天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

パラリンピックにおける分類の問題

2021-08-31 06:14:23 | スポーツ

力泳の山口尚秀選手


8月30日付毎日新聞が「圧巻の泳ぎだった。ラスト20メートルで一気にギアを上げると、唯一競り合ったジェーク・マイケル(オーストラリア)を置き去りにした」と興奮気味報じたのは、男子競泳100メートル平泳ぎで優勝した山口尚秀選手のこと。
颯爽と水から上りインタビューに応じた彼のどこが「知的障害」がいぶかしんだ。そう言われなければインタビューでの問答からはわからない。テレビが知的障害の内容を「自閉症」と踏み込んだので納得したのであった。本人が置かれていて立場の苦しさに言及し、その母が、ひとつのことに集中するという自閉症の特徴を生かしてくれました、というようなことをおっしゃった。
パラアスリートや彼らを支える人々の前向きの発言でいろいろな障碍のことを市井の人々が考える場になるのであればこの大会は役に立っていると思った。小池都知事が学ぶ場になるといって児童・学生の入場制限に難色を示したのも理解する。

新聞を見ていると、「運動機能障害S7」「視覚障障害S13」「視覚障障害S11」といった用語が目を引く。トライアスロンで「運動機能障害PTS5の谷真海は10位だった」という文言があったりして、障害の重度を綿密に分類していることを知った。
ある車椅子の選手が障害の重度を引き下げられて最下位に沈んだということもあった。彼がそれをそう悔んでもいず、最高の走りであったと述懐したのにホッとしたが、多くの選手はメダルを取ることに全身全霊をかけていて、人というのはとことん競争するのが好きな生き物だと痛感した。
1番を取る、2番を取るということになると、障害の重度によるクラス分けはえらく重要な要素になってくる。クラス分けの発想を進めていくとオリンピックにおけるトランスジェンダー選手の問題も浮上してくる。
もともと男性であった選手が女性として、もとから女性である選手と競うことに後者から不満が出るという問題であり理解できる。「オリンピックは出場することに意義がある」という名言ははるかかなたのものである。

人間は競争が好きで勝って興奮し負けて泣くのである。オリンピックもパラリンピックも。
競争する場合、どうしてもクラス分けという発想が出てくる。人と人を分けるというのは暗い危険な要素をはらむ。
「自閉症」ひとつ例にしても、この言葉で括られている人たちのそれぞれの内容はえらく違う。菊と桜と曼珠沙華が同じ花というカテゴリーであってもえらく違うように。
競争というのが危険な要素をはらんでいる。けれど人間は競争しないではいられない生き物である。
人間性を考えると分類というのはナチス:ユダヤを思い好きではないが、競争を考えると分類せざるを得ない。パラリンピックを見ていて分類の問題、その難しさを強く意識した。

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大阪府知事の野戦病院を支持する

2021-08-30 05:07:16 | 政治



大阪府の吉村洋文知事は28日、民放番組に出演し、「大阪で野戦病院を作る」と述べ、新型コロナウイルス患者を受け入れる1000床規模の臨時医療施設を設置する方針を表明した。大阪市住之江区にある国際展示場「インテックス大阪」の利用に向け、同展示場の運営に関わる大阪市の松井一郎市長と調整しているとした。

新型コロナウイルス関連で大勢の政治家がさまざまなことを言ってきた。小池東京都知事の「東京アラート」「ロックダウン」「パンデミック」などの和製英語、片仮名の浮ついた言葉が去年メディアに踊った。菅首相はオリンピック・パラリンピックの開催と感染症増大の危惧について何度問われても発言をずらし、核心に向いて言葉を発しようとしなかった。それが彼の支持率低下に結びついているのは明らかであろう。
他の閣僚にしてもたいした政策がないのにいかにも働いています、という発言を繰り返し自分を守ってきた感じがする。
それに比べて今回の吉村知事の「野戦病院」計画には実(じつ)を感じ、「実のあるカツサンドなり冬の雲 軽舟」なる句を思い出した。

政治家のみなさんはそれぞれ一生懸命何かしているのだろうが、外出自粛と飲食店経営者に無理をさせたことばかりが印象に残っている。
予防接種をしなさいと声高に叫んでも薬が追いつかないとか異物が混入したとかのマイナス要因が足を引っ張る。
結果、病院が収容できない感染者は自宅で寝ているしかない。ゆえに野戦病院というのはわかりやすい。もっといい政策、それは感染した病人に投与して治す薬があることだが、世界を見ても夢のまた夢であるから野戦病院をあつらえるのは現実に適っている。

既存の箱ものを利用するのは現実的である。「インテックス大阪」は国際展示場ということだが展示はこのさいしなくてもどうということはない。病人の回復に使うというセンスを支持する。吉村知事のほかの言動はまるで知らないがこの事に関してはアイディアを発揮した。久しぶりに政治家の言葉に中身を感じた。
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女は暑く女性は涼しい

2021-08-29 05:52:53 | 俳句



当ブログで「鷹9月号小川軽舟を読む」で取り上げた次の句。

本を読む女性電車を涼しくす 軽舟

山野月読が、
俳句で「女性」というのは始めて見た気がします。ここではこの「女性」が効いていて、「女」ではここまで涼しくなりません。
と言い、それに小生が
そう、ここに「女」と「女性」の差をまざまざと見ます。
と答えた。月読はいいところに気づいたと思った。実は小生も女と女性の呼称がもたらす雲泥の差について言おうとして、そっちへ舵を切ると別のテーマになると判断して止めたのであった。

月読が知らないという男性の書いた女性の句を調べていて以下のようなものに遭遇した。

春星や女性浅間は夜も寝ねず 前田普羅
蔭に女性あり延び延びのこと枯柳 河東碧梧桐

よくわからない句で頭をひねったがやはりわからない。
これに比べて軽舟句のわかりやすいこと。俳句はわかりやすさが大事であると痛感した。それでいて深みのあることも。

女と女性があれば男と男性の差も同様である。
三十年ぶりの男とかぎろへる 須藤妙子

平成3年の作であり彼女はもう鷹にいないが相当注目していた大先輩である。この句に関してではないが湘子は一般論として「男」に言及し「俳句で男と書けば深い関係だ」と断じ、なるほどと頷いたことを思い出す。
湘子が兄と慕った石田波郷に
女来と帯纏き出づる百日紅 石田波郷

がある。ここに出てくる女は物売りなどではなく波郷が関心を持っている存在と読むべきであろう。身づくろいしてよい印象を与えないとまずいという心理はすでに男女関係の走りである。百日紅もそれを暗示する。
女性には性の匂いが希薄であるが女にはそれが濃厚である。性が付いているのに性の意識が希薄な女性という言葉と、性がないのに性の意識が濃い女という言葉。言葉の不思議をつくづく思う。

女と女性、男と男性のほかに、言い替えることができる例はざっと思い浮かべるだけでも以下のようにある。
ママと母、パパと父、ナースと看護婦(看護士)、シスターと修道女、ミルクと牛乳、スプーンと匙。
母をママと、父をパパと真面目に書いた俳句を自分が生きている間に読みたくない。軽い乗りでおもしろい句が出来するかもしれぬが真面目では困る。
先日コンビニでカップのアイスクリームを買った。匙をつけてくれないので匙を要求したら青年がきょとんとした。ああ彼との間ではスプーンという言葉しか通用しないのか。言い替えの効く言葉を使い分けるのは時と場合による。

「女性」で成した一句は新鮮であり涼しいのである。


撮影地:国分寺南部、谷保天満宮近く

コメント (2)
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母は孤立して子を虐待する

2021-08-28 07:19:44 | 世相


InternetExplorerの読売新聞(2021/08/27)に
「子どもへの虐待、初の20万件超…ステイホームで家庭内の衝突も一因か」
という記事が出た。
全国の児童相談所(児相)が2020年度に対応した18歳未満の子どもへの虐待件数は、前年度比6%増の20万5029件(速報値)で、初めて20万件を超えたことが27日、厚生労働省の集計で分かった。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「ステイホーム」で家族が一緒にいることが増え、家庭内の衝突につながった例もあると同省はみている。
同省が全国の児相(220か所)で対応した虐待件数を集計した。前年度より1万1249件増えており、統計を開始した1990年度以降、30年連続で増加。15年度(10万3286件)からの5年間で倍増した。

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嬉しくない事態である。当然、虐待はあってはならぬことであると思うが、うら若き母が虐待に及ぶ気持ちも充分理解できる。
それは小生が人生ではじめてまともに育児に関わったから母の気持ちがわかるようになったと思う。
本来なら二男家族とは独立してこちらは悠々自適とやらで生きたかったのだがさまざまな理由で二世帯同居家族となった。同居するとしょっちゅう子どもが俺のところへ来る。
一応営業時間は7時~12時、18時~19時としているがそんな区切りを子どもは簡単に踏み越える。いまは13時~15時まで昼寝も担当するし何でもこなす。
妻も育児・家事をし、息子の嫁は新生児に没頭し、それはそれで忙しそうである。つまり二人の子を見て家を維持するのに大人三人がフル回転している。
これを核家族で母一人がこなすのはものすごいことだと思う。すごく優秀な人でも労働量の多さと精神的な負担と、社会から隔絶した孤独感はいかばかりかと思う。その鬱憤が子どもに向かうのは自然の流れともいえ、認めてはならないが、理解の及ぶことである。同情してしまうのである。

自分の母はどうであったか。
農家の嫁であったからものすごく大変だったと思う。義父、義母がいて父の弟がいた。子どもはぼくのほかに二人いた。家事と育児をしながら農作業もそうとうやった。したがって手の行き届かないのは当然であった。その最たるものは洗った洗濯もの(下着類)が父と子どもたちと全部一緒に大きな段ボール箱に入っていたことである。ぼくらは下着を共有していたのではないか。
母が野良仕事に参加できた背後に祖母がいたと思う。2~4歳の記憶はないが祖母がぼくを見なかったら母は野良へ出られなかったであろう。田んぼの隅で箱に入っている子どもの写真はぼくらのうちの誰かで、それは祖母の手が及ばなかったときであろう。田んぼの隅を見ながら稲を刈ったのかもしれない。
母は大変であったと思うが孤立していなかったであろう。父に愛され祖父や祖母から可愛がられていた。ぼくらも。

タゴール暎子は日本の上流家庭に育ち、インドのバラモン階級の家に嫁いだ。詩人タゴールを輩出した家系である。彼女の書いた『嫁してインドに生きる』には、「ジョイントファミリー」が出てくる。
つまり瑛子さんの嫁ぎ先は複数の世帯が集合して一家をなしていた。家事、育児を担当する雇い人がいてさらに大勢で家を営んでいた。
ここまで人が多いとプライバシーもへったくれもなく、これはこれで大変であるが、いまの日本の、特に都市部の一家3~4人体制というのは人が孤立しやすい仕組みではないか。個人尊重路線のなれの果であるが個人はそう強いものなのか。人は人を助け、人から助けられてやっと人は尊厳を得て前へ進むことができるのではないか。
子どもの虐待、それはあってはならないが、そうなる仕組みもなんとかしないとこれに根本的に対処できないのではなかろうか。
母が孤立しないように、母が社会から評価されることが切に大切である。育児をやってみてわかったことである。




今が食べごろのヤマボウシの実
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上野千鶴子氏の貴重な見解

2021-08-27 07:12:45 | 世相


© AERA dot. 提供 上野千鶴子さん (撮影/加藤夏子)

報道によると、東京オリンピックの開催後、それに反対していた70%が50%に減ったという。オリンピック見ておもしおかったし選手も頑張ったし、まあよかったのでは、というふうに人の気持ちが傾いたと思われる。既成事実をつくられて気持ちがなし崩し的に変ってゆくわれわれ日本人。短歌・俳句・川柳にいそしむ情緒民族の危ない精神構造に異を申し立てた上野千鶴子氏の見解は立派である。週刊朝日(2021年9月3日号)に発表したもの。

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 東京五輪は巨大な負の遺産を残して終わりました。
 東京五輪開催の主催者だった5者に対する信頼はことごとく崩れました。IOCの商業主義があからさまになり、JOCの無力さがみえすき、五輪組織委の寄せ集めと無責任体質がはっきりわかり、政府の独善と強引さ、東京都の無策が伝わりました。
 五輪の開催期間中にコロナ感染者は都内で1日あたり5千人超、全国では1万人を超え、死者の累計は1万6千人近くに達しました。東日本大震災の死者数と同じです。これがもし1年半にわたって続く災厄でなく、短期間に起きた災害なら、五輪開催はあったでしょうか。医療現場はすでに「災害医療現場なみ」と言われています。東日本大震災の時と同じように、ありとあらゆる医療資源を現場に動員しなければならない時期だと思います。それなのに、コロナ感染者が自宅療養を強いられる事態に。医療先進国だった日本の医療の脆弱さと政府の無策に開いた口がふさがりませんでした。「医療崩壊の危機」どころではありません、医療崩壊そのもの、コロナ感染が陽性と判定されても何の治療も受けられない「棄民政策」を政府が堂々と口にするとは。国民はもっと怒って当然です。
 スポーツ界やアスリートに対する反感すら生まれたように思います。さかのぼれば森喜朗オリパラ組織委会長辞任に際してのスポーツ界の沈黙は不気味でした。現役アスリートたちが、利権と金にがんじがらめになっていることがわかりました。アスリートは五輪に人生を賭けてひたすらストイックに鍛錬に励んできた人々、彼らを責めるのは筋がちがう、という声は多く聞かれましたが、メダル獲得後に彼らが口にしたのは、五輪開催にこぎつけた主催者とそれをサポートしたひとたちへの感謝だけでした。同じ時期に自宅療養を強いられるコロナ患者や、疲弊した医療者への配慮や同情は聞かれませんでした。人工呼吸器をつけてコロナと闘っている患者や医療者が、アスリートから「勇気と感動を与えたい」と言われても、素直に受けとれるでしょうか。「アスリート・ファースト」とは、アスリートのエゴイズムかとすら思えます。
 五輪開催による政権浮揚策は、失敗に終わりました。五輪閉幕後の菅政権の支持率低下がそれを物語っています。この「翼賛体制」に協力した文化人、芸能人、タレントたちの総括も聞いてみたいものです。参加者全員がマスク着用で登場した開会式と閉会式、五輪史上異様なその映像をドキュメンタリーに制作する役割を背負った映画監督の河瀬直美さんが、この問題だらけの大会をどんなふうに記録するか、興味があります。
 五輪の虚構がこれだけあきらかになった日本が、この先の将来、ふたたび五輪を誘致することは二度とあるまい、と思います。莫大な授業料を払って日本と日本人が学んだのはそういう負の遺産でした。
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特に、「アスリートは五輪に人生を賭けてひたすら……同じ時期に自宅療養を強いられるコロナ患者や、疲弊した医療者への配慮や同情は聞かれませんでした」の6行は見逃しがちなところで、選手もわれわれも心すべき点ではなかろうか。正鵠を得ている見解と受け取りました。彼女の勇気に拍手です。

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うえの・ちづこ/1948年、富山県生まれ。社会学者、東京大学名誉教授。専門は女性学・ジェンダー研究。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長。近著に、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)、『情報生産者になる』(ちくま新書)、『おひとりさまの最期』(朝日文庫)。
週刊朝日(2021年9月3日号)


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