六角堂頂法寺から徒歩で佛光寺に移動します。
南無仏太子立像は聖徳太子が二歳の春に東北を向いて合掌し、「南無仏」と唱えたという説話上の姿を表した像です。
太子堂白毫寺は推古天皇の時代、渡来僧雲聡が聖徳太子自らが彫刻したと言う太子二歳の像を貰いうけて京都・東山大谷の草庵に安置した事を創建の由緒とされています。
① 阿弥陀堂
② 大師堂
佛光寺の由緒は越後の国に流罪となった親鸞聖人は、ご赦免の翌年元暦2年(1212)に京都に戻られ山科に草庵を結ばれました。
その草庵が佛光寺草創と伝えられています。
③ ご本尊 阿弥陀如来立像
文化財指定は受けていませんが、平安時代末期の造立と考えられています。
④ 聖聖徳太子立像(国指定 重要文化財)
今回の目玉のひとつ聖徳太子像です。
元応2年(1320)造立の聖徳太子像とされ、目には玉眼が嵌められています。
お厨子の前で拝ませて頂きましたが太子少年期の像ですが威厳に満ちています。
⑤ 法語印
浄土真宗には基本御朱印は授与されていませんが、佛光寺では"語法印"の形で授与されています。
佛光寺の拝観を終え、次に河原町五条富小路通を下ルにある太子堂白毫寺へと向かいます。
この辺りには浄土宗寺院が多く、秋の"浄土宗寺院大公開"で何度か巡っていますが太子堂白毫寺は初訪問です。
ご住職によるお寺のご由緒をお聞きし、般若心経を唱えられた後に聖徳太子像がお祀りされているお厨子をご開張して頂きました。
⑥ 南無仏太子立像
南無仏太子立像は聖徳太子が二歳の春に東北を向いて合掌し、「南無仏」と唱えたという説話上の姿を表した像です。
太子堂白毫寺は推古天皇の時代、渡来僧雲聡が聖徳太子自らが彫刻したと言う太子二歳の像を貰いうけて京都・東山大谷の草庵に安置した事を創建の由緒とされています。
また、聖武天皇の時代に太子像の白毫から光が放つという吉祥の出来事があったことから太子堂白毫寺と呼ばれるようになったようです。
通常非公開のお寺で御朱印の授与もされておられませんが特別に授与して頂き満足な「聖徳太子ゆかりの地をめぐる」イベントでした。
なお、堂内は撮影禁止なので写真はそれぞれのお寺のHPから転載させて頂きました。
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