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小川軽舟鷹主宰が鷹8月号に「藻畳」 と題して発表した12句について、山野月読と意見交換する。山野が〇、天地が●。
雨を見る眼動かず五月忌(さつきいみ)
●季語に凝った作品が多いというのが一読した印象です。「五月忌」という季語は山本健吉の歳時記(文藝春秋)は掲載しておらず平凡社のそれには、五月を忌月として諸事を憚ること、とあります。もとは田植えを始める前に田の神の来臨を待つ巫女がかなり長い霖雨忌をしたとのことです。家に籠って穢れを祓い身を清める、といったようなことです。
○豊穣祈願に「雨」はタイムリーとも、付き過ぎとも言えそうです。「雨を見る」とは書いてありますが、「雨」を通して向こう側(空間的ではなく)に気が行っている感じですかね。
●付き過ぎというのはまるで季語がわかっていませんが、向こう側に気が行っているという把握は冴えています。潔斎をする巫女が目を動かさないというのは迫るものがあります。
○「雨」とも関連するような理解をしていました。
●あなたがなじめないようにこの季語は存在するもののほとんど使われていないからです。五月忌を季語として掲載している平凡社の歳時記にも例句はありません。
藻畳やはつはつに花かかげたる
●「藻畳」という季語、考えてしまいました。小生のもっているどの歳時記にもこれを収録していません。たぶんに作者の創作が入っているように思います。たとえば「霧」を調べると「霧襖」という季語に遭遇し、霧の深さを思います。同様に、「藻」に対して「畳」が付くと藻が密集して広がっている感じが出ます。作者はそれを意図しているでしょう。
○なるほど、解説を聞いて「藻畳」のイメージは掴めました。「藻」に覆われた田(ですかね?)のひとところに微かに「花」が頭を覗かせている情景ですか。「かかげたる」という把握が明るくていい感じです。
●田じゃないですよ。沼か川ですよ。まるでわかっていないなあ。「はつはつ」は漢字では「端端」で、かすかにあらわれるさま、ということ。睡蓮みたいにはっきりした大きな花じゃなくてかそけき花です。
○田でそんなことがあるかなあと思いながら、前の句に引きずられていました。
●要するにこの句は「藻の花」という季語を展開したものです。季語を展開した場合だいたい水増しになってしまいますがこの句は立ち姿が凛としていて読んで気持ちがいいです。
虹立ちて傘を引きずりゆく子かな
○先程まで降っていた雨があがって、そうなれば、この「子」にとって「傘」は無用の長物というわけですね。中七の描写が、この「子」をリアルに切り取ってます。
●「傘を引きずりゆく子」、おもしろいですよ。虹の句でこういう展開の句、見たことがありません。やりようで俳句の抽斗はいっぱいあるということを見せてくれました。
吹き抜けし風に影あり衣紋竹
●風に影なんてあるんですかねえ。情緒過多じゃないですか。
○「衣紋竹」には丈の長い服(ワンピースとか)が掛かっており、「吹き抜けし風」に微かに揺らされることで、その服の影も揺れているのを、「風に影あり」と捉えたのでは? きっと「風に影」と捉える程に、服の影は淡いのでしょう。
●いい読みですねえ。こういうふうに読む人がいると、情緒過多という評は撤回しなくちゃいけませんね。
借金を返す借金雲の峰
○「雲の峰」を「雪だるま」としたくなるように、措辞です。利子すら返しきれずに、どんどん増えていくばかりの「借金」のよう。にも拘らず、この句が詠める能天気さがいい。
●自分のことじゃないですよね。 銀行から借りた金を返すために街金から借りるという構図が浮かびました。「雲の峰」は絶妙。どんどんふくれます。明るい季語をもってきて暗い事象を描くというのは見事です。やっぱり自分のことじゃないですね。そういう愚かな人を笑っている感じの「雲の峰」です。
○確かに作者のイメージとは隔たりがありますが、当事者なら句としてなお面白いと思いました。
じりじりと油蟬鳴く古土塀
●一読しただけで暑苦しいですね。「じりじり」はありきたりのオノマトペですが内容が内容ですから悪くない。
○もちろん悪くはないのですが、いかにもの感じの句ですから、敢えてこの句を提示するからには何か見所があるのではと思うのですが、さて?「油蝉」に「古土塀」とくると、色味的にも暑そうだけど。
●この句はラグビーでいうとスクラムにボールを入れて出さずに押し込んでいく感じ。バックスへ展開しないので派手さがないですが力強いです。
麻たけて姉(ねえ)やは嫁に行きにけり
●「麻」は夏の季語ですが、「麻たけて」と使った句をほとんど見ません。「麻の花」あるいは「麻刈りて」とするより「麻たけて」がこの場合効くのは歴然としています。
○「麻」は成長か早いと聞いたことがあります。それを下敷きに考えると、ついこの前まで一緒に遊んでいた「姉や」がもう「嫁」に行ってしまうんだなあ的な感覚でしょうか。
●そうです。中七下五の俗な言い回しを季語が引き立てています。
火取虫火に近づけば影巨(おほ)き
○「影巨き」というのは、少なくとも虫そのものよりも大きいのでしょう。影の大きさは投影される面までの距離によると思いますが、どこに投影されたのですかね。そう考えると、場所情報が少し欲しくなり、「火に近づけば」は不可欠な要素ではない気がしてきます。
●「火に近づけば」がなかったらどうしようもないでしょ。焚火でもいいです。そこへ 火取虫が来ました。めらめる燃える火が影を大きく揺らしています。月読さんの読み、今日は変ですね。句に参画していない気がします。
○いつもどおり真剣に楽しんでますよ。「火取虫」以外であれば、「火に近づけば」がないと話にならないのですが、「火取虫」に「影」とくれば、そのくらいは読み手の想像に期待してもいいんじゃないかなと思ったのですが。
鵜篝や鉄漿(かね)の黒さに水流れ
●蛇笏賞を受賞して作者の句の傾向が変わりつつあるのを感じます。自分の生活じたいから取材して親近感ある句をたくさん書いてきた作者ですが、そういった自分の周辺から題材を取るのではなくて、歴史的なものを改めて見直し自分なりの世界を開拓しようとう意思を感じます。それが「鵜篝」であり「鉄漿」だと思うのです。
○この「鉄漿」は、「鵜篝」の器具(篝籠というのかな)の色であり、夜の川面もまたこの色という把握。
●夜の川は黒くて凄みがあります。流れがあるので光沢があります。それを「鉄漿(かね)の黒さに水流れ」と表現されるとうっとりします。御歯黒の液体のあの黒さがなまなましく働いています。稀少季語など市井の人がついていきにくい句に挑戦する中で、この句はわかりやすくて深いという点ですばらしいです。
暗き顔明るき顔や走馬灯
○「走馬灯」から発せられる光の動きに応じて、そこに集った者たちの顔もまた明暗移ろう様。この「暗き」「明るき」は、即物的な明暗と捉えないと面白くないですね。
●複数の人走馬灯を囲んで見ています。 いろいろな模様が動くなかで明かりの強弱が発生しそれが顔に映ります。その明暗見るのが妥当です。けれど、その人たちの幸不幸といったものを読み取れるようにも書かれています。
○そうか、「走馬灯」ゆえ、亡くなった親族と関連付けた思いからの明暗を読んでは面白くないと思ったのですが、そうしたこととは無関係の幸不幸ならいいですねえ。
垂迹の峰みどりなる氷室かな
●垂迹は「すいじゃく」と読みます。仏教用語で、仏や菩薩が人々を救うため、仮に日本の神の姿をとって現れること。本地垂迹説などという言葉もあります。
○御神体なる「峰」でしょうか。小屋的なものではなく、洞窟形式の「氷室」をイメージ。
●今回、稀少季語が多く想像で書いであろう句が多いです。この句、作者は実際に見て書いたのかと考え、これも想像による所産ではないかと思いました。実際にどういう山が「垂迹の峰」か調べてみて、熊野権現あたりを思いました。「峰入」を行うあたりです。しかしあそこに氷室があるかどうか。いま氷室なんて簡単に見つけられませんから。今月作者は稀少季語が繰り出すファンタジーの世界を楽しんでいると思います。
かさかさと翅触れ蜻蛉つるみけり
●「かさかさ」はオノマトペとして平凡なのですが肩の凝らない仕立てはいいです。
○「かさかさ」というオノマトペは、聴覚的な把握ですが、加えて、音の軽さ、(点的ではなく)面的な接触、乾燥性などを喚起しますね。
●今回、稀少季語の世界を想像力を駆使しての作品を数多く披露しましたから、こういった身近なものを詠んでバランスをとったというふうに思います。