名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

立春の雪

2011年02月04日 | セカンドルーム

 

昨日の晴天とは打って変わって、今朝起きたら雪が盛んに降っていた。
全国的に気温も上がり、春を思わせる暖かい日になると、天気予報は伝えている。
朝の気温は-6℃で、昨日の寒さに比べれば、ずっとしのぎ易いので、山里の立春はこんなものかと納得している。

ユキもまた雪かと、うんざり顔で降りしきる雪を眺めていた。

話はがらっと変わって、今朝のテレビはサッカーの明るい話題が一転して、大相撲の暗いニュースばかりを取り上げていた。
野球賭博の時も感じたことだが、大相撲を純粋な競技として見るから腹が立つだけのことである。
本場所も「しょっきり相撲」と同じエンターテイメントと割り切れば、目くじらを立てて怒ることはない。
相撲部屋とか親方株、相撲茶屋など、旧態依然の閉鎖社会で、フェアな競技を期待すること自体無理な話で、伝統芸能的な相撲ショーとして楽しめばよい。
これを、公益法人として認めるとか、公共放送で長時間にわたって流すかは、別の次元の話である。

八百長も今日に始まったことではなく、利害を共にする相撲社会が、頑なに守ってきた陋習であることは、知る人ぞ知るの事実である。
協会理事長も「・・・過去には一切無かった。新たに発生した問題である。」と、苦しい弁明に終始している。
「証拠が無いから八百長は存在しない」の論理を、持ち前の二枚腰で守り、いつも土俵際で辛くも踏みとどまってきた。
これが結果として、傷口を深くし、信用も大きく損なった。
図らずも、相撲界の古くからのタブーが、先端の情報システムに寄り切られたのは、象徴的な出来事である。
脛に傷を持つ人たちに自浄能力を期待するのは、難しいことかも知れないが、八百長当事者だけの処分で幕引きをしたら、今度こそ社会から見放されるだろう。
一ファンとしては、協会自らが黒星を認め、相撲界浄化に待った無しで取り組むことを期待したい。
それが出来なければ、大相撲の明日はないし、真剣に稽古に励み、まじめに土俵に上る多くの力士が気の毒だ。

意表をつく立春の雪で、つい話が横道にそれてしまったが、お昼ごろには雪も上がって青空が広がり、柔らかい陽射しで気温もプラスになった。


わずかに春の先駆けを感じ、ユキも飼い主の表情も和んできた。

コメント (4)
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