天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

7月最後の日曜日

2023-07-31 05:51:08 | 身辺雑記



7月が終わりそう。結の子守りがしんどくなってきた。10時に自転車に乗せるが長く外を走っていられない。結も俺も日干しになってしまうので西国分寺駅まで行き、電車に乗る。
京王線前面展望動画を見て結は「高尾山」を覚えた。それで中央線で高尾へ連れて行く気になった。
結は高尾でオレンジ色でない電車を見て「これ初めてだね」という。甲府から入線した車両の水色と薄緑に見とれた。発車しそうな電車から降りてじっくり見る。帰り立川で南武線に乗り代えて府中本町経由で帰る。
冷房の効いた車内にいても疲れる。
帰宅して飯を食ってうとうとしていると結が来て、飯田線前面展望を見るという。それをつけてやると見ていたがやがて反応がないので見ると寝入っていた。いつもは俺が寝入って結がパソコンを見ているが昨日は逆。
2時からの巨人―中日をテレビ観戦した。結は3時半まで寝ていた。

べつとりと汗し熟睡子饐えにけり
汗の子の辣韭のごと酸つぱしよ

妻が来て、結を団扇で仰ぎ、俺にクーラーの温度設定をもっと低くせよという。
いつもは午後、家の中で結を走らせる。家の端のソファからもう一方の端のソファまで結は走るのが好き。一方のソファに俺が座り座布団を持って突進する結を受け止める。掛声をかけたり囃したりして走る意欲を継続させる。一回目、二回目、三回目で受け止めて抱き上げて、ぐるぐる回ししてソファに投げる。この褒美が好きで結は行って帰る、行って帰るを何十回となく繰り返す。
これは受け止める方もしんどい。それが昨日はなかった。結が寝ていたから。よってかなり身体は楽だった。

夾竹桃日の落ちし空ゆるびけり

太陽が相当低くなったころ結を自転車の乗せて返す。太陽が向こうへ行ってくれるとほっとする。

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鷹8月号小川軽舟を読む

2023-07-29 05:21:23 | 俳句



小川軽舟鷹主宰が鷹8月号に「蟠る」 と題して発表した12句について、山野月読と意見交換する。山野が〇、天地が●。

ばいきんを洗ふ幼や柿の花 
●「ばいきん」は親や周りの大人が言います。幼児は内容は知らないものの「手を洗ってばいきん落とすのよ」と繰り返し言われることでその言葉を覚えます。それを幼児の感覚で取り込んで臨場感ある風景にしました。 
〇「バイキンマン」もいて、こどもにはますます親しみのある言葉ですが、これを俳句に持ち込むとは、本当に油断なりません。作者の「幼」への近しさが感じられます。
●芭蕉が俳句は三つの子どもの感性で書け、と言っていますがまさにそれですね。

徳川の昔も近し牡丹園 
〇 名古屋に徳川園という牡丹園がありますが、そこに行ったのかな。徳川家所縁ということで、そうしたイメージの様々が頭を過ったのでしょう。
●中七の「昔も近し」なる逆説的な言い回し、おもしろいと思いました。300年ほどの昔は季語の時間から見れば束の間です。作者は地球の成立してから今に至る時間も念頭にありますね。時代劇の一シーンが立ってくるような錯覚に陥ります。

良港は山陰深しほととぎす
●「山陰深し」で深く切り込んだ湾を想像します。水深もありそう。 
〇風を避けられるのは良港の必須条件ですからね。この措辞の内容そのものはよく言われることで特に新鮮でもないのですが、下五に「ほととぎす」と措かれると、この何でもない措辞が俄然色を帯び始めます。

川底の石蹴立て鮎のぼりけり
●鮎は魚で足はないのですが「石蹴立て」に矛盾をあまり感じませんでした。ぎりぎりですが。 
〇「川底」に腹を擦るほどの遡上の様子は目に浮かびますね。「蹴立て」るというは、必ずしも足で蹴ることが必要条件ではないのではないですかね?「波を蹴立てる高速船」とか言うように、荒々しさを含意した表現かと。
●「波を蹴立てる高速船」はニュースによく出てきて嫌です。このあたりに擬人化を使うむつかしさがあると考えます。擬人化が慣用になってくると嫌ですが、この鮎は擬人化の許容範囲かと思いました。
○「波を蹴立てる」はダメですか。なかなか厳しいラインですね。

明星に闇うるほふや河鹿鳴く 
●闇に湿りを感じています。「河鹿鳴く」もこの情感を支えています。
〇「明星に」の「に」は、「明星」があることによって、といった原因を示していると思うのですが、これだけでは中七になかなか付いて行きにくいところかと。それを作者もわかった上での季語の斡旋ではないかと。私なんかはこの下五まできて、初めてこの措辞への共感をもって味わうことができる感じです。
●そうです。下五の季語ゆえふくらんでいます。

山毛欅芽吹き山梳る沢あまた
 ●「川底の石蹴立て」のこの「山梳る」の作者得意の擬人化です。髪を梳くときの感覚で自然の造型を見ています。容易に登れないV字谷を思います。 
〇「あまた」の「沢」ひとつひとつを櫛歯として見立てたわけですね。作者は、この「梳」られた山面とは別の地点から、この景を捉えたのですかね。
●山頂かどうかはわかりませんが高いところから俯瞰しています。山毛欅芽吹いている山を髪の毛と見ています。

水音の広き夜明や水芭蕉 
●「水音の広き夜明」で尾瀬の平原を思いました。 
〇 ほー、そうですか。私は下五の「水芭蕉」まできてようやく尾瀬を思いました。でも、尾瀬をイメージできた後だと、上五・中七の「水音の広き夜明」という措辞は、まさに尾瀬に相応しく、尾瀬以外考えられない気さえしてきますね。「夜明」であることで、その時間帯の独特の色、ドーンパープル的な色に染まった水面も思わせます。

湖は満ちてあふれず桐の花 
●通常の湖はこういった状態です。それに敢えてこういった言葉をあてがうと湖が神々しく変身します。無から有を引き出すテクニックが冴えました。 
〇実際には琵琶湖含めて、氾濫することもあるのですが、そうした事象とは無縁の把握で、それでなお一定の納得性がある微妙なラインです。作者が今見ている「湖」は普通にの状態であるだけなのに、それを敢えて「あふれず」と否定形でもって表現すること。これがわたるさんのいう無から有を引き出すことだと思いますが、まだまだ可能性のあるレトリック領域ですね。
●この技を使うと俳句で描ける領域はぐんと広がるでしょう。作者は鷹の主宰ですから常に新たな技を駆使しようとしています。ただしその技に全員が気づくとは言えません。気づいて感動する、次にそういう手を自分自身も編み出す。「私は手本を示しています」という主宰の声が小生には聞こえます。
○私もここで門前の小僧になりたいです。

梅雨近き雲に白山蟠(わだかま) 
●「蟠る」は、渦状にまがる、蛇などがとぐろをまく、といった意味です。五音もある動詞を大胆に使っています。
〇五音と言えば先程の句の「梳る」もそうですね。この句は、静と動を反転させた面白さですかね。常に動いているであろう「雲」ではなく、不動であるはずの「白山」に「蟠る」という動作を宛がっていて、これによって、私が言ったような不動である山という認識の一面性を示しているようです。
●俳句は名詞に比べて動詞の使い方がむつかしいとずっと思っています。特に五音にあるような動詞は。下五に「蟠(わだかま)る」を置くのは覚悟が要ります。作者は白山が蟠っている、と書いていますが、ほんとうは雲が蟠っているのです。雲と白山をすり替えるという技を見せています。このすり替え技法を駆使した有名な先行句は「荒海や佐渡によこたふ天河 芭蕉」でしょう。ここで芭蕉は天の川が横たわっていると書いていますが横たわっているのは実際には佐渡です。しかし読み手は錯覚に陥って異空間を楽しみます。鷹主宰がこの芭蕉句を意識したかどうかは知りませんが、熟達者は読み手を錯覚のなかで楽しませてくれます。
○ここで、「荒海や」の句を並べ示してくれるとは、わたるさん流石です。理解が進みました。

一堂に信徒蒸さるる走り梅雨
●梅雨時、大勢の人が集まっていて蒸し暑い。 
〇面白い措辞です。「蒸さるる」のは「信徒」であると同時にその原因も同じ「信徒」ですからね。

殷々と念仏うねり汗滲む 
〇 先の句との繋がりで言えば、集まった信徒一堂、「念仏」を続けるうちにいよいよ気分も高まるのか、「念仏」のリズムに応じてか、身体も「うねり」始めるのでしょう。
おかしいような、怖いような。
●宗教に詳しくないのでどこの宗派か知りませんがこの句は押して来ます。

川見えで川音高き青葉かな 
●最近、小生は「万緑や音して水の見えぬ渓」というフレーズに執着していました。中七の言い回しがいまいち納得できなかった折、これを見て、やられたと思いました。 
○こうしたことって、特に川音ではよくありますね。四季問わず地形的理由などでも起こり得るのですが、下五「青葉」ゆえの「川見えで」を味わいたいです。
●山へ行けばよく感じる風景です。ゆえに小生も狙ったのですが主宰に模範解答を見せられた思いです。これでこのシーンから撤退せざるを得ません。「川見えで川音高き」は無理なくできていていいです。簡潔にして本質を描く、ということを毎月、鷹主宰から教えられています。
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湘子は7月下旬をどう詠んだか

2023-07-27 06:11:10 | 俳句

国分寺プレーステーションの万力


藤田湘子が60歳のとき(1986年)上梓した句集『去來の花』。「一日十句」を継続していた時期にして発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の7月下旬の作品を楽しみたい。

7月21日
くちびるのはなれし泉なほひゞく
水を飲んだのだ、それも膝をついて犬のような格好で。立ちあがっても泉は音を立てている。さて水を飲んだのは誰か。作者か他者か。「くちびるのはなれし」は女性のような印象だが犬のように飲むのか。謎の多い不可思議な句。
還らざる一書に未練夏つばめ
本を誰かに貸したのか。焼失もあり得る。明るい動きのある季語が未練をきちんと支えている。

7月22日
炎天や揚羽くるへる納屋の中
納屋の中に入ってしまった揚羽蝶が出られなくてさまよっているのであろう。納屋の中の暗さと外の明るさが対照的で揚羽蝶が見える。
納涼船ありたけの燈の揺れて點く
納涼船は遊覧船と違うのが「ありたけの燈の揺れて點く」でわかる。屋根のない幅がせいぜい2m半ほどの船か。乗っている気分にさせてくれる。

7月23日
嵩多く食べて土用の蜆かな
「嵩多く」に貝殻を感じる。そうしないと身をたくさん食べられないのである。

7月24日
夏休みとて毛蟲らも道に降る
「夏休みとて」が微妙な味わい。「夏休みということで」という感じか。道のわきにそうとう大きい木が林立している。毛虫は降るというのは野趣があっておもしろい。作者は俳人としていいところに遭遇した。
夫婦のもの突つぱり合つて衣紋竹
何を掛けてあるのだろう。中七がおもしろい。夫婦のものだからさまになった。

7月25日
すててこに約束の肚きめにけり
すててこは素の自分に近い。違和感のあった事柄であることがわかる。
かなかなや老優老妓相睦む
老妓は女性であるが老優は男性なのか女性なのか。ここは男性と読んで詩が出来する。女性とすると事が複雑化し「かなかな」が効かなくなるだろう。年老いたいい男のいい女がいるのである。

7月26日
炎帝に仕へて地震の息永し
暑い盛りに地震が来た。それも長く続く。天と地を描いて勇壮である。
白服の人唾捨てて行きにけり
見たくないものを見てしまった、という句である。よもや白服の人が無作法をするとは思えなかった。ゆえに俳句は立っている。

7月27日
傾きて伊豆の海あり袋掛
袋掛していて立っている梯子などが揺れたのか。それで海が傾いだのであろう。
甚平やソ聯ぎらひのロシア好き
ソ聯は共産党政権でロシアはロマノフ王朝か。1917年の前と後を素材にしている。はたしてロシアが「古きよき時代」であったか。句としてこの対比はふるっている。

7月28日
下枝(しずえ)より上枝(ほつえ)に揺れて朴涼し
上五中七に小生はついていけないが、朴をことのほか愛し庭に植えて日々愛でていた作者が言うのだからそうなのだろう。

7月29日
踊見るための夕餉を町に出て
町の賑わいが感じられる。この角度で俳句になるのかと感心した。
踊見て町の馴染みのまだ少な
この町にずっと住んでいる人の句である。町への愛着を感じる。

7月30日
初蟬や城をめぐれるあをみどろ
作者の生まれた小田原の城か。「城をめぐれるあをみどろ」は簡潔に濠を描いて巧み。
三伏の歯音をしるく煎餅に
「三伏」はもっとも暑いころ。汗でべたつくようなときゆえ煎餅を噛む音が効く。

7月31日
人ごゑの飛びつく葵咲きにけり
「葵咲いたわよ」と女二人が話しているのか。「人ごゑの飛びつく」は小生には思いつかない表現。
灯取蟲修羅も快楽もまだ盡くさず
この場合「修羅」は争いで「快楽」は満足すること。つまり灯蛾が複数いて翅をばたばたさせ始めたのであろう。そのばたばたが修羅であり十分に光になじんでいないと作者は見た。いかにも湘子らしいこってりした美意識。作者も身近に感じる句である。

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与那国島のことを訊きたい

2023-07-26 06:49:31 | 政治


与那国島立神岩

きのうのKJB句会は鷹同人3名、鷹会員1名と鷹が増えて盛り上がった。13:30から始めて句会後、喫茶店へ入り話し、お開きになったのが17:30。3人が小生の言うことをよく聞いてくれて4時間も話した。結との時間が長く、成人とこんなに会話したのは久々であった。話す側にいた。
逆に訊きたいのはエイトのコックスのことと、与那国島の軍備のことである。

軍事基地としての与那国島を意識したのは、自衛隊誘致の是非を問う住民投票が2015年に行われたときである。賛成632票、反対445票で自衛隊誘致が決まり今、自衛隊が駐屯している。与那国島は人口約1700人で、そのうち約160人が「沿岸監視隊」に所属する自衛隊員だという。
いつだったか民主党の政権のとき鳩山首相が沖縄の基地一部移転を沖縄本島以外に行うと言った。快挙と思ったら何の目算もない発言であり、愕然とし、そのとき民主党に対する信頼を失った。あのとき民主党首脳部は与那国島を沖縄の基地移転のできる候補地として考えていなかったのか。民主党のみならず自民党も普天間飛行場代替施設建設地として辺野古ではなくて与那国島が念頭になかったのか。
なかったとすれば政治家として能力が低いと言わざるをえない。自民党でも民主党でも維新でもどこでもいいが、与那国島の軍事拠点としての重要性は中国がいまほど覇権主義をあわらにする前から存在している。
台湾と目と鼻の距離110キロに位置し沖縄とも連携できる砦である与那国島。
松野官房長官が訪問して、有事の際のシェルター建設の提案をしたというが彼の、首相の真意はそこにあるのか。
仮に与那国島が中国であるなら習近平はそこに住む人民をどこかへ移住させ、当地の完全基地化を意図するのではないか。彼の覇権主義を思うと日本政府の動きはなまぬるく感じる。平和憲法を世界に標榜しても国は守れない。軍備が大事である。
与那国駐屯地は、全長が約1200キロメートルに及ぶ広大な南西地域の防衛体制強化のために重要な役割をつとめる。否応のない立地なのだ。
アメリカ……日本本土……沖縄……与那国島……台湾というラインの重要なコマである。軍事中心にならざるを得ない運命にある。台湾が自由主義を守れるかどうかにも与那国島は影響する。
そのことを隠さず表明する政治家が日本に政党を問わず大勢いていい。またそういう発言を騒がずにきちんと受け止めるマスコミと国民がいていい。
政治家もマスコミも学者も軍事に関しては大切なことを言わず隠す傾向がある。小生はいま国を守る覚悟のある政治家に与那国島基地化のことをしかと訊きたい気分である。

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戸田漕艇場へ行こう

2023-07-24 12:35:23 | スポーツ


ボートというと下の競艇とまぎらわしい。ボートレースという言葉には、エンジン舟での競艇の意味と手漕ぎのボート競走の両方の意味がある。やっと「漕艇」という言葉にたどり着いたがこなれの悪い言葉である。




日曜日の朝、NHKテレビをみていたら「小さな旅」で戸田漕艇場が出て画面に見入った。特に東大の漕艇部員8名がボートを担ぐ場面に。そのとき御嶽渓谷でゴムボートを担いだ男たちを詠もうとして「ボートを担ぐ裸かな」の後何の進展もしていないことを思った。
見たまま、「一艇を担ぐ八人」のあと季語をつければ俳句になる、「一艇を担ぐ八人南風」でとりあえず句になる。ボートレースの中ではエイトが一番迫力がある。それを書きたくなってきて、「漕ぎ手八人統ぶる声」が浮かんだ。統ぶるは、統括する、ゲームメイクする、というような意味である。
声を発する人はコックスである。コックスは舵手と訳されるので舵を持っているか動画をいくつか見たが両手で舵を操っているふうに見えない。エイトの舟に舵が付いているとは思えない。舵手という言葉は妥当でないのではなくリーダーというほうが適切である、あるいは邦訳しないほうがいい。コックスは声だけで采配できるのか。もっとも離れた漕ぎ手に声が届くのか。接戦になれば敵のコックスの声も聞こえてこんがらがりそう。ある動画でコックスの「いち、に、いち、に」は聞き取れたがほかに何と言っているのかはわからなかった。
「8人の漕ぎ手たちの一体感のあるオールさばきも必見であり、コックスの合図に従い、一定のリズムを刻みながら一糸乱れることなくボートを動かします。コックスの役割は合図だけでなく、ペース配分、ラストスパートのタイミングや他のボートとの駆け引きをしながら8人の漕手に指示を出していきます。」と、トヨタ紡織ボート部のHPが解説するが、これを読んでもコックスと8人の漕ぎ手との関係がどうなっているのかよくわからない。

戸田漕艇場へ行く気になった。行って見学しても動画より遠くから見るのでわからないと思う。しかし行けば、動画で見えなかったものも見えるだろうし、岸にいるボートレース関係者に取材ができる。
エイトの戦う2000mで漕ぎ手は1分に37~39ストロークするとして210~240回オールを動かす。5分30秒~50秒ほどを全力で漕ぐ。
「陸上400メートルが究極の無酸素運動と呼ばれ、約50秒の間走り続けますが、ボート選手はこれの約5倍の時間を漕ぎ続けます。有酸素運動と無酸素運動の融合した究極的な過酷さを誇る競技と言っても過言ではないでしょう。」と、トヨタ紡織ボート部のHPが言う。

戸田漕艇場へは2、3年前の桜のときに吟行したことがある。雨が降って震えた。あのときはレガッタが春の季語であると知った。人が冷たい水にいて水にいるはずの鴨が陸上を歩いておかしかったので、
レガッタの掛け声岸を鴨歩く わたる
というとぼけた句ができた。一緒にいた句友がレガッタと鴨と季語がぶつかると懸念したが無視した。

再び、戸田漕艇場へ行く気になってうきうきしている。
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