天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

ひこばえ句会は12月8日(土)です

2018-11-30 03:32:39 | 俳句


【日時】12月8日(土)13:00~17:00

【会場】田無公民館 2階
西武新宿線・田無駅南口から約250m


【出句数】1~8句
当季雑詠(冬の句。晩秋も可ですが遅れるより先取りを。したがって新年は可。春まで行くと勇み足)
あらかじめ短冊に書いてきてください。


【参加料】1000円

【指導者】天地わたる(鷹同人)

【冒頭講義】見えないものを書く力
「見えるように書きなさい」とほとんどの指導者が初心者を指導します。それは俳句を書く王道ですが長くやっていると、見えないものを書きたくなります。そのヒントになる発想とは。
まず京極夏彦の『狂骨の夢』の冒頭4ページの海に関してのエッセイに注目。ここで表
われていない海のエッセンスを洞察する鋭い意識を味わいたい。そして俳句において見えない世界を描いた藤田湘子、小川軽舟、奥坂まやらの逸品を鑑賞します。


【句会形式】合評
句会は全員が横一線です。全員の活発な論評を期待します。俳句は自身が書くことと、人の句を全力で読み解くこととで成り立っています。
どちらが欠けても不毛。どの意見にも間違いはなくその人固有のもの。遠慮ない発言が自分を解放するとともに他者の気づきになります。句会は指導者だけでなく全員で創るというラグビー精神をめいめいが持ってほしい。一人は全員のために、全員は一人のためにという精神。
いつもは天地が全句講評を行いますが次回は出席者が増えることが予想され無理かもしれません、ご了承を。


【ジョナサン会】
句会後、近所のジョナサンで慰労、懇親のおしゃべりをします。暇な方はどうそ。


初めての方歓迎。参加希望の方は、youyouhiker@jcom.home.ne.jp、へご一報を。
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薬掘りならぬ蕗掘り

2018-11-29 05:33:04 | 身辺雑記


野生果実採取が終わってアパートの少しの空き地に蕗を生やしたいと思った。蕗を植えるのなら今だろう。藤野駅から山ひとつ越え4キロほど歩いて蕗をめざした。鉢岡山の近く。



渋い紫に枯れたものは蕨だろう。20年前、蕨はこんなになかった。蕗の合間にぱらぱらとあったくらいだが今は蕨が蕗を駆逐する勢い。ぼくの知るかぎり蕗はここのものが一番うまい。
蕨が旬を過ぎてここまで大きくなったということはこれを春に摘む人がほとんどいなかったということ。ぼくも今年の春はここへ来なかった。

藤野駅の南に日連大橋がある。相模湖が近く相模川の幅が広い。







これを渡って400mほどのバラックみたいな建物でコーヒーを飲んだ。
店の名は「たんぽぽ第1」という。
「エチオピアイルガチョフーG1」というので400円。有機栽培の豆でダージリンを感じさせるフレーバー、赤ワインの風味と店の人がすすめるが嘘ではなかった。
心身に若干の支障のある方々の就労支援の目的で営業している。
先日府中市の路上で買ったがエチオピア産のコーヒーといいエチオピアに惹かれるこのごろである。

店で働く青年が書いたメニュー。コーヒー同様味わいがある。鷹の星野石雀さんの筆致を連想させるような親近感を覚えた。いいものを見せてもらった。




「NPO法人てくてく」
主たる事務所の所在地:神奈川県相模原市緑区日連618番地3
代表者氏名:髙村 雅博
定款に記載された目的:この法人は、地域住民に対して、福祉に関する事業を行い、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与することを目的とする。
活動分野:保健・医療・福祉


来年は蕗と蕨を採りにまた来ようか。ここのコーヒーはまた飲む価値がある。
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見えないものを書く力

2018-11-28 04:44:27 | 


京極夏彦に『狂骨の夢』(1995年5月/講談社ノベルス)という作品がある。百鬼夜行シリーズ第3作である。
中身はほとんど忘れたが度肝を抜くのが冒頭4ページの海に関する記述である。
それはこのように始まる。

海鳴りが嫌いだ。
遥か彼方、気も遠くなる程の遠くから、次々と押し寄せる閑寂として脅迫的な轟音。
いったいどこから聞こえて来るのか。何の音なのか。何が鳴っているのか。果てのない広がりや、無意味な奥行きばかり感じさせて、ひとつも安心できない。

そもそも、海が嫌いだ。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………


小説のはずがエッセイでありそれが2700字ほど続くのである。本題へいつ入るのかと思ったとき、立川談志が枕をえんえんと20分もやるのに似ていると感じたものである。

京極夏彦の海の記述2700字はとにかく凄いのである。
俳句で吟行というのをやる。たとえば九十九里浜へ行ったとしてここで1時間ぶらぶらして俳句を10句書けと言われたらぼくはかなり苦しむと思う。見えるものは波と空と浜だけ。藻屑か木切れでもあればそれを核にすることを考えるがなければどうすればいいのか。波や空や浜ではあまりに抽象的ではないか。
海は海でも横浜港ならば船あり人ありで見える物の種類が多い。横浜港ならなんとかなるであろう。

京極さんは横浜港のような文化のない海について滔々と語るのである。海というものに対する洞察力のたまものが『狂骨の夢』の冒頭4ページに詰まっている。
洞察力は小説家、俳人を問わずあらゆる芸術にたずさわる者の必須の資質だと思う。
見えるものの背後に見えないものを見る。
それを京極さんは海に関して2700字もやっているのである。

12月8日のひこばえ句会の冒頭講義は『狂骨の夢』の冒頭2ページの朗読から入るつもり。4ページの朗読を句会前にすると疲れるので2ページで終える。興味ある人は自分で読んでほしい。
京極さんのものを見る執念に打たれることが勉強になるであろう。俳句の勉強は俳句というジャンルのみにあるのではないことも踏まえておきたい。
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ミラーボールが100個光った気分

2018-11-26 16:16:09 | 俳句


きのうの中央例会、小生の句は序盤の一般選で1点も入らなかった。冬の夕暮、雨が降ってきた気分であった。
月光集同人選になって春眠子さんが、

馬券踏み行き交ふ靴や日短

を採ってくださった。雨降りの中、街灯が一つ点った気がした。次いで日光集同人選でまやさんが別の一句、

地下道の黒き塊毛布着て

を採ってくださった。世の中捨てたものじゃないな、まやさんの講評が聴けるのなら主宰選に入らなくてもいいくらいに思った。まやさんに褒められていると背中に翼が生えて飛んで行く気分なのだ。
主宰は「地下道」の句をお採りになった。まや選と主宰選に入ればいうことなし、ハッピーハッピーと思っていると、主宰は奨励賞として「馬券踏み」を読むではないか。感激したというより虚を突かれた。
街灯一つ点ったどころかミラーボールが100個ほどぼくのまわりで回っている気分になってしまった。

馬券の句に対して春眠子さんが、「馬券を散らす句はたくさんあるが靴をクローズアップさせたのが腕、新しい見方」とおっしゃった。主宰もほぼ同じ意見で「景の切り取り方の参考にしてほしいと思って奨励賞にしました。靴だけに絞った映画的手法のよさ」というようなことをおっしゃった。
本人にそう工夫した意識はない。去年の今ごろ東京競馬場吟行をした。そのとき目の前5メートルあたりを見て言葉にしただけである。季語もすんなりつきほとんど苦労していない。
一緒した木村定生氏が採らなかったことが悔しくて、「そんなにひどい句かよ」という鬱憤はあった。江戸の敵を長崎で討った気分であった。

まやさんの「地下道」へのコメントはやはりすばらしかった。
現代的な句だと思います。新宿などの地下道にいるホームレスの人。毛布が冬の季語としてこんなに切実だということをこれほど訴える句はないのでは。心に突き刺さるものを感じました。
というようなことを述べた。まやさんは選ぶ言葉の一つ一つの巧みであるほか、語る抑揚やリズム感、情感がすばらしく、作者を天に昇る気分にしてくれるのだ。
主宰は「黒き塊と突き放したのがいい。両方とも迫力がある」とまとめてくださった。

鷹12月号の同人1句に小生は

牡丹餅を食ひボーナスを懐かしむ

を載せた。定年後の年金生活は牡丹餅がボーナスに感じられるのである。
俳句のある小集団で親分や姉御から褒められて、それをミラーボールがいっぱい回って光ってくれたと感じる、この酔狂は牡丹餅やボーナスくらい大事なのである。


被写体:近所の民家
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角川俳句賞受賞作を読む

2018-11-25 06:13:05 | 俳句


第64回角川俳句賞は鈴木牛後氏が「牛の朱夏」で受賞した。選考委員の小澤實氏、正木ゆう子氏が◎、岸本尚毅氏が〇という圧倒的な支持を受けての受賞であった。
鈴木さんは昭和36年、北海道生まれ。
正木さんは「格段に厚みがあって清潔な句」、小澤さんは「牛という、はっきり詠みたいものが確か」と評価している。ぼくも最近のこの賞の受賞作の中ではいちばん納得する作品群である。

50句の中からぼくの気に入った句をいくつか見ていきたい。

仔牛待つ二百十日の外陰部
とりわけこの句は気に入った。「二百十日の外陰部」は大胆不敵ではないか。「仔牛待つ」という即物的な期待がいい。外陰部として生殖器としなかったこまやかさにもニンマリした。外陰部としたほうが見えるのである。

秋草の靡くや牛に食はれつつ
牛と深く付き合い牧場で過ごす時間がたっぷりある人でないいとこの場面は切り取れないだろう。

初雪は失せたり歩み来し跡も
外陰部みたいな大胆な攻めもあればかような素材への繊細な接し方もある。

短日や並びし牛の背なの波
牛を集めて牛舎に入れようとしている場面だろう。それは季語でわかる。中七下五の描写で複数の牛がよく見える。牛の背中の線は見どころである。

涅槃雪牛の舐めゐる牛の尿
人間の感覚では汚いとかが先行するが牛に接しているとそれはなくなる。動物は必要なものを何からでも摂取する。そういった自然の節理を季語が支える。この季語は秀逸。

母胎めく雪解朧に包まるる
雪解の季節の天地が水分で充満する景色を豊かに描く。

まひるまや陽炎を吐く牛の口
あの生臭い息を陽炎といって悪くない気がする。作者の健康感がいい。

牛死せり片眼は蒲公英に触れて
正木さんが「滅多に目にする場面ではないけれど即物的に詠まれていていい句」と評価する。珍しい素材や場面は奇異が先立って普遍性から遠くなりがちだがこの句にはぼくもついていける。たくさんある牛の句の中の一句でなくても単独で立つ句である。

菜の花に畑いちまいの膨らみぬ
畑が膨らむというのは類想がないわけではないが菜の花を得て説得力があり読み手を豊かな思いにさせる。

星の鳴る夜空だ遅霜は来るか
荒っぽい詠み方に遅霜を恐れる気持ちが込められている。「星の鳴る夜空」に北海道ならではの寒さが感じられる。

発情の声たからかに牛の朱夏
題名とした句である。素直におおらかに書かれている。

美味き草不味き草あり草を刈る
草を3回繰り返すしつこさに笑ってしまった。下五を替えられないかしばらく考えたができない。これほど牛の立場で書かれている草刈の句は読んだことがなく脱帽といったところ。

トラクターに乗りたる火蛾の死しても跳ね
いいところを見ていて実感がある。一緒に跳ねている道具なども見える。

我が足を蹄と思ふ草いきれ
牛の足を見る生活の中で自分の足も蹄に化したというのは納得できる。ここまでのめり込める対象があるのを羨ましく感じた。

鈴木牛後さんはユーモアのある方と感じた。その俳号に誰しもが「鶏口となるも牛後となるなかれ」を思うからである。

牛飼いといえば、伊藤左千夫の「牛飼がうたよむ時に世の中のあらたしき歌おほいに起る」を思った。伊藤左千夫は大正に亡くなった歌人でそのころ酪農は生業として産声を上げたのだろう。しかし現代のグローバル化した世界において日本の酪農は成り立つのか。
「牛の朱夏」という作品のすばらしさの裏面の現実の辛さを考えてしまった。



撮影地:多摩川、是政橋付近
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