天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

2月下旬の藤田湘子を読む

2023-02-28 16:51:09 | 俳句



藤田湘子が60歳のとき(1986年)上梓した句集『去來の花』。「一日十句」を継続していた時期にして発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の2月下旬の作品を楽しみたい。

2月21日
春の人灸をすゝめて帰りけり
「春の空」に比べて「春の人」となる言い方はあいまいにて奥行がある。それが灸をするのではなく灸は効きますと、と言って帰ったという。摑みどころのない一句。

2月22日
春浅し道に流れて花舗の水
花屋はしょっちゅう商品に水をやる。それが表へ流れるのはよく目にする。季語の気分を納得する。

2月23日
探梅や紙の皿なるがんもどき
梅を探しながら歩いて休んだ店。がんもどきは湯気を立てている。季語とほどよい取り合せ。

2月24日
石屋には石突兀と梅の花
中七の「とっこつ」はいかにも飛び出ている感じ。梅の花がふさわしい景色。
春愁や次第太りの腹のへそ
次第に太るから「次第太り」か。酒の飲み過ぎと運動不足だろうが春愁に足してユニークな措辞。

2月25日
思ふまゝ雪のつもりし椿かな
椿に雪は似合う。「思ふまゝ雪のつもりし」がよく見える。

2月26日
野遊びの話を持つて君と会ふ
今度あそこへ行こうぜ、という話をしている。この季語の句として作者ならではの個性がある。
牡丹雪花束を抱く顔へかな
花束を抱いているので顔をあまり動かすことができない。ゆえに「顔へかな」である。おもしろい場面。

2月27日
もみあげを剃ればさやけし實朝忌
男っぷりを感じる明朗な實朝忌。

2月28日
マンホール踏んで春興おのづから
春らしい気持ちになった。それはマンホールを踏んだから。俳諧味を楽しみたい。
高々とあがりし鳶や雪間草
木の根元の雪が解けて土が見え始めた。空にはゆうゆうと鳶が飛ぶ。春の到来を感じる。

2月29日
探梅やマラソン来ればそれも見て
梅を探していてマラソンに遭った。この感興を書き留められるのが俳句の真骨頂。
堤焼く鈍(のろ)の男を愛しけり
中七は実直で善良を言いたいのだろう。「亀なくや皆愚かなる村のもの 虚子」の愚かなると同じ思いであろう。「男を愛しけり」と言えるのは作者ならではのセンス。




コメント (1)
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プレイスーテションさまさま

2023-02-27 10:39:36 | 身辺雑記



きのう結をプレイスーテションへ連れて行った。というか、その先の500m先の窪東公園をはじめめざして自転車を駆っていたがプレイスーテションが開いていたので世話になることにした。日曜日開くのが第2、第4、きのうは運よく第4であった。
しばらくここへ来ていなかった。遊ぶものがいっぱいあってよく遊んでくれた。

ここの魅力の一番は、地面が凸凹でそこらじゅう穴だらけなこと。
スコップがたくさんあって、どこへ穴を掘ってもいいし、水を注いいでもいい。したがって泥をつくってこねる子どももいる。結もそうしてどろどろになる。



結がいちばんはまったのがしゃぼん玉つくり。器に溶液が入っていて、そこに丸い針金や骨になった団扇を入れて、空中で振るとわっとしゃぼん玉ができる。結はへたくそで上下にバタバタさせるだけ。横にスイングすることを教えようとするち反抗して泣きわめく。もう好きなようにさせた。
ここで40分。




ここの遊具は手作りが多く個性がある。ぶらんこもふつうの公園にないおもしろさ。





焚火ができるのも大いなる魅力。マッチで火をつけてそれを育てていくことを学ぶ。




外で2時間費やした。望外の活躍をしてくれたプレイスーテション。コーヒー200円、ケーキ100円。それで息を就いて帰ろうとしたら、結が室内に興味を持つ。室内も広く遊具がいっぱい。結は大きなバスと電車に夢中。「いいだせん」とか言いながら電車と一体化している。彼にとって至福の時間なのだろう。ここで30分費やす。
子守りはただただ時間を費やすこと。けがなく、事故なく時間が過ぎていけばいい。
10:15にここへ来て、結を自転車に乗せたのが12:43。ここだけで午前のスケジュールをまっとうできた。すばらしい日曜日であった。




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鷹3月号小川軽舟を読む

2023-02-26 15:05:39 | 俳句



小川軽舟鷹主宰が鷹3月号に「スピッツ」と題して発表した12句。これを山野月読と合評する。山野が○、天地が●。

冬晴や洗車の水を泡流る 
●この句の味噌は「洗車の水に」ではなく「洗車の水を」であることでしょう。
○そうですね。「洗車の水に」は気になるレベルではないのですが、それでも「洗車の水を」に比べると理屈っぽいですね。 
●理屈っぽいですか。むしろ、こなれた巧い助詞だと思います。 
○いや、「洗車の水を」を示されなければ感じない程度の理屈っぽさが「洗車の水に」にはあるんだなと。それはともかく、「洗車の水に」だと水の直線的な勢いに着目した描写になると思うのですが、「洗車の水を」の場合だと車のボディを覆い流れる水の面的な広がりを感じさせます。
 ●小生の感じでは、「洗車の水に」だと水と泡がくっきりと分かれてしまうんです。「洗車の水を」だと水と泡が一緒くたになって流れて行く感じ。ですから写生としては「洗車の水を」のほうが断然優れていると思います。 
○そうですね、「水」 と「泡」が一体となっているかどうかという違いもありますね。

縁石の落葉溜りに雀どち 
●わかりやすい句です。 
○こうした表現で「縁石」の作るちょっとした段差を思い描かせるのが、凄いですよね。 
●どうということのないところで一句を拾い上げています。

モルタルの壁にざらつく冬日かな
○「冬日」を「ざらつく」と触覚的に捉えたセンスが最高。 
●作者の得意のすり替え技法です。ほんとうにざらついているのは壁自体でしょう。それを日がざらつくと言ってしまっているわけです。これで味を醸し出しています。 

隙間風机の脚をめぐりけり
●わかりやすく取っ付きやすい句ですが、12句の1句とするほどおもしろいのでしょうかねえ。 
○「めぐりけり」という表現は、「隙間風」の直線的ではない動きやそれに要する時間を感じさせるように思うのですが、それが「隙間風」らしさとちょっとしたそぐわない感じがしました。「抜けにけり」くらいの感じじゃないかと思うのですが、それだと全くつまらない句になりますね。

蒲団あげし朝日の微塵やがて澄む
●朝、蒲団をしまう経験はしていますが、こういうふうに1句になるとは……。 
○このモチーフで着想できたとしても「布団の微塵」としちゃったら台無しですね。そうはせずに「朝日の微塵」として光の中を漂う「微塵」がリアルです。思い当たる景ではあるのですが、「澄む」まで見ていたことはないなあ。
 ●いやあ、豊かな句です。埃をここまで濃やかに見せてくれて楽しいです。

笹鳴や櫟林に日の戻り 
●季語に負担をかけずあっさり仕上げています。
○「日の戻り」というのは、雲に陰っていたのがそうではなくなる状況ですか? 
●はい、そうでしょう。曇っていたのが晴れました。
○質問ばかりで恐縮ですが、最後の「戻り」は名詞ですかね? それとも連用形? どちらもありと思うのですが、後者の方が味わい深い気がします。
●動詞の連用形でしょう。上五を「や」で大きく切った場合ここの連用形は揺り戻し作用が出て効きます。

スピッツの吠えしも昔日向ぼこ 
●いま犬を飼っていないのですね。 
○「スピッツ」という犬種そのものが昔ほど見かけなくなりましたよね。「スピッツ」は犬種的によく吠えるので、記憶の象徴としての「吠えし」も、思い起こす契機としての「日向ぼこ」もすごく納得できます。

梢まで冬木暮れたり仔犬欲し
●「梢まで冬木暮れたり」にそうとうの寂寥感があります。 
○「仔犬」を連れて散歩に行きたいんだろうな。わたるさんの言うように上五中七の「寂寥感」を増幅させる下五「仔犬欲し」ですね。 
●前の句と併せて、犬を飼いたいのですね。 
○前句繋がりで読むのは自重していたのですが(笑)、便乗して言えば、日向ぼこから暗くなるまでの時間の経過に、かつて飼っていた犬への愛情を思いました。

ぐじ焼いて竈の飯のやはらかし 
●「ぐじ」は、福井県・京都府でいう甘鯛のことです。身が柔らかく、ぐじぐじしているから、とか、釣り上げるときにぐじぐじ鳴くから、とかいうことがの呼称の由来らしいです。 
○「ぐじ」って聞いたことはありましたが甘鯛なんだ。この「ぐじ」の脇役的な扱いが面白いな。 
●「ぐじ」も飯もやわらかくて食欲を誘う句です。

ポンペイの紅の夢冬深し 
●ポンペイはイタリア南部の都市で、西暦79年のヴェスヴィオの大噴火で発生した火砕流によって地中に埋もれたことで知られています。 
○「紅」は火砕流のメタファーであるとともに、ポンペイ遺跡の壁色としてよく言われるポンペイ・レッドでもあるのでしょうね。ヴェスヴィオの噴火自体は確か秋だったかと思いますが、この措辞には「冬深し」ですね。 
●季語の良し悪しはさておき、噴火、火砕流の光景をポンペイと思った心理ってなんなんだろう。夢なんかでそこがポンペイであるなんて特定できるのでしょうか。心理学へ踏み込んでしまうのだけれど。 
○えっ、句中の「夢」は睡眠中に見るそれではないのでは?「ポンペイ」関係の書物か何かに触れた感慨として読みましたが。
●睡眠の夢でなくポンペイを描く場合こういう表現になりますか。噴火で町が埋まってしまったのは夢どころではなく被災でしょう。誰かに意見を伺いたいところです。

バスタブに脚投げ出して草城忌 
●日野草城で真っ先に思い出すのが1934年、『俳句研究』4月号に発表された「ミヤコホテル」10句です。新婚初夜をモチーフとしたエロティックなテイストが話題になりました。作者は「バスタブ」というキーワードでホテルを想像してくれるように図ったと思います。 
○なるほど、そうか。忌日季語の上手い処理ですね。 
●あのころ草城は新奇に満ちていましたから「バスタブ」の軽さは象徴的でしょう。

フラッシュに闇の跳び退く寒さかな 
○カメラの「フラッシュ」だと思いますが、仲間内とか家族での撮影という感じがしません。ゴシップカメラマンとかに闇討ちをかけられた瞬間のような。 
●はい、いい読みです。問題の男女が顔を隠して横へ逃げたというような場面ですね。闇も被写体も跳び退いたという感じ。いいですね。 
○17音でそんなことを表現できるのかと、驚きます。


撮影地:Jタワークリニック付近(府中市)
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投扇興をご存じですか

2023-02-25 16:40:07 | 俳句


   


鷹3月号を見ていて「何これ」と思ったのがこの句である。

投扇興ポケットチーフ乱しけり 黒澤あき緒

鷹の推薦30句 (特選)のうちの1句である。「投扇興」というのを全く知らなかった。ネットで調べると、
投扇興(とうせんきょう)とは日本の伝統的対戦型ゲームの一種である。桐箱の台に立てられた「蝶」と呼ばれる的に向かって扇を投げ、その扇・蝶・枕によって作られる形を、源氏物語や百人一首になぞられた点式にそって採点し、その得点を競う。
と、ある。
的を「蝶」といい、それを乗せる台を「枕」という。投げるのが「扇」である。
ネットには投扇興をしている動画もあり、なかなか優雅である。日本古来のゲームであることはわかったが、季語とは思わなかった。歳時記の中にはこれを季語として収録していないものもあるが新年の季語なのであり、以下の作例がある。

尼門跡の声の若やぐ投扇興 但馬美作
男われ投扇興に負けつゞけ 森田峠
ばらばらに花散る里や投扇興 大下秀子
投扇逸れてひらめき落ちにけり 原田種茅
但馬句は要するに尼さんの興奮を描いており、森田句は男の面目である。動画をみると、体力はまるで関係ないゲームゆえ女性のハンディはまったくない。大下句は蝶、枕、扇の配置に優雅に言及している。「花散る里」は零点であるのがこの句の味噌。原田句は一物で決まっている。

30年俳句をやっていて知らないことが多々ある。黒澤が希少季語に挑戦してくれたお陰で世界が広がった。句友ありがたきかな、である。

末摘花0点



夢浮橋100点

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御嶽神社より便り

2023-02-24 06:29:57 | 俳句



   


きのう御嶽神社より郵便が届いた。それは第50回武蔵御嶽神社奉納俳句の結果報告であり小生の句が蟇目良雨選の特選第3席だという。

その句は、


月涼し湯上りに飲む山の水 


である。去年の6月29日、御嶽山の宿坊・藤本荘に泊って気分がよくて俳句をたくさん書いたその1句。そこそこの出来だがべらぼうにいいとは思わないが特選である。

当地は鶯が鳴き、目白が庭に来る気持ちよい環境であり、

寝転んで老鶯を聞く畳かな

朝涼や目白立ちたる枝揺れて

なども書いた。水がうまかった。藤本荘の料理はすばらしかった。それに立派な投句用紙と投句箱があった。



藤本荘の家の中の祈願所。豪華である



3月19日に武蔵御嶽神社で「春告祭・授賞式」を開催するにつけ小生の出欠を問うてきた。日曜日は結をみる日ゆえ欠席に○をしたが、特選の一人ゆえ出席する義務みたいなものを感じる。特選の3人くらいは金一封を出して出席を楽にしてくれないか。ほかの特選二人が山の近くで容易に出席できることを祈るばかり。


おととしは7月御嶽山へ行き、御嶽山荘に泊った。ここにも投句用紙と投句箱があったので俳句を書いた。このとき蟇目良雨先生は、

靄深く沈めて山や魂迎(秀逸)

老鶯や雨のそぼ降る靄の中(佳作)

と小生の句をとった。このときの秀逸と佳作の振り分けを見て選者の器量が気に入った。このとき初めて蟇目良雨という名を知ったが一度対面句会をしてもいい方と認識した。それで去年も投句したのであった。


御嶽山は俳句を書きたくなるところでこのとき作った

山百合の傾ぐや雨の九十九折

が毎日俳壇の小川軽舟選に入った。

俳句合宿をやるならここがいいと思っている。

コメント (2)
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