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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

暑い! どくだみ茶だ

2025-06-17 03:52:57 | 自然

 上がどくだみ、下がほかの草

 

30℃へ到達した。家の中にいても汗だらだらでクーラーを入れた。逃げようのない夏である。冷蔵庫のどくだみ茶をがぶがぶ飲む。ウーロン茶や麦茶の感覚で悪くない。もっとどくだみを刈って干す気になった。近くで刈ってきてほかの草と仕分けした。10日干せば飲める。いままで軽視してきたどくだみ、もっと利用していい。この夏は、どくだみで乗り切るか。

 

 

 ほぼウーロン茶の色

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岸に座し弁当ひらく南風

2025-05-15 00:40:06 | 自然

 

きのう、多摩川の桑の実と胡桃の生育を視察し、そこで昼飯を食う気になった。贅沢をしたくなり立川駅ビルの紀伊國屋で弁当を調達した。

紀伊國屋弁当ひらく薫風に

 

黒米やら赤米やらあまりお目にかからぬ御飯を新鮮に感じる。いつもよりよく噛む。

老鶯や嚙めば噛むほど飯美味く

 

前回ここへ来たときもここの鳥たちの声の良さにほれぼれした。きのうもいい声で鳴いてくれる。ここをまほろばと思う。

鳥の声空にきらめく五月かな

 

 

 

桑苺が旬を迎える。今週末はかなり食べられるだろう。結を連れて来ることになりそう。よもや鳥どももこれを狙っているのではあるまいな。

鳥どもの声にぎやかや桑苺

 

桑の木があちこちにあり実をいっぱいつけている。誰も肥料をやらないのにこれだけの実をつけるとは愛いやつ。太陽と二酸化炭素と水を基にして果実をこしらえるのは神秘と言わざるを得ない。

桑の実の鈴なりの枝なだれたる

 

 

 

鳥の姿を探すが空は青いばかり。声がするから鳥がいることはいるまばゆい空。

鳥声のひかり行き交ふ夏野かな

 

草叢には白い花が点在する。綺麗だが近寄ると手足をやられる。ひどいときは衣服を破られる。しかしそこへ立ち入って胡桃を拾うことは多々ある。藪の中の道をしばし見る。

花茨ひとすぢの道つひに絶ゆ

 

 

 

多摩モノレールの橋の下、日光を避けることができ、風が涼しい。

風涼し急がぬ音のモノレール

 

紀伊國屋のぼた餅は最高。「もち麦おはぎ」と表示されている。まさにモチモチ。

あんぐりとぼた餅を食ふ若葉かな

ぎしぎしににぼた餅食ひし手を拭ふ

 

鳥声の弾んでゐたり三尺寝

腹が満ちると眠くなる。一瞬意識が薄れた。

 

川岸の動かぬ水に蠅生まる

大川の流れは多岐にわたる。本流は遠く近づけないし茂る草に隠れている。岸辺の水はゆったりしている。何度来ても快適なところである。

 

 青胡桃

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国分寺名所で草刈りを見る

2025-04-30 22:10:10 | 自然

 

今朝、夏めいた朝日の中、草地を歩こうと自転車を武蔵国分寺公園へ駆った。あても無く歩き始めて、国分寺名所の七重塔跡へ行く気になった。美味そうなフキを見ながら公園を抜けて森林を下る。そこは「真姿の池湧水群」である。木陰と日向が交錯する道はいまどきがもっとも気持ちいい。

 

濃く淡く緑織り成す泉かな

新緑と常緑樹が入り組み隙間から日が差す。この水は「国分寺崖線」と呼ばれる段丘の下から湧き出る。ザリガニがいてときに子どもが獲りに来る。以前、ここの水を汲む人に出会ったが、化学物質の汚染をメディアが大きく報道したいま消えた。手を洗うにはきれいである。

 

蝶来るとぼとぼ歩く老人に

祭日は国分寺名所につき人が多い。来るのは街の喧噪を好まぬ老人で、彼らは足が遅い。前を歩かれると、イライラする。空を飛ぶ蝶はいい。混雑から自由である。

 

徒し世にわつと出でたる躑躅かな

躑躅の花はうるさいがこれを好む人がいる。蓼食う虫も好き好きである。湘子が嫌ったし小生も好きではない。この句は湘子なら採るのではないか。

 

水音を聴くがにカラーひらきたる

この辺り一帯を本多家が所有している。大地主である。農業を営む本多邸のこの時期のカラーは夏の到来を告げる。

 

 

木漏れ日に風に揺らぐや著莪の花

日陰の花である。この花のあるところ木漏れ日がある。老人にやさしい場所に著莪の花は咲く。

 

鯉幟旭ぐんぐん昇りたる

端午の節句がもうすぐ。屋根より高い鯉幟はいまや稀だがこの辺の家は屋根より高い豪華な物を上げてくれる。

真姿の池湧水群を後にして、七重塔跡に向かう。8世紀、聖武天皇の御代に仏教による国家鎮護を意図して全国に建立した国分寺。その一つが国分寺市であり、その七重塔が建っていた跡地である。

 

いつもと違う見物に遭遇した。草刈りである。耕耘機のような草刈機。地面は割と平ら。機械に付く人は退屈そう。

昼深ししづしづ進む草刈機

太陽の直射ものかは草刈夫

若い人がこういう仕事にまず就かない。小生くらいの年齢に作業員である。お疲れ様。

 

 

草刈機通すに石を穿る人

草刈機に付く人から離れて、木の下で何かしきりに穿っている人がいる。

何をしているか聞くと、屈んでいた彼は立ち上がり小生に正対して応えてくれる。姿勢がよく質問者を見つめる目が若い。

 

 

草刈り機の刃に当たりそうな石などを除去しているのだという。石が刃を破損させ、また飛んだ石が人に当たることもある。それを防ぐための地味な仕事である。

老いたれど明るき目なり草刈夫

おまけに背後の七重塔跡についての話をする。国分寺市の広報の役目も果たしていて好感を持った。

無き塔の由来を語る草刈夫

 

 

しばらく草刈りを眺めた。そのうちに草の匂いのほか機械の放つもろもろの匂いが漂ってくる。

草刈機傾ぎて油煙匂ひたる

 

草刈機見る嘴太鴉(はしぶと)の鋭き目

草刈場兎跳びして鴉来し

草を刈って草が倒れるのを待つ鴉がいる。草がなくなって地面が露出すると彼らに餌をとる好機が訪れるようだ。

 

荒草の刈られて匂ふ昼下がり

「昼下りの情事」と邦訳されたアメリカ映画がある。草が刈り倒されて乾いていく匂いは情事のあとの気怠さと通じ合うような気がする。「一睡や情事は枯草のにほひ」という言い回しも可か。草が刈られる……ここに性愛の匂いがあるのは間違いない。

草刈機うなるや小石跳ね飛ばし

石を除去していた人が草刈りに近づかないようまたいう。石を跳ね飛ばすのはおもしろい。たんたんとした風景の中のアクセントである。

 

 

 

 

蒲公英は丈を諦め散らばれり

国分寺僧寺、講堂跡である。ここを僧寺というのは尼寺が300 mほど離れた武蔵野線の西側にあるからである。ここのたんぽぽは丈が短い。よそのタンポポはすでに絮になって飛んでいる。きのう結と絮を飛ばして遊んだが、ここは花が盛り。

 

燕や先を急がぬ老人に

燕は速い。速い燕を長いこと見るのは老人の特権か。生産に従事する壮年世代は駅へ急ぎ燕どころではあるまい。子育てに忙しい燕をゆっくり眺めるのは時間のある者の至福であろう。

 

老斑を隠すすべなし柿若葉

若葉の中でいちばん明るいのが柿ではないか。老人の顔を逃すまいと照らす。老班が増えそう。もう増えてもどうということはないか。

 

囀に山盛りごはん平らげし

歩いたら腹が減った。立川の星乃珈琲店でカツカレーを食べる。白米は久しぶり。カレーに白米は合う。かなりの量を食べたが太る心配はない。まあ、良い日である。

 

 

 

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湘子が教えてくれた猿茸

2024-11-02 05:51:11 | 自然




藤田湘子の『黑』を読んでいて、10月26日付の
譬ふれば山彦そだち猿茸(ましらたけ)
に注目し、
「猿茸はサルノコシカケ科の茸。幾重にもグレイの笠が重なり壮観である。「山彦そだち」と言ったのがこの作者らしいロマンティシズム。」と書いた。
猿茸をほかの俳人たちはどう書いているか。
ゆく年の水ひびきゐる猿茸 飯田龍太
猿茸ここを墳墓として久し 村越化石
猿茸二斗飲むたより年の豆 角川源義
龍太が別に「ゆく年」を付けて季語とせず、化石は墓地を詠んでいる。源義の句は3段切れで何を言いたかったか趣旨がわからない。
猿茸を季語として正面から詠んだ湘子の句は断然光る。

猿茸をネットで調べると、
サルノコシカケ科が出て
一般に、「猿の腰掛け」の名の通り、樹木の幹に無柄で半月状の子実体を生じるものが多いが、背着生のものや、柄とかさとを備えるものもある。子実体は一般に堅くて丈夫。
と解説する。
さて子実体とは何か。
子実体(しじつたい Fruiting body)とは、菌類が胞子形成のために作る複合的な構造のことである。大型のものを中心に、いわゆるキノコと呼ばれている。
サルノコシカケそのものがまず「猿茸」であろう。

写真のものがサルノコシカケ科の何であるかは知らないが、構造と色の美しさに足を止めた。見ていると蜂の巣を想起する。地蜂でも雀蜂でも蜂の巣は重層している。建築家ガウディは猿茸を見て想像力のエネルギーにするかもしれない。
ここは小生が銀杏を洗浄する水道のあるところ。森の入口から続く道で有閑老人たちがよく体操をする。小生が写真を撮るため近づくとみんな驚いた。俳句をやる人とやらない人の違いである。
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ぎんなんの小さな不思議

2024-10-02 05:36:03 | 自然

左:林檎派、右:梅干派


1本の木から落ちたぎんなんに2つの顔がある。
ひとつは、梅干のように果肉の表面はしわしわのもの。もうひとつは、林檎のようにみなぎるもの。しわしわのものは霜をかぶったようである。
前者が8割、後者が2割といった配分。
梅干型は果肉の腐るのが早いが林檎型は長いこと腐らずに頑張る。
同じ木に2種類がなるぎんなん、不思議である。
誰か、この謎を解説してくれないか。
コメント (2)
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