高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

人事異動はFA制度で行おう 1 校長という伝達係

2008-01-13 17:36:36 | 高校公民空間

校長は伝達係

 
静岡県では、12月から人事の季節に入ります。具体的には、人事の希望を各教員が客観的に表示させられます。その事情聴取をするのが校長の仕事です。どの校長も

「私たちは伝達係」

と一応言いますね。最終的にはどのような決定がどのように決定されたかはわからない、といいます。自分たちの声は最後は、どう反映したかはわからない、と。

中央統制経済

  私が所属するのは県立高校だから、行政の単位は県です。県立高校はざっと130校あります。その人事を高校教育課が行うのです。つまり、この県高校教育課の人事担当が決定するんですね。130校のニーズが静岡市にある教育委員会に詰めている担当者にすべてわかるのだろうか?って素朴に思いませんか?
各学校の国語の担当者のニーズからはじまって、地歴、公民(ふつう木村の意図を無視して「社会!」)数学、理科・・・・・。それが130校です。校長の人事もあるし、教頭もあります。それらをすべて加味して高校教育課の人事担当者が決定するのです。そういう広範なエリアの微細なニーズをくみ取ることができるのだろうか?という素朴な疑問はありますね。
  彼ら、県の事務局は、こういうパズルと格闘します。一人の人間を異動させれば、同時に対になるもう一人が動きますね。あそこの教員を動かしたら、ここを動かす。そこが動いたら今度は、ここを動かす。・・・こういう複雑なパズルを解くのです。といっても、また、静岡県は東西に長いので、たとえば浜松のはずれから、伊豆半島まで異動することも普通はありません。東部中部西部というおおざっぱな区分の、そのまた学区の区分あたりで異動は行われます。また、毎年、全員が異動の対象ではありません。各学校で、異動を必然とする条件をもった教員がいます。その教員をピックアップして、このパズルを解くのです。本人の希望もありますね。これも以外に年長教員のそれは加味しています。
 こうして人事が行われた結果が、本校地歴・公民の場合こうなっています。

世界史2 日本史2 地理1 公民3

とそれぞれ必要なのですが、配当されている現状はこうです。

世界史のひとりは「公民・倫理」が専門。
日本史と地理は専門が担当している。
公民の一人は「地理」が専門、「倫理」は30年ほど教員をやっているが、担当したことがない。
もう一人の公民は「地歴・世界史」

  一時期日本史が3人いて世界史の専門が一人しかいませんでした。そして、地理の専門がいないという時期が数年続きました。毎年校長に進言していましたが実現しませんでした。
そして、地理がきはじめたら、一人しか必要でないのに、ふたり来てしまったのです。

聞き取りでは、どうも進学校ではこういうことはないようです。何年か一度にこういうことが起こる、しかし、すぐに是正されるようです。大体、進学校でないと、教員が自分の専門に全く興味がありません。とくに現代社会などは、気軽に持つのです。

全くない生徒の需要

そのときに、私たちが押さえておかなければいけないのは、生徒の需要はほとんど需要としてデータとならないという現状ですね。教育委員会は何かというと授業が大事とはいいます。しかし、その授業に対する目線は絶望的です。
今年から教員評価の試行がはじまりました。校長と教頭が分担して授業を見にきています。しかし、それは、前期後期各1回程度です。それ以外に、教員は授業評価を実施することになっています。その集計の下請けを、私の総合学習で各担当者の希望制ではありますが、することになっています。が、前期に実施した人はほとんどいません!ね。そして、その授業評価の結果ですが、管理職は現在いっさい見ないことになっています。
  校長や教頭だって、大事だとされる授業評価をみることはありません。自分がほんの30分ほどみた授業をもって教員評価をするのです。すくなくとも、あとは、本人のナルシス的自己評価の文章を見るだけです。

人事は何で行われているか?

 教員世界の出世街道である分掌についても同様です。ほとんど管理職はその内容をみることがない。評価するデータもないのです。大体、分掌の仕事は事務的な置き換え可能な仕事だらけです。教員がもっとも重視する教務課にしてもそうです。成果を具体的に固有名でなど確認できないのです。
 校長・教頭という直接的に接触する場でさえ、教員の異動を左右するデータを客観的に回収することはかなり困難です。

いい先生

をデータで示すことができない。ここに深刻な現状があるのです。現場ではだれがいい教師なのかわかりません。

長くいること
年が上であること
声がでかいこと
教員共同体のつきあいをまめに行うこと

そうした主観的、私的な個人関係の存在がこうして反証的に浮かび上がるのです。
現在、生徒から問題教師として体罰や恫喝をするという苦情をもらっている教師が私の現場である地位を占めています。管理職にはそういう現実がほとんどみえていないですね。
  ましてや、県教育委員会にその現実が反映するわけもありません。そして、もう一つ、現場で人事異動することが不可能な現実がこれまでの記述で浮かび上がるのです。現場には、教育の成果を評価する客観的基準がまったく存在しません。そこには、情実しか浮かび上がってこないのです。
  私たちの「社会科準備室」に、おもしろい世界地図が貼ってあります。通常の世界地図を逆さまにした世界地図です。まるでモンゴルが世界征服するための地図のような地図です。

「そうか、朝鮮半島から見るとこうみえるのだ!」

という地図です。教員世界もそうです。生徒の側から見てはいけません。

職員室の「教頭席」

からみるのです。そこには、授業に出かけていく教員が目に入り、授業から終わってかえってきた教員が目に入るのです。給湯室からお茶を入れて出てくる教員。そこで展開される茶飲み話。雑談。

「しょうがないよ。あの生徒」

じつは、こうしたレベルの堆積が人事異動のデータの末端なのです。教室はまったくのの世界です。ましてや、県の人事課に何のデータが届くでしょう?数年前、夏にスーパー講師による自主講座の授業が県によって企画されました。その講師にある商業科の教員が

「簿記」

の専門として講師を務めました。その彼が、じつはまともに自分はここ数年簿記の勉強をしていなかったので、いい勉強になったといっていたのでした。彼は、パソコンの情報処理こそが専門といってもよい人だったのです。
  現場がでは、人事異動を行えばいいか?私にはその問に単純に「Yes」とは答えられません。ひょっとすると今の方が、情実や管理職の好みで人事が行われないかも知れない。現場には、生徒本位に人事を行うインセンティブがまったく働かないのです。ここに、深刻な現実があります。


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