天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

府中市生涯学習センター俳句教室2回目

2014-01-30 04:58:42 | 身辺雑記

きのう府中市生涯学習センター俳句教室で2回目に臨んだ。
藤田湘子提唱の「型・その1」にて各人2句ずつ持ち寄ることを宿題としていた。
はじめて俳句とつくるひとが4人いて、はたして全員がたんざくに書いてこられるのか、
またそれをホワイトボードに書く勇気があるのか、
内心そうとう心配していた。

時間前に4、5人いるので彼らに板書するようお願い。みな平気で書くのを見て後続も書いてくれるだろうと楽観した。
いちばん心配したKさんも後ずさりせず書いてくれた。
なかには3句書いてきた人もいて全部披露してもらう。
ホワイトボード2枚が俳句でいっぱいになった。
それをながめたら拍手したくなり、拍手した。

大寒や灯ほのかに五箇山路 雪江
さざんかや犬のお伴の散歩道 満喜子
大寒や蜆泥吐く桶の底 みつ子
冬ざれや通る人なきはけの道 洋子


1週間前に俳句のことをはじめて聞き、歳時記を買った人が作った句としては上々だろう。
あらためて湘子のテキスト『20週俳句入門』の功績を思う。

サービス業に当たる者として、一回目に人の顔と名前が覚えられず忸怩たる思いであった。今回、みんなに句を出してもらい問答することで顔と名前と俳句が一緒になって把握できてよかった。

Tさんは相変わらず鋭い質問をしてくれる。
朝日俳壇に型・その1の句が1句しかなかったとか。それはどういうわけかとかこの型で作るのは苦しいとか、なんでも言ってくれるのでありがたい。
おとなしそうだったОさんも貴重な気づきをしてくれる。

無理かもしれぬとも思った最終回の句会はできそうである。
いちばん心配したKさんが「句会って今日のようなことするんですか」と聞いてくれたとき、いけると確信した。興味が湧いてきていると思うのだ。

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小池真理子『無花果の森』

2014-01-29 10:07:15 | 

この作家を読むのをしばらく敬遠していた。
さる読書通から彼女の直木賞受賞作『恋』と島清恋愛文学賞受賞作『欲望』を勧められて読んだ。きらびやかな恋愛もので豊穣でありうきうきしたのだが、同じテーマを続けて読む衝動は起こらなかった。
その後、この作家の新境地という世評の高かった『二重生活』を読んだ。
やはりテーマは恋愛ではあるものの切り口の斬新さに目を瞠った。かつてカフカなどに言われた「実存」なるトーンを濃厚に感じた。

今回『無花果の森』を読む気になったのはひょんなこと。
安部龍太郎の『等伯』を読み終えた巻末に広告の小文が目に入った。
『無花果の森』について、
2011年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞! 夫の暴力から逃れ失踪した女が、身を潜めた地方都市の片隅で生き抜く姿を静謐な文体で描ききり、現在に生きる人が抱え持つ心の闇に迫った傑作長編にして著者の新境地。
日本経済新聞出版社の人がこう書いている。
ありきたりの宣伝コピーだが、なぜかこれを読んで読みたくなった。
芸術選奨文部科学大臣賞受賞が効いていたかもしれない。なんか「ためになる本」というニュアンス…。賞というレッテルに弱いのかもしれない…。

この小説の舞台は岐阜県大崖市となっているがどうやら大垣市のイメージらしい。
大崖と無花果は暗いイメージで引きあう。
夫の暴力から逃れ失踪した女(失踪者)とその女を取材しようと追いかけていた男が大崖でばったり遭遇してしまう。男は逃亡者となっている。
失踪者を家政婦として雇う老いた女流画家、逃亡者に惚れるズナックの老いたおかま。
この4人の繰り広げる人間模様がなかなか味わい深い。

人間関係の描写、展開はスムーズで引き込まれるのだが、題名となった無花果の木の大きさにしばらくついていけなかった。油蝉が来て鳴くというから大木を思う。
本筋と関係ない些末なことだが、作者はかなり大きな無花果を想定して書いている。背丈をゆうに超えるような大きな木。それを想像しきれなかったが象徴だからいい。

無花果はこの小説においてキーワードになっている。
竹籠の中の無花果は、すべて八重子のものとして考えるべきだ、と泉は思った。それは八重子の創作意欲を刺激し、八重子の感覚の中に取り入れられ、八重子の絵の中に描き続けられてきた特別の果実だった。店で売られている無花果や、一般家庭に生えている無花果とは異なる。それを食す権利のあるのは、それを描き、永遠の命を宿らせた八重子だけだ、という思いが泉にはあった。

このように小池は観念的に象徴的に無花果を使いもすれば、リアルに感応的に用いることを忘れていない。

二人は無言のまま、こちらとあちらで、示し合わせてでもいたかのように、珊瑚色の無花果に歯を立てた。手は一切、使わなかった。そのうち、くちびるも歯も口腔も、咀嚼するための顎の動きも、どちらがどちらのものかわからなくなった。
皮ごと分かち合い、食べ尽くしてしまうと、再びくちづけを交わした。

失踪者と逃亡者は結局、恋に陥る。
やはり小池は恋愛ものの旗手なのだが、甘いなあと感じるのは結末のみ。悲惨で陰惨な二人を描きながらあたたかいものと再生への希望が全編を貫く。そこが芸術選奨文部科学大臣賞受賞なのであろう。

いかん、また小池真理子を読みたくなっている。
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坂東眞砂子逝く

2014-01-27 15:35:06 | 

毎日新聞が本日13時28分、直木賞作家坂東眞砂子の死を配信した。

「山妣(やまはは)」「曼荼羅道(まんだらどう)」などで知られる直木賞作家の坂東眞砂子(ばんどう・まさこ)さんが27日、死去した。55歳。葬儀は親族だけで営む。
高知県出身。奈良女子大卒業後、イタリアに留学してインテリアデザインを学んだ。フリーライターの傍ら童話を書き、1983年、毎日童話新人賞優秀賞を受賞。93年、ホラー小説ブームの先駆けとなった「死国」がヒット。97年、人間の性と業を描いた「山妣」で直木賞を受賞した。
2002年には「曼荼羅道」で柴田錬三郎賞に。イタリア、タヒチ、バヌアツなど海外で暮らし、「梟首(きょうしゅ)の島」「ブギウギ」など日本の習俗に根差した情念や性を書き続けた。
13年に舌がんを患い、肺に転移。同年末から入院していた。


ぼくが坂東を知ったのは偶然のこと。
退職して暇になったおととしの4月、府中市中央図書館を散策して、ふと坂東眞砂子の棚に目が行った。
『鬼神の狂乱』という表題に惹かれてそれを手に取った。彼女の故郷高知の山奥の江戸時代に起きた神隠し事件がこの話のベースであった。
期待せず読みはじめたらやけに面白くてのめり込んだ。
以後、『曼荼羅道』『道祖土家(さいどけ)の猿嫁』『山妣』『傀儡』『旅涯ての地』『桃色浄土』『葛橋』『死国』『ブギウギ』『朱鳥(あかみどり)の陵』『月待ちの恋』『善魂宿』『桜雨』を読んだ。
この作家をひとことで言えば「性と死と幻想」といえる。

なかでもこれがきらびやかに展開するのは『曼荼羅道』『山妣』でありこれをもって坂東の代表作とすることに大方は異論がないであろう。
この二作品はむろん優れているのであるが、ぼくがもう一度読んでいいと思うのは『道祖土家の猿嫁』である。
前者二作に比べて地味である。

高知の田舎のある不器量な女の一生を描いている。
この不器量さは自分を重ねているのか…。
村を出たいと思いながら浮気の絶えぬ夫の子を産んで育てて村で一生を終える女の話である。そこに高知ならではの風土と気風が濃厚に出ていてボディブローのように読後に効いてくる。
坂東は日本を離れていろいろな場所で生きたが、外国であるいは高知のあの風土をひそかに思っていたのではないか…。
『道祖土家の猿嫁』は坂東を語るのに避けて通れない原点のように思っている。

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東京會舘のローストビーフ

2014-01-26 01:58:29 | 身辺雑記
きのう鷹の新年例会を行った東京會舘。料理の売りはローストビーフかと思う。
小生はそれに近いテーブルに陣取った。そこに栃木勢もいた。
栃木勢もまたローストビーフを視野に入れているみたいで、ここはローストビーフにありつくポールポジションみたいなことを言った。

乾杯のあとまずいの一番にローストビーブをいただいた。
作家吉村明が公共の場で何度も上等な料理を貪るいやしい奴について書いていたので、ローストビーフは1度だけと自制していた。

ローストビーフをいただいてから次の料理を一皿いただいて落ち着いてやっと人と会話した。
乾杯後の15分に会話していたら料理はピラニア1000匹が貪った後のようになくなってしまう。
案の定、しばらくしていくと料理はすっからかんだった。

それからヌードルとカレーライスという主食系を取ればほぼ満足なのだが、きのう驚いたのは、1時間して宴会にだいぶ飽きたころ、なんと、ローストビーフの場にローストビーフがまだ残っていたのだ。

こんなことはぼくが鷹に入って25年間で1度もない。
いつか、話好きのご婦人の相手をして開始から15分をやむなく応対したとき、ローストビーフはきれいさっぱりなくなっていた。
以後、開始15分は誰とも話さず食べること、それが鷹新年例会の宴会の鉄則だと悟ったものだ。

ところがローストビーフが潤沢にあった。
ここにローストビーフがあるということは、大相撲で鶴竜が逆転優勝するのではないか…などと勘繰ったりしてしまった。

みなさんが老いて肉を欲しなくなったのか、ホテル側が例年よりたくさん供給してくれたのか謎である。
とにかくローストビーフが残っていて並んでいる人が皆無。
もう一皿ローストビーフをいただいた。また天変地異が起こるのではないかと恐れつつ。
吉村さんも文句言わないだろうな。
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鷹中央例会新年句会

2014-01-25 21:08:18 | 身辺雑記

平成26年鷹中央例会新年句会が終わった18時50分ころ、街は電飾でぎらぎらしていた。ほろ酔いで東京駅へ歩いた。

今日は社交の日でありあいさつすべき人にはほぼあいさつした。
妹と思っているY2人と話す機会があった。一人のYの季語にネット句会で注文をつけたらいいアドバイスゆえいただき、というのでかわいい。素直だと俳句は伸びる。

年配のIさんの句をなまいきにネット句会で添削したのだが「あれ、いいからそれで投句する」という。この人も年だがかわいい。

鷹の文法のスペシャリストにして月光集のSさんに会い講演会に使った資料の件を謝す。
ぼくと同じ筋の添削を始めたというので真意を聞いたら、すでにやめたとか。
納得。こんな重鎮にできる仕事ではない。
彼が言うに「1日3通しかできないがもっとやってほしいと言われた」と。ひと月に20通やってくれといわれてギブアップしたとか。
ぼくが朝4時に起きて8通やってきた、というとびっくりしていた。

編集長をつかまえて奥さんがNHKテレビでさるタレントの句を「七五五で攻めている」と評価したのはおかしい、ぼくが怒っていたと伝えてほしいと頼む。編集長は奥さんの発言を知らないらしく意外な顔をしている。
夫婦で論議してくれ、五七五をたやすく崩していいかどうか。有能なカップル様。

自分で切り盛りする会をいくつかこなしてみると今日のようにただ出て行けばいい会合は楽。
主宰の話はうまいのだが、ぼくも2時間の講演をこなしてみると仲間うちで話すのは楽という気がする。
まったく俳句を知らない人相手に話すのとは違う。
主宰に府中市生涯学習センターでの講演会の報告をする。「盛会だったらしいですね」とほぼ情報をつかんでいる。

今年は鷹創立50周年で7月5日に記念大会を東京會舘で行う。
主宰も同人会長もそのことに言及した。投句締切が4月とか。4月に真夏の句を書いて出すのは少々辛い。ストックがなかったらいまから作らねば。

面打つてはねし竹刀や寒明くる わたる
主宰並選に入った。月光集の佐保さんが久しぶりで採ってくれたのでよかった。

20代とおぼしき会員が数人いる。彼らはおばさん、おじさんの中で異様に光る。さすがは鷹総本山の句会である。
ぼくがいくら頑張っても20歳代を句会に引っ張り込めなかった。どうして20歳代が俳句などするのかという気さえする。

小泉今日子と福士加代子を足して2で割ったAにきちんと会えなかったのはやや残念。

いろいろな刺激を受けて電飾の街を抜けて帰る。

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