天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

小池百合子はプリティキャストになれるか

2016-06-30 00:05:34 | 政治


きのう小池百合子元防衛相(63)が東京都知事選立候補を表明した。
都連内では「嵐」の櫻井翔さんの父親で、行政に精通している前総務事務次官の桜井俊氏(62)の擁立論が強く、立候補を要請する検討に入っていた。
桜井氏は出馬を一応否定して見せたりして裏で面妖な根回し等行われていそうな雰囲気の中、小池氏がさっと機先を制した感じだ。いま私が手を挙げれば慎重な彼は身を引くだろう、と読んだか。

要請を受けてすぐ受諾するとはしたないのでいったん断る。そのうえでまた推されるのを待つ。それでもぐずって見せてから、まあそんなに必要としているのなら仕方ないな、立ちましょう、というのがこの国特有の立候補の麗しいありようとされてきたが、ぼくはやりたきゃ人の思惑など気にせず手を挙げりゃあいいじゃないかと、ずっと思ってきた。
小池さんはほとんど根回しなどしていない感じ、よって都連幹部は小池氏について「支援するつもりはない」としている。

ぼくはこういう手の挙げ方が好きだ。
担がれるのを待つというのは日本型王道だろう。後出しじゃんけんのほうが強いという風潮も日本的である。しかしもっと政治にやる気をあらわにしてもいいのではないか。
みんながぐずぐすしているのなら私が走ります。
といって逃げ切って優勝してしまった名牝プリティキャストを小池さんに重ねあわせた。

1980年、11月2日、第82回天皇賞(秋) にプリテイキャストが出走。
競走2日前から降雨があり、当日の馬場状態は重馬場であった。
1番人気は前年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬カツラノハイセイコで、プリテイキャストは11頭立ての7番人気であった。
スタートするとプリテイキャストは珍しく好ダッシュから先頭を奪い、そのまま後続を引き離していった。後方では1番人気のカツラノハイセイコが2番手に付け、これが隊列を先導する形となる。プリテイキャストはそれを尻目に差を広げていき、周回2周目の1~2コーナーでは50~60メートル、向正面では約100メートルの差を付ける大逃げの形となった。
さすがにスタンドから驚きの声が上がった。
このころ後方ではかつての主戦騎手・横山富雄が焦りを募らせ、「誰か捕まえにいけ」と周囲に促したが誰も動かず、やむなく横山メジロファントムは第3コーナーから最終コーナーにかけて率先して追走をはじめた。しかしマイペースで充分な差をとっていたプリテイキャストは最後の直線でも脚が鈍らず、ゴール前10メートルでは柴田が手綱を緩めて腰を浮かせるという余裕を見せて7馬身差をつけて1着でゴール。
プリテイキャストを買わなかったほとんどの観客や記者、専門家はしまいまで持つまいと思っていたがまんまと逃げ切ってしまった。V1レースで牝馬のこんな鮮やかな逃走劇が見たことがなくしばし呆然とした記憶がある。

意欲のある人は素直に意欲を表明するだけで世の中にとりあえず灯がともす。政治家一人一人が毅然たる態度で即座に意思表示するのが景気に結びつく。
小池さん、プリテイキャストになれるか。
とにかくゲートを出るスピードはすばらしい。
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ヤブカラシと暮らす

2016-06-29 06:48:59 | 身辺雑記


ヤブカラシが二階の廂へ上ってきて垂れ下がった。
葭簀とあいまって夏の日差を防ぐ強い味方である。
コンクリートとブロック塀のわずかな隙間から毎年出てくる。
ときどき「ジャックと豆の木」の豆の木を思ったりする。ヤブカラシの蔓の中が空洞でなければどこまで伸びていくのやら。

アパートの庭はほぼツツジだがその間をヤブカラシがぐんぐん出てくる。
むさくるしいので引っ張って除去するがしばらくするとまたぐんぐん出てくる。

藪からし引くねちねちとちくちくと


消えてなくなるものの多いこの世でヤブカラシはへこたれない。
棘はないのだがヤブカラを引いた手は粘るだけでなくちくちくする。
アパートのヤブカラシを鉢植えにして自宅の地べたに置いた。そこからも蔓は伸びたが土着のヤブカラシのパワーはそんなお嬢様ではない。
蔓の太さは1センチにもなり濃い葡萄酒色がみごと。

去年あまりに繁茂するヤブカラシを自分の役に立たせる道はなかと考え、葉っぱをヤカンに入れて煮たててみた。
匂いがあってそううまくなかったが煎じ薬としてなら飲める。
妻に「わけのわからないものを飲むのはやめなさい」と言われてやめたのだが、まだ日除け以外の有効性を諦めていない。

ヤブカラシは必ず出てくる、しつこく出てくる、除外しても出てくる、という点で人を裏切らない。
めんこい女というようなものではないが毎日見ると親近感が湧きぼくの元気に貢献する奴である。
ヤブカラシが出るかぎりこの世はまだ捨てたものではないと思える。


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傘の柄から俳句を学ぶ

2016-06-27 13:56:46 | スポーツ・文芸

先日、ひこばえ句会の終りにみなさんに宿題を出した。
しまいが「かな」で終わる句を一句書いてくるようにと。
「かな」の句は「や」切れの句と作り方がかなり違う。「や」切れの句は意識を外へ飛ばすことで成功することが多いが、「かな」の句は脇を締めて力を結集する感覚が大切である。
「かな」にそれまでの流れが集まってくること大事である。
したがって「かな」にいたる流れは切れてはいけない。息を整えるほどの切れはいいが大きく切れると最後の「かな」が無意味になってしまう。
そのとき傘をひらいて「かな」という切字の解説をした。
柄はUターンしてそれまでの流れを断つ。「かな」もまさしくそう。
短歌でいう七七的な付け加えたい文言を断つ。
これが「かな」の機能である。「季語+かな」のフィニッシュはまさにこの写真のように柄の部分がそれまでと色合も異なることになる。

俳句を学ぶとき俳句の本を読むだけが勉強ではない。
別の分野のあらゆることに俳句に通じるエッセンスが潜んでいる。
「かな」を傘の柄に感じることができるとぼくは思うし、この意識は「かな」の認識をぼくの中で深めている。
ある物とまったく別の物とのあいだに類似性を見ることで観察力が深まる、というか、観察力を鋭くすると類似性を見い出すようになる。

たとえば、
渦巻くはさみし栄螺も星雲も 奥坂まや

句集『縄文』から引いたが作者の類似性を見つける目が光る。栄螺という地球上の小さな生物と星雲という宇宙のとてつもない大きなものの間に「渦巻く」という類似性を発見したことで鮮やかな一句になった。
ぼくは「かな」の句と傘の柄に類似性を見つけて解説に使ったが、まやさんは俳句そのものにしている。
いずれにしてもこの感覚は研ぎ澄ましたい。

あらゆるシーンに俳句のネタも発想もころがっている。
たとえばラグビーのボール争奪戦などはいつも<物と言葉の接点>と見ている。
ボールを持って突っ込んでいくほうが<言葉>だとすれば、それを許さない壁であるほうは<物>という見方ができる。
突っ込んできた<言葉>を守るほうの壁が取ってしまうことを「ターンオーバー」という。
<言葉>が<物>に取られてしまうわけであり<言葉>が<物>に負けてしまったのである。
俳句でいうと大波を描こうとしたがどうしていいかわからず波にのまれてしまうようなものである。よくあることである。

ワールドカップの4強がぶつかるようなレベルの高いラグビーの、スクラム、ラック、モールなどのボール争奪戦は、まさに物と言葉がぶつかってぎらぎらしている。
物から言葉が立ち上がる瞬間を絵として見るのはなによりの勉強である。
俳句に役立つ感覚を体感できるシーンがいくらでもある。


W杯2011年NZ大会──日本戦でのラックの攻防
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イギリス報道雑感

2016-06-26 06:40:08 | 世相


きのうの朝4時ころ起きて取っている讀賣新聞で英国のEU離脱記事ををざっと読んだあとコンビニへ走った。
朝日、毎日、産経はこの件をどう書いているか。この3紙を買った。

新聞は1面でかなり色合いが出る。
讀賣は竹森俊平氏(慶応大学教授)の寄稿に「蔓延するポピュリズム」という見出しをつけている。つまりイギリスの人々は衆愚であると暗に批判している。
朝日は、梅原季哉氏(ヨーロッパ総局長)の「理念先行型の統合終幕」という記事が目立った。EU本部を牛耳るエリートたちとイギリスの地方で置去りになっている庶民との乖離に注目している。
産経の田村秀男氏の「金融体制崩壊の号砲」はぼくもずっと考えていたところである。
毎日の「忍び寄る崩壊の兆し」なる記事のなかにおける、「パンドラの箱」を開けた影響は計り知れない、という一節は俳句のように響いた。

毎日はキャメロン首相が下手な手を打ったことを暗に批判している。
毎日は3面でこういう国際条約を問う場合に国民投票を禁じているイタリアの良識(憲法改正が必要)を取り上げてこの愚策批判を補強しているように見える。
ぼくはキャメロンさんが国民投票というまずい手をひっこめていても早晩この事態になったと思うのだが、昨今話題になってきた国民投票や住民投票はそんなにいいことかかなり疑問。
もう現代社会は古代ギリシャの都市国家ではないのだ。

松井一郎氏(おおさか維新の会代表)がこの悪い手法に対し、「究極の民主主義で方向性を決めたということ」とキャメロン氏を支持しているのには首をひねる。
この政党は自由主義を維持しつつ行政改革をはじめいろいろなアイディアを出してくるので評価していたのだが、代表のこの民主主義認識を知ると大丈夫かなあという気になってしまう。
大阪腑構想をぼくは住民投票ではからなくてよかったと思う。いまは代議制の時代なのだ。
それに関連して思うのは裁判員裁判の非合理性である。
素人を専門家集団に引っ張り込んでにわか仕立ての仕事をさせて無理をさせる。
仮に世の実情と裁判内容が合わない、それを補うのであれば法律を改正して実情に合致さえていけばいいのではないか。
民主主義というのは直接性のことなのか。
民主主義を金科玉条に祭り上げることの怖さも感じた。

朝日がアンガス・アームストロング氏(英国経済社会研究所調査部長)の「グローバル化への抵抗」という視点を示したのはいいが、朝日もほかの新聞もグローバル化は当然、ないしそれが世界にとって必要みたいなニュアンスがある。

これに対してはやくからEU崩壊を予測していたのが小林よしのり氏。
彼の著書『民主主義という病い』において、民主主義はナショナリズムのなかで血を流さないかぎり得られない、という。また民主主義は欧米のいうようなものだけでなく日本にも存在していた考えである。グローバリズムは欧米が自分の袋に入れてしまうという発想であり民主主義の敵である、と断じている。
こういった本質を抉るような視点を新聞が持たないと表層でいたずらに騒いでいるような感じがした。
どの新聞も。

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竹島問題で韓国を攻める島

2016-06-24 12:24:17 | 世相


山田吉彦氏は『国境の島を行く 日本の領海がわかる本』(実業之日本社734円)の中で、
肥前鳥島を取り上げている。



「日本の領有権争いを解決に導く肥前鳥島」という一項を要約すると。

長崎県五島列島の南西の肥前鳥。
これは三つの小島で構成されている周囲合計50m、最大標高16mという地勢。
1メートルを超えるクエが釣れる釣のメッカ。
重要なことは、この小島がいま韓国との間の領有権問題の竹島に対する切り札となるという主張である。

韓国がそれまで鬱陵島(ウルルンド)であった排他的経済水域の基点を竹島に設置すると言い出した。
この無謀な企てに対抗できる切り札が、肥前鳥島をわが国の排他的経済水域の基点とすると宣言することである。
仮に韓国が強引無法の竹島から排他的経済水域を広げた場合、日本が失う海域の面積は約2万平方キロメートル。
日本が排他的経済水域の基点を肥前鳥島に設定した場合、3万6000平方キロメートルの海域を獲得することになる。
この海底には天然ガスが埋蔵されている可能性もある。
日本がこれを主張すると韓国はたいそうな痛手になる。
その主張を恐れて韓国はここは島でなくて岩であると主張している。
日本がすべきことはここが経済生活をしているという利用環境を整備すること。そのために海上保安庁や気象庁が観測施設を作ればいい。

竹島問題でこのような具体的なアイディア、プランをぼくははじめて知った。
新聞、テレビなどのメディアは領土、領海問題の危機を騒ぐがそれだけで国民にてだてを伝えることにきわめて疎いのではないか。
あるいはマスコミより政治家がプランを示すことは少なすぎないか。
安全保障問題は国家機密に属すので政府はずべての情報をを国民に開陳せよとはいわないが、もうすこし具体的なてだてを示してもよかろう。

鳥島という名前の島は、南鳥島(日本最東端)、沖ノ鳥島(日本最南端)が有名でほかにも多々あるという。
島の命名に個性がないところにわが国の政府の、というか日本人全体が歴史的に国境意識、防衛感覚の希薄さを象徴しているだろう。
鳥がたくさん舞い降りるから鳥島にしよう、という発想でありそういう孤島はあまたあり面倒だから次も鳥島でいいや、という姿勢である。

政治にをもう保守、リベラルというレッテルをはって語ることをやめて欲しい。そこから何も生まれないだろう。
地に足のついた具体的なプラン、アイディアを出すことが政府にも報道にも、そして野党にも望まれる。
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