天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

湘子『黑』6月下旬を読む

2024-06-28 06:30:44 | 俳句

黒鐘公園にて



藤田湘子が61歳のとき(1987年)上梓した第8句集『黑』。荒行「一日十句」を継続していた時期であり発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の6月下旬の作品を鑑賞する。

6月21日
赤坂へ着くころ蒸して梅雨夕日
「赤坂へ着くころ蒸して」という一連の流れが叙情を醸す。「梅雨夕日」は凝った表現。梅雨空に鈍い光の太陽が沈んでゆく。

6月22日
五月雨やひそかに人を訪ひ心
「ひそかに人を訪ひ心」は懸想ととるべきか。思い人と解釈するのが一般的であるがさて作者にそのような人がいたのか。異性への思慕だけではなく会いたい人なのかもしれない。思わせぶりの句である。
(いぬゐ)より風が吹くなり夏至の家
乾は北西。北西からの風は涼しいかもしれないがそれでどうなんだ、という内容の句。

6月23日
十薬やこのごろ太り人形師
このところ先生の句は気合が入っていない。人形師が太ろうと瘦せようと作者にどんな影響があるのか。
緑蔭に到り前途を忘れをり
よほど暑かったと思われる。緑陰に入ってもう出たくないわい、という気分が見える。

6月24日
くちなしの花捨猫の鳴くことに
芳香を放つくちなしの花のわきで猫が鳴いている。捨てられたらしい。「鳴いてをり」とせず「鳴くことに」として屈託の感情を加味したのが作者らしい。

6月25日
金蠅の中弱き猫とほりけり
「金蠅の中」はどこか。200匹は群れている感じ。「弱き猫」だから猫のほうが怖がっている。なかなかついていきにくい情景である。
暮れてゆく裏の田が見え天瓜粉
田植えが終わり「植田」となっている。稲はかなり伸びて風にそよぐ。この句の「天瓜粉」は光る。縁側で涼みながら汗の始末をしている人が見える。
鰻屋に富士見てをりし夫婦かな
富士が見えて鰻を食えるのはどこか。まず浜名湖あたりを思った。鰻を食べながら富士を見やる夫婦というのは決まっている。円熟の夫婦が感じられる句である。小生は若いころこの句を「鰻屋に富士を見てゐる夫婦かな」と記憶した。また読んで違うことに気づいて面食らっている。小生が誤って記憶したもののほうが出来がいいと思う。先生に問いたい気持ち。

6月26日
卯月浪寄すふるさとを死処とせず
ふるさとは小田原である。首都へ出て大きな結社を率いている。活躍の場はふるさとではないのである。
日暮れとも梅雨ともわかず揚羽とぶ
「日暮れとも梅雨ともわかず」は湘子にしてはやや大雑把。「日暮れとも靄ともわかず」ならこの並列はもっと効き目があるのでは。あるいは「狭霧とも梅雨ともわかず」とか。そのへんは杜撰っだが「揚羽とぶ」は映える。

6月27日
すぐ倦みぬ米搗蟲の叩頭(こうとう)
コメツキ虫は知らなかった。ユーチューブで見学したが、叩頭、頭を下げるというようなものではなかった。仰向けにひっくり返っての死んだふりの時間が2、3分続く。そのうち頭を上にぴょこぴょこ動かしたかと思うと20㎝も撥ねる。敵を威嚇するのだそうだが、湘子の見たコメツキ虫はしゅっちゅう頭を下げていたようだ。この句はわからない。

6月28日
西へ発つ心きほひや蟬丸忌
作者は西への意欲が旺盛であった。ほかにも「水母より西へ行かむと思ひしのみ」(狩人)と書いている。蟬丸は『後撰和歌集』に「これやこの行くも帰るもわかれつつ知るも知らぬもあふさかの関」を遺してをり、この歌が西への気持ちを駆り立てたのか。
鉤鼻を片照らす燭パウロ祭
パウロが鉤鼻であったかどうか知らぬが西洋人の一例として鉤鼻は効き目がある。おまけに「片照らす燭」ということで顔の造形がくっきり見える。よって欧風の季語が生きる。
ふるさとに曽我の里あり虎が雨
曽我の里は梅林に人が集う小田原市の観光名所。「虎が雨」という季語は、陰暦5月28日に降る雨のこと。この日曽我祐成が斬り死にし、それを悲しんだ愛人の虎御前 の涙が雨となったといわれる。観光パンフレットに載せればいいような句。

6月29日
空飛びしことを記憶に鱧料理
鱧は飛魚のように空を飛ぶのか。海にはうとくよくわからないが事実ならおもしろい。

6月30日
白蚊帳のにほひしだいに身の中に
青蚊帳しか知らないが白蚊帳に落ち着いて寝られるのか。白いものが眼の上にあるのだ。この句の湘子は眠っていない。「にほひしだいに身の中に」をえらくリアルに感じる。
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