天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

猛暑の緑陰を歩く

2024-07-31 06:28:58 | 身辺雑記




西国分寺駅近くの姿見の池はあおみどろが繁茂し深い色あいである。緋鯉と白鯉がいてあおみどろに潜って泡を立てる。

6月ころ猛暑日に歩くことができるか、いいか悪いか、考えていた。今そうなって週4日歩いている。池の向こうの森を。
8時からの清掃勤務をする前7時半にここへ自転車で来る。約30分3400歩をあるく。
気温は30℃を越さないだろう。暑いと感じない。木々の葉が日光を防いでくれる。緑陰から出て日光を浴びるととたんにめげる。
葉はなんと日光に強いのか。たくさんの葉を見ながら歩く。今月鷹主宰が発表した「どの樹にも智慧が若葉の形なす」はいいところを狙ったなあと感心する。主宰は屋内の生活が多いとみるが自然への感覚が鋭い。さすがだ。






どこにもコンクリートがない。土の上。しかし土には苔があったり黴が生えたりしている。白い黴は見物である。踏まれてもなんともないみたいで毎日そこにある。強い。見習うべきである。






黴があるかと思えば落葉の堆積がある。ここはふかふか。足が沈んで気持ちがいい。歩道ではないみたいだが歩いて気持ちいいところはどこでも歩く。









79歳の吉永小百合が体がもたないと映画に出られないとスクワット60回やっているという記事を読んだ。
それでスクワットをやめていたがまた復活させた。登りの途中でスクワットをする。歩く途中のスクワットは効く。
腕立て伏せもときおりやる。きつい。
あまりきついと続かないのでほどほどにしている。

11時にここへ来て歩いたこともあるが暑かった。葉っぱもこの時間は暑さを遮断できない。やはり7時半である。
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何度も返信いたしません

2024-07-30 04:21:45 | 身辺雑記

青い銀杏


ブログを書き始めて13年たつでしょうか。大勢の方が読んでくださいます。
中にはコメントをくださる方がいて励みになっています。コメントの内容はエールであってもブーイングであっても謹んで承っています。
人の俳句を間違って掲載するのはご法度ですがしばしば間違えてしまいます。それを指摘してくださることに衷心より感謝しています。また、植物の名称を教えてくださる加藤さんはじめ有識者の方にお礼申し上げます。そういうコメントには返信いたします。
最近コメントくださったサチさんは30年前の旧友とわかり驚きました。
彼女は、「高尾山ひとり吟行」にコメントくださいました。そのとき北岳の話題があったので山つながりで納得し、返信しました。
旧交をあたためたのはいいのですがその後、今日は何をするというような彼女の事情を伝える場にし始めこれに返信を求めるようになりました。
困惑しました。
そういうやりとりはブログではなく別のツールでするものと考えます。
ブログの内容に関することについてコメントするのがコメントしたい人のマナーと考えます。
誤字・脱字、事実の誤りなどの指摘は慎んで承り、お礼の返信をします。けれど記事に関係ないことに言及されても困ってしまいます。
俳句のことに関してしばしば伊勢史朗さんからコメントをいただきました。
それはありがたいのですが、それにこちらから返信するのは1度。見ましたよ、という意味です。
ブログ作者はピッチの中でプレーする選手でありコメント者は観覧席にいる見物人です。
ホームランを打った外野手に観覧席から拍手が来て選手は帽子を取って応えます。それとブログ作者がコメントに応えるセンスは同じです。何度もやりとりいたしません。プレー中にピッチと観覧席とでやりとりを続けませんよね。
「鷹〇月号小川軽舟を読む」という企画を月読さんと長い間やっています。ピッチの観覧席とのやりとりは場違いですが、当ブログにおいて新しいテーマを立てて俳句を論議したいということであればそれは受け取めます。観覧者がピッチに降り立って小生と一緒にブログ作者になることは歓迎します。
ブログは本流です。沿岸に手を振る人をコメントと考えます。本流に乗ってカヌーを操る小生は手を振る人をちらと見てひたすら先へ進みます。
会釈は1度です。どうぞ、よろしく。


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雄叫びの如き号泣雲の峰

2024-07-29 12:35:23 | スポーツ

中田匡峻氏(デイリースポーツ)の写真を複写させたいただいた



雄叫びの如き号泣雲の峰

この句を2回戦で負けた阿部詩と彼女を愛する人に捧げる。彼女の号泣に驚くともにしんそこ感動した。
28日、パリ五輪柔道女子52キロ級、阿部詩は2回戦でケルディヨロワ(ウズベキスタン)に1本負けで敗退した。試合終了後、阿部は畳のふちで座り込んでから2分46秒以上泣き続け、コーチに付き添われながら泣きながら歩いて裏に消えた。
勝って笑う顔は最高の阿部詩は負けても見せてくれた。
これだけ泣けることを羨ましいとも思った。号泣を雄叫びと感じた。
嫋嫋と泣いて絵になる女優はあまたいるが雄叫びのように泣いて見せる女優を見たことがない。
金メダルを取って笑う姿を本人も周囲の人も期待しただろう。小生も期待した。
けれど惨敗してこれだけ見せてくれた選手はそうはいない。勝って見せるのはある意味、当然。負けて見せられるなんて阿部詩の底知れぬ魅力である。
感情の量の豊富さ、人間味の奥行き、阿部詩はずば抜けている。演技のプロである女優も及ばない天然の凄さ。
転んでもただでは起きない素質を感じる。めったに見られないものを見せてくれた。
先が大いに楽しみである。笑って帰国して欲しい。

余談だが、これだけの表情を見せてくれたアスリートの写真が少ない。ここへ派遣されたカメラマンは撮るべきものがわかっているのか。
歓喜でなくこれを越えるシーンが今大会でこれからあると思えない。使わせていただいた中田匡峻氏とパオロ・ヌッチ氏に感謝する。


撮影・パオロ・ヌッチ

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雨のセーヌ川抒情

2024-07-28 05:27:33 | 世相



パリオリンピック。入場に船を使うと聞いてテレビをつけた。船に乗った選手たちが合羽を着てそれが濡れている。
はて、セーヌ川でイグアスの滝のような水しぶきを浴びるところがあったのか。不思議に思っていて、ほかの場面も濡れていて、ああ、パリは雨なんだと納得した。オリンピックの入場式が船。そこに雨が降るなんてパリはいいなあ。向こうは夕方で暗くとにかく涼しげである。
パリは1日いたことがある。
チュニジアへ旅したとき飛行機を乗り換えた。パリに早朝着いて、チュニジア行きが出るのが夕方であった。
その間、歩き回った。セーヌ川のあるパリは地勢の把握が楽だった。旅行者に川で上下に分けられるパリはわかりやすい。
凱旋門に登った。そこから360度見回す放射状に道が集まる景色がよかった。怖かったのは地下鉄。ホームへ行く道がくねくねしていて照明が乏しい。襲われたらヤバイなあと感じて身構えた。ノートルダム寺院はパリであったか。大きなものを見上げた記憶がある。
乞食が大勢いた。日本にもかつて乞食がいたが今見なくなった。同様の境遇の人はいっぱいいるだろうが乞食とは違い物請いをしないのである。
パリにはれっきとした乞食がいた。今もいるのではなかろうか。

乞食の手我に殺到パリ暑し わたる

パリに感じた自由さ、個性の謳歌などは革命の所産であろう。

窓の外へカーテン吹かれ巴里祭 わたる

感傷に耽ってテレビを見ていたら、外で音がする。ひゃっ、日本は夕立だ。
あわてて洗濯物を取り込む。少し濡れたがセーフ。取り込みを怠ったときの妻の怒りがよぎった。それがパリの地下鉄の怖さを追いやった。
急に現実に戻った。入場式が終わっていた。

パリに1週間滞在するような旅がいい。あそこはそのくらい見るもののある町である。







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酷暑お見舞い申し上げます

2024-07-27 12:32:55 | 身辺雑記


国分寺市最北の窪東公園の循環河川。
結が湯のように寛いだので爺もそうしてみた。
ハワイ・ワイキキビーチとはいかないが気持ちがいい。









結がワニみたいに這いまわる。
爺もそうしてみた。ワニのように元気でいよう。










爺の年まで68年。水死せずに生きろ。
水は楽しい。5歳も73歳もばかなことをして生きようぜ。

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