天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

石と芒の平尾台

2015-10-30 11:16:48 | 旅行


福岡県の国定公園平尾台を散策した。
ここはカルスト地形であり地上に露出したおびただしい石と芒が見ものとか。
北九州市小倉南区に属するが小倉駅から日田彦山線に乗り約30分南下、石原町駅下車してタクシーにて1000円ほど行ったところで下車して古い登山道を歩いてみた。
上りきったところが吹上峠で視界がひらける。



トイレの手洗い場に「この水は飲めません」とあるが蛇口から出る水は煮沸すればいい。コーヒーを淹れて飲む。歩いたあとのコーヒーは空気が冷たいとさらにうまい。

秋惜しむ吹上峠バス停に

カルスト地形とは、石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって侵食されてできた地形(鍾乳洞などの地下地形を含む)である、とウィキペディアが解説する。
芒や泡立草や荒草の中を幼稚園児が歩いているらしい。小さくて遠くて彼らを見にくいが声が聞こえる。

見えぬ子の声空に散る花芒

石というのは数えられるものなのか。べらぼうに多い。芒は石よりも数えられるものとは思えない。

石は石芒は芒輝けり



青空と妍を競へり秋桜

コスモスの中なら何を言つてもいい


人がいて荒野の一角に花の種をまいてくれるとはうれしい。きれいな人が蒔いた花園かと思う。

晩秋の荒野錆色鴉鳴く

秋風に訴へ鳴きの鴉かな
鴉はもう腐るほど俳句に詠まれたきただろうから手を出しにくいが、雀同様身近に感じ、邪険にできぬ。

石どれも墳墓のごとし秋の声




跨りし裸体も石も白きこと
いつだったか写真家篠山紀信が墓地で裸の女を撮った写真集を出してわいせつとかでお咎めを受けた。しかし彼の性に死を重ねる発想はさすがと思い喝采したものだ。
今回いろいろな石を見ていてそのことを痛烈に思いだし、ぼくも石に女を跨らせる幻想に酔ってしまった。

ここは登ろうとすれば山もあるがただ車道を歩いてもおもしろい。だらだら歩いて行った先に、千仏鍾乳洞がある。
標高差200mほどのくだりが急。
鍾乳洞の入口にチケット売り場と食堂兼土産物店がある。
40代とおぼしき女性がかいがいしく働いている。今頃は客が少ないので一人で全部まとめてやっているようだ。
店の前にぎんなんが売られていた。
見た瞬間安いと思い買う気になった。どこの産が聞くとそこと指さす。いま下りてきた急な道の横。ぼくも拾うと思ったほどたくさん落ちている。「やっぱりあそこですか」と話が弾む。
1000円で1200グラムも売ってくれて大いに満足。
苦労を称えると彼女はうれしそう。
鍾乳洞からほとばしり出る水でぎんなんを洗うという。



清流にぎんなん洗ふ女の手

清流に洗ひぎんなん角立ちぬ


ここの鍾乳洞のすごさは途中で川の中を歩くこと。よって玄関で靴を脱いで濡れていいサンダルに履き替える。
水音はたえず14度というが冷たい。ズボンの裾をまくり上げたが濡れて途中で引き返す。岩でこすってシャツも濡れる。夏のほうが爽快だろう。



身に入むや洞の暗きに垂るる石

身に入むや鍾乳洞の女声

秋深し鍾乳洞の水の音

帰りは吹上峠からタクシーで石原町駅へ。1790円。
ここが北九州市とは思えぬほどひなびた静かな駅で気に入った。線路の赤茶けた錆色を見るとどうにもならない運命みたいなものを感じて立ち尽くす。
ぼくは紅葉よりも鉄の錆びた色が好き。特に線路はいちめんに錆びていてうっとりする。

枕木も石も錆びたり秋の風


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犯人をでっち上げた者を罰せよ

2015-10-28 05:15:53 | 世相


大阪市東住吉区で平成7年、小学6年の女児=当時(11)=が焼死した火災(住吉放火殺人事件と警察関係が呼んだ)事件で、殺人罪などで無期懲役が確定し服役していた青木恵子さんと内縁の夫だった朴龍晧(ぼくたつひろ)さんの再審が認められるとともに釈放された。
釈放という事実から多くのメディアが無罪判決が出るであろうと予想している。
大阪高裁が事実上、冤罪を認めた結果になった。

毎日新聞によると記者会見した朴さんは、「うその自白をしたことは人生最大の後悔だ。恐怖や絶望が自分の限界を超え、理性が崩壊した。うその自白でお母さん(青木さん)を巻きこんだことを謝りたい」と言ったようだ。
短い言葉に凝縮された重みを受け止めている。

取調サイドが「車のガソリンタンクからガソリン約7リットルを抜き、ライターで火をつけた」という自白を朴さんから引き出したことが唯一の証拠であり物証はほとんどなかった。
警官・検察サイドの権力の横暴が指摘されるが、なぜやっていないことをこうも簡単に認めてしまったのか。
ぼくがそういうと妻は「警察の取調べの過酷さはすごい。監禁状態で荒っぽい言葉でおまえがやったんだ、吐けば楽になるぞ、と脅迫的に波状攻撃を受け続けたらもうどうでもいいかという気になってしまう…」と自分が取調室に入った経験があるかのようなことをいう。

実は何年か前、長男が麻薬取締法違反容疑で逮捕、拘留されたことがある。
嫁があわててうちへ来て家じゅうがパニックになった。
すぐさま弁護士を立てて接見したりした。
長男がほんとうにやっていれば仕方ないがやっていないにのにやったと自白するのをぼくは極度に恐れた。
刑事もののテレビの劇映画で自白を強要して犯人に仕立てるケースを再三やっている。それを長男はわかっていたようだ。
弁護士を通じて「俺はやってないからなにも喋らない」と伝えてきたときは喝采したものだ。
長男は10日拘留されたものの証拠がなくて釈放された。
長男の家を捜索した警官が大麻が出ず「ちぇっ出でこんな」といったらしい。彼の友人で外地にいた男が麻薬中毒で強制送還されたことのとばっちりを食ったのであった。
警察、検察からひと言の謝罪もなかった。

今回の放火という警察、検察の断定は犯人をとにかく作りたいという心理のたまものであろう。手柄を立てる、成績を上げるといった心理が透けて見える。
俺たちはなんでもできるといった権力意識がありそれを国家が保証しているといった大船に乗った傲慢がある。
青木さんと朴さんが無罪となったとき国は20年間の賠償をお金という形で行うことになる。その際、この件に関与した警察官や検事という個人は何の影響を受けない。
それがまた次の自白強要を生みだすのではないか。
担当した個人を罰するという法律等を作る必要がないのであろうか。
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替歌は子を輝かす

2015-10-26 03:56:35 | 身辺雑記
孫が来て歌をうたい始めた。ぼくにも歌えという。
ぼくが子どもだったころ知らなかったおもしろい楽曲がある。
それは「おにのパンツ」である。



おにの パンツは いいパンツ つよいぞ つよいぞ
トラの けがわで できている つよいぞ つよいぞ


楽しくなって孫の名前を入れて
ややの パンツは へぼパンツ へぼいぞ へぼいぞ
と替歌にしたら子がえらくよろこぶ。来月6歳になる少女は知的に飢えているのか言葉遊びが大好き。それで、
薄いレースで できている みえるぞ みえるぞ
とやったら、昼飯をつくっている妻に聞こえ、「ええ、それはちょっと」と問題視するが少女はさらによろこぶ。
もっともっとせがむ。
おにのパンツのほうは
ごねん はいても やぶれない つよいぞ つよいぞ
であるが、ややのパンツは
いちにち はいたら ほつれる よわいぞ よわいぞ
としたらもうきゃっきゃきゃっと猿と化した。
じゅうねん はいても やぶれない つよいぞ つよいぞ

みっか はいたら まっくろだ こまったな こまったな
と展開したら少女の興奮は最高潮となった。
事情がわからない下の子も姉が楽しそうなので同じように騒いでいる。

賢い少女は一回でほとんど替歌の歌詞を覚えてしまい、そらで「薄いレースで できている」などと歌っている。
妻が危ぶんで「絶対ママの前で歌ったらだめだよ。二度とじじばばの家へ来られなくなるから、わかった」と言い含める。
このころの子は、うんこ、おしっこ、おなら、おっぱい、ちんちんなどが大好き。
性や神秘的なことに根源的に通じているのかもしれない。

子どもは狂喜してよく育つのである。
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たくさん採った柿はやや渋

2015-10-23 17:19:09 | 身辺雑記


4時に起き柿採りに自転車を漕いだ。野川公園へ行く途中のある墓地に鈴なりの柿の木がある。
ちょっと前、道路に枝がしなだれていて柿と気づいた。
この柿の木は高さが3mもなく女の子のおかっぱ頭のように四方へ枝がしなだれている。かなり小粒だが採りやすい。
自転車の前と後ろの籠いっぱい採って帰るとき上り坂がきつくて下車して押した。

たくさん採れたのはいいが誤算があった。
2個目を食べたとき妻が「渋みがある」といい、「だから誰も採らないで残ってるのね。すべてにはわけがある」と得心した顔つきになる。確かに20%ほどの渋みがある。
試食のときはいいのを食っていた。
むかし田舎でばあさんが渋柿を剥いて吊るすのではなくて、割って天日干しにしていたことを思い出した。
小粒ゆえ二つに割って太陽にさらすことにした。

妻がへたをきれいにえぐってくれたのでどんどん割った。
東京の気候が伊那のように寒冷で乾燥すればいい干柿になるのだが、東京はなまぬるい。
腐る恐れが十分ある。
とにかく晴れて寒くなってほしいと願っている。2週間日に当てればすっかり甘くなるだろう。
うまくいくと冬の朝、柿を毎日食える。


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満洲人はシャーマニズムの民であった

2015-10-22 15:57:43 | 映画
きのう「座・高円寺」で記録映画「ロスト マンチュリア サマン」を見た。
サマン(薩満)は英語でいうシャーマンであり、満洲族の文化の原点であるシャーマンを骨格とした原始宗教をたんねんに取材している。

映画のパンフレットは次のように語る。
この映画は、満洲サマン文化の原点に迫り、その歴史や民族的なアイデンティティーを探る物語である。更に、満洲民族の原風景を蘇らせ、その精神や魂を喚起するエネルギーを捉えようとしている。



シャーマンをはじめ村の満洲の人々はぼくの育った田舎の父や祖父やおじさんなどとほとんど変わらぬ顔の骨格で親しみ深かった。
彼らが樹木を通じて宇宙と魂を流通させようとしたり、供物を置いて先祖を祀ろうとする姿に昔ぼくの育ったころの田舎を見ているかのようであった。

映画を作った金大偉さんは中国・撫順市生まれ。父が満洲人、母が日本人である。
1978年彼が13歳のとき家族と共に来日。 東京都立南葛飾高等学校卒業。その後日本国内の大学へ進学し国内のテレビ局へ就職。 音楽、映像、美術などのジャンルを総合的に表現するアーティストである。 近年は主に中国やアジアをテーマに音楽や映像作品を制作するほか、インスタレーション美術展、ファッションショーの音楽や映像音楽の作曲、国内外にて音楽コンサートやイベントを行い、様々な作品を発表している。


右:金大偉さん

満洲は日本が乗り込んで作った「満洲国」だけを指さない。
満洲国建国以前に女真族の建てた王朝として金や後金があり、さらに彼らは中原に進出して清を樹立している。歴史の教科書には満洲族の有名人として金のヌルハチ、清のホンタイジ、康熙帝、雍正帝、乾隆帝などの名がすぐ挙がる由緒ある血筋である。
清最後の皇帝、愛新覚羅 溥儀は映画「ラストエンペラー」であり、満洲人の最後の大物である。日本は彼を担いで「満洲国」を興した。

映画は政治臭が薄く、かえって政治の酷薄さを感じてならなかった。
中国共産党が進出してきて地元の満洲人が入党するケースが増えてきて、自分の原宗教を迷信として排斥するようなこともしたらしい。
ぼくは「五族協和」を唱えて樹立した満洲国にロマンを感じていたが、日本人も彼らに日本語を強要して彼らの文化を奪ったわけである。
共産主義化した漢人が彼らの地へ入り込みやはり彼らの言語に代る北京語教育をし続けて中央集権化してきた結果、現在この地に満洲語や満洲文化はほぼ消滅している。

満洲人にとってみれば日本人も漢人も略奪し文化を奪う強い民族である。けれど満洲人も勢いのあったときは漢人を支配下に置いていた。
民族の興亡の悲哀を感じた夜であった。
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