天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

令和元年鷹同人一句を詠む(その1)

2019-11-30 09:43:30 | 俳句


鷹は12月号に毎年恒例の「同人自選一句」を掲載する。今年は500句が掲載されている。この中から小生が気になった句を取り上げて若干の感慨を述べる。

つなぎし手ぱつと離され夕蛍 青田文子
手を繋いだという句はよく見るがこれは反対をやっておもしろい。相手が大きい蛍でも見つけたのだろう。

月明や梟の鳴く林檎園 浅沼三奈子
「月明」は季語性があるし「梟」「林檎」は季語であり季語ばかりでできているが主人公は「林檎園」だろう。梟がいる林檎園などこの平成ではまほろばといえる。

柿紅葉家に声かけ家を出る 阿部千保子
一人住まいになって家に人格を感じている作者。切実な内容。

子を産んで項にほへる夜涼かな 阿部逑美
娘さんだろうか。匂うような色気を項に感じている。自らの老いを言外に感じさせる。

はるかより身籠れる桃どんぶらこ 有澤榠樝
桃というだけでもエロチシズムを孕んでいるが「身籠れる」である。「どんぶらこ」の情感もいい。

けふひと日寿命更新青き踏む 有田曳臼
「けふひと日寿命更新」がオーバーのようでいて実感があり「青き踏む」が切実にひびく。

春濤の巌に砕けわらひをり 有馬元介
「春濤の巌に砕け」までは誰でも書くが「わらひをり」で自分のものにした。春を寿ぐ気分横溢。

湯気立ててそこそこ仲のよき夫婦 安西信之
「そこそこ仲のよき夫婦」は絶妙、よく言ったものである。風邪予防の季語もうまい。

酷暑に紛れ集団死刑十三名 安藤辰彦
死刑制度存続か反対かといった社会性を孕んだ句。うまく時代性を詠んだ。

熱の子の明けし襖やクリスマス 池田なつ
寝かされている子供の孤独と外への好奇心が中七でうまく出ている。

朝顔や突つ掛け軽くつつかけて 池田 萌
つっかけるからあれを突つ掛けと呼ぶのだろう。それを判然とさせた言葉遊びのおもしろさ。

光り物好きでばばあで汗かきで 伊澤のりこ
婆さんが汗をかきつつ光り物、すなわち鯖や鰯などの鮨を食っている。あまり上品ではないさまがまざまざ見える。

待つことのうれしと待ちぬ菊の雨 石木戸雅江
待っていることを「待つことのうれしと待ちぬ」と展開させて滋味を獲得した。物は言いようなのである。

木洩日のさざなみ寄せてハンモック 井上宰子
要する木洩日を受けてハンモックに寝ている景。「さざなみ寄せて」としてがぜん情趣を醸した。俳句は言葉の発見である。

初仕事病人の髪刈りに行く 井原仁子
作者は理髪業なのだろう。健気に働き自分のことを書く。それが訴えるという一例。

食べて死ぬだけの貯へきりぎりす 井原悟美
年金生活者がどんどん増えていく昨今、この感慨は大方の人が納得するだろう。もう蟻のように働けないのである。

暗算の球を弾きて悴める 岩田英二
実際に眼前にない算盤を宙に感じて指が弾いているのがおもしろい。算盤という物がないだけかえって寒さが伝わる。

乳吸ふは血を吸ふごとし牡丹咲く 上田鷲也
血の中の栄養が乳に姿を変える。それを赤子が吸う。この機序を解き明かしてはっとさえた。血の色、乳の色の対比もいい。

水に色あり水底に桐一葉 植野路子
「水じゃないものがある」というのが「水に色あり」だろう。じっくり見るとそれは水底の桐の葉であった。展開の妙に味わいのある一句。

鴨打の草に血糊を拭ひけり 大和田 毬
「鴨撃」ではないから鴨を棒などで殴打しているのか。「草に血糊を拭ひけり」であるから荒っぽい狩猟と読んだ。東京の池に馴染んだ小生は気が遠くなるような世界。

柚子湯出て筆を持ちたくなりにけり 岡田勝子
「柚子湯出てジュース飲みたくなりにけり」だと原因結果。「筆を持ちたくなりにけり」だからおもしろい。その理由は作者もわからないだろう。

伐倒を告る音声や寒の空 岡本雅光
直径30㎝以上の大木を切り倒す場面。四五人いて統率者が掛け声をかける。倒す方向は綿密に決めて木に伐り込みをいれときに楔を入れて徐々に倒していく。その緊張感が満ちている。

光源は太陽一つ初景色 小川軽舟
この句は1月7日付毎日新聞へ出した新年詠3句の1句であり鷹2月号にも出した句。「光源は太陽一つ」は簡単にして壮大。地球とそこに住む人間やほかのあらゆる命を荘厳する。鷹主宰の代表句は数多あるがこの句も間違いなく代表句である。100年後も地球があるかぎりこの句の命も尽きない。



撮影地:八王子城跡
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綿虫への憧憬

2019-11-29 05:55:19 | 俳句



綿虫と声にせりその面影よ 藤田まさ子


先日のKBJ句会で特選でいただいた句である。
一読してそう印象がなかったが言葉の運びよさを感じた。次に読んだとき「言へり」ではなく「声にせり」であることに文字通り「声」を感じた、次に読んだとき情緒的で危ない「面影」がぴたっと決まっている感じがした。
これは挽歌だと思った。作者にはすごく綿虫好きがいたのであろう。その人と何度か野で綿虫を見る機会があったのだろうと忖度した。その人はもうこの世にいない。綿虫が出る季節になってその人の「面影」がまざまざと立ち上がってきた、そういう句である。
「面影」という俳句に入れることが難しい言葉がこの場合ところを得ている。この文脈ゆえに機能している。読めば読むほど情感が増してくることにも惹かれた。

藤田の話によるとその友人は鷹の池田晹子だとか。池田とは面識がないがそういえばいつか鷹に綿虫だけで5句載ったことを思い出した。 
その1句が

綿虫の綿を集めてねむりたし 池田晹子


池田は病弱であったかもしれない。藤田が逆に長生きで90歳を過ぎて元気である。
俳句は一読してすっとわかりいいものがある反面、一読して通り過ぎてしまうものもある。
池田の綿虫は一読して入ってくる句であるが、藤田の句は採りそこなうか細い句である。しかし「声にせり」も「面影」も季題が「綿虫」ゆえに持っていてなみなみならぬ情念をたたえている。
この句を採れてよかったと思った。


写真:Makoto Ishiguro
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鷹12月号小川軽舟を読む

2019-11-27 05:42:04 | 俳句


鷹12月号に主宰・小川軽舟が「デカフェ」という題で発表した12句を読み合います。今月の対談者は田花之弘。田花が○、天地が●。

書き物に夕日差したり秋簾
○日本的な情緒を感じます。「書き物」と映像をぼやかした点はどう思われますか?
●「書き物」と大づかみして味が出ているでしょう。「夕日差したり」はなんでもないんだけれど「秋簾」を感じます。
○今時の文筆業の方はいきなりパソコンに向かってキーを叩き始めるのが当たり前ですよね。でもこの句の主人公は敢えて原稿用紙と万年筆に拘っているんですよ。でも無意味な拘りではなくいきなりキーを叩くよりそのほうがいい作品ができる事を経験上知っている。そう思ったら今の時代だと「書き物」という少々雑に思える表現は決して雑ではないし「秋簾」も納得できます。

横浜の古きホテルの秋思かな
●一読してぬるいと思いました。「古きホテルの秋思」、そりゃあそうでしょうと言いたくなる。常識の範疇を出ていないのでは……。
○だからでしょうね。横浜という地名が浮いてしまっているような気がしたのは。
●作者にとって思い出の深いホテルであって書き留めておきたい衝動が起ったのはわかります。ぼくも世間一般に通用しそうもない句を書きますから。句を書こうとする発端はそれでいいですが公にリリースするとね。こういう句ってほかの地名、たとえば「長崎」でもよくなっちゃうわけです、すると歌謡曲の「御当地ソング」になってしまう……。
○いやー、全く同感です。作者の想いとは別に読者が期待するのは「古きホテル」ではなく「解体中のホテル」「廃墟のホテル」ではないかと。

顔見えず秋海棠にかがみをり
○誰の顔が見えなかったのか想像を読者に丸投げしてますね。
●これは作者が想像できるところでおもしろいです。一瞬顔が見えたんだろうね。この花は丈がそう高くないから子どもを想像できるところがいいです。秋海棠を感じさせるさりげない一物俳句、決まっています。
○自分はもう少し読者に想像させる材料が欲しかった気がします。
●いやあ、これでいいです。

汀女忌の玉子の薄きオムライス
●中村汀女は1900年(明治33年)4月11日 生まれ、1988年(昭和63年)9月20日死去。星野立子、橋本多佳子、三橋鷹女とともに4Tと並び称されその一人だね。さてこの句の眼目は「玉子の薄き」、これが汀女を引き立てるかどうか。
○申し訳ないのですが誰かしらの命日に毎年共通する季節感があるのかと疑問を感じる立場です。ですから忌日俳句は詠むのも読むのも苦手でして。洒落た店のオムライスはフワフワ卵で母親の作ってくれた時は薄い卵でした。
●忌日俳句の季節感に対する君の指摘は妥当だと思うが、季節感よりその人を追悼できるかでいいと思う。この句は君の言うように洒落た感じにできていて、それは「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」と書いた作者の人となりに合うと思いました。
○釈迦に説法、天地に説法ですが季語であろうとなかろうと食べ物は美味しそうに詠めというのは俳句の基本だと思っています。そういう意味で昔ながらのオムライスを食べたいと思わせる魅力をこの句からは感じました。

色鳥や生垣低き保育園
○ここでの「低き」はいいですね。保育園の敷地の中をみせてくれます。季語自体にカラフルなイメージがあってそれに対して地味な日常のワンシーンで繋ぐところがいぶし銀的だと思います。
●同感です。大人の胸くらいの高さの生垣を思います。いま防犯を重視した金網のフェンスが多いですからこういう句を読むとほっとします。色鳥という季語も素直でいいと思います。

足跡に松葉平らや茸狩
●微細なところを見ていますね。やわらかな林間の道は足跡がつきやすい。その上にふわって浮いたような松葉を見たわけだ。
○自分には景が浮かびませんでしたがそうやって読むのですね。なんだか作者は地べたに寝転んでまで「物を良く見る」を徹底している気がしてきました(笑)
●幼少のころ父についてよく茸狩に行きました。そのことを濃厚に思い出させてくれました。父の早足について行った道を。この描写には滋味があります。

わらわらと滑子掻きとる朽木かな
○「わらわらと」に天地さんと同じ鷹の血筋を感じます。何人か集まってきて滑子を採っている場面でしょうか。あるいは朽木からわらわらと滑子が生えていたのか。
●腐りかけた木、それが滑子を生やす土台。そこにいっぱい滑子が出てきた。それを掻き取っていてぞくぞくします。すぐ味噌汁に入れて食べたくなります。「わらわら」は効いてますね。ぼくと同じ血筋とはうれしいですが先に主宰にやられちゃいました(笑)
○あー、やっぱり鷹の人は副詞の使い方に気を使うんですね。「掻きとる」はやはり実体験からくる表現でしょうか。
●実体験か、そうでなければきちんと見たのでしょうね。

あけび甘し山の空気のすぐ冷ゆる
●太陽が傾いだ4時ころ、あるいは雲に日が陰ったときの冷えだろうね。木通の甘さと空気の冷えが微妙に引き合うと思う。
○自分も全く同じ読みでした。山の天候は変わりやすいと言いますが体感の温度変化も激しいのでしょう。わざわざ「甘し」と書いたところにあけびの旨さに感動した作者がいました。あけびの甘さと山の冷涼感が響きあっています。

明け方の彩雲広し牧閉す
○「牧閉す」は聞き慣れない言葉ですが廃業する畜産酪農家の事でしょうか。上五中七に何かしらの大きな希望を感じるだけに下五との落差が大きく感じます。
●「牧閉す」は廃業じゃなくてれっきとした秋の季語。夏の間草をいっぱい食べた牛や馬が預けられた牧場から帰って行き牧場を閉ざすことだよ。
「彩雲」のほうが聞き慣れない言葉で、これは日光が雲の水滴などで屈折していろいろな色を帯びた状態。「彩雲」は写真で見るほうがわかりやすいともいえるが、「彩雲広し」で作者は優秀な写真家と闘っている。この中七は卓越した言葉の使い手と優秀なカメラマンとの闘いを感じました。言葉の使い手が決して負けていない。それほど「彩雲広し」は卓越した表現だと思います。簡潔にして勇壮な景観をものにした技量に感服しました。
今回の12句で特選を1句挙げろと言われれば、ぼくはこれにします。
○「牧閉す」、勉強になりました。

菊人形衿の白きは小菊もて
●衿以外のところは大きい菊で装い衿をちいさい菊であしらっているのか。細かいところが気になるのはまるで杉下右京だね。
○俳人と言われる人種は細かい所が気になる人達です。杉下右京が実在の人物なら俳句が上手いかもしれませんね。物を良く見てさりげなくリフレインを効かせています。

珈琲はデカフェ夜長の窓あけて
●カフェインレスコーヒーを飲みもう寒い秋の夜の窓を開けて外気を楽しむ。カフェインがないのだから寝そうなものだが……。
○「デカフェ」とは初めて聞く言葉でした。一読してエラク洒落た句だなぁと思いましたが天地さんの仰る通りだと思います。
●窓あけて何するんだろうというようなことをうんぬんするより、言葉のしらべの美しさを感じれば俳句はいいなだよね。
○確かに。

割るるとき力をゆるめ胡桃割る
○このブログを意識して詠んだ句でしょう。
●そんなことはないでしょう(笑)。ぼくは胡桃をやっとこで挟んで金槌で叩いて割っているのだけれど、作者は胡桃割り人形ふうの道具を使っているだろうね。万力みたにじわじわ圧力をかけていく方法。それを「割るるとき力をゆるめ」に感じます。金槌で叩いていてもこの感覚はわかります。胡桃の継目みたいなところに罅が入るともうそんなに力は要らないわけ。そこでさらに力を足すと中身が潰れてしまうので。
競馬でだんとつに1位で来た馬はゴール前で流すのに似た感覚だね。
○それは直接軽舟さんに確認しておいて下さい(笑)
読みはかなり近かったです。胡桃の殻がいくら固いからといって割る時は決して力を入れっ放しではないと。むしろ力を入れるのは一瞬だけ。そうしないと金槌で割ったらバラバラになってしまいますから。そういうある種のコツといった物も「写生」の対象になるんですね。



撮影地:北浅川流域
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2019野生果実ランキング

2019-11-26 06:07:12 | 身辺雑記
今年も野生果実にお世話になった。野生果実と銘打ったものの、以下にあげるものがほんとうに野生かどうかはあやしい。公園の樹木は人が植えたものであろう。ぼくが野に出てゲットした人のものではない果実という意味である。人の物ではないといってもたとえば多摩川の桑や柿、公園の桃や枇杷は市民全員のものであろう。



ぼくにとっての令和元年は胡桃元年であった。3月に偶然、浅川の出会い広場で多量の(湯船半分ほどの)胡桃に遭遇。世の中に胡桃がこんなにあることに驚いた。またそれを無償でぼくにくれる人がいることにも。
胡桃を拾い割ることを死ぬまで続けたいと思った1年である。





胡桃が四季を楽しめるのに対して桑の実は短い。5月下旬から6月上旬のせいぜい20日間の初夏の華やぎ。鮎釣りに解禁日があるのに似て桑の実もはじめる日がある。それもスリリングであるし、みずみずしいベリー系果実の最高傑作。足がはやく商品にならない点でも貴重である。




ソリッド系果実のなかで柿は胡桃と双璧をなす。甘柿と渋柿、両者が混じっているものと多彩でナマ食から干柿まで長い時間楽しめる逸品。



4位:枇杷
この果実のランクがやや低いのは同じ季節に桑の実があるせい。それで割を食っているがジューシーさは抜群。今年は恋ヶ窪駅付近の1木でおよそ300個採って毎日10個ずつ食べた。たまたま水腹になった。


5位:桜の実

この果実のランクは思ったより上に来た。桑の実とほぼ同じ時期で軽視していたがヨーグルトに入れると絶妙。桑の実より優れているのは冷蔵庫に入れた場合の保存期間の長さと保存状態のよさである。競馬でいうとダークホース、単穴というところ。
今年1500粒収穫したが来年は3000粒をめざす。


6位:桃
店頭に出るように直径13㎝もあるようなものではなく半分くらいのサイズだが美味い。自宅からわずか500mほどの公園に3本も桃がある。誰も拾わずに道路を汚すのできれいにした。この3本がそれが理由で伐られることはどうしても避けたい。
3本の木で300個果実をつけるだろう。来年は道路を汚さないようにここの桃をいただくのがぼくの使命。


7位:銀杏
匂いも含めいい果実なのだが過敏な妻に嫌われてランクを下げている。気の毒だがいたしかたない。来年も妻に隠れて1500粒は拾うだろう。拾っているときの性的な気分は捨てがたい。それは胡桃拾いとおおいに異なる味わい。

8位:ブラックベリー
桑の実、桜の実と同じアントシアニン系で見た目がよく野性味がある。が、食べたとき粒が歯の間にはいるなど食感がいまいち。それでこの位置。

9位:山桃
見目形をいえば山桃は初夏の果実の宝石といっていい。写真にしたい果実といえばこれであろう。それほど美しい。モデル系の女を見るようだが実際に食べてみると酸味というかえぐみが強くて食が進まない。それに可食部が少ない。

10位:柑橘類
長野県生まれで柑橘類より林檎に馴染んできた。蜜柑はすっぱいという思いが強い。誰も採らない野の柑橘類はたいてい酸っぱい。
柑橘類の中では金柑にいちばん惹かれている。苗木を買って植えようかと思うがいままで買った苗木で成功したのがブラックベリーのみで二の足を踏んでいる。


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番外:蕗一族、石蕗
果実ではないが蕗と石蕗は野生の食えるものとして秀逸である。
東日本大震災のあった2011年5月復興支援で遠野を宿にしたときあたりいちめん蕗が無尽蔵にあって感動した。ここで暮らしたら3月から7月までの5ヶ月蔬菜の中心は蕗だと感じた。東京はそれほど蕗に恵まれていないがそれでも食卓の役に立つ。

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たくさん歩く競馬場

2019-11-25 06:33:37 | スポーツ

駅から競馬場への専用舗道

ぼくの競馬場吟行のブログを読んだ「万歩クラブ」のSさんから東京競馬場案内を頼まれていた。
Sさんは健康上歩きたいという意思があるが歩くために歩くのが苦手で「万歩クラブ」の端っこにいるらしい。ぼくが「競馬場は歩き回りますよ、遠足です」と言ったのが気に入ったようだ。

今年はきのうが東京開催最終日。
11時に府中本町駅で待ち合わせた。駅から競馬場まで富士なんとかビューという名前の屋根付き舗道がまず400m。メインレースが「ジャパンカップ」とあって、そこかしこに若くて綺麗なお嬢さんがいて心躍る。








まずパドックに案内する。12:15発走の第5レース2歳新馬戦の16頭の馬たちが出てきた。11:45ころ。
「ジャパンカップ」など実績ある馬は成績表が新聞に細やかに出るが新馬戦はデータが何もない。新聞記者が◎○▲△★などの印をつけてあるだけ。ぼくもSさんも馬の状態など外観からわからない。Sさんは鬣(たてがみ)を三つ編みにしていてきれいという理由で9番スワーヴシールズを買って(300円)ブービー。ぼくは新聞記者おすすめの馬を勝って(200円)、当たったと思ったら番号を間違えていた。お笑いである。
馬券は100円、俳句は1句出すことによって盛り上がるのである。
Sさんは好奇心旺盛で、「ソラをつかう」とか「鉄砲駆けする」といった競馬用語を知ってうれしいようだ。また「この馬、上り3ハロン34.5秒だから切れ味がある」などということも新聞を見てすぐに習得する。頼もしい。

わずか1×1.5㎝ほどの欄の中に1レースの内容を網羅する緻密さにいつも驚く





名馬ディープインパクトを顕彰するコーナー


ところでメインの「ジャパンカップ」に今年とうとう外国馬が1頭も参戦しなかったことが話題になっている。39年前、世界に通じる日本の馬を育成する意図で発足させた同レース。当初は外国馬の独壇場であった。次第に日本の馬が勝てるようになり最近は日本の馬しか勝てなくなっていた。
理由は高速馬場にあるらしい。外国の馬場と比べて硬くスピードが出るという。それに対応できない外国馬は来ても勝ち味が少ないので出場をためらう。加えて1着賞金3億円は世界の大レースに比べて安価という。ドバイは優勝馬に8億円を出すレースがある。今後「ジャパンカップ」の意義を中央競馬会は問われることだろう。



案外見物の黄葉、紅葉





発走するあたり


オーロラビジョン。このあたり芝生が多くて裸足で歩くことができる。


帰宅したSさんから家を出てから戻るまで13000歩も歩きましたという感謝のメールが届いた。トラック内部(遊園地)にはふかふかの芝生がかなり広くひろがる。裸足になって歩くとすこぶる気持ちいい。
小春日の競馬場ウォーキングを年寄りにおすすめしたい。
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