天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

今野福子の玄妙な世界

2023-05-31 05:54:45 | 俳句



鷹6月号は今野福子が月光集巻頭であった。以下の5句である。

陸奥一之宮なるほどの花吹雪
一之宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。陸奥では鹽竈(しおがま)神社が千年以上の歴史を誇るそれである。中世は、奥州藤原氏、仙台藩藩主となる伊達家からも厚く崇敬されてきた。
この句は鹽竈神社の花吹雪を称えているのだが、感心したのが「なるほどの」である。「なるほど」は副詞と感動詞があるが副詞に「の」を付けて形容詞的に使えないから分析すれば<感動詞+の>であろう。そうだそうだと相槌を打つ感じで花吹雪を称えている。「なるほどの」は今野の専売特許ではないがこれがはまったのは冒頭の「陸奥一之宮」の厳かさゆえである。

啄むにもはらの鳩や朝桜
今月発表した5句のうちで動詞がしかとあるのはこの句の「啄む」と次の句の「帰りけり」だけではないか。この「啄む」も「啄むにもはら」と展開して動詞が目立つのを抑えている。動詞は一句を鮮やかに立たせる品詞であるが今野は動詞の力を殺いで句を鎮めようとしているように感じる。
鳩は俳句にそうとう詠まれてもはや新鮮な素材ではない。この句は鳩が一生懸命食べているというだけのことであるが、「啄むにもはらの鳩」という表現でいい気持ちになるのである。

あとはかなき日和を鴨の帰りけり
鷹主宰が推薦30句(特選)に推した句である。この句の要点は「あとはかなき日和を」である。「あとはかなき」はほぼ「はかなき」と同じ意味。実作者の立場でこの句をみると、うまく穴埋めしたなあというのが「あとはかなき」である。「はかなき」と同じ意味で2音よけいにある「あとはかなき」があるということに気づいた勝利である。「あとはかなき」に続く「日和」も実体のない言葉でありこの句の前半は雰囲気だけである。が、情緒に流れているか、ムードに酔っているかといえば、否である。
情緒に流れず情趣を醸す玄妙な味わいがこの句の魅力であり、鷹主宰は高度な言葉遣いに惚れ込んだのであろう。

たんぽぽの絮吹く息を有りつ丈
この句も動詞「吹く」を目立たせない「有りつ丈」が効いている。今野の意識のなかに物のわきで、また背後に自分を隠して静かにしていようという気配がある。競馬においてラストで伸びて勝つ馬の疾走は身体全体が沈む感じになる。これに対して息が上がった馬は上下動が激しくなる。今野の今の句作りはラストに身体が沈む感じの優駿という感じである。

あれはたれ時の電柱菜種梅雨
「あれはたれ時の電柱」は「あとはかなき日和」と似通っている。主張すること、物を際立たせることから徹底して離れようとする。字数の多い和語でゆったりした情趣を演出する。物を氷山の稜のようには見せず奥行を見せようとするのは水墨画に通じる。
言葉を詰めず睡蓮の葉のように置いている。大きな葉を二三枚置くことで玄妙な世界に読み手を引き込む。句のよさを説明できない境地に至っているのではないか。

今野福子の俳句は睡蓮の葉のありようを思わせる

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横綱が締めた

2023-05-29 06:06:43 | 大相撲



大相撲五月場所は横綱照ノ富士が14勝1敗で優勝した。正直いって10勝できれば御の字かと思っていたので中日まで8連勝したとき期待した。
千秋楽の貴景勝は差して体を密着させたとき勝てないだろうと思いそうなった。照ノ富士に体を密着させてはダメというのを「極め出し」で負けた翔猿、宇良、豊昇龍が証明する。横綱はうるさい奴らを引っ張り込んでがんじがらめにして始末した。
横綱にとっていちばん嫌なタイプは終始体を離して攻めるタイプ。ボクシングでいうヒット&アウェイであり、それを果たして勝ったのが9日目の明生であった。
14日目の霧馬山はうまく攻めたが横綱に前みつを引かれて正対されたのが敗因。横綱は苦しかったが前みつを引き付けて霧馬山の態勢が上がってきたとき勝負あった。勝つには霧馬山は照ノ富士の横にとりつかねばならなかった。
朝乃山、若元春のように素直に四つになる力士は組みしやすかったのではないか。強い横綱相撲であった。12勝の優勝はプロの幕内の優勝としては物足りなかったから14勝が燦然と輝く。
ひと場所でも多く取ってほしいと思う。


通常ならもろ差しの寄り(貴景勝)は最高の形だが
今場所の照ノ富士には「飛んで火に入る夏の虫」であった

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言葉という面妖なもの

2023-05-28 08:17:37 | 俳句



鷹6月号にこの句があって注目した。

春愁やへによと倒れる歯磨き粉 佐藤栄利子

まず、「歯磨き粉」。「粉」のやつは小生が子どものころ流行ったが今はほとんど練りものである。作者も「倒れる」というのだから練りものが棒状の容器に入ったものを想定している。この句を採った鷹主宰も同様なことを考えていて二人の間では了解し合っている。
けれど小生はどうしても「歯磨き粉」といってしまうと練りものを意味しないのではないかと思ってしまう。英語でいう「toothpaste」が妥当。この語を載せている研究社の英和辞書は「ねり歯みがき」と表記してあり、「粉」がないことに納得した。
小生が細部にこだわりすぎるのか。
実は、小生に俳句を見せた人の句の中にも「歯磨き粉」で「toothpaste」を書こうとしたものがあって、それに対して「粉はおかしくないか」と指摘した。それでその人は鷹への投句を諦めたのであった。鷹がこれほど言葉の細部にルーズであるなら小生は彼に悪いことをしたことになる。

物をさす言葉、物の名前はときに実体に至ることがむつかしくイライラする。
いま「下駄箱」という物のなかに下駄が入っている家はかなり少ないのではないか。それでも下駄箱といっており、今の小学生のなかには困惑する子もいるに違いない。中原道夫の句で季語を忘れたが「〇〇〇〇下駄箱といひ下駄のなし」というのがあった。彼らしい皮肉である。
ほかに枕木がある。むかしは文字通り太い材木であったが、いまはコンクリートのものが増えてきている。これはまだ枕木で通用するが、蛇口の回す金具を買いに行ったとき、これをなんというか困った。蛇口は水が出るところの総称である。「とって」という言葉があるが少し違う気もする。まだしも「つまみ」である。
ほかに「螺子山」も実情に合っていない。広辞苑は「ねじの凸部」と規定するがほんとうは凹部である。

いつだったか湘子が句会で誰かの「川筋」に「川筋とはどこをいうのか」と難色を示したことがある。広辞苑はこれを「1、川水の流れる道すじ。2、川の流れに沿った一帯の地」と規定する。したがって機能する言葉であるが、湘子はその句の川筋で表現された内容の甘さを指摘したのであった。「川といえばいいじゃないか」と。
湘子は「路地裏」にも文句を言った。「路地はわかるがその裏とはなんだ」と。広辞苑は「路地の中。表通りに面していない所」と規定するが、よく考えるとこの表現もあいまいである。
物をさす言葉、物の名前を詰めていくとわけがわからなくなる。けれど「歯磨き粉」で練りものは指せないのではないかなあ。

写真:多摩川の胡桃


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鷹6月号小川軽舟を読む

2023-05-27 13:48:21 | 俳句



小川軽舟鷹主宰が鷹6月号に「思ふほど」と題して発表した12句。こについて天地わたると山野月読が意見交換する。天地が●、山野が○。

傘差せとしつこき雨や沈丁花
●雨が「傘差せと」作者にいうのですね。こんな擬人化、はじめて見ました。
○止みそうでなかなか止まない、そうした状況が雨との我慢比べ的な擬人化になったように思えました。作者は傘を持ってはいそうだし、誰しもが経験のありそうなことなのに、句材として新鮮でした。「沈丁花」からは住宅街の気配。 
●ちょっと妙だなあと感じたのは、作者はいま濡れているように見えます。パリジェンヌは濡れても傘を差さない美学があると聞いたことがありますが、そこまで我慢しますか。
○目的にまで大した距離ではないのでしょう。かつ、濡れて行ってもよい所、例えば自宅とかでしょうね。

蕗の薹勢(きほ)ひが水を水らしく
○  この「勢(きほ)ひ」は意味的には字のとおりの勢(いきお)いですよね。これも私にはとても新鮮な視点でした。「勢(きほ)ひ」こそが「水」の本分的な思いなのでしょう。「蕗の薹」という小さきものが、この「水」の本分にリアリティを与えているようです。 
●そうですね。湯舟の中にあるより川を流れているほうが水は水の本領を発揮している、という感覚です。水の本質に迫ろうとする意欲が嬉しいです。

春星や空ひたひたと満ちわたり
●「ひたひたと満ちわたり」は空を湖か海のような把握です。
○そうですね。湖面に映る星があったとしたら、こうした発想のきっかけになったかもとも思いますが、さすがに星は映らないかなぁ。それは別にしても、春の夜空を液体的にとらえる感覚は凄く共感できます。

優駿とならん仔馬に山の星
●競走馬を生産する牧場です。北海道を思いました。
○日高地方ですかね。昔のアニメ「巨人の星」的とも言えそうですが、世話をする者の温かい眼差しと期待を感じさせます。 
●無駄のない言葉の運び、最後に「山の星」が効いています。

春陰の店静かなる船場汁
●船場汁(せんばじる)、知りませんでした。大阪の船場で生まれた料理で、塩鯖などの魚類と大根などの野菜類を煮込んで作る具沢山の汁、とのことです。
○私も知らず、調べると元々は船場の問屋街の賄い的な料理のようですから、気取らない料理なのでしょう。そうすると、句中の「店」は商家なのか、料理店なのか。「静かなる」がその直前の「店」を形容しているとすると、客の途切れたちょっとした時間に食べる「船場汁」と読みたくなります。 
●「春陰」は使いにくい季語で「店静かなる」だと平凡だと思うのですが最後に逆転の「船場汁」です。憎らしいほど巧いです。

ほぐす身に湯気ひとすぢや蒸鰈
●細かく見た一物ですね。
○私もよく見ているなあと感じました。「蒸鰈」そのものではなく、ひとすぢの「湯気」を言うことで美味しそうに感じさせる巧みさ。

磨り足らぬ墨の滲みも朧なる
●朧は気象現象にいう言葉ゆえ「墨の滲み」に敷衍させるのは強引ですが、納得させられますね、巧さに。 
○「墨」って、「摺り足らぬ」と「滲み」やすいんですか? 
●水分が多いと滲み易いです。
○私も水分が多くて薄いと「滲み」やすい感覚だったので、本句ではそうした理屈を言っているわけではないのでしょうが、そこに囚われちゃいました。

思ひ出は思ふほど濃し母子草
○ 「思ひ出」ってそういうもんでしょう、とは思いますが、「母子草」を配して悪くないです。 
●さきほどの「勢(きほ)ひが水を水らしく」といい「思ひ出は思ふほど濃し」といい、リフレインが働いています。リフレインは決まると魔術だとこの二句で感じました。母への思慕が濃厚です。
○確かに、リフレインの妙ですね。

鉋の刃小突く木槌や雪柳
●刃を出すときは鉋を叩き、刃を引っ込めるときは木の台を叩きます。 
○職人さんの手際よい音が聞こえます。この季語の良し悪しは、よくわかりませんでした。 
●あなたが、よしあしがわからないというのはわかります。それはどうしてここに「雪柳」が来るかということでしょう。同じ作者の句に「卯の花や箸の浮きたる洗桶」があります。この句における「卯の花」のほうが「雪柳」より納得できる人が多いのではないでしょうか。春、新築の作業現場の横に雪柳が咲いているという風景だと思います。悪くないです。

ほんのりと酢飯に赤み山桜 
●赤み出るのかなあと思いつつ、こう書かれると出るかもしれないな、と思わされます。季語の威力でしょうか。
○いわゆる赤酢を使った「酢飯」なのでは? 昔ながらの江戸前寿司の店かも知れませんが、「山桜」とあるので、家庭的な手作りの「酢飯」を持っての山歩きかも。 
●赤酢は気がつきませんでしたが、それはあり得ますね。

低く飛ぶ春の蚊を打つ畳かな
○新聞とかを使ったのかも知れませんが「畳」に打ちつけた感じですかね。動かした手とか新聞とかではなく、動かぬ方の「畳」を出してきた面白さ。 
●「低く飛ぶ」でこの季節の蚊のはかなさも出ています。

夕東風に尾の先浮かし虎眠る
●へえ、そうなんだ、ほんとうならよく見たなあとと驚きました。 
○動物園でしょうか。猫も「尾の先浮かし」て眠っていることがあるので、「虎」でもありそうとは思えます。それは別にして、「夕東風」という導入と「虎眠る」という下五から、屏風絵的な景のような感覚も。
●そうですね、狩野派の絵をちらと思いました。 

撮影地:多摩川

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湘子は5月下旬をどう詠んだか

2023-05-26 05:47:14 | 俳句



藤田湘子が60歳のとき(1986年)上梓した句集『去來の花』。「一日十句」を継続していた時期にして発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の5月下旬の作品を楽しみたい。

5月21日
青葉冷鰈をうまくほぐしけり
鰈は扁平の硬骨魚。「うまくほぐしけり」と書いた裏に魚を食うのが上手でないという意識があるのか。魚を食うのが巧い小生は「うまくほぐしけり」に驚いた。季語が効いて温かくて美味い鰈を思う。
日本橋「たいめいけん」
コロツケをかなしむビール溢れけり
コロッケがビールに合って美味いのであるが「美味い」と「かなしむ」の差は甚大であり「かなしむ」に日本語の粋を思わざるを得ない。湘子はこの言葉に愛着があり、「受験期や少年犬をかなしめる」とも書いている。

5月22日
おしよせて山藤くもる汀かな
「おしよせて山藤くもる」は、傾斜をなだれている感じか。作者の目が効いて実感の籠っている表現である。さて汀は川か湖か海か。山の中の川というのが順当な見方だがほかもあり得る。この野趣を想像して楽しい。

5月23日
水馬跳びやすみては流れけり
あめんぼうの一物である。よく見ている。確かにこの通りである。
夕日さす机に置いて落し文
どうということのない句だがすっと心に沁みるといった風情。「夕日さす」という導入がさえているのである。

5月24日
馬蹄音来るがに衣替へにけり
馬蹄音に急き立てられているのではあるまい。その音の心地よさを想像して更衣したのではなかろうか。「馬蹄音来るがに」はかなり突飛であるが外れておらずおもしろい。

5月25日
松の花月夜は下駄の音よけれ
松の花といってもこれは地味なもの。月夜ならしらじら見える。下駄の音が効いて歩くのにいい夜である。

5月26日
たんぽぽの絮の中なる無音界
かつて黄色だったたんぽぽがすっかり白い絮になっている。ほとんどがまだ風を受けずに玉状である。この静けさに納得する。
朴若葉蟻こぼれじと進みけり
朴の葉は大きい。蟻がいて葉が傾くとは思えないが作者がハラハラして見ているのが微笑ましい。

5月27日
金雀枝や夢に水原先生來し
湘子の師匠は水原秋桜子。疎遠になったある時期「愛されずして沖遠く泳ぐなり」と書いた師匠である。季語に「金雀枝」なるまばゆいものを配したことで思いがわかろうというもの。
山盛りの砂の中より黄金蟲
砂場を思ったがどこでもいい。彼らは砂の重みなど屁とも思わない。強くてつやつやしている。

5月28日
人誘ふ郭公の丘近ければ
湘子は森の近くに住んでいたと聞く。そこで俳句の材料を拾ったらしい。誰か誘って聞きたい声である。あるいは、郭公の声に誘われて丘へ行く気になった、という読みも可能。

5月29日
言ふ勿れ新樹の夜の昔ごと
内容を言わず読み手が想像する種をまく。巧みな句作り。
深酒をしてももんがのごと昏く
ももんがはリスの仲間で前脚から後脚にかけて張られた飛膜を広げて滑空する。季語ではないと思うがこの場合深酒に効いていて悪くない。「死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ」に対してわざわざ「無季」と断った湘子がほかにも無季の句を書いていたことに驚いた。

5月30日
巣立鳥巌頭は風ひゞくらし
巌頭にいる鳥が風に揺れているか。まさに風韻のある句。


5月31日
青梅に日ざしころころ變りけり
雲の多い日か。日が照ったり翳ったりしたのだと思う。「ころころ」は日差のことだが青梅も思わせて奥行がある。
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