高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

慶応・上智大学に質問します――なぜ『政治経済』が受験科目でないのか?

2022-03-15 18:47:55 | 学校の呪術

立花隆の指摘

 立花隆が東大の農学や理学系の学部の学生が高校で「生物」を履修していなかったり、物理学を専攻しようという理学部の学生や工学部の学生が高校で『物理』を履修していないという実態を驚きと嘆きを交えて報告していた。しかし、高校現場からしたら、その事実は驚くにあたらない。そもそも高校現場に立っている限り、生徒が学部を選択する根拠は存在しない。学校と家との往復の中に、彼らが例えばどうして大学で生物学を学ばなければならない必要性を感じるのか、切実に感じる根拠はおそらくないだろうというのが私の実感である。実力試験の出来がどうだったのかということ、いったい自分の実力ならどのくらいの偏差値の学校へ入れるのか、そのなかから〈偶然/恣意的に〉大学の学部選択をする――私たち高校関係者の進路決定の現場ははこうした生徒の姿に明け暮れていく。私たち高校現場では、職業社会はおろか大学からすら、教育内容として――マルクス的にいうならその使用価値のレベルについて――の要請を受け取ることは出来ない。そこにはただたんに、どこの大学へ入るには、何点とる必要があるのかという脅迫があるだけである。

『政治経済』が受験科目の中心でないという事実

 『政治経済』という科目がある。私は決して、受験には熱心ではないことを白状した上でこの科目の受験科目としての位置づけについて書いてみたい。社会科という名前で呼ばれた時代から、この『政治経済』は受験科目としてはマイナーであった。社会科での受験科目といえば『日本史』『世界史』があくまで主であり、その次には『地理』が続き、『政治経済』に至ってはまったくのマイナー科目であり、『世界史』や『日本史』がどうしてもいやな生徒が半ば逃げ道的に選んだ科目が『政治経済』であった。
 しかし、少し考えてみればおかしなものではないだろうか。文科系の大学進学者のなかで法律、経済、経営、商学といった学部が占める割合は決して少なくはないはずである。まともに考えれば、大学で法律や経済、商学、経営を学ぼうというのであれば、受験科目として『政治経済』を選びそうなものではないか。それにもかかわらず、どうして『政治経済』が受験科目としてはマイナーなのだろうか。これは発展させて考えれば、人類学や社会学、哲学を専攻したいと考え、学部を希望する生徒については『倫理』という科目が受験科目としてもっと開かれてもいいと思うのである。それはともかく、どうして『政治経済』はこれだけマイナーなのだろうか。

慶応・上智・同志社・立命館が『政経』を受験科目からはずしていることの意味

 もちろんこれには複合的な原因があるであろう。それを前提にして、私は大きく二つの原因を提示してみたいと思う。そのひとつは、大学の受験科目の設定についてである。
 実は今年のセンター試験(2005年度)においても、慶応大学と上智大学が今年になっても依然として法律・経済・商学部といった学部で『政治経済』を受験科目からはずしている(関西の雄、立命館と同志社が法学・経済といった学部で『政治経済』を受験科目からはずしており、2000年に入って、変更した)。
 だから何だ、とお思いであろうか。
 しかし、少し受験生の立場に立ってこの二つの大学の法経系の学部が『政治経済』を受験科目として除外しているということをお考えいただけば、そう軽い事実ではないということはお分かり願えると思う。私立の雄早稲田は政経をはじめ、『政治経済』を受験科目として開いている。しかし、たとえば法経系の私立大学を目指している生徒、それもすくなくとも、早稲田、慶応、上智クラスをと考えている生徒は『政治経済』は選べない。それはそうである。『政治経済』を受験科目にしたのでは早稲田しか受けられないではないか(先ほど書いたように2000年まで去年まで関西の雄同志社、立命館も御同様であった)。これでは、受験科目のメジャーに『政治経済』がなりようがないではないか。今、法経系にしぼるという生徒はまじめなほうである。早稲田なら、いや慶応なら、ともかく偏差値が高ければ・・・そういう学生には当然(!)『政治経済』は受験科目の対象として除外される。受験産業も早稲田、慶応が売りにならないことには興味は持たないだろう。これが『政治経済』が法経系の学部でさえ受験科目のメジャー科目として除外される最大の原因である。
 でも、お考えになってもらいたい。法律や経済を志向する学生が入試の勉強で『日本史』のおよそちまちました細かい知識を詰め込んでいるのである。どうせちまちました知識を詰め込むのであったら法経系の生徒は『政治経済』の知識のちまちまの方が本来に近いとはお思いにならないだろうか。

受験生の選択の意味

 それからあたりまえでも、もう一つの事実を確認しておく必要がある。それは受験する当人たちにとっても『政治経済』が受験科目かどうかなどということは、たいした問題ではないということである。それは「大学」に入りたい、というのがあくまで目的であって、学部になど興味はないということを表現しているのである。基本的に大学はパイプである。そこへと入ることが、あるいはその〈大学家の一員〉となることが大切なのである。そうすれば、自然と道は開ける、こう大抵の受験生は考えている。いや、そう考えることが正しいと保障してくれるシステムがあるのである。それが証拠に、高校の教員たちが、予備校の教員たちが、なぜ、これらのブランド大学で、それも法律経済系の学部で『政治経済』が入試科目ではないのかという問いを、苦情を、陳情を・・・一切の抗議運動を起こしていないではないか。いや、いや意識にさえのぼせていなのではないだろうか。
 この二つの要因によって『政治経済』を受験科目から除外するという現状が出来上がる。だから、もし、この二つの大学がせめて法経系の学部でさえ『政治経済』を受験科目として解禁したら、受験生の受験科目の選択はまちがいなくかなり変わる。そして、もし、ええい、どうせ、法経系で『日本史』『世界史』を受験科目としているのだから、文学系でも『政治経済』を受験科目として採用しようではないかとなったとき、かなり受験科目の動向は変わるだろう。(実は2005年現在、旧社会科でセンター試験受験者のトップはダントツで『現代社会』!)

慶応・上智の受験科目について質問します!

 慶応大学の経済は計量経済学で有名である。そこで、受験科目に数学の選択を認めている。これはわかるのである。しかし、そのあとがわからないのである。いわゆる旧社会科の中では『日本史』『世界史』は受験科目とするが、いわゆる公民系の科目は受験科目とはしていない。なお、わからないのがそのほかの学部である。法学部では――法学部ですよ!――この『日本史』『世界史』が受験科目なのだが、『政治経済』は受験科目ではない。上智も同じである。

 では、おたずねします、慶応・上智両大学は『政治経済』の知識をためす必要より、『日本史』『世界史』の知識の方がお宅の大学で法経系の知識として必要なのでしょうか。いや、実際に則して聞きます。『政治経済』の知識は試す必要のない科目なのでしょうか。

 因みに、京都大学の西村和雄教授(理論経済学)は、学部生の低学力化を問題にしている。西村教授だけではない。多くの大学教員たちが高校から送り込まれてくる学生たちの学力低下を問題にし、嘆いているではないか。個性化といい、さまざまな入試改革を重ねてきているではないか。しかし、なぜか、西村教授は、自らの〈お膝元〉において、『政治経済』が経済学部の入試科目の主流になっていないということを、問わないのだ。
 個性的な、ということをいうのであれば、社会学部や文学の哲学科でせめて『倫理』を受験科目にしてもらいたいものではないか。

意味を脱色してしまう構造としてのタテ社会

 今、地歴離れ、とりわけ歴史離れが受験業界でもささやかれている。歴史の授業は高校段階でも全く意味を没した訓詁学に成り果ててしまっている。石原慎太郎ならそれを〈科挙〉とでもいうだろう。どんな学力を大学で身につけるかではなく、あくまでどこの大学へ入るか、そこに関心のほとんどがあるシステムこそ私たちの目の前のシステムである。たとえば、長らく柄谷行人は法政大学にいた。柄谷ほどの知性にふれられるのであれば、法政にゆこうではないかとは人は考えない。法政に入った時点でそこの出口は決まる。そこが大切なのである。その人が柄谷に興味があろうが、東大に入る学力があれば、だれがいるんだか知らないが取り敢えず人は東大へ行くだろう。こうした、学問自体の関心よりも、容れ物としての〈場〉の重要性を大切にするのが〈タテ社会〉であることを中根千枝は述べていた。彼女が『タテ社会の人間関係』の原型を発表したのは1964年である。その時点と現在を比較してもシステムは何ら変わっていないのである。

公民科の読み替え

 いま、進学校あるいは準進学校では公民科目を読み替え、『世界史』『日本史』『地理』を履修するという学校が多い。厳密にいえば、文部省の学習指導要領違反である。生徒に校則を厳守せよなどと抜かしている学校が国家の規則を堂々と破っているという妙なことが何の疑いもなく行われている。中には公民科目をほとんど行わないという学校もある。何なら一つ一つ授業をめくっていけばいいのである。それにしても奇妙である。日本人は昨日のことさえ「まあいいか」という体質のある国である。戦争がどうだったか知らないが、まあいいじゃねえのという国である。その国で実学である『政治経済』より、『日本史』『世界史』を重視しているのである。しかし、そうしたいい加減さは試験に表面化している。ためしにセンター試験の『日本史』の試験でいいので見てほしい、なんでこんな細かいことまで聞くの、という世界で満ち満ちているのである。たんなる訓詁学に堕してしまっている。しかし、それでも法経系の大学の入試科目は相変わらず『日本史』『世界史』が主であり、高校現場はそれに合わせているのである。これから、経済社会は規制緩和の方向へとむかうであろう。つまり、経済を経済本位で真剣に見つめる目が必要となるであろう。それでも、入試段階でこの体たらくが続くようなら、この国も長いことはないように思うのである。そこんとこ、慶応・上智はどうお考えか、聞いてみたいものである。

慶応大学・上智大学・立教大学・同志社大学への質問状とその回答


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17 コメント

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Unknown (ある経済学徒)
2007-04-10 01:06:33
正直申し上げて,高等学校の政治経済には何の意味もないと思います。
ここで学ぶのは中学校までの公民の復習と・超基礎的なマクロ経済学だと記憶していますが,それを極めた学生が入学することで経済学をめぐる状況(研究・教育の両面で)が好転するとは思えません。
日本史・世界史の知識は経済史の分野で重要です(大きく理解を助けます)。しかし初歩的なマクロ経済学の知識をもっていても,経済理論の理解にはなんの足しにもなりません。
大学で経済学を修めようとするものには,その準備としてむしろ数学が必要でしょう。
知識ではなく,学ぶ素養のある人間がほしいのです。

と,経済学のみから反論させていただきました。
おっしゃっていることの筋が違いませんか (Kimura Masaji)
2007-04-11 10:50:10
ある経済学徒様

■書き込みありがとうございます。■こういうようにいったらどうでしょう。文学にも文学史がある。物理学にも物理学の背景がある。村上陽一郎氏などが科学史などという分野を研究されていますね。で、同様に経済学にも歴史があります。じゃあ、経済についての知識を問う必要がないのか?経済学的な素養を問う必要は無いのか?というのが、私が問題提起していることです。■エントリイでも書きましたが、立花隆が報告する物理学科で物理を履修もせず、物理学科です、はないでしょ?■そのことと、現在の政治経済の教科内容が抱える問題とはべつでしょ?私が問題にしているのはそういう問題です。■憲法も勉強しないのに、日本史のちまちまを勉強して入試を問うのと、憲法については入試ででるので、一応はおろか、かなり突っ込んで勉強したという姿を考えてみてほしいのです。あなたが書かれたことは少し筋が違っています。そう、私は理解しています。おっしゃっている向きの問題がないなどとはいってません、それは、申し添えます。
Unknown (上智大生)
2010-01-06 22:12:06
上智大経済学部生です。まぁ信じなくてもいいですけど。

僕は国語、英語、数学の三科目でしたね。上智は経済学科はこの三科目で、経営学科は日本史と数学の選択になります。まぁ確かに政経の試験はないですけど。他人を批判する時は相手をよく調べてから書きましょうね。

僕自身は国立志望で、センターも受けたので、政治経済を勉強しましたよ。その年は易化してたんで、点数は90越えたと思います。で、大学入って、政経の知識は役に立ったかなんですが正直「あんま変わらない」というのが実情です。一番役に立つ部分は多分日本経済史でしょう。需給法則なんて、高校でやったことは本当に初歩的なものです。ここまでが経験談。以下が僕の意見です。

まず日本史世界史は暗記科目で、政経は実学という認識に問題があるように思われます。現実的には政経も暗記科目として、受験生には処理されています。(だからほとんどの受験生が残念な成績を残すのですが)後、センター試験の日本史は言う程細かくないですよ。基礎事項です。あれで細かいって言ってたら早慶の日本史なんて発狂モノですよ。

あなたの論旨は、「大学で習う内容と関連するものは、高校でもとれ」ということですよね。まぁ間違ってはいないと思いますが、考え方は色々あって、結局個々の価値観の問題になると思います。実学志向なら、あなたの言うことは正しいんですが、世の中には「高校くらいまでは様々な勉強を浅く広くして、視野を広げるべきだ」という志向なら、「地歴も公民も」が正しい答えですよね。ある経済学徒さんみたいに、「科目はなんでもよくてともかく知的好奇心が大事」という志向なら、「地歴でも公民でも」という話ですし。ビスマルクの信奉者で、
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」と信じるなら、現代の日本の入試制度は、賢明な制度なんじゃないですか?

ちょっと詭弁っぽいですね。非常に不誠実な文章になってしまいました。確かに法律経済学部の入試科目が、歴史科目である意味はありませんけど、それを政経に変えるための、十分合理的な理由だとか、国民の合意だとかがないんだと思います。入試科目を増やすと何かと手間と費用がかかりますけど、それに見合うだけのメリットもない訳です。大して勉強の役にも立たないし。

ムダに長くなってしまいました。そういえば一橋大学なら政経とビジネス倫理の入試問題がありましたよ。
Unknown (ゼット)
2011-01-28 00:32:48
結局、単なる暗記科目になり下がってしまった政経は、学問としての経済学や法学を勉強する上であまり重要ではないってことなのでしょう。
近代政治思想や憲法学などを学ぶ前提としては、政経よりも世界史を高校生に学んでもらった方がよと思います。経済学であれば数学を学んでおくべきでしょう。
「生物」を学んでおいてほしい医学部と違って、経済学や法学は大学から学べば十分なのであって、「政経」を受験科目にしなければ困るというものではないのでは。
もうこれ以上はこの種類の議論はしませんが (Kimura Masaji)
2011-01-28 10:01:21
ゼットさんコメントありがとうございます。
申し訳ないのですが、この種類の議論は私には不毛だと思っています。経済学部や法律学部で、歴史が必要なことは当然です。しかし、単なる暗記科目になっているのは、何も政経だけではないでしょ?などという揚げ足取りの議論ではなく、政経がかりにそういうかもくになってしまっているとしたら、それが問題で、だから、政経を入試からはずすという議論にはならないでしょ?ということです。問題は、経済学部を志望する生徒に、どのくらい、熱い思いが経済学にあるの?ときいて、高校で政経の勉強をどのくらいしてきたかを問うことと、それをはずして歴史を問うことを考えたらどちらが本道なの?という議論をしているだけです。本来ならば、高校でこういう経済の疑問があり、あるいは、もっと勉強をしたいから大学へ来ましたという面接をし、貴大学の***教授の授業を聞きたいのできました、ということが本来あるべきで、そこを不問にしてどれだけ重箱のすみのような歴史を勉強してきたか、といことを問うことが本道なのか、ということが議論したいことです。私の次の議論は、では、どうして、こうなっていないのか?どうしたら、まじめに経済学を勉強したいという熱さを試験して、大学へ入るというモティベーションが持てる仕組みになるのか、を考えたい、というのが趣旨なのです。大学生が一生懸命経済学部へ入って経済学を勉強するなどという風景がお笑いになっていると大学教授どもがこぼす、そこを問題にしているのです。ゼットさんの次元で議論が展開されると、そこの問題へとたどりつかない。あなただけではない。前の上智大生の方もそうです。高校で教員をしているとそういう矛盾と戦わねばならないのです。
Unknown (ゼット)
2011-01-28 21:30:06
ご返信ありがとうございます。
先生が政経を受験科目にすべきとする主張の根拠は理解しました。
そこで以下、二点質問します。「高校でこういう経済の疑問があり、あるいは、もっと勉強をしたいから大学へ来ました」という生徒を増やすためには、単に受験科目に政経を必須化するだけでなく、カリキュラム上、政経の授業時間数(単位数)を増やす必要があるのではないでしょうか。(学習指導要領を改変する必要あり?)薄っぺらい本で週一回程度しかも一年の履修では、経済への理解は、他の科目(数学、英語等)と比べて期待できないように思います。社会科学系学部志望者は英語と同じくらい政経の授業があってもよいと思うのですが。この点どうお考えでしょうか。
次に、教える側についてです。「政経」と一言で言っても、その中身は「政治学」「法学」「経済学」です。大学で物理学を専攻した教員に「生物」の授業を期待できないのと同じように、法律学を専攻した教員が「経済」の面白さをわかりやすく教えることはできないのではないでしょうか。この問題をどう解決すべきとお考えでしょうか。
社会科学系学部において政経の受験科目必須化を提唱されることは理解しましたが、その前提として他の主要科目(少なくとも物理、化学)に引きをとらないほどの、単位数及び授業内容の充実が求められるのではないでしょうか。私は教員ではないのでわからないのですが、現行制度上、世界史よりも政経の授業時間数を増やすことは可能なのでしょうか。
 考えてもみれば、理系科目は小学校における「足し算」から始まって高校における数学(ⅠA~ⅢC)、物理(化学,生物)ⅠⅡ等、と積み上げられ、その基礎の上に大学の授業が展開されます。対して、文系では中学校で「公民」、高校で「倫理」「政経」がほんのわずかあるのみです。しかも、経済学部、法学部ではこれらの科目の履修を前提として授業が展開されるわけでもありません。政経が軽視される理由はなんなのでしょうか?
「受験科目になっていないから高校の現場で政経が軽視される」とも言い得ますが、他方「政経という科目が文部科学省なり大学からあまり重要視されていないから受験科目になっていない」ということもできそうです。
Unknown (ゼット)
2011-01-28 21:51:33
すみません。一点訂正します。先生は「政経を受験科目として必須化すべき」とまでは言ってませんね。「選択科目に含めないのはおかしい」との指摘を誤解しました。ただ、政経を法・経済学部で必須化すべきと主張されてもいいような気もします。

”経済を経済本位で真剣に見つめる目が必要となるであろう。それでも、入試段階でこの体たらくが続くようなら、この国も長いことはないように思う”
とありますが、だとすると、慶応、上智よりもむしろ、東大、京大、一橋大学の二次試験で政経が必須化されていない方が問題な気がします。

あと、慶応、早稲田等私学トップ校は受験科目が少なすぎることも問題で、この点についても先生のお考えをお聞きしたいです。
将来、日本をリードしていくような人材が「俺、数学やってないから」「俺、日本史だから世界史しらないし」なんてことでいいのでしょうかね?


何をそこで問題とするか (Kimura Masaji)
2011-01-30 23:50:56
ゼットさんへ
■私には、ゼットさんがどのような方なのかわかりません。高校生なのか、社会人なのか、学者さんか、大学生か、そのいずれかであるか、とか、ゼットさんがどのようなレベルで問題をお考えなのか、科学として問題にしているのか、教員としてなのか、受験生としてであるのか。それによって、またお答えがわかれます。■まず、私たちは、こういう社会に生きていることを前提にしましょう。現在、終身雇用と新卒一括採用というシステムが就職する大学生としての生命線になっています。これまで、したがって、何を学んだかよりも、どこの大学に入るかが、大変重要だったわけです。というより、いまもってその幻想が強固に生きています。すると、高校生は、どこでもいい、いい就職にありつける大学に所属することが大事だったのです。だから、大学生は、一般によほどの人間でない限り大学生になると勉強することをやめるのです。それは、する必要がないからです。■まず、大学へと所属するための道具が知識です。そして、そのための受験競争という側面が理屈抜きで大切でした。大学も、教育することに熱心ではなかったのです。それは、まず、新卒で卒業すること、と、いい大学に所属すれば即いい会社へとパイプがつながっているというシステムでまわっていたからです。■家に所属するということが大切、というシステムがまわってきたのです。『就活のバカヤロー』という本があります。そこでその事情はいやというほどでてきます。■したがって、入試の意味とか、学部の意味が大体、ついでというか、二次的な位置しか占めてきていないのです。■吉本興業が学校なら、まず、どの程度に笑に興味をもってきたかをたずねるでしょう。どんなに笑をけんきゅしてきたか、さあ演じてみたまえ、ギャグをいってみたまえ、と問うでしょう。なんで、その程度のことが入試でないのか?答えは簡単で、そんなことに興味がないシステムでまわってきたのです。■現実となんら関係のない政治経済の授業が展開されてもなぜ、その是正という関心が社会に置きないのか、私たちはそこを考える必要がないでしょうか。私はそこを書いているだけです。あなたがお書きになられた問題もなぜ社会が問わないのか、問題は深刻です。■英語ぎらいがホントに高校生を見ていると激しい。大体語学なんてほんらい、何歳からはじめたっていいはずです。しかし、もう、中学で英語を始めて、早々にいやになってしまった英語嫌いが山と高校にはいます。これは小学校で始めても同じだ、と私は考えています。英語を身につける楽しさを教えるということに基本的に学校は、興味がないのです。受験の道具!、受験の道具!、しょせん、入試の出汁だという循環から勉強が抜け出せない。総合学習という発想のが根付かないのもここです。生きることと、学ぶことが激しく分離してしまう循環が学校には根深くあるのです。
Unknown (ゼット)
2011-02-05 17:24:58
鋭いご指摘ありがとうございます。
先生のご指摘は日本の大学生おおよそすべてにあてはまることは間違いありませんが、文系と理系とでは、どちらかというと文系の学生にあてはまるかと思います。結局、企業も文系の学生には何を学んだのかなんて望んでいないのでしょう。そして、この傾向はそれなりに続いていくことでしょうね(グローバル化の中で語学能力が問われることはありそうですが)。

”高校生は、どこでもいい、いい就職にありつける大学に所属することが大事だったのです”
昨今の大学生の「就職難」を詳しく分析すると、私大文系の学生があおりを受けているみたいです。それはそうでしょう。専門性がないのですから。他方、理系の修士組はそれなりに検討しているみたいですね。

高校生も、就職のよい大学を考えるのなら、工学部等に進んで、技術立国日本を支えていただきたいものです。
Unknown (Unknown)
2012-01-18 09:01:58
東大は30年以上前は政経でも受験できました。
日本史、世界史、地理、政経から2科目選択だったそうです。
慶応商学部も昔は政経でも受験できました。
早大商学部は昔は政経では受験できませんでしたが、今はできます。

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