天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

花村萬月『少年曲馬団』

2017-10-10 00:06:01 | 

花村萬月氏


ぱらぱらとひらくとぼくの住む府中市の第九小学校や刑務所など身近な固有名詞が目に入った。花村萬月『少年曲馬団』(2008年/講談社)である。
昭和30年代の府中市が舞台。そのころの風景、風俗に興味を持って読み始めた。作者は五日市に生まれ府中市にも関わりがあったらしい。
主人公の惟朔(いさく)少年をめぐる人間模様が濃厚。
キーワードは貧困、不登校、暴力、性である。登場する家庭はみな貧乏で、小澤實の<貧乏に匂ひありけり立葵>を地で行くような内容である。

惟朔(いさく)は母子家庭で貧困。父は小説家崩れで収入がなく実家を頼みとする生活。まわりの友もみな貧乏。惟朔のつきあう女の子も貧乏だが彼女たちとの交情は性描写がきわどく入りどきどきする。
貧困、不登校、暴力といったテーストの中で惟朔と3人のガールフレンドとのシーンに異様に心が躍る。
ひとりは片山さん。同学年だが事情があって2歳年上、身長が高くノーブルで頭がいい。次は幸子、赤貧で父から性的虐待を受けている。妹のように感じ愛情をもつ。3人目が看護婦のなっちゃん。成人した彼がいるのだが惟朔に性的なあれこれを教える。
惟朔が関わる3人との典型的なシーンを紹介する。

【片山さんの口飲み】
水道から直接水を飲む口飲みは、学校の便所で排便することと並んで禁忌である。それが見つかると不潔、不潔と囃したてられる。女子はなおさら男子が口飲みした水道は使わない。口飲みした水道から水を飲むと、穢れが移るといった思い込みが蔓延っていた。
片山さんが蛇口をひねってくれた。目で促されたので口飲みした。
片山さんと一緒で緊張していて惟朔(いさく)は水を口にしたとたん喉がからからだったことに気づき喉を鳴らして水を飲む。
そのあと片山さんが飲んだ。
惟朔が飲んだあとなのに平気で口飲みする片山さんだ。腰をかがめている片山さんの姿を見つめているうちに、惟朔は胸が軋むような昂ぶりを覚えた。
「片山はさ、ぼくのあとなのに飲めるのか」
「じゃあ、惟朔君は、あたしのあとで飲めるの」
「飲める、飲みたい」

【片山さんの膝枕】
「甘えていいよ」
しっとりとした声で言い、そっと惟朔の首に手をかけてきた。その力に逆らわずにいると、惟朔はゆるやかに傾いていき、片山さんに膝枕されていた。
片山さんの膝は硬くて滑らかで余剰は一切ないようだ。不健康なくらい白い。

【片山さんのそばかす】
「そばかす」
「って言うのか」
「そう。大嫌い」
「なんで! 俺、おまえのそれ大好きだ」
勢いこんで言い、ふたたび手をのばすと、片山さんは上体をかがめてくれた。白すぎる肌の目許から頬にかけて無数に散っている、淡く精緻な褐色の小斑にあらためて触れてみた。
惟朔の思惑では、そばかすを具体的に指先に感じとれるはずだった。けれど小斑をさぐりだすことはできず、片山さんのしっとりした頬をなぞるばかりだ。

【幸子の傷口】
「幸子は登り棒でびこびこしたことってあるか」
「びこびこ?」
という会話で惟朔はちんちんが固くなって快感を得ることをほのめかすと幸子が、女の子もそういうことありそうと答える。登り棒ではなくて机の角とか座布団をはさんだりと答える。
それが呼び水となって幸子は防空壕の中へ惟朔を誘い込む。
体勢が体勢だけに、幸子のスカートの奥が仄見えて、惟朔は息をつめた。
「惟朔は、マッチを擦れる?」
「あたぼうよ。まとめて五本、擦れる」
惟朔はマッチを手わたされた。暗さもあって手探りだが火花が散った。
硫黄臭が立ち昇り、朱色の焔が揺れた。
血を見た。
艶やかな血の色に見えた。

防空壕の奥で、幸子の傷口を見た。女の子だけが隠し持っている下腹にひらいた傷だ。血の色をしていた。

【なっちゃんの手技】
「絶対に内緒。絶対に秘密。これからすることはね、看護婦さん以外がしてはいけないことなのよ」といって看護婦のなっちゃんがはじめたのは、指で惟朔のちんちんを愛撫することであった。
やがて衝きあげるものがあった。
この衝きあげは、登り棒にこすりつけてびこびこするのとおなじだ。
ただ、看護婦さんであるなっちゃんの指先は的確で、惟朔は登り棒よりずっと強烈な快感を与えられ、狼狽した。
「もっときつく。きつく私にしがみついて」
惟朔は状態をよじってなっちゃんの背に手をまわし、必死で洩れそうになる声を抑えこんだ。
「まだ精通はないのね」

片山さんもなっちゃんも惟朔にまだ精通がないことに知っている。

片山さんにとって惟朔は、ほぼ完璧に支配することができる対象で、惟朔は片山さんから支配されることと引き替えに、ものごとを考え、決断することのない安楽と庇護、そしてちいさな線香花火のような快楽を与えられる。
―――惟朔となら、赤ちゃんができないし。
片山さんが洗面器に汲んだ湯で惟朔を洗って刺激して、そればかりか唾液まで用いて身悶えさせるのは、惟朔が射精に至らぬことを確かめる行為でもあった。
することは、なっちゃんにされたことと似たようなものだが、片山さんのほうがはるかに怖い。貪欲で、なんでも試そうとする。


『少年曲馬団』はぼくの知らない昭和30年代の府中のありようが眼前に浮ぶように描かれている力作である。
難をいうと題名の「曲馬団」で読者にサーカスの場面を、また少年たちがサーカスで活躍するイメージを与えるのにそれはまったく出て来ないこと。
せいぜい惟朔が先輩から鉄棒の大車輪を習うくらいである。曲馬団が暗喩なしい寓意としてももっとふさわしい題名があるのでは。

それと、青字にした箇所。
片山さんが惟朔に対する本音を理路整然と解説したのは小説として上策といえるかということ。小説はエッセイや論文ではない。
たしかにわかりやすくはしたが読者の考える余地ないし想像する空間を奪っていないか。小説の奥行は説明せず放り出すところにある。
たとえば川端康成ならここまで解説はしないだろう。そのへんに萬月さんの意欲が前のめりになる傾向と課題があるような気がする。
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1 コメント

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花村萬月 (小川めぐる)
2017-10-10 16:17:14
「イグナシオ」を読んだことがあります。
「少年曲馬団」も面白そうですね。
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