天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

澤田ふじ子『深重の橋』

2024-06-09 06:02:31 | 

2010年/中央公論社


【おおまかな内容】
京を焦土と化す応仁・文明の大乱の足音が刻々と迫るなか、十五歳の少年「牛」が人買い商人の手で湯屋(風呂屋)へと売り飛ばされた。狡猾な主が課す苛酷な労働に耐え、牛は逞しい男へと成長する。そして一緒に人買い市から売られてきた女と心を寄せ合うのだが…。新たな歴史解釈を織り込んだ澤田ふじ子渾身の大傑作。

作者は「あとがき」で、ミネルヴァ書房『中世を生きた人びと』のなか「宇野玄周」を読んで創作意欲が湧いて書いたと記している。
宇野玄周は実在の人物。享年56と言われている。
彼の幼少時の名前を「牛」としたのは創作であろうがこの命名が効いておもしろくなった。牛のように強い体、不屈の克己心と勉学する意思の強さ、人を慮る度量の広さ、等々の優れた資質を持った下人が人の縁を通じてどんどん日の当たる処へ躍り出てゆく物語である。

「深重」を作者は「じんじゅう」と読ませる。広辞苑は「しんじゅう」の読みも紹介している。多く重なることである。作中、牛は以下のように自分の人生を述懐する。
自分の人生を考えるとき、それらの人々は、自分には幾つにも重なる深重(じんじゅう)の橋だった。
自分は血塗られたそんな人々を橋とし、この世を幸運にも、多くの人々に助けられて渡ってきたような気がする。
そんな中で、いまでも胸んお奥に深く記憶しているのは、小栗宗蓮の手下・北野の東助に腰縄で繋がれ、山城国八幡から対岸の大山崎まで小船で渡った、淀川にかかっていたという山崎大橋だった。



歴史書からの引用が多く、作者のこの時代への執着が凄い。
しかし「応仁の乱」の実態は何を読んでも全貌がわからない。


印象的なのは売られた牛が最初に引きとられた湯屋。
当時の風呂屋は湯に浸かるのではなく蒸気浴。いまのサウナである。上客には垢取り女が付いて接待した。接待の中には春をひさぐことも含まれた。牛同様売られて垢取り女になった3歳上の「もも」に牛は好かれて彼女は牛の子を宿す。
ここから牛はももと脱出するが離れ離れになってしまう。後は牛がももと子を常に気にかけて会えない日々を生きることになる。

愚かな将軍で応仁の乱を起こした元凶と言われている足利義政。軟弱で政治的資質に欠けた人というレッテルが貼られていいるが、作者は彼を好意的に見ている。
政治に深く参加すれば暗殺されるとみて美意識の世界に逃げたのはやむを得ない。そのおかげで日本文化の基礎が築かれた。身分の低い一群の人々と結びつき黒衣として日本文化に大きな足跡を残した、と評価する。
澤田独自の歴史観があって考えさせられる一書である。
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