
9月29は本光寺へ。



本光寺は京都駅から徒歩圏内にある日蓮宗のお寺です。(下京区油小路通木津屋橋上ル)






表門の前にはお寺についての駒札と並び立派な石碑が建っています。

新選組ファンの方なら知っておられる"伊藤甲子太郎外数名殉難碑」の石碑です。
伊藤甲子太郎は新選組の参謀を務めましたが、後に袂を分ち天皇の陵墓を警護する御陵衛士(ごりょうえじ)を組織します。


その屯所になったのが高台寺塔頭の"月真院"です。
"新選組の五ヶ条の法度"のひとつ「局を脱するを許さず」の通り、伊藤甲子太郎も新選組の手により粛正されます。
常陸の国の伊藤甲子太郎は剣術は無論ですが学問もでき、既に新選組の隊士となっていた藤堂平助を介して近藤勇らと出会い、元治元年(1864)に入隊します。
元治元年(1864)6月5日には「池田屋事件」が起こり、京都での新選組の存在感が増していた時期でもあります。
甲子太郎は水戸で尊王攘夷思想を学び江戸幕府(将軍)や天皇の為に働く意志は近藤勇と共通していたと思われます。

甲子太郎は、本光寺の境内にある" この石碑にもたれかかるように絶命したと言われています。
当時、本光寺の前の道幅は広く、石碑は道路沿いに建っていたそうです。
この伊藤甲子太郎が暗殺された事件は「油小路の変」と呼ばれ、醒ヶ井町木津屋橋通下ルにあった局長・近藤勇の愛妾で近藤勇や土方歳三ら新選組幹部との飲食の帰りに襲われて、本光寺前で絶命しています。
それだけではなく、町役人から遺体を引き取りに来るように月真院に知らせが来ます。
御陵衛士7名で当地に行くと新選組に待伏せされ、7名の内3名が亡くなっています。
この出来事がいわゆる「油小路事件」と呼ばれています。

来月14日にはJR東海「そうだ 京都、行こう。」のオリジナルイベントで再訪する予定です。
中村武生先生の解説なので楽しみです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます