天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

広渡敬雄句集『風紋』を読む

2024-07-26 04:40:07 | 俳句
    



広渡敬雄氏より句集『風紋』(角川文化振興財団刊)をいただいた。句集『風紋』は彼の第4句集である。
彼は当ブログに好意を寄せているらしい。本を出版するたびにそれを贈ってくださるのでブログに掲載する。
彼とはそういう関係である。30年前、「沖」の若手の集まった「舵の会」にいたのかもしれない。
小生と同じ1951年生まれの73歳である。そんなこともあって親近感をもっている。

帯文に
風紋は沖よりのふみ夕千鳥
という句を大きく掲げている。この句から書名の「風紋」が出たとするなら物足りないなあと思った。
ほかの風紋の句を探したらあった。
永き日の風紋は砂休ませず
このほうがレベルは上質ではない。「沖よりのふみ」は子供っぽい発想。いたずらに情緒に溺れている。
少女趣味より目を利かせて砂を見て得た「風紋は砂休ませず」は地に足がついていて言葉としてのおもしろみがあり、砂上の様子がよく見える。物をしかとおさえたところに俳句の詩情がある、というのが小生の見解である。
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【自選15句】
音のなき潮のうねりの淑気かな
春炬燵目薬ぽいと投げくれし
灯台官舎ありし灯台春惜しむ
山開き空葬(からとむら)ひの友ありし
御来迎彼の世の我に手を振りぬ
献杯は眉の高さに小鳥来る
一本の冬木を父と思ひけり
一位の実さらに小さき掌に渡す
梨剥くや水の瀬戸際ゆくごとし
新海苔の缶のよき音よき軽さ
睡蓮を揺らす波その返し波
霾るや川筋気質誇りとす
絵師彫師摺師版元初仕事
烏瓜引かるるが好き引いてやる
鯉を飼ふ山の一戸や冬支度
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上記の句の中で小生がいいと思ったのは、「音のなき潮のうねりの淑気かな」「春炬燵目薬ぽいと投げくれし」「鯉を飼ふ山の一戸や冬支度」の3句。ほかはピンと来ない。作者の意欲が先行して言葉が躍ってしまっているように思えてならない。
代って小生の選んだのは以下の15句。小生が作者ならこれを帯に印刷したことだろう。

【天地わたるの推薦15句】
黒潮の大きく蛇行蝶渡る
上五中七、句柄が大きくてほれぼれする。アサギマダラのことであろうか。「蝶渡る」が新鮮かつ大胆。広渡さんの代表句といっていい。

草刈りて二日寝かせし甘さかな
刈られた草が乾いていくときの匂いに注目した。それを「甘さかな」と凝縮させた力強さ。

首に巻く手拭嚙んで荒神輿
汗を拭う手拭を首に巻いている。それは嚙むこともある。嚙んで気合を入れるのである。「荒神輿」の受けがいい。

月白や旋盤いまだ熱を持つ
夕方作業を終えたが旋盤はまだ熱い。こういう句は季語次第であるが、月が出ようとして空の淡く明るい「月白」は抜群の効き目。

残菊にあらたな蕾ありにけり
終わりそうな菊に蕾があった。発見である。残菊をそのままにしておいてもたぶん咲かない。「ありにけり」の哀愁がいい。

ぱつと散るふくら雀やみくじ引く
初詣であろう。「ぱつと散る」に寒雀がいきいきと描写される。ここから「みくじ引く」に転じた間合いがよく、正月らしい気分が横溢。

押し返す力を腕に鷹放つ
鷹は重量感のある鳥。腕を蹴って飛び立つ。それを逃さない措辞。

猪肉をどすんと置いて二三言
何を言ったか知らぬが「どすんと置いて二三言」のぶっきらぼうに臨場感あり。まさに猪肉の一物仕立ての句である。

霧の街無声映画を観るごとし
もしかして似たような句があるかもしれぬがこれが落ち着いた抒情である。

顔出してバックするなり焼芋屋
焼芋屋はクルマを運転している。「顔出してバックするなり」がなんとなく可笑しい。それが焼芋の親しさと通じ合う。

かげろふの向うに遊ぶ子供かな
怖い句である。もしかしてその子供たちは冥界で遊んでいるのか。集中もっとも怖い句であり作者らしくない路線かもしれないが異彩を放つ。

ドッグより鋲打つ音や野水仙
正攻法のゆるぎない形の句。海浜で船が造られている。季語で状況がわかるとともに、音を克明に伝えるよすがとなっている。

かさぶたのいつしか剥がれ夜の秋
俳句で「かさぶた」の題材を見ないこともないが、この句の自然さに惹かれる。つまり夏の初めにどこかけがをしたのだ。それがなくなるころふっと秋の気配がした。俳句にしようと気張らないよさである。

金網の錠開けて入る山葵沢
素材がまずおもしろい。盗難防止の柵である。金属の錠を開けるときの音感と水の流れる音とが引き合って新鮮である

ゴーヤチャンプルなるやうにしかならぬ
ゴーヤチャンプルで沖縄を思う。ゴーヤはゴーヤチャンプルになってあるべきところへ落ち着いた感じの料理である。いろいろ料理法はあるがゴーヤチャンプルが一番。これに「なるやうにしかならぬ」は暑さに対しての思いも含めてフィットする。

小生の掲げた句を作者はどう思うか。肩に力が入ってらず、しかし、実(じつ)のある句を選んだつもりである。
自選はむつかしい。作者の前に今後、自選という課題が山のように立っている気がしたが、読み応えのある句集であった。
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100点は気持ちいい

2024-07-25 05:04:26 | 身辺雑記
 


長男の遺した家族3人と犬2匹がうちへ来て2カ月になる。
下を彼らが占領した形、爺婆は2階に住んでいる。ゴミがたくさん出る中に答案用紙があり全部〇。気持ちのいい見物ゆえ写真に撮った。
6年生の漢字テストであり50問正解。爺でもひとつくらい間違えそう、よくできたとしばし眺めた。上の子は中学3年生で受験勉強している姿をよく見る。下の子が勉強するところを見たことがなかったが読み書きは悪くなさそう。
小6と中3の女の子は妙な存在である。俳句にすると
青無花果破瓜期の娘父を避く
という感じで扱いがむつかしい。女同士どうし息が合うのか婆は2人のよい話し相手になっているが、爺は路傍の石かもしれない。少女でも婆さんでも女はむつかしい。手なづけようとは思わない。それでも100点が気に入ったので小6に1000円やった。中3はよく勉強するので同額をやりバランスをとった。
1000円でも喜ぶからまあよい娘かもしれない。
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言葉の貧しき俳人たちよ

2024-07-24 05:05:39 | 俳句
ソムリエ・田崎真也氏と
『言葉にして伝える技術――ソムリエの表現力』
       


今月の「ひこばえネット」において以下のような句評が出た。
  「今年は海に行けそうもないですね。」
  「花火大会は真夏ならではのお楽しみ。県内各地を回っています。」
句を紹介できないのが残念だが、「こんなものが句評か」と小生は句評に小言を書いた。けれど書かれた人は何も答えない。また、採る句のほとんどに
  「形が出来ていると思います」と書く人もいる。俳句歴40年選手がである。
これに対して小生は「形が出来ていなきゃ採らないでしょ。もっと突っ込んだこと書くのが句評です」と不満を述べるがこれまた返答がない。
小生は130句のうち70句くらいに、採った採らないにかかわらず句評を書く。
以下のように。
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●百合は山百合か。こういう場合、その種類を名状したい。「山百合の傾いでをるや草の中」、あるいは「抜きんでて山百合傾ぐ草の上」でもその高さは出る。推敲の余地は多々ある。
●おやっ、こんなところに、という驚きが出ている。中七を「釣鐘草」で満たしたことが効いた。全体のリズム感が心地いい。
●カレーを食いながらヨットを見るのは爽快で切り口としてよい。しかし「クミン」は調べないとわからないし、「ライスジャワカレー」まで言わないといけないのか、冗漫。「ジャワカレー」でいい。もっと整理して精度を上げたい。
●たとえば沖縄の海浜風景だとすれば、この講座はスキューバダイビングかと思う。潜水の講習を受けている感じ。それがわかるから上五中七は季語に対して効いている。
●とらえた場面、切り口がいい。ただし上五は「蛍の」「ほうたるの」として重複を避けるべき。なお短い時間眼鏡にいたのなら「ほうたるの眼鏡の縁に光りけり」としたほうが決まる。
●「リモートワーク」という言葉の日本語への定着率はいまいちだが今を切り取ったという意味で新鮮。夜もだらだら仕事が続いている。勤務と私生活のけじめがつかない生活が見える。
●「寄生木と青葉張り合ふ」、的確に見ていて迫力あり。両方の葉っぱの勢いが感じられてよい。
●黒南風を思った。梅雨の雲を風が押しやっている。「風の暗さ」で作者の心象が乗って分厚くなった。「蛇の衣」を置いたやるせなさも効いて、奥行のある自然観照の句。
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ていねいに書いているつもりだが、それでもソムリエ田崎真也氏のことが頭をちらつき、もっと精度の高い句評を書かねばと常に思う。ワインの味について述べ合うソムリエたちの表現力の凄さについて立花隆が書いていて、仰天した。
日本を代表するソムリエ・田崎真也氏に『言葉にして伝える技術――ソムリエの表現力』(祥伝社新書214)がある。
以下のような内容である。

「肉汁がじゅわっと広がってきますね」 「思ったよりもクセがなくて、食べやすいですね」 「秘伝のタレを使っているから、おいしいですね」 ……あなたは、こんな表現を使っていませんか? 
現代日本人に必須の表現力 日々の生活や仕事のなかで、私たちが文章表現をする場面はますます増えている。これに加え、ブログやツイッターなどを通した自己表現を趣味にしている人も多いだろう。
にもかかわらず、私たちは、表現力を磨くのための訓練をほとんど受けていない。つい、どこかで見たような文章になってしまう。レポートのような論理的な文章ならまだしも、「どう感じたか」を素直に書く文章は苦手、と考える人は多いだろう。飲食物に対する表現はその最たるものである。
しかも、ただ、陳腐というだけではない。その表現の多くが、間違いなのである。 
あなたの表現はズレている テレビのグルメレポーターが、ステーキやハンバーグの一片をほおばり、「肉汁が口のなかに、じゅわっと広がってきますね」と大げさにコメントするのを聞いたことがあるだろう。
ところが、この表現は、実は肝心なところを何も言い表わしてはいない。その肉汁がいったい、どんな味か、どんな香りかが、まるで語られていないからだ。
著者によると、私たちが日頃なんとなく「おいしい」を伝えたつもりで使っている表現は、およそ不完全なものばかりだという。それは、深く意味を考えずに常套句を使っていたり、先入観にとらわれて、本当はどうなのかを正しく言い表わせていなかったりするためである。
それでは、正しい感覚を取り戻し、言葉の数を増やすためには、どうすればよいか。世界一ソムリエが、表現力を豊かにするためのプロセスを明らかにしたのが本書である。

「言葉の貧しき俳人たちよ」と田崎さんに言われているようで落ち着かない。なぜ俳句をやる輩が人の俳句に対してこうも言葉が貧困なのか。
「ひこばえネット」の句評を活性化するため何かしなければならぬ。ある程度作句能力があって批評能力もある人材をこの句会に導入したい。われわれは明らかにソムリエたちに負けている。それを考えないで俳句をやっていられるのか、馬鹿垂れども。
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照ノ富士が優勝する

2024-07-23 05:30:50 | 大相撲

受け止める横綱(左)


大相撲名古屋場所9日目、いちばんの見物は横綱・照ノ富士と小結・大栄翔が対戦した結びであった。
休場明けの横綱がここまで勝ち続けるとは予想していなかった。2敗なら上出来くらいに思っていた。
その横綱にとって一番の難敵が大栄翔である。2敗は不戦敗を含むとはいえ両者の対戦成績は照ノ富士の8勝7敗。
幕内全力士の中で立ち合いの推進力ナンバーワンが大栄翔である。照ノ富士が負けるときは立ち合いで一気にふところに飛び込まれてのけぞる。そうなると低い体勢の大栄翔に一気に押し出される。そのシーンを何度も見てきた。
大栄翔は天敵である。相撲は単純明快に前へ出る推進力であると大栄翔は教えてくれる。
立ち合いにすべてがある。
照ノ富士は受けて上体が伸びない。大栄翔がしゃにむに押して出るが横綱は下がらない。
このとき負けないだろうと思った。相手の攻撃を受けて余裕を感じた。
はたして大栄翔は次第に力を削がれていき土俵に這った。決まり手は「上手出し投げ」だが巌にぶち当って撥ね返された感じであった。
盤石である。
いちばん嫌な押し相撲を退けて追ってくるやからと2差。
今日取り組む霧島は敵ではない。前で出る力が鈍い。後は大関・琴櫻だが横綱の優位は揺るがない。
舞の海さんが稽古不足からくるスタミナ切れを心配していたが、今のところいけそうである。
こうなったときの横綱は優勝のしかたを熟知している。久々に2敗以内の優勝が見られそうである。


盤石に撥ね返された大栄翔

コメント (2)
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夏を寿ぐ緑たち

2024-07-22 05:37:03 | 自然


高尾山。
「地球は青かった」はソ連の宇宙飛行士ガガーリンが1961年に遺した言葉である。宇宙から見る地球は青いのだろうが
陸に住む我々は夏、緑をいきいきと感じる。緑も青というのであるが。

高尾山へ行って「万緑」をひしひしと感じた。特に樹木の織り成す緑に圧倒された。「翠嵐(すいらん)」といういかめしい漢語をかつて「鷹」の俳句で見たことを思い出した。みどりに映えた山の気、という意味。小生も使いたくなり
翠嵐に気触れさうなり滴れり
としてみた。行っているのかいないのか作者はわからない。あまり考えず緑の曼陀羅に気を放つのがよさそう。






賃仕事をしているアパートの庭。
かつてドクダミが繁茂していた。抜いても抜いてもドクダミが生えたが、ある時やけに少なくなった。
見ると、地衣類というのか、違う緑が密集していた。小さなものが密集したさまを美しいと感じるのが不思議である。







黒鐘公園の池。
夏、緑に変色する。きれいな緑でなくいろいろな物が腐った緑である。もう少しきれいなときおたまじゃくしがいた。
エネルギーに満ちていていろいろな生物が元気である。
三伏や亀のひしめく緑沼






恋ヶ窪駅近くのとある農家。
毎年、箒木が生える。このふっくらとした緑が好きでよく眺める。酒処の玄関を飾る酒林も丸い立体感であるが緑はすぐ消えて茶になってしまう。
これを引っこ抜いて飾ってもいいのではと思う。







多摩川河川敷。
草が繁茂している。草の葉は千差万別。見ていて飽きない。
捕虫網千種の緑きらめきぬ







大垣産さんの庭の隅。
うちから一軒おいたところに大垣さんが住む。10年ほど前に奥さんを亡くし一人住まい。
家のペンキ塗りなどこまごましたことをよくやる。しかし、庭の隅の苔はむしらない。小生同様ここに美を感じているのかもしれない。
徹底的に草むしりしない人と見た。そういう人とは友人になれそう。







都立武蔵国分寺公園。
樹下がたくさんあり全く日を受けないで歩けるのでよく来る。一角に芭蕉が立っている。
あまたある葉の中で、5月の朴若葉とこの芭蕉の葉は美しい双璧と思っている。光の透け具合が絶妙。芭蕉の下で句会をしたい。







真姿の池湧水群。
本多さんの家を支える石垣。それが川をも支えている。結がバシャバシャ水を飛ばして駆けるところ。
石という無機質は見たところ生物がいそうもないが菌類がいっぱいいるようだ。中に葉緑素を持つやつがいて彩ってくれる。






吉祥寺の動物園。
大樹の幹はほかの蔓性植物の生きるよすがになる。蔓草は垂直に己がテリトリーを黙々と広げる。







姿見の池。
ここをあおみどろが好む。鴨と鯉が棲んでいるがあおみどろはもっと元気。あおみどろは水雲(もずく)みたいで食べられそうだがスーパーに出ていないところを見ると美味くないのか。ここに一匹いる白鯉が潜っては水泡を立てる。
あをみどろおどろおどろし五月闇






お鷹の道。
真姿の池湧水群に関連してお鷹の道がある。水の湧くところから300mほど下流。細い川が埋まるほど水草が茂っている。
その光沢と質感にうっとりする。生命の躍動を光を放って表現している。あっぱれである。







翠富士(みどりふじ)。
彼は番外の緑。前頭十枚目。身長171.0cm、体重117.0kgと体に恵まれないが中日、竜電をあざやかな下手出し投げで屠って5勝3敗。
夏の桑の葉のように黒みがかった緑のこくを彼に感じる。


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