福岡県の国定公園平尾台を散策した。
ここはカルスト地形であり地上に露出したおびただしい石と芒が見ものとか。
北九州市小倉南区に属するが小倉駅から日田彦山線に乗り約30分南下、石原町駅下車してタクシーにて1000円ほど行ったところで下車して古い登山道を歩いてみた。
上りきったところが吹上峠で視界がひらける。
トイレの手洗い場に「この水は飲めません」とあるが蛇口から出る水は煮沸すればいい。コーヒーを淹れて飲む。歩いたあとのコーヒーは空気が冷たいとさらにうまい。
秋惜しむ吹上峠バス停に
カルスト地形とは、石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって侵食されてできた地形(鍾乳洞などの地下地形を含む)である、とウィキペディアが解説する。
芒や泡立草や荒草の中を幼稚園児が歩いているらしい。小さくて遠くて彼らを見にくいが声が聞こえる。
見えぬ子の声空に散る花芒
石というのは数えられるものなのか。べらぼうに多い。芒は石よりも数えられるものとは思えない。
石は石芒は芒輝けり
青空と妍を競へり秋桜
コスモスの中なら何を言つてもいい
人がいて荒野の一角に花の種をまいてくれるとはうれしい。きれいな人が蒔いた花園かと思う。
晩秋の荒野錆色鴉鳴く
秋風に訴へ鳴きの鴉かな
鴉はもう腐るほど俳句に詠まれたきただろうから手を出しにくいが、雀同様身近に感じ、邪険にできぬ。
石どれも墳墓のごとし秋の声
跨りし裸体も石も白きこと
いつだったか写真家篠山紀信が墓地で裸の女を撮った写真集を出してわいせつとかでお咎めを受けた。しかし彼の性に死を重ねる発想はさすがと思い喝采したものだ。
今回いろいろな石を見ていてそのことを痛烈に思いだし、ぼくも石に女を跨らせる幻想に酔ってしまった。
ここは登ろうとすれば山もあるがただ車道を歩いてもおもしろい。だらだら歩いて行った先に、千仏鍾乳洞がある。
標高差200mほどのくだりが急。
鍾乳洞の入口にチケット売り場と食堂兼土産物店がある。
40代とおぼしき女性がかいがいしく働いている。今頃は客が少ないので一人で全部まとめてやっているようだ。
店の前にぎんなんが売られていた。
見た瞬間安いと思い買う気になった。どこの産が聞くとそこと指さす。いま下りてきた急な道の横。ぼくも拾うと思ったほどたくさん落ちている。「やっぱりあそこですか」と話が弾む。
1000円で1200グラムも売ってくれて大いに満足。
苦労を称えると彼女はうれしそう。
鍾乳洞からほとばしり出る水でぎんなんを洗うという。
清流にぎんなん洗ふ女の手
清流に洗ひぎんなん角立ちぬ
ここの鍾乳洞のすごさは途中で川の中を歩くこと。よって玄関で靴を脱いで濡れていいサンダルに履き替える。
水音はたえず14度というが冷たい。ズボンの裾をまくり上げたが濡れて途中で引き返す。岩でこすってシャツも濡れる。夏のほうが爽快だろう。
身に入むや洞の暗きに垂るる石
身に入むや鍾乳洞の女声
秋深し鍾乳洞の水の音
帰りは吹上峠からタクシーで石原町駅へ。1790円。
ここが北九州市とは思えぬほどひなびた静かな駅で気に入った。線路の赤茶けた錆色を見るとどうにもならない運命みたいなものを感じて立ち尽くす。
ぼくは紅葉よりも鉄の錆びた色が好き。特に線路はいちめんに錆びていてうっとりする。
枕木も石も錆びたり秋の風