映画「明日の記憶」(2006)。監督:堤幸彦、主人公:渡辺謙、妻:樋口可南子。
荻原浩『明日の記憶』の文庫本の裏表紙に内容を以下のようにまとめた文章がある。
広告代理店営業部長の佐伯は、齢五十にして若年性アルツハイマーと診断された。仕事では重要な案件を抱え、一人娘は結婚を間近に控えていた。銀婚式をすませた妻との穏やかな思い出さえも、病は残酷に奪い去っていく。けれども彼を取り巻くいくつもの深い愛は、失われた記憶を、はるか明日に甦らせるだろう! 山本周五郎賞受賞の感動長篇、待望の文庫化。
これ以上書くとネタバレになる。ぼくに強い印象を与えた二つについて書く。
ひとつは文庫本80ページで主人公が妻とはじめて病院で診察を受けるシーン。
医師が「あさがお、飛行機、いぬ」の三つを覚えてくださいと佐伯にいう。腹が立った佐伯が復唱する。
医師は次の質問をする。
このとき「あさがお、飛行機、いぬ」は後でまた出るのだと読者は予想する。だから忘れてはならないと…。
案の定、2ページ後に医師が、「では、さっきの三つの言葉を思い出して、言ってみてください」と問う。
佐伯はまったく記憶にない。
そしてぼくもまったく覚えていなかった。ぞっとした。
俺もアルツハイマー病ではないか!
自然の展開ではあるが作者の巧まざる小技の冴えにうなった箇所である。
読者を怖がらせて物語にどんどん引き込んでいく。
佐伯は仕事で行く渋谷駅で違うほうへ下車して自分がどこにいるかわからなくなる。会社へ電話して若い部下にあたりに見えるものを伝えて誘導してもらう。
このときぼくは先日龍ヶ崎へきちんと行けたこと、最初約束した駅を変更されたときそれについていくことができ約束の時刻の少し前にその場所にいたことを喜んだ。
「あさがお、飛行機、いぬ」はまだ物忘れの段階であり脳細胞が壊れているわけではなさそうと安堵したのであった。
佐伯の病状の的確な描写により物語はずっと緊迫して終盤へ進む。
文庫本表紙の「彼を取り巻くいくつもの深い愛は、失われた記憶を、はるか明日に甦らせるだろう」を思わせるのがフィニッシュの、佐伯を妻枝実子が迎えるシーン。
佐伯はかつて奥多摩の山間部にある陶芸教室で老人の先生に陶芸を習った。そこで会った枝実子に惹かれて結婚した。
なけなしの記憶をたどってそこへ行くと昔の先生がいた(幻想かもしれない)。
そこで火遊びをして(ここはスリリング)、覚めて山を下りると、迎えに来ている妻がいる。
吊り橋を渡りはじめると、彼女も歩き出した。ひとりぼっちで誰かを待っていて心細かったのだろう。私の後ろではなく隣をついてくる。彼女に合わせて私が歩調をゆるめると、向こうは私に合わせて少しだけ急ぎ足になる。なんだかずっと昔から一緒に歩いてきたように私たちの息はぴったり合っていた。
すでに佐伯の記憶は完全に失われている。
私はまず自分が名のり、彼女の名前を尋ねた。
…………
「枝実子っていいます。枝に実る子と書いて枝実子」
美しい。美しすぎる。
荻原浩という人は女にとことん夢を見られる幸せな人なのだろう。人生で女に裏切られたことがなかったのではないか。
甘いといってしまえばそれまでだがここまで性善説を貫けるとは…。
もはや一緒に歩くことのないわが妻にこの小説のあらましを話し、最後のシーンを特に念入りに語ると妻は、
「嘘でしょう。そんなことありえない。たいへんな介護がはじまるのよ」という。
「本や映画は終りがあるから救われる。現実はそこから始まる」。
さすがに妻は夢を見ない。ぼくはかえって安堵して現実へ戻ったのである。