高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

ドラマ拒否 Ⅰ 押しつけられるババ

2022-09-11 14:09:07 | 学校の呪術

私、拒否します

 3月25日ぐらいが新年度新学期の最初の職員会議である。このとき、新しい「分掌」「学年」「部活動」の人事の発表がある。印刷物が配付される。みな、実は興味深々である。一体自分はどこに配属されているか。配付物はゆきわたった。
 教頭が言う。
「本年度はこのようなことでお願いします」
 と、そのとき、野球部の監督のN・Kが挙手し、起立して言った。
「あ、あの」
「なんです?」と、教頭。
「あの、私・・・野球部の顧問を拒否します」
 校長が、うん?という顔をしたのを私は記憶している。教頭は困惑気味であった。周囲は一様に驚いていた。
「どういうことですか?」と教頭。
「だから、拒否します」
「拒否というのは」と教頭。
「野球部の監督は辞めるということです」
「しかし、君?今さら・・・」
「校長にお尋ねします」とN・Kは言った。「部活は、職務命令ではないですね」
 校長は黙っている。
「私、考えるところありまして、昨年をもちまして野球部の監督を降ろさしていただきます」
 周囲がザワついていた。
 ちなみに、N・Kは本年で教員歴5年目の28歳の国語教員であった。彼は2年生の担任でもあった。分掌は本人の要望もあり、保健課であった。ついでにいえば、野球部は県下では良くて3回戦止まりであった。しかし、彼は熱心に指導しており、生徒も彼の指導にはよく従っていた。それだけに驚きといえば驚きであった。
「どうして辞めるというのです」と教頭は言った。
「疲れました」と彼は意外な言葉を吐いた。
「どうしてもだめなのかね?」と校長が初めて言葉を発した。
「残念ですが」とN・Kはきっぱりと言った。
 しばらく、沈黙が流れた。
 年長の体育教師のIが挙手をし、発言を求めた。
「しかし、生徒がかわいそうじゃないかね?あれだけ、N・Kさんの指導に従ってがんばっているじゃないかね」
 頷く顔があった。
「それに、夏の選抜まであと3か月あまりだね」
「・・・・・・」
「あれだけ、熱心にやっていたじゃないか」
「・・・・・・」
「君しかいないよ、あそこまでやれる人間は。がんばんなさいよ」
「・・・・・・」
「みんな応援してますよ」とまわりからも声がかかった。
「N・Kさん頑張って!疲れたなんて言わないで」
 次々に声がかかった。みんな励ましていた。N・Kは虚ろな目でそれらの言葉を聞いていた。
「拒否します。次に進めてください。もう一度お聞きします。校長、これは本務ではないですね」
「確かに・・・・」と校長は答えた。
 そこまでを聞いて、N・Kはさらに強い口調で言った。
「拒否します」
「本務っていったって」と三十代の前半のHが発言した。「教育ってのはさ、そういう理屈じゃ割り切れないとこがあるんじゃない。どうするの、いまさらそんなことを言って。生徒のことも考えなよ、無責任だよ」
 彼も、バスケットボール部の顧問として、毎年県大会へと出場させていた。
「確かに勤務ではありません。ありませんから強制はできない」と校長は言った。「となると、野球部の監督は本年度はない、ということになりますね。それでも私はいいと思います。みなさんがそれでいいと言うなら、私はN・Kさんに強制はできない。ただ、まあ生徒が熱心にやっているのもありですねえ・・・生徒がかわいそうで・・・」と何を言っているのかわからない口調になった。そのとき、N・Kの表情がこわばった。きっと校長の方を睨むように見た。
「いいって、校長はその程度のつもりで野球部を考えているんですか。私がやらないといえば『ああ、そうか』と言い、それで終わりですか。その程度の軽いものなんですか」
「いや、別に・・・そういう意味じゃあ・・・」
「だったら、何ですか」
「・・・・」校長は黙った。みな、黙った。
「一体、野球部ってのは何ですか。教えてください。何なんですか・・・」
「・・・・」
「大事なものなんですか?」
「・・・・」
「『生徒がかわいそう』ですか。かわいそうですよね。誰もこの貧乏くじを引く人はいないわけだから」
「・・・・・」
「どなたもいないわけですよね。『私が引き受ける』という人が?『生徒がかわいそう』とお思いになられる方、やってくださいよ。どなたか?」
「・・・・」
「〈ババ〉ですか。野球部は」
「・・・・」
「校長!言ってくださいよ、せめて。『そうか、誰もいないか。それなら、責任をとって俺がやろう』って。違いますか?そうおっしゃるなら生徒に『かわいそうだな、君たち』と言えると思いますよ。・・・・・失礼ですが、校長は21時30分にいつもどちらにいらっしゃいますか」
「・・・・」
「どなたか、私は放棄しますので、やってください」
「・・・・・」
 重苦しい沈黙が5分ほど流れた。本当に5分だったろうか。私にはとても名状できない時の長さであった。
「この、沈黙がすべてです。この沈黙が意味するところが全てです。私は野球をね・・」 N・Kは言葉につまった。声がふるえていた。
「野球をねえ・・・愛してますよ。だからね、やってられないんだ。私の後に続く人間にこんな劣悪な条件で野球をしろ、とは言えないですよ」
 すると、教頭がこう言った。
「これで、本年最初の職員会議を終わりにします。今年もよろしく」
 校長が立ち上がり、席を立った。その後を追うように教頭が席を立った。そして、一人、また一人席を立っていった。その表情は能面のようであった。誰も、何も言わず、席を立ち、会議室を後にしていった。
「何なんだ、一体!これは何なんだ!」N・Kは呆然と立ち尽くしていた。「何なんだ!一体!・・・・・!」
 ちなみに、本県には教職員組合もあった。もちろん、本校にも組合員はいた。彼らも、同じように会議室を後にした。
「何なんだ!・・・!」
 
脱色される管理職の責任・職務内容への無関心

 
これは、フィクションである。だが、こうした〈拒否〉ないしは過重負担を背負わされている人間の〈欠損〉を仮定することによって、当然負うべき人間からいかに職務が押しつけられ、責任が脱色されてしまっているかが明らかになる。この押しつけの力学は〈若い人〉へ、より〈若い善人〉へと向かう。その押しつけられた人間の〈拒否〉、その後の職員の沈黙のなかから〈押しつけの妖怪〉があぶりだされてゆくのである。
  私は今、学校社会において責任という形態がどのような基本的システムから立ち上げられてゆくのかを明示できない。今のシステムは全く責任を負うシステムとはなっていない。その無責任さは責任を負うべき人間の途方もない職能への無関心という形で現れている。私たちは職務がどのような根拠で任命されてゆくかを考えたことがない。私たちの職務はどのような権限をもっているのか、さらにその権限はどのような専門に根拠をもっているのか。専門を裏付ける事実は、私たちの教育活動のどのような〈結果=生徒の事実〉に存在するのか。全く不明である。思えば、学校は職能で分割されているはずである。その職能は教員によって分割される。しかし、いくら目を凝らしても、学校社会には明確な職能の分割のひび割れが見えない。見えないことによって、あることが隠蔽されてゆく。生徒課長は学校祭の結果について責任を感じることはない。進路実績のどこに進路課長の責任があり、それはどのような根拠でそうなのか、全く問われない。私たちは「総括する」などという長老たちの訳のわからない職務を〈押しつけ〉として明示していく活動をするなかからしか、〈責任〉を明確にしてゆくことはできないだろう。私たちは学校の活動のなかに見える形で個人の線、権限の線を引いてゆくことからしか〈責任〉を明示することはできないだろう。こうした、明確化は多分、同時に職務分業の不均等の明確化でもあるだろう。そして、こうした明確化を阻んでいるのが「家産制的長老制共同体の呪術」なのである。私たちは大塚久雄や川島武宜、丸山眞男たちの仕事をもう一度見直さなければいけない。彼らは何を明確にしたのか。何をしえなかったのか。


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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
できすぎとはおもいつつ、だまされました(笑)。 (ハラナ・タカマサ)
2005-07-29 21:39:25
 小中学校の惨状ぶり(教科教育をまともにできない)を、再三とりあげた、わたくしですが、高校でも、いろいろあることは、仄聞しております。ですので、高校で、実際に、こういうことがおきても、フシギでもなんでもないと、おもったので、つい、最後まで、かつがれているとは、きづかずにいました(笑)。

 たぶんですね。大学院教授などといわれる、特権的なかたがたはともかくとして、大学でさえも、この職務分担の、あいまいさは、あるんじゃないでしょうか? いや、学校教育現場にかぎらず、「過労死」がおきるような民間企業の空間でさえも、職務範囲のあいまいさ、責任のおしつけあいがあるはずです。
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実は実話(笑えない) (木村正司)
2005-07-30 08:42:47
この話を同僚にすると、

「で、このモデルはだれ?」ときくのです。で、わたし

「俺だよ」

というのですが、だれも信用しません。もちろん、私は野球を持ったことはありません。しかし、ハラナ氏がお書きになったようにこの問題は偏在・遍在しているのです。その普遍性を確認するのが意味です。私の実話を書いたほうがよかったかなあ。けっこう、こっちも「ドラマ」だったんですが。
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7月30日に・・・ (海野てるみ)
2005-07-31 18:08:14
「先生の叫び」ってのをテレビでやってたね・・・。わざわざビデオ撮ってまで見ちゃったっけよ。そんなこたぁどーでもいーや。それよりも、あたしゃ、先生の実話を読みたい!!
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実話その一 (木村正司)
2005-08-01 11:50:38
僕が夜の定時制にいたときに、あったことです。僕は、30代の終わりでしたが、何と年齢的には下のほうだったんですね。で、クラスを持ち、生徒会の顧問をやり、演劇部の顧問をやっていました。すごいでしょ!クラスでも僕はバンドの有志を結成させてやったのです。僕もギターを弾き、参加しました。演劇部はシナリオを書き、演出をやるのです。生徒会については、僕の下にひとり、教員になりたての彼がついていました。しかし、僕は、彼にすべてを押し付けることはしませんでした。一年目だから僕をよく見て、勉強してください、といい、本当にサブという位置をでないようにしました。

これを書くと長くなるので、この負担のふざけたふざけっぷりをまず書いておきます。感情的にはいろいろありますが、ま、それはそれとして、僕はこういうことをしてみたのです。

学校では、文化祭の日程から、内容まで、一応職員会議へかけて、了承となるのです。そこでこういう実験をしたのです。昨年までの、文化祭の案の起案書を読むと、なんと全員が名前を連ねています。総括、教頭、生徒課長・・・からはじまって、えんえん名前が書いてあるのです。それだけみればスゲエみんなでやってるじゃん、ってことになりますよね。僕は、この起案書から実質ゼロの仕事をすべて削り、同時に名前も削除しました。そして、実質活動している人間のなまえだけの起案書をつくったのです。まあ、僕の名前だらけだねえ。そして、教頭とか生徒課長とか、そのほか年寄りとか、意味のない名前を全部抜いたのです。そして、起案しました。そして、皆さん

「意義なし!!」

「一体何なんだ!!」
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実話その2が、まちどおしい(笑)。 (ハラナ・タカマサ)
2005-08-01 20:19:53
エラいさんたち、こぞって、正直者ばかりだった、というか、ロコツに ホンネ まるだしだった、ってのは、「実話」なんですね。なんというか、みもふたもないというか……。

 でも、「実質、なにもしない『人材』」って問題は、どこにでもいる「0人材」ですね。これって、著名人やエラい先生が、名義かしするだけで、資源が自然とあつまってしまうっていうのと、全然ちがうとおもう。

 「はたらいているフリ反対!!!!!」
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実話その一:訂正 (木村正司)
2005-08-02 06:28:04
最後の

「意義なし」

は、もちろん

「異議なし」

のまちがえですが、ひょっとすると「意義なし」でもいいのか、と、彼らはそう思っていたのではないかと、思わないでもないねえ。

「意義なし!!!!!」
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実話その2:「もっと自由にやらせてやんなよ」 (木村正司)
2005-08-02 06:55:26
文化祭当日は、まるで木村劇団でしたね。僕は、けっこう、完璧主義で、夜の生徒というのは、ま、中学時代に手抜きのかぎりをされてきているんです。きっと、僕なりに、完成度のたかいものを彼らに体験させたいと思ったのだと思います。

ちょっと脱線になりますが、

僕は、「士農工商・定時」っていってましたが、当時から、不登校の生徒は定時制ときまっていました。不登校の生徒は成績は全部「1」です。なかには学力がなかなか高い生徒もいますが、全部「1」で、いくところは定時制ときまっていたのです。いいですか、定員割れしている全日はあるんです。でも、そこでも、落ちますね、不登校は。あと、中退した生徒も定時制にきます。しかし、逆はこれ真ならずなのです。いくら、定時制でいい成績でも、「入れ替え戦」はありません。

ま、そういうことで、厳然とした〈差別〉をまのあたりにしましたねえ。

「なんでえ、ここはゲットーか!」「アパルトヘイトか!」「か!」

で、まあ、当時は無意識でしたが、こころのどこかで彼らに何とか、行事で協働生産する喜びを、なんておもっていたのかもしれませんね。文化祭の実行委員の生徒がとてもクレバーな生徒で、当日のシナリオを書かせ、その生徒の指示に従わせるというディレクターを勉強させました。うれしがっていましたね。で、当日、もちろん、私も総プロンプターとしてその生徒の補助だか、そのうち僕が指示をだしていたり、と、飛びまわっていたときに聞いた年寄りの



「木村さん、もっと、生徒に自由にやらせてやんなよ」



と、ニヤニヤ笑っていった一言がブチ切れのことばでしたねえ。

そのときに、薄暗い体育館の騒音がスーっと消えて、場内を見たわけです。

「年休」とっていない教員。ただいるだけで舞台をみてウケている「管理職」。

「僕はねえ、後に続く人間に・・・」

「・・・」

「一体何なんだ!!!!」



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Unknown (海野てるみ)
2005-08-02 20:10:14
そりゃブチ切れて、あただわ。あー、あたしが現役の歳で先生の生徒だったら、うんもすんもなくゼネラルプロデューサーだったんだろーなぁ・・・。そしてそのニヤニヤ笑っていった先生をとっ捕まえて、後先考えずに、ぐしゃんぐしゃん(今で言うボコす?の最上級)にぶっさらって、退学んなってんだろーなぁきっと・・・。それでも、きっと後悔はしてないんだと思う。ん?待てよ。今も同じ事やっちまうかもなぁ・・・。
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ご協力ありがとうございました (木村正司)
2005-08-02 21:05:31
◎僕は現在の海野さんと、あと少しですが、ドラマ「**」を作って見たいと思っているんですがねえ。

◎補足すると、この「もっと自由にやらせてやんなよ」と言った方は、もちろん、21時15分(定時制の勤務時間の終わり・Cコースの時間と同じです)以降の木村については一つもしらないでしょうね。学校にいませんから。

◎ま、演劇って結構大変で、シナリオどうりに、照明が動くか、音響が動くか、大体、セリフを生徒が覚えているか、大体、練習にこねえとか、気がつくと午前零時ってことはまあ、あるんです、ざらに。で、信じられないでしょうけど、片方で実行委員長と当日のシナリオを書く。っていっても、何もないのですよ、つくるんです。

◎で、クラスのバンドにも顔をだす。僕がいかないと動かない・・・。

◎ところがね、教員の〈若い人〉たちがやはり協力してくれるんです。演劇にも出てもらいました。圧倒的にセリフを覚えてもらえるんです。大変長いセリフを本当に覚えてくれました。

◎その他、細かなことで、やはり〈若い人〉は協力してくれたのです。つまり、だから始末が悪いのです。

◎文化祭翌日の打ち合わせで「ご協力ありがとうございました」とまあ、僕が責任者ですからいうわけです。そのあとの拍手。頑張ったね、などという励まし。ねぎらい。もちろん、共有できる〈若い人〉がいるわけです。しかし、その総体が事態をわからなくするのです。生徒の感動した姿。涙。えっ、ウソ、みたいな。そうした総体が事態をわからなくさせるのです。

◎その方はけっして悪意でいったのではありませんよ。言い方も、けっしてとげのある言い方ではありませんでしたから。ふつう、それは、善意の励ましとして受け止められるのです。その方は、もっと肩の力を抜いてやったらどう?という程度だったのでしょう。いえ、当日の総体が、恐らく、木村の独裁のようにみえたのかもしれないのです。

◎それを踏まえたとしても傲慢な木村はこう思ったのです。

「てめえ、誰に物をいってんだ」

そうです。僕は「一体何なんだ」とも「やってられない」ともおもったのではありません。

「てめえは俺の仲間ではない」と思ったのです。

僕はそのうち周りの〈若い人〉にもこいつらは仲間ではない、と思うことになっていくのです。何でか?

「こいつらはしょせん奴隷だから」
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実話その3・「ハイチーズ」 (木村正司)
2005-08-02 21:38:13
この学校に来る前下田北という学校にいました。いい学校でしたよ。大体ね、「中学以前に学級委員をやったことがある人」

ときくと、40人中34人とかの数になるんだから。上澄み、上澄み。

で、途中は省略しますが、僕はけっこうHR経営に熱心でした。なかには、木村組をうらやましいと思っていた生徒もいましたね。なんか、放課後教室で机くっつけて楽しそうに会議している、とおもったでしょうね。

卒業生をだして(僕は一回しかないんですよ、理由は省きますが)、翌年、また3年の副担任なりました。その担任は典型的な〈年寄り〉でしたねえ。で、生徒はなんとなく気づいて、ぼくのところへきて、HRで何かやりたいってことになっていったのです。僕はその担任からよろしくといわれていたので、舞台でバラエティ番組をつくったんです(いっておきますが、僕は自分でオリジナルで何か行事をやったことはありません、みんな生徒から出てきたことです)。シナリオを書いて、仕事を分業し、役割りを分けていく・・・そういうことをこの学校の生徒は少しのアドバイスでどんどん自分たちでやっていくのです。センスのいい生徒もたくさんいましたから。担任にも出所をつくり、盛り上げ、舞台は盛況でした。僕もちょこっと出演したかな。そして、最後の打ち上げのときに担任を含めたクラス写真を撮ったのです。

そのアルバムがいま手元にあります。担任を真中に本当に楽しそうに写っています。しかし、その中には僕の姿はありません。なぜか、わかりますか?

そうです。シャッターを切っていたのは僕だったのです。

これ、なかなか象徴的だと思えませんか?絵として。担任の方が写っている位置がまたいいのです。真中。ところで、おめえ何やったんだよぉ、とやくざの木村は内心思っているのです。

「ふざけんじゃねえ」
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