最近山岳登山のTVを見るのが少々苦痛になっている。
未練が残っていけなかった山、またいけない山の番組が
少々苦痛になっている。
完全に諦めれば、それなりに楽しめると思うのだが。
私が本格的に山登りを始めたのは、53歳くらい。
千葉の丘レベルの丘陵を歩き回っていたのが発端。
奥多摩の山々歩き始め、山の魅力に取りつかれた。
最初から単独行。
そのうち丹沢・大菩薩なども歩き始めた。
そんな低山を登っていたのが、急に奥穂高岳に登ってしまった。
今思うとかなり無謀な挑戦だったと思うが、ますます山に
取りつかれる。
奥多摩・丹沢の避難小屋に泊まり縦走。雲取山から瑞牆山まで
の縦走は春・秋テント泊で体力・技術力の確認を積み
7月から10月は北・南・中央アルプス縦走。
ある時は上高地小梨平で厳寒期キャンプ生活もしてみた。
まあ大体日本アルプスのメインルートは歩いているつもり。
(除く読売街道・西穂~奥穂ルート)
今3000メートル級の山で残っているのは御嶽山で
あるが今の状況では無理だと思う。
山に登る時には、いつも死ぬことを考えていた。
当然登山計画書は提出していたが、不明者になっても
しかたがないと思っていた。
仙人池のおばあさんに心から言われた言葉が忘れられない。
「流されてしまったら、もうだれにも見つからないから
きお付けていきなさいよ」まあそのとうりなのだが
皆に迷惑をかけつつそれもいいかなと思っている。
今の状況では山で死ぬことは出来そうにない。
今も遊び人の本領発揮して、行ける温泉地をめぐっている。
歩けなくても遊びは沢山ある。
でも山への執着は解けない。
もう少し回復したらせめて尾瀬までいってみたいものだ。