黄蝶

2015年12月02日 | 日記
12月に入り雪が来る前にと庭の片付けなどやっています。
日中晴れればポカポカとあったかいのでそれなりに進みますが
まぁ~ これがハサミや手袋などひょっとその辺に置こうものなら
すぐ分からなくなり 探しているうちに日が暮れるんではないかと
思います。    (/ω\*)  

鉢を片付けたり 宿根草の枯れた地上部を切ったり野鳥が時々見に
やってくるので話をしたり~♪ 

そんな時デッキの風の当たらない所に止まっていたキチョウを見つけました。
よく見ると羽を震わせたりしています。     ( ゜д゜ )
まだ生きながらえていたんだね!  もう朝など氷点下です。
大きくなれなかったのか一回り小さなキチョウです。



尽きる前には命が輝くのか・・・!?
頭から何か出ていたり オーブのようなものに包まれたり不思議に写りました。





今朝起きたら一番に見に行きましたが まだ止まっていました。 ホッ  (#^.^#)


しかし家事が終わって再び見に行くと・・・





力尽きて落ちていました。
分かっていてもこんな光景を目の当たりにするとショックですね。
そして暫く見ていたら 風に飛ばされていきました。

一昨年 ブログを始めたすぐの頃 アップしたことのある事を再び・・・
植物も昆虫も同じですから・・・ そして私達人間も。 

植物たちは命に関して全くと言っていいほど執着がありません。それはすべてを受け入れているからです。
そして自分の命がなくなっても自分は何も変わらない事を知っています。

植物は自分がエネルギーであることを知っています。形がなくなるとただエネルギーになるだけだ
ということを知っています。そして全てのエネルギーが繋がっていることも知っています。
ですから今の植物としての形にこだわらないのです。植物としての命に執着はしていません。
すべてを受け入れているのです。

ただ 種が落ちた場所に芽を出し花をつけ種をつくる・・・
落ちた場所が悪いと文句をいう訳でもなく 全てを受け入れています。
それは意識がないわけではありません。
植物には自意識も感情もあります。そしてすべての経験を受け入れ一瞬一瞬を楽しんでいるのです。
過去でも未来でもなくただ「今」 その時を生きているのです。
ですから植物として形がなくなること 生き延びることに執着は何もないのです。

こんな言葉を思い出し 蝶という衣を脱ぎ蝶という一生を生きてエネルギー体に戻ったんだ! 
何か 清々しさを覚えました。


八ヶ岳も最近は雪をいただきいっそう清々しい姿です。










お立ち寄り下さってありがとうございます。