天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

鷹7月号小川軽舟を読む

2024-06-29 04:41:20 | 俳句

井の頭池



小川軽舟鷹主宰が鷹7月号に「連結」と題して発表した12句。これを天地わたると山野月読が合評する。天地が●、山野が〇。

青空に蝶つまづきしもの見えず
●蝶の飛び方は燕と違い直線的ではないです。急に止まったり弾むような動きもしたり、予測できません。がくっと止まったとき空中の何かに蝶がつまづいた、と見ました。
○観察者が予測したものとは異なる動き、しかもそれは、蝶が意図したものとも異なるような動きだということ。さらには、その原因は「青空」に存在はするが見えない障害物だという前提を読者に飲ませられるか、に賭けた句とも言えます。その上で、一般には足・脚と近接性の高い「つまづきし」という言葉を、飛翔することで直接的には移動に脚を用いていない「蝶」を相手に用いた面白さ。
 ●湘子に「雪溪を雲行き大き無音過ぐ」という見えないものに挑んだ句がありますが、湘子の高弟子もまた見えないものに挑んでいます。見えないものを見えるように書くのが俳句の醍醐味かと感じました。われわれには容易に真似できませんが。

じれつたきエスカレーター霞草
○「エスカレーター」の速度が遅く、なおかつ、「エスカレーター」には人が列をなしていて乗りつつ歩き進むこともできないのでしょうね。
●季語の霞草に注目しました。ちょっと意表を突きますがどこにあるんでしょうか。
 ○「エスカレーター」の多くは屋内に設置されていますが、ペデストリアンデッキなど、屋外に設置されているケースも珍しくありません。「エスカレーター」上から地上に咲く「霞草」を発見し、これに早く近づきたいが故の「じれつたき」ではないでしょうか。
●小生はせっかちでエスカレーターを歩くので「じれつたきエスカレーター」に拍手です。霞草は意味がなくいい付き方です。

したたれるペンキの抗議黄砂降る
●高架下のコンクリートの壁を思いました。「ロシアを糾弾する!」などと書いてあり、ペンキが垂れているのです。
○わたるさんだから「ペンキが抗議するものか!」と指摘が入るかと思いました。わかりやすくは「ペンキで抗議」ですね。「黄砂降る」という季語と絡めて考えると、この「抗議」の内容も尖閣諸島関係とかイメージの方向性が絞られそうです。
●「ペンキで抗議」はいけません。「ペンキの抗議」だから俳句なんです。
○わたるさん、安心してください。私も「ペンキで抗議」が俳句表現としては不適であることはわかるようになっています。

麗かや折り畳まるる人の列
○「折り畳まるる」という他動詞であることから、並んでいる者の意思によってそうなっているわけではなさそうです。行列のできる店の前とかだと、近隣店舗の邪魔にならないように行列の筋道があらかじめ示されていることがよくあり、そうした規制による「折り畳まるる」ですね。
●要するにあまり列が長いので曲がるように指示され、それに従っているわけです。言うことよく聞く日本人の習性が出ていて哀しいような景色。これを「麗か」と言ったのには皮肉さえ感じました。
○極暑の中とかではなく、「麗か」故に、列にも並ぶし、指示にも従うよ、みたいな感じ。

鮑になるか一生常節でいいか
●鮑は上等なんです。一方、常節は鮑そっくりですが小型。食べられますが鮑ほどは珍重されません。そこを狙いました。
○二者択一のようであっても、現状は「常節」であるというところに味があります。
●主宰がわれら門弟に、きみたち常節でいていのか、鮑になりなさい、と叱咤している印象があって、まいりましたよ(笑)

頭に体軀連結し蟻穴を出づ
●今月の発表句のなかで一番がんばった句じゃないですか。蟻の頭と体軀ってなんだか列車の車両みたいじゃないですか。頭と体軀が細い金具で繋がっているような感じ。
○主宰は鉄道系の企業にもいらしたんですよね。「連結」という言葉に馴染みがあるのかも。一匹の「蟻」の構造を捉えた表現でありながら、「連結」と言われると「蟻」の列まで見えてきそうです。
●頭と体軀の連結は新鮮です。ここまでの写実はこの作者になかったのでは。兄弟子、小澤實の方向性を感じましたが小澤さんは「連結」は持ち出さないでしょう。軽舟さんだから「連結」という一種の比喩で切り込みました。ものを描写するこの目が働き出したら今後どういう句境が展開するかぞくそくしてきます。

ボルヘスの迷宮深く目借時
●Wikipediaによれば、ホルヘ・ルイス・ボルヘスはアルゼンチン出身の作家、小説家、詩人。特に『伝奇集』などに収録された、夢や迷宮、無限と循環、架空の書物や作家、宗教・神などをモチーフとする幻想的な短編作品によって知られている、とのこと。
○ 「ボルヘス」と言えば、私にとっては『幻獣辞典』です。「ボルヘス」の書物を広げつつ、うつらうつらのよい時間。
●これは知的に処理してうまくこしらえた句で、小生にとってきどきする句ではありません。

はんこ屋に客待つ苗字春の暮
●苗字が客を待っている、と読みました。「田中」とか「村田」とかいった三文判をあいうえお順に収納しているケースを思いました。
○「客待つ苗字」だけを示されてもピンとこないのですが、これに「はんこ屋に」がつくだけで視界が開ける面白さを思います。季語もいいですねえ。
●「はんこ屋に客待つ苗字」、どうということない場面ですが言葉のこなれがよく、巧いです。こなれのいいフレーズは適切な季語を呼びこみやすく句が立ってきます。

清明やさざなみ写す写生帖
○この句で興味深いのは、「さざなみ」は「写生帖」上にあり、さらに、それを俳句上に「写す」という二重の写生が行われている点です。本句では、作中主体が「さざなみ」を「写生帖」上に写したのであり、句の現場にしかと「さざなみ」が存在することが想定されるというところがミソなのかなと。
●さざなみを写生しているという構図がおもしろいです。「清明」という季語、小生はむつかしくて使えませんでしたが、この句が方向性を見せてくれました。「清明」に「さざなみ」が響きます。

パラフィン紙古りて艶めく康成忌
●川端康成の命日は、1972(昭和47)年4月16日です。72歳でした。パラフィン紙は古くなっても光沢は不変ですか。
○ここでは「艶めく」は必ずしも光沢を示しているのではなく、川端康成の作品内容、作風を踏まえての「艶めく」じゃないでしょうか。
●そんな読みはありませんよ。まずパラフィン紙が艶めくことを読み取ることが大事で、作者もそう書いています。
○確かに「パラフィン紙」自体が「艶めく」ことが第一義です。「パラフィン紙」が「古りて」乾燥して砕けやすくなっている儚さもあって「艶めく」としたのかも。
●味のある配合です。

勾玉を胸乳に垂らす穀雨かな
●女性でしょうね。 
○そうでしょうね。少なくとも上半身を露わにした女性。「勾玉」「胸乳」「垂らす」「穀雨」の四つの言葉が極めて有効かつ相乗的に機能して、例えば「勾玉」が母乳、或いは雨の滴りとか胎児の形象であったり、「垂らす」のは「勾玉」だけではなく、母乳だったり、雨だったりとか、言葉に内包された原初的な可能性が次々に展開していくような句です。
●そうですね。大地の実りをうながす「穀雨」が効いていますね。

捥げさうな土偶の乳房夏来たる
●前の句と関連していますね。「捥げさうな土偶の乳房」はよく見ています。
○「乳房」に「夏来る」とくれば、西東三鬼の「おそるべき君等の乳房夏来る」がありますね。片や若くみずみずしい乳房に対して、本句のそれは乾燥しきっているようですが。
●三鬼は生身の女、こちらは土偶。ゆえに「捥げさうな……乳房」から劣情が消え生命力謳歌となっています。

コメント
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