天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

鷹60周年記念大会に出席したい

2023-12-20 06:05:58 | 俳句



鷹は来年、創刊60周年を迎える。鷹主宰が「鷹同人会ニュース139号」で、それを高らかに告げている。その記念行事は、記念大会と記念号とのこと。
主宰がとくに力を入れて訴えているのが以下のくだり。
「私からのお願いです。まずは記念大会にふるってご参加下さい。会場費、飲食費が値上がりしたため、会費も高めになります。主席者にはせめてものお礼に来年六月刊行予定の私の自註句集をプレゼントします。」
2024年6月29日、京王プラザホテルである。
うーん、このお願いは泣けてくるぜ。「高め」とは2万円か。これが25000円でも30000円でも参加するつもりである。そのころ近親者が死ななくて小生が立って歩けるかぎり。

鷹が創刊されたのが、1964(昭和39)年。そのときの様子を『藤田湘子全句集』巻末の年譜が以下のように伝える。(年譜編集:山地春眠子)
昭和39年(1964)38歳
1月、「馬酔木」新年例会終了後、千代田葛彦と懇談し新雑誌の構想を披歴、協力の確約を得て、具体的な準備に入る。2月、葛彦宅で湘子・酒井鱒吉等が歓談、新雑誌名を「鷹」と決定。3月、湘子は秋櫻子と会い、「鷹」発行の主旨と目的を説明、了承を得た。4月、「馬酔木」編集打合せのため、秋櫻子を訪問した湘子は、名古屋馬酔木会の内紛と「鷹」との関連について質問を受けた。この頃より「馬酔木」内部における「鷹」への反感が増大。
6月30日、「鷹」創刊号(7月号)を発行。代表同人となる。同号出句の同人は90名、それを含めて出句者総数348名。7月1日、湘子は創刊号を秋櫻子宅に持参。
「鷹」は「馬酔木」の結社内同人誌、新人を育成して「馬酔木」へ送り出そう、「馬酔木」が「文藝春秋」なら「鷹」は「文學界」、という立場での出発だった。主要同人は相馬遷子・堀口星眠・千代田葛彦・有働亨・澤田緑生・古賀まり子・小林黒石礁。発行所を品川区小山5-8-6 桜岡素子(現・星野石雀夫人)方に置く。発足時から「鷹」の事務・経理を主宰宅と分離しようというのが湘子の意向であった。

簡潔にして当時のエネルギーを感じる文章、さすがは春眠子さんである。さぞかし鷹の船出には大波があったのだろうと推察する。
小生が鷹に入ったのが平成2(1990)年だから来年で34年在籍する。今や鷹は息子より若い人がいっぱいいて活躍していて年を取ったなあと思いつつ、ふと、小生より古い人は誰か。気になって、むかし同人会ニュースを一緒に編集して気心の知れた春眠子さんに電話した。
ぶしつけな電話にこころよく答えてくれた春眠子さんによると、布施伊代子さんより細谷ふみをさんが長く(両人とも日光集同人)さらに長い人に、高橋正弘さんがいる、彼がたぶん一番長い鷹在籍者ではないか、という。鷹創刊2年目に入ったから来年で59年である。その高橋さんは今回、新同人になる。苦節59年である。よく辛抱したものだと仰ぎ見る思いである。
仮に彼が30歳のとき鷹に入ったとして89歳である。あっぱれ鷹人生。小生より25年も長く鷹の歴史からんできた。敬意を表したい。
高柳編集長に「鷹在籍年数ナンバーワン」という彼の顕彰企画を進言するつもりである。

高橋さんの存在を知るまで小生が一番会いたいのは、藤山直樹さんであった。彼とは2011年4月号「星辰賞」で彼が5点、小生が4点のつばぜり合いをした。当然5点の藤山さんが受賞なのだが土壇場になってまやさんが彼の支持から下りて小生に加担してしまった。彼から見れば背信で小生の棚ぼた受賞。「そりゃあないぜ、まやさん」と小生が思ったくらいだから藤山さんはもっとそう思ったのではないか。この因縁はずっと付きまとっていて、13年ぶりに顔を見たいのである。
彼は精神医家であり精神分析家。フロイト流精神分析の国際認定を受けた日本に数えるほどしかいない泰斗。東大、上智大などで教鞭をとる。鷹にはほかにも錚々たる才能がひしめく。来年の6月はできるだけ多くの人と話をしようと思っている。
とにかく来年のそのころ、近親者が死なないこと、小生が健在であることを祈るのみ。
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