左:市長役のジェイミー・フォックス、右:アニー役のクワベンジャネ・ウォレス
この映画の衝撃は二つあった。
ネタバレになるがその一つはアニーが字が読めなかったこと、もう一つは里親役のキャメロン・ディアスの落魄の演技が凄まじかったこと。
生活環境の悪さ、食事の貧弱さ、家具・什器の不潔感など貧困を描く手段はいろいろあるが人が公衆の前で字を読めないで逃げ出すという場面ほど衝撃的なものはない。
アニーを見ていて痛感した。
そのシーンが出現してアニーが字が読めないことの伏線がそれまでにいくつかあったことに気づく。
そして字が読めないことは割に長い時間ごまかして隠し通せるのが衝撃的であった。
映画の本質に関係ない識字率の大切さをあらためて思った。
貧困の極致にいたら字を読み書きする、学校へ行く、図書館があるといった環境からほど遠い。
キャメロン・ディアスは哀しいほどうまかった。
うまい中に42歳という年齢から容貌の衰えがあってそれはたとえば紅葉が地に落ちて濡れているような風情であって、作中の彼女も元は輝かしいスターでいまは落ちぶれている役である。
アニーら複数の少女たちの里親で毎日どなり散らしている。
その表情はシンデレラをいじめるまま母のように板についていて、やり手婆、女衒、家政婦の元締め、客がつかなくなった娼婦、引退直前のストリッパーなどなど、あらゆる汚れ役をこなせそうに表情が冴えわたった。
キャメロンの目の色、顔のつくり、皺の発生のしかたなどすべてがよごれ役の道を示唆していて哀しかった。けれど演技が冴えた。
金髪美人系白人の落魄のひとつのパターンをキャメロンは端的に示していて、これはメリル・ストリープ65歳にはない落魄感。ニコール・キッドマン47歳にも崩れゆく退廃感はない。
キャメロンは確実に魔女への道を歩んでいる。
この女優が次に何を演じるかえらく興味が湧いた。