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京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

祇園祭 前祭 宵々々山 昼間の鉾町

2025年07月18日 09時04分00秒 | 日記
 7月15は、祇園祭前祭の宵々々山です。
午前中から各山鉾を巡りました。







① 月鉾

鉾頭に新月型(みかづき)をつけているので、この名で呼ばれています。

月鉾の重量は囃子方等が乗らない状態で約9トンもあり全山鉾の中で一番重く、高さも最も高い鉾だそうです。
 真木のなかほどに取り付けられている天王人形の月読命(つくよみのみこと)は古事記にも登場する神で、海の守り神といわれています。











今回は鉾に搭乗しました。
会所の2階から鉾に搭乗します。
天井も豪華で縁には金地に扇子の絵が描かれています。





高さがあるので見晴らしもいいです。







② 菊水鉾

菊水鉾の名は室町時代末の町内にあった千利休の師、武野紹鴎の邸内の菊水井(きくすいい)に由来しています。

菊水鉾は幕末の元治元年(1864)の兵火で焼損しましたが、それより88年目の昭和27年(1952)に一部焼け残った懸装品部材を使って新しく作られた鉾です。





③ 山伏山

役行者山と同様、当時民間信仰として人気のあった修験道・山伏から着想された山です。

御神体の山伏は傾いてしまった八坂の塔(法観寺)を法力で直してしまったという人物をモデルにしているそうです。

巡行の数日前には聖護院から山伏たちの巡拝があり、清払いでは八坂神社の神官、六角堂による祈祷も行われる。
神前に供える三宝も仏式の黒塗りのものが用いられ、明治以前の神仏習合の信仰の姿を今に伝えている山です。







④ 霰天神山

霰天神山は重さが1トン未満の小型の山鉾で、永正年間の大火の際に霰が急に降って大火が鎮火し、その時霰とともに降ってきた天神さまを祀ったことに由来しています。
霰天神山は山中央の社殿に天神像を祀っています。



今年は雨の為に「雨仕様」の「黒の防水幕」を使用され、珍しい「黒い霰天神山」が巡行しました。









⑤ 占出山

神功皇后が新羅遠征の前に九州・肥前の川で、鮎釣りをして戦勝を占った伝説が由来となっています。

ご神体の神功皇后の人形は右手に釣竿を、左手に吊り上げた鮎を持っています。

神功皇后は妊娠したまま軍を指揮し、帰国後無事出産したということから古くから安産の神とされたため、この山も安産祈願に訪れる人が多く、また、占出山の巡行順が早い年は女性のお産が軽くなるといわれています。

公家や宮中でも篤く信仰され、出産を控えた姫君らから寄進された小袖や打掛、水干などの御神体衣装が数多く保存されています。

宵山の際も安産御守りと腹帯が授与される。

胴懸は天保2年(1831)制作の色鮮やかな日本三景を描いた綴織です。











この日、会所では芸舞子さんが授与品を販売されていました。
粽のご利益は「安産」です。









⑥ 孟宗山

中国の「二十四孝」のひとり・孟宗が病気の母に好物のたけのこを食べさせようと真冬の竹林を歩きまわり、やっとのことで掘り当てて、母親を喜ばせたという故事に因む山です。

由来となった故事が冬の話であるため、山に建てられる真木の松や、御神体の人形が被る傘、手に持つたけのこは雪を被った姿であらわされる。

授与される粽にも雪に見立てた綿があしらわれているところがポイントです。
逸話に因み、粽のご利益も「親孝行」です。









⑦ 函谷鉾

鉾の名の由来は中国の歴史書・史記にある故事「鶏鳴狗盗(けいめいくとう」からです。

中国戦国時代、賢人と名高い斉国の宰相・孟嘗君が秦国に使いとして訪れた際、騙されて幽閉されてしまいます。

孟嘗君は密かに脱出し、何とか国境の函谷関(かんこくかん)まで逃げましたが、真夜中のため門は閉ざされていました。

そこで部下が特技の鶏の鳴き真似をすると周囲の鶏たちもつられて一斉に鳴きだし、朝と勘違いした門番は開門されそのおかげで脱出できた、というエピソードがあるそうです。

これになぞらえ、鉾の「天王座」には孟嘗君と雌雄の鶏がご神体として祀られている他、鉾先の錺は三日月と山を組み合わせたもので山中の函谷関を孟嘗君が夜に通り抜けたことを示しています。

京都歴史上最大の火災とされる天明の大火(1788)で一度焼失したが、50年後に復興されました。

稚児人形「嘉多丸」は鉾復興の際に作られたもので、後の明治天皇皇后の兄・一条実良の幼少期の姿がモデルとされています。









⑧ 長刀鉾

一番人気の長刀鉾に来ました。

古来より山鉾巡行の先頭を受け持つ鉾で現在生稚児が乗っているのはこの長刀鉾のみです。

能楽の「小鍛冶」等で知られる平安時代の刀工・三条小鍛冶宗近が娘の病気平癒を祈願して八坂神社に奉納したという大長刀が鉾先に用いられたのが名前の由来です。

その後は大永2年(1522)平安城住三条長吉作の長刀を用いられています。

現在はオリジナルは保存され、複製品を巡行時に使用されています。

真木の中ほどの「天王座」には、鎌倉時代に鉾先の長刀を愛用したといわれる源氏の武将・和泉小次郎親衡(いずみこじろうちかひら)の人形が守護神として祀られています。

また、破風には三条小鍛冶宗近が神剣を作る姿を表した彫刻が見られます。

懸物には16~18世紀に作られたペルシャや中国の稀少な絨毯が多く用いられていますが、現在は復元新調したものが使用されています。



この日は運良く、並ぶ事もなく粽を授与して頂きました。

他の山鉾はどこも1000円ですが、さすが長刀鉾ですね、、、こちらは唯一1200円です。

全てを紹介したいのですが、長刀鉾で終わりにします。





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