10月5日は、春と秋にしか公開されない臨済宗相国寺派の大本山相国寺に来ました。




















勅使門の北側にある放生池は応仁の乱最大の激戦地だったそうで、池には無数の兵士の遺体が重なる様に浮かんでいたそうです。

相国寺は、京都五山第二位に列せられる名刹です。
正式名称は萬年山相國承天禅寺。
夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、約144万坪の壮大な敷地に50あまりの塔頭寺院があったと伝えられています。
相国寺は14世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建されました。
幾度も焼失と復興の歴史を繰り返しましたが、現存する法堂は日本最古の法堂建築として慶長10年(1605)に再建された物を今に伝えています。
拝観は先ずは法堂からです。



ご本尊さまは運慶作と伝えられる釈迦三尊像が安置され、天井には狩野光信による蟠龍図が描かれています。
須弥壇の横から手を叩くと反響音がよく響き"鳴き龍"としても有名です。



次に方丈を拝観します。


禅宗の伽藍の配置は南北に山門、仏殿、法堂、方丈が同一軸線上に並んで建てられているのが特徴です。
相国寺も例外でなく、法堂の北側に方丈が建てられています。相国寺方丈は、初建以来幾度も焼失して現在の建物は、天明の大火を経て文化4年(1807)に開山堂、庫裏と共に再建されたものです。




造りは一重、入り母屋造り、桟瓦葺き、切妻造りとなっています。桁行25m、梁間16mで、方丈としては大規模な建築で、平成19年(2007)に京都府指定有形文化財となっています。
南庭と北庭との趣きが違う庭園も魅力のひとつです。
