや、アウェーのバス代とセットで購入となるとその困難さは計り知れない!!!!!
正直、何時も苦手としている!!! 
この苦手の分野を何時も英ちゃんが担当してくれているのでその有難さが身にしみている!!! 

この買い難い反さんのトークショウ入場券を厚かましくも頼んでしまった!
昨年も買おうか?買うまいか?迷っていてそのチャンスを逃がしてしまった! 
サッカー場:アルウィンで買えば意とも簡単だったのだが延ばしに延ばした挙句が時間切れという御粗末始末!!!
で、今年は、婆の状態も安定しているので無理しても行きたい!!!と決めた・・・

5時半入場、6時半開演という次第だった!!!
駐車場確保の困難さを知り電車で出掛けた!
4時の電車に乗り、松本駅から15~20分程歩き、松本芸術館に着いた!
yの前を追いつ追われつしながら歩くおばちゃんがいた・・・
松本芸術館行きかな? 瞬間そう思った!!!
そして会場に着き、列の最後尾の並ぶとyの後ろにそのおばちゃんが並んでいた!!!!! 
予感は図星だった!
そして待っている1時間以上をそのおばちゃんとサッカー補強談義をした! かなり情報を持っている。唯モノじゃァ~ないなァ~と思った!!!
yの責任は英ちゃんが遅く着く予定、席取りも兼ねていた!!!
入場態勢に入り思いがけずも英ちゃんに出会えた!!! この大群衆の中で相棒を見付けるのは容易いことではなかったが!!!
巧く並んで入場、やや遠くだったが真正面の席が取れた!!!
会場はあっと間に1400人のサポーターで埋め尽くされた・・・ 
凄い人気振りだ! 流石、反さん!!! 

またまた、1時間ほど待って開演となった。司会は、信越TVの若き宮入アナ!!!
初めてのトークショー参加だったので期待は大きく、その期待度はyの長年培ってきた感性で考えていた!!! 
yの感性?その根幹は、結構レベルが高く、企業戦略的な観点からの話が聞きたかった! 
言うなれば、J-1に上がり、残念ながら1年で降格!!! 言うなればエレベータークラブの典型でyの想からかなりかけ離れていた!!!
この立て直しをどうするか? 
この辺への切り込みが肝心で枝葉の事はどうでもよく夢は膨らんでいたのだった!!!
しかし、始まったのはほんの数例:3ゲームのゲーム戦術?この解析をVTRを使って長々説明!、それにクイズを加えての展開で実は拍子抜けした!!!  
クラブのTopがこの時期何を考え、降格後のクラブ立て直しをどうするかという企業戦略が聞きたかった!!!
こんなこと言うと失礼だが、ミーちゃんハーちゃんのチンマイ戦術論の一部紹介で、実は、ガッカリ!!!
y、過っては一企業の事業部経営を任され企業戦略の重要性には苦心惨憺!、その多くの時間をあれやこれや!と案問書いて脳味噌の多くを使い果たしてきた経緯があった。
一企業のTopというモノはこのような戦略を持ち合わせないと部下やその家族、そして社会的責任を果たせない!と、いう事を嫌というほど味わって来た!
正直、ナンジャイ!こりゃァ~~~!というのが実感だった。 

そして第2部は、参加サポーターの質問アンケートにくじ引きで答える!という月並みの安パターン!!!
こんなくじ引き、公平性はあるかも知れないが、レベルは極めて低く、その多くはどうでもいい程の質問だった!

こうして、2時間のトークショーは終焉を迎えた!!!  

思うに、このトークショー、松本山雅は、何を訴え、来年度再度J-1復帰を狙う為にどうしようと考えているのか?一番肝心な分野が欠落した寂しい演になってしまった!!!
何事もそうだが本来あるべき姿を実現する為にその主(あるじ)は何をしようとしているのか?
細かい枝葉の事を論じるのではなく、根幹になる幹や根っ子の部分を押さえておかないと、また、同じ轍を踏むことになる!!!!!
今年、何ら修正点が加えられるでもなく同じ事の繰り返しを演じて来た・・・ 尊い体験があったではないか?
正直、まだ、この辺の分析が十分になされておらず、次のシーズンに入ろうとしている!!!
クラブ立て直しの修正、選手補強点のポイント!!!、クラブ管理維持の為の予算措置等等言い出せば限が無い!!!
資金源の源:スポンサー確保の協力、大問題だと思う!!! 
下手糞選手層を2重3重に抱えていてもJ-1復帰は望めない!!! ピンポイント補強は必須だろう? それには補強人件費確保が肝心だだ!!! 
細部のチマチマ細工は後回し? 予算確保に全力を尽くしたい!!! 浦和、中国の広州恒大、バルセロナ等そのイイ例だ!!!


こんな不安を抱えながらのトークショー拝聴だった!!!  

松本山雅の熱きサポーターを抱えているなればこのクラブの明日:将来を臨んでの企業戦略構想、どうあるべきか?その為に何をするか?
何か将来像が伺える構想らしき片鱗が知りたかった!!!
思うに、一流企業なればこれ等なくしての運営は近い将来倒産もしくは消滅をも意味しているような予感すら感じられた時間だった!!!
参加者1400人近かったが、その多くは何を感じ取っていただろう?
安っぽい余り意味をも持たない大きな拍手が異様に耳に響いていた。。。

思うにこういう観点からクラブの再生を熟慮する人材が1人や2人位てもいてもいいのでは?と、他人ことながら心を痛めた!!!    

  何事も枝葉を見るのではなく、幹や本幹を見る癖を付けないと大きな路線を見誤ってしまう!!!
こんなこと書いても釈迦に説法か?
 
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     『 今年最後の忘年会と“日ユ同祖論”・・・ 』

2015-12-14 17:42:40 | 日記

             


真昼間だったが今年最後の忘年会があった。
A氏、F氏各夫妻を伴ってのお馴染みポン友の忘年会・・・
ポン友と職場を共にしたのは指折り数えるともう30年も前になる・・・
その頃はよく働き、よくポンコロリン:ゴルフをし、よく飲み、よく口論したモノだった・・・
ついこの間のように感じる!!!
お互い年を取ったがその頃の気性は余り変わっていない!!!
3人の中でyが一番多趣味故、どうしてもこの趣味に曳かれた話題へとシフトしがちだった・・・
今日は、どうしてもF氏のユダヤ~大和文化の謂れを聞きたい!!!と特別注文をしておいた!!!
F氏は彼特有のユダヤ大和文明の関わり合いを話したくて話したくて手薬煉を曳いている事が痛いほど判る。
この文明論を話し出すと留まる所を知らない! するとカミさんが横からチョッカイを出し制するので何となく可哀想?
早めに食事を終え、両国間の文明因果を!!!!と・・・これを「日ユ同祖論」というらしい!!!!!
F氏独特の口調で同国論が論じされ出した!
もう彼是3~4年前になるがこの同国論の片割れを話したくて話したくて聞いた覚えがあるが、その頃は皆さん乗り気ではなかった!!!!!
しかし、来年は諏訪の御柱!!!!!  
長年諏訪の文明に触れて来た我々、御柱が近付くと胸騒ぎがして来るのだろう?
今回は、皆、彼が用意したレジメを見ながら質問連発でかなり突っ込んだ質問責めになった!
連発銃の質問にもF氏は怯むことなく「日ユ同国論」を彼特有の口調で解説し続ける・・・
一言言うならば、日本文化のベースはユダヤから流れ着いたモノで神社、言葉、文字風習等に数多くその痕跡があるという!!!!! 
これを例を挙げて説明してくれるのでツイツイ成程!!!と思い込んでしまう・・・ 
説得力のあるF氏特有の力説だった。
この件(くだり)を駄洒落本にしよう!と提案した所、是非、造ってみたい!!!と、張り切っていた。。。 
我々老トル仲間は皆夫々に個性派?で一種独特の人間性を持っている・・・
F氏、今日は時間切れで中途半端になってしまったが、近々、タップリ時間を掛け諏訪神社~御柱まで辿り着けるような御講義を賜りたい!!!と・・・
それにしても「日ユ同国論」は嵌り込むと中々興味深い一面がある・・・

聞く所に依ると、今のユダヤ人とは別の人種が当時は同国を牛耳っていてどうやらシルク道路を伝わって東へ東へと流れ着いたらしい!!!!!
紀元前の話である。
それからユダヤも征服戦争に逢いながら今のユダヤ人へと変貌して行ったと聞く・・・
現ポイントで考えるとフザケタ話のように思えるが、当時のユダヤ文明の多くが日本語、文字、神社の風習、聖書人物略図等に残存しているから興味深い!!!
満更の空想論でもあるまい?と・・・・・・ 

何となく幾らか利口になったような気がしてF氏の力説を聞き入っていた!!!  
近い将来、再度この件を時間を掛け拝聴したい!と思っている・・・  その為には幾分の予備知識を学んでおかないと・・・ 
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