天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

流星道場から退場をお願いした

2024-06-17 06:20:07 | 俳句




仮に石井麻美子としよう。彼女についに流星道場から退場を通告した。
20年に及ぶ長い俳句の付き合いであったがついに縁を切ることを決断した。理由は無断欠場である。
麻美子は20年以上前、福岡の重鎮、梯寛氏の招きで吟行に参加したときそこにいた。小生より一回り以上若かった。職業はナースとかでぽっちゃりしてかわいい。彼女に看護されての入院もいいかとあらぬことを思ったりした。その縁で梯氏ともども小生の立ちあげたネット句会(どすこい句会)を一緒するようになった。
まだ「俳句の壺」がない時代であり、掲示板に幹事のところに集まった俳句を幹事がシャフルして番号を振って並べるという作業をした。
幹事は交代でのこの作業をして句会を運営した。年配者は句のシャッフルだの番号を振っての配置などできず、いきおい幹事は何人かにかぎられた。それに疲れてきてどすこい句会を閉鎖、幹事ができる人のみ集めて現在の流星道場を立ち上げた。

麻美子はパソコンができるので流星道場で引き続き付き合うことになった。何年かして格上同人を入れたくなった。滋賀県の月光集同人、岸孝信氏を口説いて来ていただいた。彼は句作、論評に優れ句会に一本柱が立った気がした。
ここで麻美子がどえらい失態を犯した。掲示板に全句が載ってから選句して句評を書くのを一週間もほったらかたしたのである。ほかにもルーズな二三人がいて座長は憂慮したがなかでも麻美子はだらしなかった。これで注射など間違えずやっているのかと思ったほどである。
岸さんは小生同様仕事がはやく几帳面な方。ついに怒って去ってしまった。「座長、岸さんを引き留めて」と言われたができなかった。ぐうたら会員がかくもいる句会には呼び戻すのは無理と判断した。流星道場にとって最大の損失であった。この原因が自分であることに麻美子はたぶん気づいていないだろう。それが問題なのだ。
このとき麻美子を辞めさえようと思ったが我慢した。

流星道場に俳句の壺を導入したとき時間管理がしっかりできることも大いに喜んだ。ルーズな麻美子みたいな人も枠にはめてくれる。岸さんがいたといき俳句の壺があったらと思ったものである。
しかし人の持つルーズさは機械によって解決できないことを知った。
無断欠場である。どうして人はかくも問題を起こすのか。
締切日の朝、投句がない人に電話して様子をうかがうようなことを以前したがそれも疲れてもうしない。自分で自分を律することができずに俳句などおこがましいではないか、という気分。

今回も麻美子は「締切日を失念していました」と弁明する。人は忘れることはあるが毎月やっている句会の20日をそうたびたび失念するのか。ナースが痴呆になっていたら患者は死ぬぞ。
麻美子のいう失念がどうしても解せぬのは、投句は忘れずにして選句を怠ったこともあるからである。ふつう投句と選句はセットで頭の中に入っている。投句と選句との間の時間はそう長くない。それを失念してナースをやっていけるのか。
彼女が医療関係者だけに頭の中のもろもろの事情が気になる。
俳句をやっていて人と付き合っているだけでさまざまな問題が出来する。頭の中、心の中の事情はまるで未知。人というのはきわめて厄介な存在だとあらためて思う。
麻美子よ、どこかで元気で俳句を書いていてほしい。

コメント
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