鷹同人の加儀真理子(出雲)の病気を知ったのは昨年の鷹11月号であった。
検温の幽けき音や朝曇
病床に聴き入るサザン雲の峰
火蛾払ひ薬臭の身を持て余す
仙人掌の花や気弱を打ち払ふ
以上の4句が大きい字で印刷されたからである「火蛾払ひ」は小川軽舟特選である。
彼女とは面識があり談笑したこともある。中央例会か大会のようなとき来た。よく来たなあと思った。たいてい妹の三代寿美代と一緒であり、妹がキャンキャンした感じなのに対して彼女は姉らしくしっとりしていた。
俳句のおもしろさと発想は妹に譲るが真理子さんはしっかりしたけれんのない句を書き続けている。
彼女の病状が気になって三代寿美代に事情を聞いたが返信がない。そりゃあそうだろう。ぼくが逆の立場なら答えたくない。
それで加儀真理子の病気に関する句をまとめてみることにした。
守宮鳴くてろてろ触る手術痕(9月号)
彼女が病気に関して書いた初出は去年の9月号であった。いきなり「手術痕」で驚いた。その前の号をいくつか読んだが病気の気配がなく突然、「手術痕」である。ということは5月頃すでに発症していたことになる。
迂闊にも癌に宿貸す浮いてこい
機器に四肢捕らはれてゐる夜の雷
遠雷や病床に爪伸びゐたり(10月号)
去年の10月号を読んで病気は癌であるとわかった。三代が返信しなかったのは、姉の句を読めばわかるでしょ、ということだったと思う。「迂闊にも癌に宿貸す浮いてこい」のユーモアはふるっている。このとき加賀はまだ余裕があったかもしれない。
身に入むや移植の皮膚をそつと撫づ
ほんたうは泣きたい月に背を向けて
うそ寒や頑張り時のピターチョコ(12月号)
「ほんたうは泣きたい…」は巧い。ここで巧いという評は場違いかもしれぬが身に沁みる。
鎮痛剤効き目生半稲光
傷口へ痛みづかづか秋黴雨(1月号)
この2句もユーモアの感覚がただよう。
春寒や眠られぬ夜の恐ろしき
寄居虫や癌の再来断固拒否(6月号)
春驟雨食ふにも力要ることよ
病臥して耳聡くなる春の宵
春深しもの食ふ夢よ笑ふ夢
さへづりや痛む我にも朝が来て(7月号)
新緑や生きて成すことまだあるに
未来図になかりし病臥青嵐(8月号)
蕺菜の蔓延るやうに癌もまた
子鴉や呼ばれて帰る家がある(9月号)
癌を蕺菜(どくだみ)と感じている。わかる。6月号で「癌の再来断固拒否」と願ったのが虚しかったようだ。
子鴉や崩れさうなる空元気
遠雷や枯木のような我が手足
痛みなき時間の欲しき夏つばめ(10月号)
加儀真理子はおそらく去年の5月ころ、癌にかかったのに気づき、以後ずっと闘病生活をしている。今年の1月号から5月号にかけて癌の句を発表していない。欠詠したわけではなく癌と関係ない句を書いている。病気が寛快したのであろう。しかし再発してまた手術したような気がする。
ここに加賀の句をまとめて読んだのが見舞いのようなものである。物品を贈れば病人はよけいな気を使うだろう。句を読んで痛みを多少感じるくらいしかできぬ。
2008年5月5日、加賀真理子、三代寿美代、それに二人の母である古川英子と出雲市斐川町の古川邸で茶を飲んで談笑したことを昨日のように思い出す。
旧家といっていい凄く立派な木造家屋であった。土間が奥まであって暗く、柱や梁が太く立派であった。5月の涼しい風が通り抜ける向うに青田を眺めながら茶を喫した。
三代に出雲大社へ連れて行ってもらったのだがそこより古川邸のほうが印象に残っている。古川英子はすでに亡く娘の一人が病んでいる。時の流れを感じる。
加儀真理子はまだ60代半ば。頑張って生にしがみついていてほしい。何もしてやれないが。
写真:多摩川の曼珠沙華