朝ビワを20個ほど採って食べた。
自宅から250mほどの公園。
粒が小さいが文句はない。太陽と水と大気が公園にこしらえたものであり人は作れない。
東京はビワの多いところである。
去年は自宅から500mほどの公園で収穫した。今年そこを視察すると枝がほとんど切らていた。
去年すごく実がついた。ぼくは脚立を運んで一生懸命採ったが手の届かぬやつが熟れてべちゃべちゃと落ちた。掃除したのだが落ちる量が多く万全ではなかった。
なぜ綺麗好き人間が集う首都でかくも地面を汚す木を植えるのが疑問であったが、やはり切られたか。
そこがだめでもビワはここのほかにもたくさんある。
ビワの思いでは40年前にさかのぼる。
24歳のとき妻の下宿に押しかけて1年間同棲した(その後結婚)。南こうせつの「神田川」がリリースされたのが1973年。
まさにこの歌の内容みたいな生活を二人で共有していた。タオルを肩にかけて二人で坂の下の銭湯に毎夜通った。
アパートではなく下宿。下に大家さんが住んでいて上の部屋を貸していた。
二階の屋根を越えてビワが繁茂していた。
夜、抜き足差し足で瓦を割らぬように歩いてビワをよく採った。
それだけでなく妻を相手にブレンバスター(プロレスの技)のまねごとをしてドスンドスンと騒いでいた。
大家さんが寛容であった。わけのわからぬ男が居ついていると知りながらなにも苦情をいわなかった。われわれはいつも感謝していた。
妻はビワ教徒といっていいほどビワに惚れこんでいる。
まず固い葉を湿布に使い煎じもし、実を焼酎につける。焼酎漬けにするためにあの小さい実の皮を剥かされる。しかしその焼酎をまだ飲んだことがない。
ビワは食べれば食べるほど実が出る。
実の皮剝きを思うとやや憂鬱。
ビワを採る時期は雨もよく降る。
毎朝ツーピーツーピーと鳥が鳴く。これを聞きながら茶を飲む。
雀、鴉、鶯くらいしか鳥は知らないので誰かに聞こうと思っていたら西国から新茶が届いた。
新茶を送ってくれた方が日本野鳥の会会員であった。
渡りに船、電話で礼をいうとともに、ツーピーツーピーと鳴く鳥の名を聞くと「それは四十雀です」と即座にいう。
「人によってはピースピースと聞く人もいるようです」とのこと。
よくツーピーツーピーで理解したものかと彼女の感性を称えた。
野鳥の句はほとんど書いていないが最近多摩川で桑の実を摘んでいて頭の上でよく鳴いてくれる。
一つの木に何羽も集まってすごい騒ぎをしていることもある。
ぼくが桑の実を採るのは酔狂だが彼らは必死に生きているのだな。
そんなで野鳥が以前より興味深くなってきた。
ホトトギスは高いところを飛ぶのでほとんど姿を見ることができない。ぼくにはテッペンカケタカ テッペンカケタカと聞こえるがこれはツーピーツーピーで何鳥と聞くより人に通じない擬音だろうな。
日本語に占める擬音語擬態語の比率はすごい。
ぼくは困ったときかなり擬音語擬態語に頼っている。頼り過ぎなだあと反省して観察に戻る。
日本語はツーピーツーピー文化といっていいだろう。
ラテン語族からみていかに情緒的な言葉だろうか。言葉の論理性からほど遠いので俳句短歌など誰でもできる詩文芸が発達したのだろう。
ドイツ人は四十雀をなんと聞くのであろうか。
ツーピーツーピーで通じるのか。何かを認識することは人によって千差万別。分かりあえないのが当たり前なのかもしれない。
今朝もツーピーツーピーと鳴いてくれる。
きのう国分寺市立第7小学校の運動会を見た。
ぼくが小学生のころ運動会はもっぱら秋に行われた。歳時記も運動会を秋としているがこのごろ初夏に行う学校が多い。
さていつか歳時記は運動会を夏と規定するようになるのか。夏と秋が戦っている。
恙なき地べた平たし運動会
運動会は人の世のことゆえ人の事情で季節は移ることもあろう。しかし世の中が平穏でなければこんな平和なことはやれない。
あるていど平らな土地があること。そこに地滑りや地割れがないことが大前提である。津波や地震がない土地であることを寿ぎたい。
雲中にぼつてりと日や栗の花
小学校へ行く途中おびただしい栗林がある。いまその花盛り。老いた男も発情しそうな匂い。
端つこにリヤカーありぬ運動会
校庭のすべてが動いているなかで暗がりにひっそりとあるリヤカー。内閣官房長官菅義偉氏の渋みと存在感をリヤカーに思った。
足跡を蹴散らす足や運動会
子どもたちの靴が上等である。ぼくらのころは靴といえば月星のズックであったが今はカラフルで型も多彩。こんないい靴を履ける国はすばらしい。たとえばマリ共和国で靴を履いている子の比率はいかほどだろう。
運動会はとにかく足がよく動く。砂は足の動きをしっかり伝えてくれる。
砂は足とからむのみならず退屈な子の手とも親しい優れものである。
運動会手すさびの砂風に舞ふ
曇天で日差しが鈍くてよかった。初夏の風はさわやか。
風涼し飛び跳ねる子に投げる子に
空腹に太鼓響きぬ運動会
スピーカーから流れる行進曲にうきうきする。一方ドンドンと鳴る太鼓は腹に効く。何もしないで見ていとかえって空腹に敏くなる。
生え揃はぬ歯もて笑ひぬ一年生
ややの乳歯が抜けてから歯が凸凹。すると横の子も同様でニッと笑う。永久歯が生え揃わないころの自分をもう思い出せない。
行き交う人みな自分より年下と思う。
まはり皆われより若し運動会
緑陰に屈む子尿してをりぬ
大きな桜の木があり緑陰が豊か。緑陰は涼むだけでなくいろいろな用途がある。
ゆうべ5時半ごろからオバマ大統領の広島訪問のテレビ中継を見てしまった。5時45分から阪神対巨人を中継したがしばらく野球を見ず広島を見てしまった。
オバマ大統領と安倍首相が並んで歩き親しそうに会話する姿は絵になったし、両者の風格が政治ショーを盛り上げた。政治家の見てくれが大事なことは俳優以上かもしれない。
オバマさんのスピーチは抽象的平和論に終始した。それならあんなに長く話す必要がなく半分に切り詰めてもいいと俳人は思うのだが、ある時間を費やすことが政治ショーには必要なのだろう。
被爆者を抱き寄せてささやくとはオバマさんは名優であった。さすがはハリウッド映画を持つ国の首長である。
むかしモハメド・アリとアントニオ猪木が異種格闘技戦を行った。まともにからまない空虚な印象を与えたショーであったが、今回のショーは遺恨試合の印象を払拭して世界に加害者被害者の奇跡的な蜜月をアピールして見せた。
安倍さんは経済政策でまとまらないであろう伊勢サミットを前戯にしてオバマさんとの広島を本番にしたのではないか。したたかであった。
この二人のあと日米の首長は誰になるかと見れば梅雨冷えの状況である。
民進党の岡田代表が何か言っているがほとんど負け犬の遠吠えに聞こえてならない。安倍さんの敵ではなかろう。しかし自民党の中にも安倍さんを継ぐ実力者が見えない。
アメリカはもっとひどい。
ヒラリーさんはメール問題で大統領どころではなさそうだし、一方トランプ氏はアメリカの金 正恩という感じ。なにをしでかすかわからず世界の混乱を招きそう。
きのうの広島での両国の首長の並び立つ映像が原爆ドームのような遺産になりそうに思えて不気味である。
孫を怖がらせる仮面第2号を作った。名付けて「モジャモジャマン」。
1号は平面的なしょぼいやつだっがこの「モジャモジャマン」は飛躍的に進化させた。
先日、蕗の皮を剥いていたら孫が来た。
蕗の皮を頭に載せたらキャッキャと喜んだのでこれを頭髪にしようと思い立った。
あとの材料はすべてアパートに出たゴミ。リユースというやつだ。
いざ脅かそうとしたら下の4歳児は眠そう。
夜泣きわめく可能性もあり十全に脅かすのがためらわれる。
次に来た一年生にガォォォォォォォ!とやってみたが彼女はもう大人。にこにこするだけでちっとも怯えない。
なんでそう早く大人になってしまうのだ。つまんないなあ。
思惑がかなり外れた。
作っている最中じじだけが興奮していた。
それはいい時間であった。
誰か夜道で誰かに試してみようか。
ガォォォォォォォ! お巡りさんが来てハイ手錠となるか。