本家尾張屋さんで美味しい宝来蕎麦を頂き、京都バスで太秦広隆寺へと来ました。
今年は聖徳太子1400年大御忌の年で太子ゆかりの地を巡っていて広隆寺で10ヶ所目になります。
立派な仁王門が迎えてくれます。
広隆寺の歴史は古く、推古天皇11年(603)に建立された山城国最古の寺院であり、聖徳太子建立七大寺のひとつに数えられています。
薬師三尊を中央に弘法大師、理源大師聖宝、道昌僧都をお祀りしています。
地蔵堂です。
弘法大師が諸人安産、子孫繁栄、しいては国家繁栄の願いでご製作になられた腹帯地蔵尊です。
上宮王院太子殿です。
江戸時代の享保15年(1730)に再建されたお堂で名前の通り聖徳太子がご本尊(像高148cm)です。
歴代天皇が"即位の大礼"に御着用される香櫨染御袍(こうろぜんごほう)が即位後に下賜され、一代を通じて聖徳太子像に着せられています。
この慣わしは平安時代から現代にまで続いています。
この聖徳太子像は秘仏で毎年11月22日のみ開扉されます。
この黄櫨染を現在に復活復元されたのが嵐山で工房を持たれている染色作家の奥田祐斎さんです。
桂宮院本堂(国宝)です。(非公開)
境内の西側にあり塀で囲まれているので外部からは見えません。
法隆寺夢殿と同じく八角円堂ですが屋根は檜皮葺です。
ご本尊は聖徳太子半跏像(鎌倉時代・重文)ですが、現在は霊宝殿に移されています。
最後は霊宝殿です。
「広隆寺資材交替実録帳」(国宝)に掲載の二体ある弥勒菩薩半跏思惟像の内の「宝冠弥勒」と呼ばれれる弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)です。
赤松材の一木造で7世紀の制作とされていますが、飛鳥時代の木造仏像はほとんど例外なくクスノキ材が使われている事から朝鮮半年からの渡来仏との説が有力になっていました。
ところが昭和43年(1968)に内刳(うちぐり)の背板が赤松ではなくクスノキに似た広葉樹である事が判明し、国内制作説も有力になっているそうです。
もう一体の弥勒菩薩半跏像(国宝)です。
「広隆寺資材交替実録帳」に「在薬師仏殿之内」との記述があり「宝髻(ほうけい)弥勒」を指すとされています。
阿弥陀如来坐像(国宝)。
講堂のご本尊で像高261.5cmで説法院を結び、「資材帳」によれば承和年間840年頃の制作とされています。
不空羂索観音像(国宝)。
像高313.6cmもある大きな観音像で講堂に安置されていました。
奈良末期から平安初期の制作とされています。
千手観音立像(国宝)。
像高266cmで講堂にお祀りされていた観音さまです。
平安時代初期(9世紀)の制作です。
二躰の弥勒菩薩半跏思惟像を守護されている12躰の十二神将も全てが国宝です。
仏像が17躰、広隆寺資財交替帳及び広隆寺縁起資財帳の文書2件、桂宮殿本堂の20点もの国宝、48点の重文を所蔵されています。
なお、宝物殿内は撮影禁止なので殿内の写真はネットからの転載です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます