天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

駒木根淳子句集『夜の森』を読む

2016-11-29 05:39:27 | 俳句


駒木根淳子さんから句集『夜の森』(角川書店/本体価格2700円)をいただいた。
略歴をみるとぼくより1歳年下の1952年生れで上智大学史学科に在席していたという。
ぼくは上智大学独文科にいたわけだから3年は同じキャンパスにいたはずだが面識はなかった。それが俳句甲子園神奈川大会で審査員として遭遇したのであった。

気に入った句を挙げる。
樹樹たかく空なほたかく冬が来る
糶あとの河岸に秋風椅子に人
乾くたび道白くなる彼岸花
夕顔や軍鶏の眦尖りたる
せせらぎは鱗のひかり蕗のたう
踏切を十歩で渡るつばくらめ
引き摺りて漁網を運ぶ夕霞
短日や肉屋の秤すぐ拭かれ


返信を書くのが面倒ゆえ駒木根さんに電話してざっと感想を述べた。
「樹樹たかく」を褒めると「ああ地味な句ですね」と返答がきて作者と読者との差を痛感した。
ぼくはこの句を地味とは思っていない。
たとえばメタセコイアや落葉松が葉を落とす初冬、木じたいを高く感じるし隙間ができて空も高く広々と感じる。その辺の機微を朗々ととらえていて気持の張りと華がある。
「糶あとの河岸」の広々とした空間を吹く秋風をビビッドに感じるし、ほかの句も感覚的なところがいい。

六枚に散つて終りぬチューリップ
涅槃図の近づきすぎて見えぬもの

季語そのものへ切り込んだ一物俳句の切れもいい。

しかし本人はこのくらいでは満足できないようで、本の帯の自選15句にはかなり違う傾向の句を選んでいる。
そのなかでぼくが気に入らないのが次の句。

夜は秋の眠る故郷に眠れぬ母
「眠れぬ母」はわかるが「眠る故郷」とはどういうことか。廃れたとかいうことだろうか。ならばそう書く方がいい。感覚から遠ざかり頭の中で言葉をこねている。

冬あかね戦後生れに災後来る
「災後」は広辞苑にないが、災害に遭遇した後、被災した後、といった意味らしい。「災害が来る」ならまだしも「災後来る」はあまりにも観念的。フィギュアスケートの選手がバック転をするような違和感がある。

ついでにもう少し悪口をいいたいのが次の句、
腐海てふ干潟に戦車着く頃か
腐海とは、ウクライナ本土とクリミア半島の間に横たわるアゾフ海の西岸に広がる干潟のこととか。
駒木根さんは福島県いわき市生れということもあり、東日本大震災に深い衝撃を受けこれに取材した句を書かざるえない心境になったのであろう。
それが「災後来る」であったり、また戦争や紛争といった社会的事象にもなみなみならぬ興味をお持ちでそういう批評意識に見るべきものはあるのだが、それはストレートに俳句という形式に入って来られるのか。そういう問題を感じた。

論考するというセンスは感覚から遠ざかる。論考が侵入してくると俳句は色褪せる。
「腐海」という物珍しさを扱うとどうしても「てふ」ということをいいたくなる。けれど俳句において「てふ」も、そのおおもとの「といふ」も論考の言葉、解説用語であり理屈っぽい。
ぼくは俳句から「てふ」を一掃したいと思っている。俳句にとって理屈は敵であるとまで思っている。

風死せり応急施設てふ住所

なる句もあるが、これは「てふ住所」などと逃げないでもっと施設を描写したほうが句はリアルになり質は上るはずである。この程度でおさめたらもったいない素材である。

世の中に対してものをいいたいという傾向の中ではこの句がいい。
テトロンの日の丸うすし鳥帰る
批評意識を抑えめにして皮肉をまじえたユーモアに展開したところに妙味がありこの句集の最高傑作とみる。

かなり悪口に字数を費やしたようなので今度は褒めよう。
牛車より豚舎にぎやか青嵐
探梅やすずめのやうに日を浴びて
笹子鳴く駅に男を待たせたる
春逝くや息子に莫迦と言ひ遺し


駒木根さんという方は明るくて覇気がありユーモアの持ち主なのである。
たしかに豚舎はうるさい。この比較の的確さに笑いが込み上げたし、男を待たせる茶目っ気もいい。笹子を鳴かせたユーモアセンスは秀逸。「すずめのやうに日を浴びて」はあっけらかんとしていて好ましい。
莫迦といわれた息子は作者の配偶者らしい。そうとう年の行った息子に莫迦などという親子関係の明るさはすばらしい。死を哀しい痛ましいと詠まなかったセンスが優れている。

茄子の花寡黙な男なら信ず
笑ってしまった。
ぼくのことをいわれたような気がした。俳句甲子園の審査をして駒木根さんはぼくが寡黙でないことを知っていたはずである。そんな人に句集を送ったら何をいわれるかも想像できたであろう。
それでも送ってくださったことに敬意を表したい。

なお、句集の表題になった「夜の森」は次の句から出ている。

見る人もなき夜の森のさくらかな

被爆の地の桜のことである。瞑したい。
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恨むなり手袋のまま打たれしこと

2016-11-27 04:09:06 | 俳句


きのう鷹中央例会があった。小生は以下の2句を出してあった。

恨むなり手袋のまま打(ぶ)たれしこと
手袋は脱いで下さい打つのなら


上の句を山地春眠子さんと主宰が採り、下の句を清水正浩さんが採った。清水さんはぼくの句と分かったようだから外交辞令が含まれていたかもしれない。
春眠子さんは「打たれたことが嫌じゃないんです。あなたの手でやってほしかったというのです。素手でやってちょうだい…」と男女関係を裏に読んでくださった。
春眠子さんが熱演したので主宰の言葉をなかったのがやや残念。

この句ができた背景に長男が中学生だったとき教師に教科書で叩かれた事件がある。長男は37歳になり女児二人の父。25年前のことになる。
妻がそれを知ると烈火のごとく怒り学校へ乗り込んで行って、「叩くなら教科書でなくて手でやってください」と抗議したという。
息巻いた妻から事後報告を受け、わが妻はよくやるなあ、感受性も行動力もすばらしいと評価したものだ。モンスターペアレンツではないだろう。
だいたい教科書で叩くということが人としてなっていない。
体罰を与えるのなら与えたほうも痛みを感じる素手であるべき。ぼくは体罰を与えることじたいも嫌だが妻の主張は筋が通っていた。
この句はそのあとすぐできたのではないか。
できたが藤田湘子時代には出しにくかった。
そのころ俳句は文語であらねばならぬというような思い込みがあったか。出せば湘子も採っていたかもしれないが妻のような勇気がなかった。

手袋の季節になると亡霊のように浮上するので中央例会で亡霊退治をすることにした。ゴーストバスターである。鷹で活字になって成仏してくれるだろう。
長男とビールを飲む時の話のタネになりそう。
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7ヶ月ぶり推薦30句入り

2016-11-26 05:06:09 | 俳句
佐渡ヶ島


鷹12月号が来た。
世阿弥忌や水揺るる翳水底に わたる
が鷹主宰の選ぶ「推薦30句」に入った。

鷹5月号で
猫の恋漬菜酸つぱくなりにけり わたる
が入って以来久々である。両方とも望外の高評価である。万馬券とはいかないが中穴が当たった気分である。

「水揺るる翳水底に」が使えそうだと思ったのは5年ほど前にさかのぼる。池、河、湖、海と水のあるところならどこでも感じる景色。
俳句はすぐそこにあって誰でもわかる素材や言い回しがいい。
「水揺るる翳水底に」は気に入ったのだが季語が決まらなかった。コスモスや糸とんぼや水に近いところで生育するものを置くと近すぎる。
秋晴とかしてもやはり近くて衝撃度が足りぬ。
そんなとき岸孝信氏から句集『ジタン・カポラル』をいただいた。岸さんの「コルベ忌や涼蔭に置く麺麭と水」、「苦参咲く磧に雨や晴子の忌」、「マウンドに青空だけの子規忌かな」をみてうまいなあと感じた。
ぼくは忌日俳句というのが好きでなかったが岸さんほどうまければ悪くないと思った。

ウィキペディアによると世阿弥の生涯は、正平18年/貞治2年(1363年)? ~ 嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)?となっている。
暑いイメージで水を書きたいのと『風姿花伝』の内容と、世阿弥が佐渡へ流されたということが一緒くたになって「世阿弥忌」がひらめいた。
「水揺るる翳水底に」に「世阿弥忌や」を置いたときこれで岸さんレベルへ行ったかなとちらと考えたのであった。

俳句が上達するにはいろいろな契機があるが、格上の人と接するというのは有功である。岸さんを自分が座長をするネット句会「流星道場」へお願いして来ていただいた。句がうまいだけでなく読みが深く句評が実にいい。
子規忌も岸さんを超えたく一句書いたのだが成否はわからない。

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木の窓から見る雪景色

2016-11-24 13:06:27 | 身辺雑記



雪でも外へ出るとおもしろい。
雪が降るときのうまでのことがまるで古びたり、存在していなかったかのようになってしまう。
そしていままで気づかなかったことが出来する。
木の虚や瘤はよく見かけるが「木の窓」は知らなかった。
幹がからまったり密集したりして一本の木に見えるのもまま見かけるが、いったん離れた枝と枝がまたくっついたものははじめて見た。
言葉を持つ人間はこれを「奇形」といってしまうかもしれないが、木にとって望ましい形でないのかどうかは知るよしもない。
木を割って中を水や養分がどう動いているか調べてみたいほどである。
65年生きて珍しいものを見たなあと今日を記憶するだろう。



自宅から仕事場まで歩いた。4850歩。ぼくは100mを128歩で歩くから約3.79km。
4850歩プラスマイナス20歩で来られればよしとする。今日はズボンの上にウインドブレーカーを穿いたので若干歩数が増えると思ったがさほどでなかった。
歩数が4900になったらまずい。加齢で歩幅が狭くなっていることの証明となってしまう。思いきり足を振って歩くことである。

雪を歩いていると間宮林蔵の蝦夷地探検を思ったり、陸軍が八甲田山で行った雪中訓練を思ったりする。
林蔵は歩数も利用して測量したのだが吉村昭さんによると1日100km以上踏破したそうだ。新田次郎の『八甲田山死の彷徨』で寒さと飢えとでばたばた倒れていく兵士たちの最期の意識はどんなだったろう。花園で遊ぶような浮遊感を新田さんは書いていたように思うが…。
雪はそういったいろいろな物語を思い出させてくれる。

100mを何歩で歩くかというぼくの基準は加齢とともにたぶん変るだろう。
これをチェックしておく必要がある。多摩川の岸には1kmごとに10㎝四方の石柱がある。ここを3kmほど歩いて100歩の標準を出す。
しばらくやっていないので春になったら基準の改定をしよう。




黒鐘公園は自宅から1200歩

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高齢者が出歩くという問題

2016-11-23 08:45:14 | 世相
きのうの讀賣新聞には高齢者をめぐる話題がたくさんあった。
まず、「生活習慣変え100歳まで元気」という企画が目についた。9人の寄稿を集めた見開きで中でも「高齢者の外出促進」という畦柳滋さん(名古屋CОI拠点プロジェクトリーダー)の記事に目が行った。



記事の趣旨は、高齢者が元気になるモビリティー(移動利便性)社会の実現を目指すというものだがいまいち観念的でわからなかった。
「高齢者の外出促進」なるスローガンは見栄えはするが簡単ではない。

ぼくがこの記事に注目した背景に蘖句会吟行参加を断った80歳のTさんのことがあった。
Tさんは中央線八王子から西武線田無の句会場へ通っていた。当句会は通例、田無公民館でやるがそこが取れないときやや駅から遠い「フレンドリー」になることがある。
その場合まとめ役の芙美さん(彼女もまた80歳台)がわかりやすい田無駅の花屋さん前集合を指示いているのだが、いつまでたってもTさんは現れないということがあった。
芙美さん来るのを待って句会の始まりが遅れた。芙美さんは汗をかき消耗していた。
Tさんのことは句会中気になっていた。
句会が終ってからまた芙美さんはTさんの消息の確認に腐心した。
するとTさんは、なんと、三鷹駅で待っていたというのである。
ぼくらは唖然とした。
三鷹駅など当句会となんの関係もない。田無駅で北口南口を間違えたというレベルの話ではない。結局どうしようもなくなったTさんは自宅へ帰ってくれたからいいようなものの徘徊でもされたらと思うとぞっとしたのである。
もしかしたら痴呆がはじまっているのではないか。
Tさんは句会へ参加する意欲はあり武蔵関公園吟行にも興味を持ったが伝えなかった。
指示した集合場所に来られなかったことが三鷹駅事件以外にもあり、参加するのなら付き添いが必要と結論づけるところまで来ていた。
しかし付き添いを家人にこちらからお願いするのはおせっかいであろう。
結果的にTさんの吟行参加を断ったことになる。それは正しい処置であったとぼくも芙美さんも考えている。

ぼくが俳句指導に通っていた老人ホームでも同様の問題があった。
92歳の文子さんは俳句の素材を捜すために外出したいのだが禁じられている。施設内にいるばかりだと句材がなく新鮮な句が書けないと文子さんがいう。ぼくは蘖句会に連れ出そうかと思ったがとてもそこまでできないことに気づいた。
彼女の介護までしていると100句以上俳句を読む体力気力が損なわれて大勢が不利を被ることになりそう。
介護は近親者がすべきだろうと思い直した。
はっきりいうと自分自身で出歩けなくなったら出歩くことを諦めるべきではなかろうか。あるいは自分を支えてくれる人材を用意できるか。

高齢者は子どもにとっても社会にとってもお荷物である。せめてお荷物の重さを減らす努力を日々しなくてはなるまい。
足腰を萎えさせぬための運動は必須である。
ぼくは歩くこと、自転車を漕ぐこと、階段を上ること、泳ぐことなどを怠らぬようにして持久力と筋力の維持に腐心している。1週間に4回は体重測定をする。いま64キロになってしまったので食べる量を減らしている。
65歳の体力は、「伸びました、伸びました」といってアナウンサーが興奮しても実際は落ちて行くスキージャンプに似ている。体力は加齢によって否応なく落ちているのだが、運動するとしないでは落ち方に差が出るだろう。
運動や節制は自分自身の張りでもあるがお荷物の量を減らすことであり若い世代への礼儀でもある。

嫁からもらった重い自転車で300mの坂を漕ぎ上がることがいつまでできるかがぼくの闘いである。あるいは800mを休みなく泳げる持久力を維持できるかが。



きのうの讀賣新聞には、「高齢ドライバーと社会」という記事もあった。
高齢ドライバーによる深刻な交通事故が続いていることを踏まえての記事である。ここでは、荒井由美子さん(国立長寿研究センター研究部長)も坂口敦子さん(守山市地域包括支援センター)も「運転卒業」を提案している。
同感である。
入学は厳格で卒業はゆるい日本の学校システムと一緒で運転免許証を取るのはむつかしいがそれからのチェックが甘いという免許証。
この甘いシステムを直せばいい話であろう。

つけ加えれば高齢者の移動は電動アシスト自転車にすればいい。自動車ほど質量がないしスピードも出ないから仮にぶつかっても死ぬような事故にはなりにくいだろう。
市町村が高齢者のために相乗りのワゴンみたいなものを出すというのは採算が合わないだろう。
ぼくは自転車が漕げなくなったら電動アシスト自転車に乗ろうと思っている。これに乗ったら時速30キロで疾走できそうで、想像しただけで空を飛ぶような気持ちである。
しかしまだ5年はこれに乗りたくないと思っている。


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