天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

湘子『黑』8月下旬を読む

2024-08-27 04:59:37 | 俳句

収穫期を迎える水田(故郷・伊那市富県)


藤田湘子が61歳のとき(1987年)上梓した第8句集『黑』。荒行「一日十句」を継続していた時期であり発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の8月下旬の作品を鑑賞する。
8月21日
あまつさへ寝違首や秋暑し
「あまつさへ」は、「それだけでも並大抵でないのに、その上さらに悪いことが加わる」という意味。首を寝違えるなどたいへん。暑いだろうな。上五が効いた。
約束の辛(つら)き日なりし灯取虫
会う約束か。起きて出ていくのが億劫。季語がものを言っている。

8月22日
藤村忌山を鎮めの雲ふえて
島崎藤村は木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで始まる『夜明け前』があるから、山を素材にした。雲がふえたのは誰でもいうが「山を鎮めの雲ふえて」が出色。実のある藤村忌である。
秋の蚊は螫したる人を懐かしみ
ほんとうかな、と思うが、おもしろい。

8月23日
きのふより遠きを好み秋の蟬
「きのふより遠きを好み」は、きのう家のそばで聞こえた蟬が今日は遠くで聞こえる、ということか。同じ蟬かどうか詮索せず、そういう感覚はわかる。
秋晴や橋に沁みつくうしほの香
河口近くの橋か。秋晴で澄んだ空と空気を見せておいての「うしほの香」が効いている。
荒草は土をえらばず鰯雲
荒草は生命力旺盛。どこにも生える。中七は言い得て妙。季語を空に転じて雄大である。

8月24日
くもるほど雲ふえてきし桔梗かな
「くもるほど雲ふえてきし」は簡単そうでなかなか言えない。晴天のときに雲はできても散ったり流れたりしてくもらない、という思いが背景にある。自然を見る目の鋭さ。
炎天の見えぬ山見て鴉飛ぶ
暑いときせめて山が見えればとよく思う。「炎天の見えぬ山」は、暑さに呆然とする極めつけの表現。鴉のような華のない鳥がぴったり。
おどろきを三たび言ひたる暑さかな
「暑い暑い暑い」と言ったのであろう。ちょっとしたことだが味のある一句にしている。

8月25日
秋暑し而して松蝕まれ
俳句は五七五しかないのでルーズな言葉が許されないが「而して」は一見遊んでいる。しかしこの橋渡しがこの句の場合ゆとりを生む。結句が「松蝕まれ」ゆえ「而して」が効くのである。
蘭鋳(らんちう)といふひらめきを宙に吊る
「蘭鋳(らんちう)といふひらめき」がこの句のよさのすべて。金魚玉を吊るのである。中空に蘭鋳がひらめく。
もの育つ秋や赤子の放屁また
ふつう野菜なら「もの育つ夏」ではないか。それを「もの育つ秋」として意表をつく。育つものに赤子の屁というのはユーモア満点。

8月26日
露の玉八方の威を拒みをり
「八方の威」はややわかりにくいが、そこに露の玉のようなはかないものがあるのは周囲からの力に拮抗しているから、と作者は見ている。それを読み手も納得できる文脈である。

8月27日
八朔や掲げて志功女神佛
「八朔」は陰暦の8月1日のこと。「志功女神佛」とはおもしろい物を付けた。リズム感と意外性がある。
この路地の杵屋某(なにがし)秋すだれ
上五中七が想像力をかきたてる。簾の奥が気になる。
一瑕瑾なき干潟より秋の風
要するに足跡もゴミもなく砂が広がっていて水がかかると鏡のように見える干潟。風が気持ちいい。

8月28日
惜しきもの無き物置の大西日
いろいろ入っているが金目の物はない。照りつけるだけ照りつけていいよ、という思い。

8月29日
死ぬときも死爪ひとつ天の川
おもしろい句である。今ひとつ爪が死んで黒い。はて、死ぬときも同じ状態なのか。職業が土木工事とか炭鉱夫なら理解できるが字を書く仕事の人がどうして、と疑問を抱く。自分のことでないと読むと、さて誰のことか。いや、やはり自分のことか。

8月30日 箱根強羅
山霧や蛾のたわめたる草の丈
中七下五に味がある。蛾は大きくて葉っぱに止まって草が傾いた。山霧を置いて風格がある。自然に分け入ってこういう句をものにできるのは修練のたまもの。
照りながら雲行く山の芋畑
「照りながら雲行く」がいい。見たものを凝らずに言葉にして言葉がいきいきしている。「山の芋畑」とあっさり置いたのもいい。

8月31日
ひとくちに飯の匂ひや野分後
ひとくち食った飯の匂いが印象的。季語が効いているゆえにいいのである。
盤石のやしなふ苔や避暑期過ぐ
夏が終わる。草はくたびたのもあるが苔はいきいきしている。「盤石のやしなふ苔」が確か。

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生成AIの恋人

2024-08-25 06:40:33 | 世相

「AI彼女・彼氏のおすすめアプリとサイト6選!作り方も紹介」より


きのうNHKテレビで夕方「所さん!事件ですよ」をやっていた。
その冒頭、「彼女ができた」とウキウキの既婚男性が出て驚いた。固いNHKがそんな不倫ものを表立ってやるのか。
よく聞けばお相手は「AIが作った架空の女性」。マッチングアプリで出会いすっかり夢中だが、妻公認だという。
生成AIの恋人というのはたんに導入であり、本題は「夫婦カウンセリング」であった。うまくいかない夫婦が多くその関係を調整するカウンセラーが登場した。さらに夫婦が不和にならないような室内の工夫を提案するインテリアデザイナーも登場した。

夫婦の不和が多いのは我らも含めて承知している。我らも「キューバ危機」を二三度乗りこえて結婚生活48年に達した。とりあえずめでたいと思うこのごろ。
よって夫婦関係調整のカウンセリングは知ってはいるがお世話になったことなく自力でなんとかやってきてそう興味がない。興味深かったのは生成AIの恋人であった。
夫ないし妻が生成AIの恋人を持ったら夫ないし妻はこれを許すかどうかとう命題にすごく興味を持った。
「私は嫌、許さない」と即座に答えたのが熊谷真美であり彼女の生きのよさに惚れ惚れした。これに対して「許可します」という女優が出て、話はそちらへ行って欲しかったがそれは無くそこで終わり。残念であった。





「AI彼女・彼氏のおすすめアプリとサイト6選!作り方も紹介」より


ネットで「生成AIの恋人」と入れると、
 「AI彼女・彼氏のおすすめアプリとサイト6選!作り方も紹介」がすぐヒットした。
  • 彼女の声を好みに変更できる
  • 可愛い彼女から好みの彼女を選べる
  • 擬似的なデートができる
  • 自分好みのAIキャラを作成できる
  • 自分のAIアバターを作れる
  • エルフなどのロールプレイできる
こまかくいろいろな楽しみ方が提示されていて、世の中はもうにここまで来たのか、と驚いた。このサイトは無料らしいがもっと複雑なことができるサイトは有料なのかもしれない。
こうなるとバーやキャバレー、風俗営業店みたいな感じ。疑似恋愛の世界はぐんぐん広がっていきそうである。
生身の男または女がいい、と望む男や女ばかりでないのが人間の複雑でおもしろいところ。疑似世界、フィクションのほうが楽しめると考える人は少なくない。小説を読んだり映画を観たりするのもある意味で代替恋愛を享受している。本当の人間を相手にするとえらく気を使う。自分の思うようにはならない。それを乗り越えて関係をつくっていくのが健康だが健康でない人、自信のない人はごまんといる。そういう人にとって生身でない疑似世界のほうが寛げるだろう。理解できる。
熊谷真美のような生きのいい女が即座に嫌というのはこれまた理解できるのであるが。

人形やぬいぐるみをいっぱい集めて悦に入っている人ももしかしたらファンタジーの世界に耽溺していて夢想の恋をしているのかもしれない。
そういえば映画ですでにAIの彼女は登場していた。「ブレードランナー」(1982年)である。逃走したレプリカント(人造人間)を探し出すのがブレードランナーだがハリソン・フォード扮する捜査官はレプリカントと恋に堕ちて二人で逃げる、という展開。レプリカントとの道行であった。レプリカントの彼女はAIの彼女と違いキスできる。性交ができたかどうだったか知らぬが、生成AIの女より実体がありうきうきした。
こんな関係を絶対許さない熊谷真美はいい女である。いい女だが女房にしたらうるさいだろう、小生の女房のように。
生身でない人との関係……これから大きな問題になるだろう。NHKは夫婦の不和よりそちらをテーマにしたほうがよかった気がする。


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雲の階段

2024-08-24 06:08:20 | 文芸




小生のブログを見た旧友が俳句をやっていることを喜ぶとともに驚いたみたいだ。「むかしは詩を書いていましたよ」といってそれを送ってきた。
たしかに詩のようなものである。1987年3月に書いたらしい。36歳であり俳句を始める直前である。これを見て半分は自分であり半分は他人のような気がした。モチーフは登山のようである。夏から秋に移る不確かな行合いの空を仰ぎ、この時期にあったテキストのような気がする。
「がらんどう」「雲の階段」という2編である。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
がらんどう

山にひとり行き暮れて
水は飲みほした
からっぽの水筒を風にさらすと
ボーボー
からっぽの水筒に息を吹き込むと
ボーボー
がらんどうが鳴る
ぼくの体もがらんどう 


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
雲の階段

ぼくが山を登っていると
雨がふりはじめた
道はぬかるみ
靴の中はぐっしょりになった
草は脚にまとわりつき
無数の実をつけた
もの言わぬ生命の叫び
生命の餞別だろうか?

道はだんだん急になった
ぼくは脚ばかり見るようになった
ザックは重く
体はこごんで
脚の運びだけを見ていた
いつしか
草の実も靴の泥も
きれいさっぱり
流されていた

急に足もとが明るくなった
白い石!
花崗岩のつづく道だ
花崗岩は年月を経たしゃれこうべ
生命の色が抜けきって
折り重なっていた

白い頭蓋の
ひとつひとつは
ぼくの ひと足ひと足を押し上げ
天へ送ってくれるようだった
ぼくはしだいに
自分の力で脚を動かしている
気がしなくなった

靄は木の間をめぐり
葉の色をむなしくしていた
ナナカマドがただ一つの色気
生の残り火を燃やしていた
乳首のような赤い実を
一粒つまんでかんでみると
生ぐささが口いっぱいに広がった
ペッペッ! もう生は面倒だ
額から落ちる雨滴で
口を漱いだ

ぼくの意識は白くなっていった
考える力が失せていった
はて
ぼくの踏んでいるのは石だろうか?
なんだか硬くない
足は軽く
体はふわふわ
雲は湧きたち
どこまでが山で
どこから空がはじまるのか
わからない

ぼくはもう
雲の上を歩いていたのかもしれない
雲の階段……
体がなくなってしまうような
こんなふわふわした感じで
天まで登っていくのだろうか?

そこまでは覚えていた
次の瞬間
雷が轟き閃光が走ったようだ

今ぼくは草原にいる
頬にあたる空気がやや重い
草は赤や黄に色づき
露が光っている
きっと雲の階段から 落っこちたのだろう
まだ天まで登っていけないようだ
体が疼いている……



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辺野古の新飛行場建設を危ぶむ

2024-08-23 04:21:08 | 世相



政府は辺野古の新たな海上に飛行場を作る作業を始めたが、多くの有識者やメディアがそれを不安視している。
「しんぶん赤旗」は、 「沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設で問題となっている軟弱地盤が、最も深いところで水深90メートル(海面から海底まで30メートルプラス地中60メートル)に達することが8日までに分かりました。専門家は、これだけの深さの地盤改良工事は前例がなく、技術的にも極めて困難だと指摘しています。」と報じたし、朝日、東京などが辺野古軟弱地盤に挑むことを危ぶんでいる。
なにせ打ち込む杭が7万7000本必要とか。建設費の試算が2兆5千億円で、完成したとしても絶えず沈下との戦いが余儀なくされるという。
無謀ではないか。素人が考えてもそう思う。
むかし小生の実家の持つ田んぼに沼田があった。ここに新しい土をよそから運び入れても沼が土を飲み込んでしまい、元の木阿弥であった。しまいには諦めて沼田は沼田として付き合った。父の代も祖父の代も曾祖父の代もその前もずうっと諦めてきたのであろう。
そこへ杭を打って小屋を建てようなど考えもしなかった。簡単にいうと極度にむつかしい理に叶わないことに国は血道をあげて税金を投入している。
小生は沖縄県知事玉城デニーがとにかく新基地建設に反対するのには頷けないが彼がいう「完成は不可能」には納得せざるを得ない。
文字通り「金をドブに捨てる」のはないのか。新飛行場は別の地盤の堅固な場所に造るべきであろう。それが沖縄以外で可能か柔軟に考えるべきであろう。
沖縄以外の場所として與邦国島がもっと話題になってもいい。ここの住民は自衛隊招致にそう反対していない。
沖縄はその地勢状、防衛の拠点としての役割を負わされる不遇の地である。ここが仮に日本から離脱して別の国に属したときとしても、やはり基地としての役割を必ず負わされる。それが嫌で独立したくても現状では無理。永遠のジレンマの中に沖縄が存在する。
沖縄の基地という苦悩のいくぶんかを引き受けられるのは、沖縄から台湾に至る島嶼のどこかである。かつて政権を取った立憲民主党の鳩山由紀夫がグアムを挙げたときは冗談かと思った。この人は政治感覚ゼロ、なぜ政治家になれたのだろうと思った。




海上に何かを造るのはとても困難である。
海上で有名な都市にヴェニスがある。かつてイタリアへ旅したとき金も時間もなかったが、ここへは行きたくないなあと思った。
湿度が高いだろう。湿っぽいところは黴が生えて物が腐る。写真で見ている分にはいいがそこに身を置くとなったら考えてしまう。
ヴェニスも沈下が問題になっているらしい。わかるなあ。脆弱な基盤であろう。





浅い海底に杭を打った上に家を建てて暮らしている人々がいる。
水上生活者である。
写真は、インドネシア、リアウ諸島のマレー式水上家屋。これならば海が浅いから倒壊して立て直すにそう金額はかからないだろう。
軟弱地盤の海上に飛行場のような重いものを造るのとはまるで違う庶民の知恵である。
辺野古無謀ではないか。おカネをドブに捨てないでほしい。
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秋、故郷で歌を歌います

2024-08-22 04:59:45 | 文化
平岩高嶺(2016年72歳)


故郷・長野県伊那市で実家を継いでいる兄とメールのやり取りをしているうちに、10月18日(金)、実家を訪れることになった。
7歳上の兄は80歳。若くない。去年木の枝を切っていて脚立から落ちて胸の骨を骨折して回復にえらく時間を要した。また、内臓のどこかの不具合で切除したそうだ。兄とは新型コロナウイルスが跋扈してから4年会っていない。それが発生しない前は1年に1度は故郷へ行っていた。
前に何度か当ブログに書いたが、平岩高嶺は『歌の幼稚園「ふるさと」』を主宰して、自分を「園長」と名乗っている。村の人々を集めて歌を歌う会である。
この催しの司会の一人として檀に立って話をするという役目で小生は兄を助けていた。それがコロナで歌の幼稚園じたいが長い間休みとなった。そのころ小生は1歳を過ぎた結の子守りをするようになった。この会は土曜日開催にて小生は兄と会う機会を失っていた。
兄は年を取った。小生も年を取った。いつ二人の身の上に何か生じて永遠に顔を見ることができなくなる可能性は大きい。
結の子守りを一度休んで兄と会おうと思い立った。
兄は以下のようなレジュメを送ってきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌の幼稚園「ふるさと」・第58回 秋の歌 
令和6年(2024年)10月19日(土)
次第
1)はじめの挨拶 9:00~9:05〔5分〕 園長
2)はじめの歌 「野菊」 9:05~9:10〔5分〕 園長  伴奏:先生
3)懐かしいフォークソング 9:10~9:35〔25分〕 園長  伴奏:先生
  〇小さな日記 
  〇坊がつる讃歌 
  〇 誰もいない海 
  〇赤い花白い花 
4)セーラの唱歌と童謡 9:35~10:05〔30分〕 セーラ 伴奏:先生
  〇あの町この町  
  〇五木の子守歌 
  〇小さい秋みつけた 
  〇故郷の空 
5)小坂先生と浪曲で楽しく 10:05~10:25〔20分〕 小坂先生独演
   今回は浪花節を取り入れた妙技を見せて下さる。
6)休憩 10:25~10:40〔15分〕
7)松浦先生の美音の時間 10:40~11:10〔30分〕
   フルートで「高原の駅よさようなら」を演奏
8)天地わたる先生の俳句教室 11:10~11:45〔35分〕 天地わたる 
  〇紅葉 
  〇加賀の女
  〇美しい十代 
  〇高原のお嬢さん 
9)今後の予定発表 11:45~11:48〔3分〕 園長
10)おわりの歌 「風立ちぬ」 11:48~11:53〔5分〕園長  伴奏:テープ
11)おわりの挨拶 11:53~11:55〔2分〕セーラ    
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「天地わたる先生の俳句教室」という項目を小生が担当する。アンカーである。久々に行く小生に兄が花をもたせてくれた。
こういうとき俳句を話題にできるのは心強い。4句作って大きな紙に墨書したものを掲げる。遠くの人も見て俳句がわかるようにして俳句の話をする。
いま用意しようとしているのは次の4句
 1爺を置き走り出す子や春の雲
 2新米や渋紙色の父笑ふ
 3千本しめぢ渦巻く中にわれ居たり
 4坂登る兄立ち漕ぎや青嵐
1でここへしばらく来られなかった理由を、2で故郷の収穫の喜びを、3で野生の食べ物を得る楽しさを、4で若き日の兄に憧れた弟を語ろうという趣旨。
胡桃がたぶん袋一杯は拾えそう。故郷の人々は都会人より胡桃に興味がない。胡桃を楽しみにしている。

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