振り返ってみればヘボの飼育は確か国民学校2年生か?3年生の頃からしていた。
諏訪地方で言う「ジスガリ(ヘボ)」を求めて彷徨い歩いていた親父さんの影響だった。
その飼育方法は今日、極々、当たり前になっているが三宅式飼育箱の発展的飼育箱ではなく地面に直に活ける!!!という方式で花火を2回も使う方式だった。
我が家の北側の斜面は赤土、粘土質でやや湿度が高く上出来に出来る程では無かったが、父の兄が近くに住んでいて此処は大きな桜や木々が生い茂り夏涼しく、且つ黒土の斜面で飼育には条件が整っていて10巣とか15巣単位で飼って上げていた。
yは、毎年、お盆になると親父さんの後に付き八ヶ岳広原山麓で「ジスガリ」、今で言うピンコロを見付け飼うという習慣になっていた。当時は8月、お盆が常識だった。
八ヶ岳山麓には「ジスガリ」の他に「軍」、「キイジス」も居て、当時としてはこの辺の区別は殆ど誰も出来ていなかった。「キイジス」だけは体が黄色いので誰でも直ぐに判るが、標高1300m以上の地点・鼻戸屋より上で無いとゲーロ(蛙)に来る事は無かった。
飼い蜂とはいっても家の周りに活けるだけなので大して大きくもならなく、ただ、飼って楽しむ!という程度のものだった。
確か、小学校制度に変わり5~6年生の頃近くの烏帽子というの線路の土手で「ジスガリ」より勢いのイイ巣を見付けこれを現地で燻しその場でバケツに土を入れ固め、土の真ん中を繰り抜きそこへコロンと掘り上げた巣盤をそっくり入れて持ち帰ってきた事があった。上蓋は芝をごそっと剥ぎ載せると言う自然状態に近い形を取った。
この巣は、メキメキ大きくなり秋祭りの頃には吹き上がる程に、お祭りの御馳走となった。大きなバケツが一杯になる!生育振りで鼻高々の技術確立した記憶は新しい! それ以来この方法を講ずるようになって行った・・・
そして或る年の晩秋、この飼育箱の脇で最初にして最後の交尾蜂を見た!!!
最初何のことかよく理解できなかったが、今にして思えばどうしたことか?事もあろうに飼育場所の真横での交尾だった・・・
それ以来「ジスガリ」の交尾等見た事も無かった!!!
晩秋、親父さんと毎週のように土日が来ると連れだって八ヶ岳山麓や小淵沢界隈まで出掛けた・・・
そして教わったのは、晩秋、雄蜂が風を隠す暖かい日向の高木や垣根の周辺でワイワイと屯徘徊(たむろはいかい)する雄蜂を指してこれが交尾蜂:「グレ」だと教えてくれた。 当時の蜂狂達は日向ボッコをしながら高木で徘徊している雄蜂の群れを「グレ」と呼んでいた。 「グレ」:群れをなす軍団という意味らしい!!!
「軍」の大きなコロニーになるとこの「グレ」は物凄い数で唸りを発て徘徊する姿は見聞に値する程だった。
yの親父さんは、晩秋になるとこの「グレ」を見付けその界隈で通い道を探し当て「透かし」で見付けるという高等探巣戦術が得意だった。
今から遡ること100年も前の話になる!
そして、時代は10数年近くジャンプする・・・
yの蜂追い中断の期間だった・・・ 高校や大学、そして屁ッポコサラリーマンになると好みから外れて行っていた・・・他に遣る事が山積していた・・・
サラリーマン時代も終焉を迎える50代になって焼けボックリに火が付き出し、松本の蜂狂達と年に数回蜂追いをするようになって行く・・・
この頃、NHKの教育TV:「ヘボに魅せられた男」、、あの有名な三宅名人がTV出演しこの界隈でも一気に話題となり蜂狂仲間が増え出すと言う一件があった!!!
そして、そしてだ!!!三宅名人宅御訪問を企てた!!!
御一行様は宮ちゃァ~、五味さん、矢花ちゃんだった。先導リーダー役は、勿論、宮ちゃァ~!!! 常に先頭に立つ!!!
それは、片道3時間近い串原村への旅だった。 以来、串原行きを「串原詣で」と呼ぶようになる・・・
先客も居たがどういう訳か?三宅名人は我々を家の座敷に通してくれた。 最初、お互い警戒しながらポツリポツリのヘボ談議だった・・・
そして、最初の交換物が我々郷土土産と「ウグイ」等々・・・。 三宅名人は交尾蜂のテレフォンカードを1枚づつくれた・・・
yが今日この道にこれ程までにノメリ込んでしまったのはこの交尾蜂テレウォンカードだったと言ってもイイだろう・・・
それ程この交尾蜂写真に超超曳かれたのだった!!! このカードは今でも取ってある!!!
このテレフォンカードの画像を載せようと、昨晩、2時間近く探したが何所に仕舞い込んだのか?出て来ない!!! 画像も探したが8台もあるHDDから探し出すのは至難の技で未だ見付かって居ない! その代わり、古びた三宅名人の名刺が出て来た!!!
これで代用して置こう!!!当にこの画像のテレフォンカードだった。名人:翁はこの画像がお気に入りだったんだろう事が名刺にも使っていることから想像される・・・
と、思っていたらヒョンナ所に画像があった!!! これが三宅名人がくれた大事なテレフォンカードだ!!!
我々の探巣技術は自他共にお他人様にも自慢出来る腕前だが三宅名人の飼い蜂術:飼育法、交尾蜂捕獲といった技には吃驚!!!唯唯頭が下がった。私共の珍奇なスガレ追いひ技術は卓越しているとは言うモノの次元の違う世界に遭遇し、唯唯、目の玉を貧剥いて帰宅した記憶は新しい!!!
しかし、名人には逆立ちしても出来ない「キイジス」との出会いという得意技にチョッピリ自負を憶えシーズンイン後名人に巣をプレゼントするという約束をして体面を保った。。。
その年からyも飼育箱を寒冷紗で囲み交尾蜂を10数匹捕獲するという快挙を成し遂げた!!!
これを三宅名人に報告すると「ホ~~ホ~~~、良くやったネ!」と言って褒め称えてくれた。。。
実は、この時、大変な目にあった。
飼育箱を寒冷紗で囲むと出入り口が塞がれる!、そしてデフェンス寒冷紗を喰い破り其処を第2の出入り口とする・・・通わせまいと此処を塞いでいる時、ガァ~~~ンと一撃を食らった!!!目の縁である!
翌日、串原のヘボ大会の日だった。 少々恥ずかしかったがオカチメンコの顔で参加!!! 三宅さんに合うと「オ~~お~~~!お土産を貰ったね~~~!!!」とオカチメンコの顔を見て冷やかされた・・・ 三宅さんはyのイイ兄貴分だった!!!
この一連の一件はyにとって青天の霹靂!、前代未聞の大事件でこの年を期してヘボハウスなるモノの建設等にノメリ込んで行く・・・それが、我が家の梲(うだつ)付きヘボハウス!!!近くの宮大工さんと相談し造り上げた曰く付きのヘボ小屋である!!!
依って、交尾蜂捕獲という一件はyの人生の上で大事件で、この頃からカメラを始めヘボちゃんの観察術、交尾撮影のノメリ込んで行く・・・自慢でも無いがこの面での画像所有数は誰にも負けない量と質を持っている!!!
パソコンを手繰れば当時の未熟な画像がゴロゴロ出て来るが、それでも大満足!!!、こうした経緯を経て撮影術も飛躍的に成長して行く・・・何と言っても目先で大量の交尾蜂達が見られるのが絶対の強みで色々なシーンが手当たり次第得られる。 そして、デジタルカメラの技術進歩とも相まってこの道では一丁前の講釈が言えるようになって行く・・・
最初の頃の「蟲の眼レンズ」は画質が悪かった。 馬鹿チョンカメラRicoh GX8 を蟲の眼カメラにした代物だった・・・
画像は後程ジックリと吟味しながら載せる事にしよう・・・ それにしても三宅さんから頂いたテレフォンカード何処へ仕舞い込んだのだろう? 一寸ショックだ! その代わり、多くの蜂狂さんから頂いた名刺や貴品銘品がザラザラ出て来た・・・ 阿保かいなァ~~~!!! 画像、今夜まで待ってね・・・
先程から数ある画像の中から適当に引っ張り出し載せている・・・
上の画像は蟲の眼レンズ駈け出しの頃で馬鹿チョンカメラの質が悪くこんな程度だったが、一眼レフ Pentax 100 + 50mm を蟲の眼レンズにすると画質は飛躍的に向上した!!!
以来これがyのオトットキの蟲の眼レンズとなる!!!
そして、この挿絵交尾器の構造、仕組みは大凡でもイイから頭に入れておくとイイ!!! 後々、折に触れて解説して行くことになる・・・
哺乳動物とはかなり異なった精器体で実に合理的に出来ている!!!
では・・・
我老い耄れ爺の所の強みは交尾のレパートリーが広い事だ!!! 白黒の「軍」ばかりではない!!!
多分、他では絶対見ることが出来ない「キイジス」の交尾までトライしている!!!
交尾自体は何ら「軍」と変わらないが、ポイントは、ややダイナミックな事とその美しさにある!!!
こうした交尾活動の中、外では赤松の上でもこうした交尾活動が展開されている・・・
この上ない楽園でこの地で生き永らえている事に喜びを感じる!
取分け、毎年、何らかの形で「軍:シダクロ」は勿論のこと「キイジス」と戯れられることに最高の喜びを感じる!!!
そして、こうしたヘボコンテストで知り合いの蜂狂仲間とヘボ談議が出来ることに何より最高の喜びをおぼえる。。。
当時バケツは高価なものだったでしょうから親の理解が無ければ叶わなかったでしょうね。
去年美濃屋さんからペール缶での飼育を教えて頂きました。
でも蟻の殺虫剤で失敗、今年はそこそこでしたがプラスチックは暖地には不適当のようです。
来年は植木鉢などの陶器を考えていますが皆さんに日本製じゃなきゃダメだと釘を刺されました。
師匠の子供の頃からのヘボ遍歴を1冊の本にして戴けませんか?
技術的なshy,the vespulaと対極の本になると思います。
そのshy,the vespula、面さんの他に孫弟子、島根のTombeeさんもお願いして欲しいとの事です。
機会が有りましたら宜しくお願い致します。
当時試みたバケツはかなり大きなブリキのバケツでこれに黒土をギューギュー詰める・・・
そして、真ん中に穴を開け、巣盤が入るようにする・・・
此処に割り箸を2本差し込み巣盤を支えるようにする・・・
屋根は野芝が直に来ているのでこの根っこにも巣盤を支える基盤が押し迫る・・・
通い穴はバケツ縁まで小さな通い道を付けて遣ればこれで完成!!!
これを飼育したい場所へ運ぶというもの・・・
yは柿の木の下に置いた!!!
以来、この方法をmy Best の飼育箱として行く・・・
この間も誰だったか?『shy・・・、the Vespula』を欲しいと言う人が居たので考えて見ましょうか?
時間が掛かるからなァ~~~?
10冊位になるとプリンター印刷の効率が上がる!!!
「イワチドリ」の植え替え作業が終わったら残り人生僅かとなったので自分史の後半を書き出したいと思っている。此処へ盛り込んで見るか?