天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

声を出して笑える小説

2014-08-31 05:10:52 | 
奥田英朗『空中ブランコ』(文藝春秋/2004)。

読んでいて笑い出した作品といえば、筒井康隆の『富豪刑事』、東野圭吾の『黒笑小説』、西村賢太の『どうで死ぬ身の一踊り』『暗渠の宿』などがすぐ浮かぶが本書も笑ってしまう。
表題となった「空中ブランコ」のほかに「ハリネズミ」「義父のヅラ」「ホットコーナー」「女流作家」といった短篇を収録している。
その笑いは『黒笑小説』のようにブラックではなく茶目っ気と悪戯心のなせる業である。

主人公は伊良部総合病院神経科の伊良部医師。
骨格標本に蛍光塗料を塗るやら、シルクの白衣を着たり、野良猫をつかまえてビタミン剤の注射をしたり、池の鯉を食ってしまったり……大学時代から話題の宝庫。
巨漢で押し出しがいい。感性はまるで5歳児でなんでも興味があってすぐやってしまう。
彼のアシスタントのマユミ看護婦もいい。
胸がFカップのグラマーでボディコンのミニの白衣を着ている。患者に近づいたとき胸の谷間が見えるのが武器。
ただし無愛想でいつもはソファーに寝そべって煙草をふかしている。
伊良部は注射を打つのが趣味がでビタミン補給と称して太い注射をすぐする。これに協働するマユミ看護婦の動きのよさ。
二人で患者をねじ伏せて注射を打つのがスパイスである。
赤塚不二夫のすぐピストルを撃つお巡りさんに似ている。

「空中ブランコ」では落ちるようになったベテランブランコ乗りの相談を受けて伊良部は自分もブランコをやってしまう。
「ハリネズミ」は尖ったものが怖くなったヤクザが登場。伊良部はヤクザの用心棒のような役をつとめる。
「義父のヅラ」は義父の鬘を公衆の面前で取ってしまたい欲求に取りつかれた医師の相談に乗る。
伊良部はその欲求を抑えるために別の悪戯を考え出す。
「金王神社前」という看板に点をひとつ打って「金玉神社前」に。「東大前」を「東犬前」に、「王子税務署前」を「玉子税務署前」に。そしてペンキを持って患者と夜陰に乗じて実行してしまう。

「女流作家」は同じ素材を繰り返しているのではと悩んで書けなくなった作家の話。伊良部は自分で作文しはじめてそれを出版社へ持ち込んで周囲を困らせる。

精神科医の変な言動に接しているうちに患者のほうが何かを気づく。それはソクラテス的気づかせ方かもしれない。ばかばかしいものに接していて自分の問題に気づいていくというのが本書のエッセンス。

自由というのは自分でつかみ取るしかないんだ、というある患者の気づきがテーマといえばテーマであろう。
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東京競馬場内遊園地で子守

2014-08-30 16:04:47 | 身辺雑記
土曜日は長男が娘二人の面倒をみる日。嫁さんを楽にする日とか。
実家を頼って来たがうちで一日いるのもしんどいので東京競馬場の中の遊園地で出かけた。
ババが疲労気味でジジが助っ人。
走れ! はしれ! コータロー 本命 穴馬 かき分けて♪


競馬で身を持ち崩し妻子を路頭に迷わす父もいることだろうから、
こういう家庭向き施設を用意するのは中央競馬界のせめてもの罪ほろぼしか。
馬のいない日の競馬場は子どもの天国だ。
東門付近に立派な船をかたどった遊具がありしばし時間を費やす。
とにかく時間を費やすことが大事。


ちょこまかする子どもを追いかけて船の網(登り降りする)で転んで右ひじ強打、氷で冷やすはめになった。
子どもの遊具といってバカにできない。下手すりゃ骨折。

丘の上にはいま流行りのアンパンマンのキャラクター石像。この漫画が廃れたら壊すのだろうか。ちょっと気になる。


最後は水あそび。吹き上げる水の緩急のある間欠泉みたいなすてきな施設。
3時間半時間を費やすことができた!

 
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うんここわい

2014-08-29 05:16:28 | 身辺雑記

談志は饅頭こわいといったが、俺はうんここわい。
水が見えないほどぐつぐつ出た黒々したやつは俺の行方を真っ暗にする。

20時半から21時に寝ると1時半ころいったん目が覚める。
このとき便意を覚え排便して寝る。
それから3時間寝て起きるのが日課だが、このときの便意は凄い。
便意が突き上げてというか、突き下げてというか、うんこしたいのと目が覚めるのが一緒。

ゆっくりしていてはダメ。
15秒以内に便座にすわらないと尻をよごしてしまう。
二階のトイレのウォシュレットがこわれていて一階へ13段をおりるのだが音を立てると妻が起きる。
静かにすばやく一階のトイレへ急げ、急げ!
20秒かかるとパジャマが汚れる。
うんこはとぐろを巻いたり波打ったり毎日ちがうがその量は半端じゃない。
だいたい水を隠してしまう。
ほっとして煎茶を飲んで落ち着くのだがこれが刺激となってまたうんこしたくなる。
深夜から早朝にかけて都合3回は便座にすわる。

ときに昼ごろしたくなるときもある。
そんなときは妻がトイレにいたりする。バカヤロウ!
あいつはやたら長い時間トイレを占領する。
「何してるんだ」と聞くと「決まってるでしょ!」と声が荒い。
あいつはトイレへ行く回数は俺の四分の一だがその時間は四倍だ。
なんでもっと出そうになってから行かないのか不思議でそれを言ったら怒った。

伊沢惠は「冷まじや女医に訊かるる性のこと」と詠んだが、
生殖と排泄の器官はなぜこんなに接近しているのか。
生殖も排泄も旺盛な若いときは排泄の冷まじが目立たなかったが、生殖から遠ざかるにつれて排泄、とくにうんこがえらく冷まじい気がしてきた。

まだうんこを便器でできるからいいがあと10年してできているだろうか。
ぞっとする。他人事じゃない。
寝込んでいておむつしてその中へ垂れ流ししている姿を思うと死にたくなる。しかしいまは死にたくない。
誰かが俺の世話をしているのか。こわい。恥ずかしい。というか屈辱!

老人医療や介護に金をかけるなんて意味ないんじゃないか。
老人政策は「姥捨」でいいんじゃないか。村の年寄りは70歳になると「楢山まいり」に行くのが習わしという『楢山節考』こそ正解じゃないのか。
生産できなくなった老人はさっさと死んで若い世代に活躍の場を譲るのが生物界の王道じゃないのか。
林業が廃れて人の行かない山ばかり。
そこは老人を捨てる場所でいい。

むかし木喰上人というのがいた。
(1)五穀を断って火食しない
(2)五穀を断ったままで回峯行
(3)ぼん字の読み書き、解釈
(4)石彫および木彫作法
(5)和歌の作り方、詠み方
(6)毎日の勤行、作務
うーん腹が減っていこんなにできなそうもないが、彼のまね事をしていて山中で餓死する。
山でいくらうんこ垂れても誰も文句いわない。死んだらすなわち樹木葬。
あふれる老人と見捨てられた山林はこのように結びつくのが健全。
少なくとも若い女性を殺して遺棄するより老人がくそ垂れ死にするほうが未来があるぜ。

うんここわい、うんここわい、食うのもこわい、けれど食う。もっと少なめにしよう。
それでもうんこがよく出てしまう。
生きているって冷まじい。熱いうんこが出ても冷まじい。
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瓦礫をかぶったりトマトを投げたり

2014-08-27 16:03:56 | 世相
難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者への寄付と理解を求めて世界中で行われている「アイスバケツチャレンジ」。
このことを先日ブログで批判したら、今度はガザでバケツの瓦礫をかぶる男が現れた。

ジャーナリスト、アイマン・アル・アロウルという人がイスラエルからの攻撃で2000人以上が死亡しているその惨状を訴えるためのパフォーマンスとのこと。
彼が瓦礫をかぶる理由として、
「私たちも本当はバケツで水をかぶりたい。ですが、私たちにとって、水にはかぶるよりもっと大事な使い道があります。仮に水があったとしても、凍らすのはもっと難しい」とのこと。

やはり中東の人にとって水や氷はたいそう貴重なものであることが身にしみた。
ぼくの氷水かぶり批判に援軍ができたのはいいが、この瓦礫かぶりをいま広島の被災地の方々が見たら土砂の中で窒息して命を亡くした同胞のことを思わないか、少し気になった。

すべからく世の中はこんなもの。
その地域で最善と思われるパフォーマンスが別の地域で顰蹙を買うことは珍しくないだろう。
この話の延長上にスペインのラ・トマティーナ(トマト祭り)が出てきてもおかしくはない。
スペインバレンシア州の街、ブニョールで8月の最終水曜日に行われる収穫祭で、祭りの間だけは、世界中から街の人口の倍以上の人が集まり、互いに熟したトマトをぶつけ合う。
2008年のトマティーナの参加者は約4万人で旅行の目玉となっている。



写真:「スペイントマト祭り」より

これだってアフリカの飢餓地帯の人々から見れば神に唾するような行事だろう。
いちいち言挙げしたらきりがなく、ぐるりとまわってわが身になんらかの批判の声が返ってきそう。
日本プロ野球の優勝祝賀ビールかけも「もったいない」「無駄」だとたまに批判の声が上がる。

お祝いと自己顕示のからむパフォーマンスはむつかしい。それを批判する人のことを考えたりして広く世界のことを考えるきっかけにはなるかな。

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女の中を生きる還暦男

2014-08-26 06:40:56 | 

藤田 宜永『女系の総督』(講談社/2014)。
森川家に棲まうのは、母、姉はもちろん、子供たちから二匹の猫まで女だらけ。崇徳にとって、女は知れば知るほど理解できない摩訶不思議な生き物だった。彼女たちの“秘密”を垣間見た時…女難と恋が押し寄せる!父親に必要なのは、愛と努力と少しの秘密…家族、仕事、恋、健康―人生のすべてが詰まった直木賞作家の集大成!(Amazonより)

著者はこの小説を書いた動機についてこういう。
「ヒントをあたえてくれたのは、カミさん(小池真理子)の家族でした。女系というほどのことはないのですが、カミさんはふたり姉妹の長女。父親以外に家に男はいませんでした。小池家を訪ねた折、母親と娘ふたりのおしゃべりについていけず、途中で中座する父親を何度見たことか。僕はそれなりにフォローしたのですが、「パパ、そろそろ寝たら」なんて言う女たちの一言に気圧され、父親が姿を消すこともありました。
(中略)
最近はそうでもないのですが、一時、小池姉妹はよく喧嘩をしていました。
「・・・・・・あの子ったら、もう・・・・・・。二度と口ききたくない!」
電話を切った後、こんな感じで苛立っているカミさんの愚痴を聞かされるのは僕でした。
妹は妹で、僕と電話で話している時に〝大変ね、お姉ちゃんみたいな人と一緒になって〟なんてきつい調子で、姉に対する憤懣やるかたない気持ちを僕にぶつけてきたこともあります。
しかし、このふたり、本当に仲が悪いかというと、決してそうではないのです。愉しそうに長電話をすることもよくあって、内心、いい加減にしてくれよ、と思ったことも一度や二度ではありません。
僕は、姉妹の関係がよく分からず、一緒になった頃は、「そんなにぶつかるんだったら、一生会わなきゃいいじゃん」と一刀両断に切り捨ててました。
それが大きな間違いであることに気づくのには少し時間がかかりました。」


著者のこのコメントにぼくも100%同感。
ぼくの妻も藤田さんと同じく姉妹。姉は長いこと中学校の教師をしていました。
姉は家を飛び出す形で好きな男と結婚してしまい、妹(ぼくの妻)が家を継ぐ形になりました。
ぼくは養子縁組をして向こうの牲を継ぎました。
父が死んだときぼくが喪主でしたが実際の仕切りを妻に任せました。
ところが遅れて駆け付けた姉があれこれに口を出しはじめ妻はおおむくれ。「教師なんて教室の中の猿山の猿で世間のことなんかまるでわかっていない。自分はどういう立場なの!」
と絶交も辞さないばかりでした。

ぼくはおろおろしながらここには介入しないほうがいいだろうと模様眺めに徹していました。
ところが初七日が過ぎると姉妹の仲はなんだか元に戻っています。
東京へ来てからはぼくの家は来やすいといって姉は毎月遊びに来ます。
女きょうだいってなぜ、そうもつまらないことを話して時間を費やすことができるんだろう、と思うほどキャッキャッと談笑しています。

さて本書は女性の登場人物が多い。
まず認知症の崇徳の母。同居している末娘夫婦と二番目の娘。しょっちゅう口出しに来る姉。預かっている姪……。
娘夫婦の性的トラブル、長女との積年の仲たがい、姉の不倫疑惑、娘の就職問題、姪の夜のつとめと質の悪い男出入りの問題、妹のだんなのギャンブル狂い、自分自身の恋愛問題と、
万華鏡の中にいるようなめまぐるしさ。
多岐にわたる事象をうまく展開して暗くならない洒脱な展開をこころみている。
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