結と優希がいて彼らを楽しませる絵本を探すようになった。子どものためになる内容、ということは考えない。「ためになる」の中身がわからない。とにかくあれやこれや借りて来て読んでやっている。最近、以下のようなものを読んでやって結はおもしろがった。
優希はまだそう反応しない。
『よりみちエレベーター』
文・絵: 土屋富士夫 徳間書店
おばあちゃんちにお使いをたのまれたひでくん。届けるのはアイスクリームだが、飛び乗ったエレベーターが「同じところをいったりきたりはもう飽きた」と寄り道をする話。なんとかお使いを果たしてハワイの海へワープ。
結は、エレベーターから出た水に押し流される展開をえらく喜ぶ。絵本は奇想天外。小説だとリアリティとの関連で奇想天外は出しにくいが絵本は自由に遊ぶことができる。
『か~なむらのそんちょうさん』
文:おおなり修司 絵:中川学 絵本館
か~なむらのそんちょうさん。彼のもう一つの仕事は獣医。牧場の具合の悪い牛を診察に出かける。腹をマッサージしていると溜まっていたうんこが噴出して全身どろどろ。
結は、大声で笑う。子どもにとってうんこ物はとにかく受けるのである。腹がすっきりした牛がダンスを踊るシーンが冴える。
『かぞえうたのほん』
文:岸田衿子 絵:スズキコージ 福音館書店
「すうじさがしかぞえうた」「いーいーいーかぞえうた」「ひのたまかぞえうた」「ききたいかぞえうた」「へんなひとかぞえうた」「すいぞくかんかぞえうた」の6章から成る。
小生は「へんなひとかぞえうた」が特に好き。
よんくん ようかん よくにてたべた
ろくくん ろーるぱん ほどいてたべた
ななくん なっとう あらってたべた
じゅうくん まんじゅう つぶしてたべた
このへんは特におもしろい。結は、まんじゅう つぶしてたべた、を何度も言って笑う。
言葉遊びのナンセンスである。岸田の文章とスズキの絵が相乗して無意味をただただ笑える世界。
『こいしがどしーん』
絵:長 新太 文:内田麟太郎 童心社
せんにんというのが いるんだけどね。
かすみを くって、
かすみの へをして、
ぼーと くらしている。
しんじる?
しんじないだろうな。
そのように話が始まる。そこへ地球の千倍もあるでかい星が地球めがけて飛んで来る。みんな、逃げるべく下界は大騒ぎ。みんなが信じない仙人が小石をひとつ転がして地球を救ってしまう。嘘みたいな痛快なおもしろさ。嘘である。長新太は絵本のために生まれてきたような底が抜けた才能の持ち主であった。
『おじさんのかさ』
文と絵:佐野洋子 講談社
おじさんは立派な傘を持っている。外へ出るときは必ず持ってゆく。小雨のときは傘をささずに歩く。傘が濡れるから。たくさん雨が降ると雨宿り。傘が濡れるからです。雨がやまないときは知らない人の傘に入ります。自分の傘が濡れるからです。
大事な傘を雨で濡らしたくないおじさんが傘が開くときが来た、なぜか?
佐野洋子は自分の作品を読むのが子どもであるという意識を持っていないだろう。子どもに媚びていないから詩情が突き抜ける。自分の表現は子ども、大人問わず万人に通じるという信念が確固とした彼女の感性に打たれるのである。
絵描きにとって一枚ものを創るのが最高の営為かもしれないが、絵本という複製(印刷)は万人に幸福を与えてくれる。今、絵本は1500~1700円程度で買うことができる。印刷されてたくさん世に出ているからである。
絵本を読んでみて小説より当たり外れがないように感じる。文字ばかりで小説でファンタジーを表現しようとするとき「ありそう」という感じ、リアリティの壁を越えることが要求される。俳句もしかり。「嘘だろう」と思われたら作品は失敗である。
けれど絵本は嘘だろうと思われてもおもしろければよいのである。よって絵本はすごく自由なのである。大人もはめをはずすことができる世界である。大人たちよ、絵本をもっと読もう!