ヘボのアルバム (続編)

四季折々の戯言を・・・
そこから何が読めて来るか?

     『 “キイジス:キオビクロスズメバチ” … ⓶ 』

2024-10-23 16:27:21 | 日記

             

30歳を過ぎて米国から貴国後慣れ親しんだ腕時計の最終部門の生産技術部門:組立技術の係長に就任した。アメリカで新規に学んだ金ケース造りは青天の霹靂だった!!!  当時、SEIKOと言えど腕時計のケース制作は完全に外注頼りで思うような技術力を発揮出来ず仕舞いで商いをしていた。況してや高級品の金ケースとなると別次元の扱いで製作されていた・・・ 超高級品の金ケース時計は如何様な商いになっていたのかは正直理解できていなかった。 依って対米輸出品は、現地調達で金ケースを何タイプか起こし現地販売会社:Seiko Time Cop  でケーシーングしアメリカ人好みのモデルとして戦列に加えていた。 日本国内でも出来ないケース造り、しかも金ケース造りをNY市内の町工場のオッちゃんと造り自社ブランドとしていたのだった。 金(Au)時計は当然高級品で数はそれ程出る訳もないが商品気入れるを整えるという点では極めて重要な意義を持っていた!!! 面白い事に、USA 時計業界の金時計と言えば、14金(Au)で日本の金より品位は低かったがお国柄のマーケット事情を知る上でかなり重要なキーポイントだった。 

金(Au)ケースはロストワックスと言う手法で家内工業的に作り数は少ないがモデル数を多くさせるという点で高級品としての品位を高めさせていた・・・ 日本に居てもケース製造技術にはお目に掛れない技術だけだったこともあり我にとっては意義深い技術力を身に付けられ何か天にも昇った不思議な感覚に浸る事が出来た。期間はたった1年だけだったが、ロストワックス製法の何たるかに触れられ今後への幅が広がった思いがした・・・

販売の責任者はUSAマーケットに詳しいアメリカン人が副社長で担当、我はサポーター役で全米各地で開催された時計商さん達の会合に突き合わさ技術的サポートのお手伝いもさせられた・・・ 今でもよく判らないが、中西部地区でSEIKO時計がよく売れるという事もあってオハイオ、インディアナポリス、東部のペンシルベニヤ、ボストン等によく出掛けた・・・中でも中西部は販売数も伸びつつあったのでインディアナポリスは重要な拠点だった。お陰で副社長:Fedorさんにはインディー500マイル競技が行われる競技場に2回も連れて行って貰った縁もありインディー500には今日でも関心が深い!!!○○の軍港街に出向いた時は世にも不思議な超巨大海軍基地を空から拝見することが出来何か不思議な世界に浸った!!!記憶が濃厚だ。。。。。

帰国後数年して風の便りにこうした対米輸出が飛躍的に伸び出しSeiko Timeも鼻高々のようだ!!!!と言う、話をお聞きしあの頃の下働きが肥やしになり付有るんだな!!!と懐かしんだ… この時、私の身の置き所は新商品Printerビジネスへ鞍替えさせられていて地団駄を踏んだ思いだったが、この頃の会社の変遷振りにも大大変革が齎されていた・・・色々な意味で服部グループが大変革と大発展を遂げた時代だった!!!

私の身の置き所は専らミニプリンター:電卓搭載印字機大変革の時代で10年ほどこうしたビジネスに振り回され通しだった。言うなれば大好きだった腕時計制作と言う分野から強制的に切り離され自分おも忘れ掛けつつあった・・・大間か10年近く続いたであろうか? 趣味の植物で『イワチドリ』に熱が入り掛けていた時代だった。山野草仲間からある時、蜜柑箱に籾殻を入れた『ヘボ』ちゃん飼い蜂を頂いた・・・ 子供時代参座遊び扱け、我のお供達だった『ジスガリ(ヘボ)』に再開したのだった。この歳を期してこの爺は豹変した!!! 会社人間で振り回されるのではなく自分らしさを持ち、自分の骨格を作り直そう!!!!と決断したのだった。 この時代、山野草仲間や『ヘボ』ちゃん仲間が日替わりのように膨れ上がって行った時代だった。これが全国区で展開したのだったから今にしてみれば実に不思議な一時点だった!!! 山野草では本場紀州:新宮に『日本イワチドリ愛好会』なる名だたる名人が居て全国区で引っ張っていた!!! また、焼けボックリに火が点いた『ジスガリ(ヘボ)』ちゃんの世界では、これ又、全国区的存在感を誇る故三宅名人が率いる『日本地蜂連合会』が小さな小さな串原村で大活躍されている事をNHK教育TVで知り、三宅さんの門戸を友人達3人で叩くことになった。 確か正月明けの小正月だったと記憶している。今にして見るとこれは極めて大きな事件だった。 三宅さんは我々3人を快く受け入れて下さり、座敷にまで通されヘボ談義が始まった・・・ 他にもお客さんが数名居たが此方さんは玄関払いで我々と延々3~4時間のヘボ談義だった。仲間は吾と宮嶋、五味さんだった!!! この歳を期して、紀州新宮の『イワチドリ』詣でと、串原『ヘボ』詣で三昧の日々へと次代は移って行った。御年、40歳を一寸廻った働き盛り好奇心旺盛な時代だった。

『イワチドリ』: 大師匠:宮本さん、故川島さん、故角さん、児島会長さん、峯上副会長さん、大阪・故南さん、サトー山草園

『ヘボの会』 : 宮嶋さん、百瀬さん、五味さん、故小林さん、故三宅名人、足助:故安藤ドクちゃん、故安藤会長、故加藤さん、今井会長、高橋会長、故西尾先生、故松浦先生、太田さん、

         現役バリバリのOさん、BUNさん・・・ 蜂の仲間まだまだ諸先輩は数多く数え上げる限がない程影響を受けて来た・・・現役時代の働き仲間より数が多いのに驚かされる。

       所で、この頃初期の時代、餓鬼の頃出会った『キイジス(キオビクロスズメバチ)』県下各地 : 清水高原、乗鞍高原、八ヶ岳山麓、そして、松本の東山界隈でもチョビッ

           と!!!で見かける。この子達でと出会う機会に恵まれた。或る時、故小林さんの庭先では清水から獲って来た『キイジス』が庭先の地中から出入りしていた。青天の霹靂。

           この頃から病気は深みにはまって行くのだった・・・

 

 

 

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     『 “キイジス:キオビクロスズメバチ” … ① 』

2024-10-20 12:59:16 | 日記

             

我故郷、信州・諏訪地方は八ヶ岳山麓の南側に面していて広原と言う広大な裾野を展開させていた・・・ その多くは松林と萱野で成されていた。 父親がこの山麓の生まれだったという事もあり、父の兄弟衆も又はこの地で生計を立てて来た。お爺さんは諏訪の生まれで若くして養子として県境:境村に籍を移したらしい。聞く所によると諏訪大社の末裔でもあったようで姓は守屋と言っていた? 聞く所によると諏訪大社の子孫達は守屋の姓を名乗っている方々が多いと聞く・・・ 幼い頃、父親から聞いた話である。 お爺さんは私が生まれた時丁度他界してしまったので全く存じ上げない!!! 家にある壮大な葬式の儀式写真からその盛大振りの葬儀が覗き見える・・・ 父の兄弟衆は皆夫々に出来が良く村中や松本市等で中核の祖として活躍していた。 中でも三男は山林業の名士として名を馳せ地元の山林を買い、材木を挟間組、鴻池組、清水建設等と取引、諏訪地方の材木商としては名を馳せていたようだ。奈良には広大な吉野山を買い取り中央の建設、土木業者との取引をしていたという。昔、昔の事だからこの三男坊は兄弟衆や甥や従兄迄従業員として番頭で使っていた。私が働くようになってからもこうした人達は夫々に独立して材木業を経営していた・・・ 中でもこの老い耄れを自分の子供の様に扱ってくれた惣領と3男の叔父さんは今でも忘れる事が出来ず私の脳裏に焼き付いている。こうした山仕事:林業の出で有あったと言う事だろうか?道楽でお爺さんは父親に『スガレ追ひ』の術を教え込んで居て小学校に上がった頃にはそこそこの術をマスターしていたらしい・・・ こうした術はお爺さんが諏訪で学び取り県境の地で開花させていたのだった。

事もあろう、こうした遊びはこの地では大分広がりを見せていて何処の家の餓鬼共でもある程度の『スガレ追ひ』は出来る水準にあった。私の遊び仲間 : 悪餓鬼共は皆ソコソコのレベル水準にはあり御盆を過ぎる頃にはどこの家でも蜜柑箱で飼い蜂として蜂飼いをする習慣があった・・・

 我の兄弟衆は、男4人も居たが、この『スガレ追ひ』にノメリ込んだのは吾のみで他の兄弟はそれほど関心はなかった。シーズンになると父親と八ヶ岳山麓を毎週のように連れ回され広原高原は『蛍のケツ』とまで言われるほどの地域感を持ち合わせていた!!! 今年、88歳を迎えたが、今でもこの地なら何処でも全くのガイド無しで歩き回れる土地勘を持っている。 こうした感性は親父さんの後を付いて回った賜物だろう。

幼くして、八ヶ岳山麓に生息している『ジスガリ:地蜂、ヘボ(隣町の甲州・小淵沢ではこう呼んでいた。甲州弁か?)』には3種居て ジスガリ(ピンコロ)、軍(シダクロ)、キイジス総てを知っていた。『ジスガリ』は何処にでもいて、中央線の駅舎の周辺でも毎年線路土手で獲れた。。。『軍』は深い山や標高の高い所に生息する超デカ巣を作る優秀種として珍重がられた!!!『キイジス』は、広原の標高が高い鼻戸野より上で稀に見ていた!!!!! 蜂追い好きの親父さんでも年に1~2巣位しか見付けれれない超貴重種で憧れの『スガレ』だった!!!!! 事もあろうに或る時鼻戸野界隈で見付け大喜びした事があった・・・ 大分大きくなって八ヶ岳:盃流しへの遠足の折この『キイジス』を沢山見たことは今でも忘れられない山岳地帯の貴婦人だ!!!昔々の幼き頃の思い出で『キイジス(キオビ)』である・・・

幼き幼少時代の山岳地帯の貴婦人『キイジス』の思い出で、今でも鮮明に覚えている・・・

 

そして、時間は大きく流れて行く・・・高校、大学そしてサラリーマン初期の頃は全くこの蟲さんと関わりを持つことはなかった。 何で関わりが持てなかったか?皆目思い出せないが、趣味処の時代では無かったのだろうか? 時計会社に就職し30歳を過ぎ嫁さんを貰った年の事であった。我が時計会社グループは多分初めての試みだったが、世界中で最も成長が期待された中近東地域でSEIKO腕時計を大々的に販促するという企画が服部貿易で企画された。 服部貿易は銀座四丁目 服部ビルこの4階に陣取っていた。 何だかんだで4~5回訪れたことがある・・・ 今日では到底考えられない光栄なお仕事に関わり合えたのだった。

社員として販促担当セクションでは無かったのでその真の狙いについては判らなかったが、工場部門から技術者を出し販促支援を!!!と言う前代未聞の大キャンペ~ンが企画された。イラン、クエート、そしてサウジ、今日の中東を支える中核国家での販売支援と言う事だった。 もう11月に入って居て信州では霜も降り冬を迎えようという季節だった。 

服部貿易を最初に訪れた時、その数年前アメリカのSEIKO TIME でお世話になった社長さんがこの企画の陣頭指揮をされていて阿吽の呼吸的ムードでミッションが展開されたのを鮮明に覚えている・・・ SEIKO腕時計の宣伝用ムービー迄用意してくれ映写機は最後の拠点でプレゼントして来てもイイとまで言われた。当時としては別格扱いの販売戦略だった!!!

この時、恥ずかしいかな少々のアラビヤ語を齧った記憶がある!!! アラビヤ語は全く奇異な言語で苦戦の連続だったが、それでも幾らかは今でも覚えている!!! 「 シュクラン !!!(ありがとう) 」、 アラビヤ語の「 1,2,3・・・・ 」も、今でも、チャンと書けるよん?   そして、何より中東の風習やアラビヤ系人種との交流にも幾分貢献した?

そして、イランの首都:テヘランの公園で売っていたマトンの丸裸一頭達の肉に何と何と『キイジス』が群がって肉齧りをしている光景に出会った!!! 暫くは、其処にジッと座り込み、『キイジス』の肉齧り光景を覗き込んだ!!!! そして、肉齧りの働き蜂の後を追った・・・ 20~30mは追ったか・・・ 最後は公園の外に出て薮に入り込んで行った・・・ そこで砂漠の国、イラン:テヘランに「キイジス」が生息している事を知った・・・  肉齧りの働き蜂を数匹捕まえ親父さんにお土産として持ち帰ったことを鮮明に覚えている。 今日の知識や術を以てすれば、もっと豊富な知識や術を成し得ていた事だろう????と・・・・悔しい思いである?

時代が違い過ぎ実に惜しまれるが、貴重な経験をしてきた。  そして、そして時は更に流れる・・・     (  続く・・・  )

 

 

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     『 難儀した庭木の刈込・・・ 』

2024-10-17 13:33:04 | 日記

            

今年の夏~初秋に掛けての暑さには参った!!! 1月に入って来る日も来る日も連日30℃を超える真夏日が続いた!!!!! ついつい最近迄家の引きこもり暑さ除けの屯日々だった!!! 冗談でもなく10月になっても糞暑さが続く・・・ 35℃超えの日々で異常天候の凄まじさに怯えていた。 世界中でこのようは異常天候が続いているというから推して知るべし!!!!! 世界各地で異常防風雨が起き、米国、フロリダでは、200万世帯がハリケーンに曝されたという・・・ こうした異常気象は世界各地で起きていて、あのサハラ砂漠では湖が彼方此方に生まれているというし、熱帯雨林のブラジルではアマゾンが干上がり砂漠化の気配すら感じ取れるという異常天候!!!が生じている・・・ この地球はこれまでの温暖平穏気象が崩れ出し異常な星へと変貌しつつある?

こうした暑さの為、例年だと9月に入ると庭木の手入れを開始し出すのだがそれ処では無く身の安全を確保するだけで精いっぱいの日々だった。 1か月遅れの10月に入ってようやく重たい腰を上げ庭木の手入れを夕方少々するといった激変ぶりだった・・・  50本近くもある一位の垣根が昨年のサボりも手伝い荒れ放題に!!! これが気になって仕方なかった!!! お金には代えられない!!!と、シルバーさんに依頼することにした!!! 作業の術が今一で躊躇の日々だったが、依る年の流れには勝てず頼むことにした。 先々週、漸く来てくれた!!! 何と8人もの大所帯で来てくれて一斉にチェ~ンソウや刈込機を回してくれ大きな柿の木からプルーンや巨木化した一位の丈詰めをしてくれた。重たかった垣根もかなり清々した!!! 後のお代も中々のモノで何と15万円もの請求書が来たのにも驚かされた!!!!! 我の体質とは違い技は実に雑!!! だが、刈り込んだ枝や本体を持ち去ってくれたのは大助かりだった!!!

こうした作業が終わり、今度は老い耄れ爺の番!!! 庭木の主木20本近くはが何でも自分で遣らねばならない!!! 虎狩りにされては1年中気になるからだ!!! 10月になり、毎日のように庭に出る・・・ だが昔のような訳には行かない!!! 作業量が極めて少なくなり、これまでの様に馬力が掛からない!!! でも、一昨日約2週間近くかけ爺担当の分まで刈込が澄んだ!!!    こんなにホッとした事はなく矢張り自分の作業の見事さには気に入った質に仕上がるので内心安堵する!!! 枯れ枝もキチンと刈り込むので奇麗に仕上がる!!! そして、もう半世紀もして来た技も道に行ってきているので『平刈り』の術は上がり四方何れから見ても各段物は平行度が採られて居るので美しい!!! 庭の片隅で咲いている晩秋の『シュウメイギク』『ホトトギス』が何とも可愛らしい!!! これに引き続き斑入りの『ツワブキ』も近々咲き出すだろう・・・沢山の蕾が上がってきた・・・

そして刈込が終わったので枯れ枝や刈込を熊手で掻き下草や徒長した山野草にも手を入れ、ゴミの排出をした!!!!! 昨日は終日かかり総て袋詰め!!! ゴミとしてまとめたので見違えるようになった。 植えこんだ雑木『ツリバナ』や『ツツジ』『サンゴメ』等々もかなり成敗したので大分清々した!!! こうして我が家も漸く年を迎えられる庭に変貌した・・・

 

一方、ガラ温室『キイジス』3巣の交尾期は絶頂期を迎えていて、中々賑やかだ!!! 高温が続くので交尾してもその時間は超短く写真撮影には不向きだがそれでもそこそこの撮影を続けている・・・ 何と言っても雨上がりの翌日小春日和となり気温が上がると交尾ラッシュは絶頂期を迎える・・・ 八ヶ岳の『キイジス』小振りだったが、そこそこのコロニーに仕上がり、相当量の交尾蜂を搬出してくれている・・・ 西山系産の『キイジス』は『キイジス』としてはソコソコのコロニーに仕上がり毎日のように相当量の交尾蜂を産出してくれている。。。

このような光景を見たことないだろう?巣内で成熟した女王蜂達は体力が備わるとワヤ外から出て数日体力の熟す日を待つ!!!整然とお並びし期の熟すのを待つ!!!金色に黒光りした体色でその状況は一目理解できる!!! 毎日のように覗いて見るが八ヶ岳産小粒ながら場所を替え屯しているから手を取るように分かる!!! 西山産はその数が半端ない!!!50匹~100匹の塊で屯する光景は一見に値する!!! 新女王蜂の中に稀に雄蜂も交じっている姿は微笑ましい!!! こうした姿を最初見たのは3年程前になるが、熟した時期待ちの何たるかを十分に理解できた!!!ここでは八ヶ岳産を載せておこう・・・

 コロニーが順調だったこともあり、女王蜂のサイズは超大きく、『軍:シダクロ』の比ではなく逞しい!!!!! 勃勃終焉を迎えるので今度の土曜日の雨上がりが山場になるだろうか? 連荘交尾や三連荘交尾の迫力ある番を人生最後の試みとして少々時間を掛け撮影に挑戦して見たい!!!と思っている。 そして、サイクルを少々早め、来週末には『軍:シダクロ』の巨大巣を同居させたいと目論んでいる!!!!

取り敢えず、今日の交尾光景を載せておこう・・・早く霜が降りる時期が来ないか?そして、果たして異種間交雑交尾に出会えるか? 鵜の目鷹の目で狙っている野次馬爺の好奇心たるや如何に?

秋の遅れが何と出るか?予測が出来ず悩ましい所ではあるが、人生最後となる挑戦だけは挑んでみたい!!!!! 秋の暮は甚だしく予測が読み切れない!!! でも、この子達は着実に秋の訪れを感じ取って居るので暦を頼りに挑んでみたい!!!!! 正直の所『賭け』だ!!!!!其処には何かが生まれるに違いないだろう?  正直の所、大分体力が無くなり重たい箱を3巣運び込めるか?不安は残るが、内心ワクワクしている・・・ 一番チビ巣だと思っていた『ピン』ちゃんが、終盤になって『軍:シダ』に化けたみたい?  この所の通い尋常ではない!!! こんな事ってあるのか? この世界、珍奇な現象が儘起こるので神秘に満ちている・・・ 来週末、山の飼育場の飼い蜂、Oさんと燻して見る予定を組んで居る・・・ どんな発育振りになっているのだろうか? これも気になる・・・ 

参考までに、今日の撮影カメラは Olympus  OM-1 に 90㎜  PROマクロレンズを付け至近距離から撮影を試みた・・・  中々良いレンズだ!!!  

 

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     『 今日のサテアン!!! 』

2024-10-04 23:31:58 | 日記

             

『キイジス』が家に来てからというモノ、餌の欠品が気になり遅く寝ても早起きするようになった。 老い耄れにとって朝の7時はまだまだ宵の内だ・・・ でも、入庫後は前の晩捌いて置いた餌を5~6個と、砂糖水を吊るしてやる。 良くしたもので域内が6坪と超狭い故この中での餌取は考えられない。 こうした事もあり、略感触状態になっている。骨や皮にシャブリ付いているいるから餌不足と考えられる。前の晩陽が落ち、暗くに見るとまだまだ残っているのに不思議だ!!! 奴さん達の朝は東の空が薄明りになると始動開始となり餌取を始める。腹を空かした蜂児達の食欲は尋常ではない!!! パクパクと言うよりガツガツと言う食べ方をする!!! この食欲が僅か2~3時間の間にカラカラの骨皮状態にしてしまうのだ!!!

昨夜からの雨はシトシトと降り続いていた。 庭の餌場も略同じで同様カラカラ!!!  『マナエイエビ』『小鯵』『鶏肝とハツ』『ブルーギルの仲間?』を片手一杯に持ち、吊るして回る・・・ 吊るすと同時に飛び付くように『キイジス』『軍』の働き蜂は飛び付く・・・ 砂糖水も完璧カラカラだ!!! 小皿に注いで遣りと皿淵に集まり飲み出す・・・中には砂糖水に入り込みアメンボの様に4つ這いになり飲んでいる御仁も居る!!! この状態から舞い上がり飛び立ってるのだから特技なんだろう? 各餌は真っ黄色、真っ黒の染まる!!! 尋常な食いっぷりではない!!!

ふと脚元を見ると『キイジス』のオツルミさんが居た!!! 踏みつけると可愛そうなので棒の先に付け上部の台に載せて遣った。 前日までの灼熱の残暑とは違い12~3℃と凌ぎ易い事もあって交尾時間は長い!!! カメラ持参では無かったので画像撮影は出来ず、ジッと見ていた・・・ 庭の飼い蜂に餌遣りをし、且つ『アカンバチ退治』をして帰ってもまだ交尾は続いていた・・・ こうした外気温になると落ち着いた撮影が出来る・・・この子達の交尾は矢張り太陽と非常に相関があり頼っている事が解る。 これは日照が非常に重要な条件であることの証でもある!!!!!

午後に、2回目の給餌をしてやった。 『ブルーギル』モドキの餌はまだ十分な在庫はあるが、『マナメエビ』『小鯵』『鶏肝』がショウㇳしたので購入しなければならない。夕方2~3日分の餌を買ってきた・・・ 餌の捌きは、やや凍らせた状態の方が遣り易いので冷凍に掛ける・・・

終日雨が降り続いていた・・・ こういう日は雄は少数が飛び交っているものの、女王蜂は出巣しないので交尾は殆ど見られなくほんの少数に限られる。 2巣の飼育箱の蓋を開けて見た・・・ 又又、数日先を予言できる女王蜂と雄蜂がワヤ外に出て体の熟成をしていた!!! 数日はこうした行動を執っているようだ・・・期が熟すと体色も金色色に染まり成熟した事が窺える。。。 こんな輩が、また、鈴生りになっていた・・・ と同時に、働き蜂が異常を感じ騒ぎ立てるので慌てて蓋をっする・・・ 晩秋になるとこうした騒ぎ立ても緩和されるのでカメラも構えられる。

と、同時に枯れ木の巣材齧りも見ているが、まだ始まっていない!!! その内に始まるだろう!!!!! こうなるとこのサテアンで完全に総てのサイクルが閉じる事になる。 例年だと数日すると朽木齧りがあった!!! この観察にも目を配っている。それにしても今年のサテアンは良質の飼い蜂巣が3巣も入れられたので最高の歳となった!!! 惜しむらくは、もう1巣見付けてあったが、生簿掘りに出掛けると動物か?ハチクマ?がく潰した直後で地団駄を踏んだ!!! これもイイ巣だっただけに悔しい!!! その後どうなったんだろう? 昔々もハチクマに遣られたことがあった!!! ソフトボール大の丸い穴がピンポイントで開けられていた!!! これはハチクマに相違なかった!!! ハチクマ野郎達、木の天辺で見ていた横取りするのだ!!! また、『飛ばし』に使って居る烏賊の匂いを手繰って見付けるようだ。。。 上には上が居てこの自然界は食うか食われるかの厳しい食物連鎖の真っ只中に存在している事が解る・・・

 

 

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     『 圧巻の“ビック・ショー”・・・ 』

2024-10-03 08:40:04 | 日記

             

山の飼育場からの移植・『キイジス』3巣、移転後2日目を迎えた・・・慌て者の若干の落ち毀れはあったが、大局的には大した損失もなく無問題の転居騒動が過ぎ、通常の安定通いモードに入った。3巣とも超順調の転居で、チビタンと思われた八ヶ岳産『キイジス』転居後蓋を開け覗いて見るとそこそこの発育状態でやや小振り乍ら大量の交尾蜂を算出しつつある・・・ これまで展開してきた内容としては中位規模と言えるだろう?蓋をジン割開けて見ると種っ巣待ちの女王蜂が20~30匹近くワヤ外で屯!!!体内熟成期を待ち待ちしていた!!!老い耄れ爺的には圧巻の光景であった!!!

他の乗鞍産『キイジス』2巣は生育規模が超順調過ぎ蓋を開けて迄写真撮影できる状態にはない!!! もう少し様子を見て中を伺いたい。

こうした無問題の『キイジス』3巣の入ガラ温室状況はこれまで殆ど食べたり飲んだりした事が無い餌に即順応してくれ、ガツガツの食いッ振り、飲みッ振りである!!! これまで食べたこともないマナエイエビ、小鯵、鶏肝とハツ、それに甘い!甘い!!!砂糖水・・・・・・貪欲食い、貪欲飲みには驚かされる。人間社会同様、食費が嵩んで年金生活爺を冷や冷やさせている!!!この2日間で小鯵20匹、マナエイエビ10匹、鶏肝・ハツ等沢山運び込んで居る・・・ 食の面では全く問題ない!!! 食に緊急事態が生じてか?住の面では未だ枯れ木に巣材取りに来ておらずこの時期が待たれる・・・ もう2~3日もすれば朽木齧りも始まるだろう!!!

昨日は、超早朝の餌遣り後、午後2時にガラ温室に入った・・・ ガラ温室が轟音と化し、雄蜂♂、新女王蜂♀の出巣が予想外に進んでいて未だ且つて経験したこともない交尾合戦が展開されていた!!! これまで何十回となく『キイジス』の交尾採取をしてきたが、このような大規模作戦はなく驚きの何物でもなかった!!! この時間帯、ガラ温室は真夏日以上の暑さにも拘らずアッチでも、コッチでも交尾が展開されていた・・・ 『キイジス』の女王蜂は大きい!!! これに『軍』より大きな雄蜂が交尾を仕掛ける!!! 外気温が超高いので交尾時間は極めて短い!!! コチトラ撮影者にしてみればアッという間に交尾が終わっていて中々シャッタ・チャンスを与えてくれない!!! それでもこれ迄よりはより多くのシャッタチャンスに出会えた!!! もっと、もっと気温が下がればより多くのチャンスに恵まれるだろう?その時期は月末になるだろうか?それにしても豪華な交尾ショウであった!!! 初回撮影にしては申し分なかった。

歳を追う毎に、こうした一連の作業にもノウハウが積み重なり、スムースに展開出来る喜びに満足している。。。。。残るはこの子達が狙い所山中に営巣を試みてくれれば完成の域を得たと言ってイイだろう? この作業は可成りの労力を要するのでその正確な結果把握は難しいが死ぬまでにこの眼で確認したいものである!!!!!

それにしても入庫早々でこうしたビック・ショーに出会、遣り甲斐感と満足感に浸った!!!!! この流れが終焉しない今月末には我が家の飼い蜂『コバクロ』2巣も入れ込んで両者間の交雑交尾場面に出会えるか? 野次馬となり首を長くしてチャンスを狙っている!!!  一昨々年の事になるが、小規模ながら10月末偶然にも交雑交尾に出っ化した!!! これは想定外だったので悔しいかな画像取り込みが出来なかったが、こんな事が起きているのをこの目でシカと拝むことが出来た!!! こうしたチャンスの到来を意図的に考え、2年連続で狙ってきたが、ここ2年『キイジス』営巣の不作で狙う事すら出来なかった!!! 今年は千載一遇のチャンス到来?何が起こるか入り浸りでフォローしたいと思っている。こんな悪戯に挑戦できるチャンスが今年は拝めそうだ?????それにしてもこれからも2度と遭遇出来ないチャンス到来で内心ワクワクしながら自然界の神秘撮影を虎視眈々と狙っている・・・

 

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