天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

アニーは字が読めなかった

2015-02-05 04:06:57 | 絵画

左:市長役のジェイミー・フォックス、右:アニー役のクワベンジャネ・ウォレス

この映画の衝撃は二つあった。
ネタバレになるがその一つはアニーが字が読めなかったこと、もう一つは里親役のキャメロン・ディアスの落魄の演技が凄まじかったこと。

生活環境の悪さ、食事の貧弱さ、家具・什器の不潔感など貧困を描く手段はいろいろあるが人が公衆の前で字を読めないで逃げ出すという場面ほど衝撃的なものはない。
アニーを見ていて痛感した。
そのシーンが出現してアニーが字が読めないことの伏線がそれまでにいくつかあったことに気づく。
そして字が読めないことは割に長い時間ごまかして隠し通せるのが衝撃的であった。
映画の本質に関係ない識字率の大切さをあらためて思った。
貧困の極致にいたら字を読み書きする、学校へ行く、図書館があるといった環境からほど遠い。



キャメロン・ディアスは哀しいほどうまかった。
うまい中に42歳という年齢から容貌の衰えがあってそれはたとえば紅葉が地に落ちて濡れているような風情であって、作中の彼女も元は輝かしいスターでいまは落ちぶれている役である。
アニーら複数の少女たちの里親で毎日どなり散らしている。
その表情はシンデレラをいじめるまま母のように板についていて、やり手婆、女衒、家政婦の元締め、客がつかなくなった娼婦、引退直前のストリッパーなどなど、あらゆる汚れ役をこなせそうに表情が冴えわたった。
キャメロンの目の色、顔のつくり、皺の発生のしかたなどすべてがよごれ役の道を示唆していて哀しかった。けれど演技が冴えた。
金髪美人系白人の落魄のひとつのパターンをキャメロンは端的に示していて、これはメリル・ストリープ65歳にはない落魄感。ニコール・キッドマン47歳にも崩れゆく退廃感はない。
キャメロンは確実に魔女への道を歩んでいる。
この女優が次に何を演じるかえらく興味が湧いた。
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バンクーバーの朝日

2014-12-25 04:52:39 | 絵画

最近、妻夫木聡主演映画を3本続けて見た。
デビュー当時の「ウォーターボーイズ」、「春の雪」、そして今回の「バンクーバーの朝日」である。
シャイで引っ込み思案で表へ出たがらない心性は3本に共通で、「バンクーバーの朝日」においてキャプテンになるのだが、「ええっ俺が、何で?」という風情は「ウォーターボーイズ」と酷似している。
口下手で引っ込んでいたい、されどリーダーであるという役柄をやらせたら決まる。
ショート妻夫木に対して投手を演じる亀梨和也も暗くていい。二人は暗さをまといつつ太陽へ向かって脱皮していく。

そんな暗い兄を助ける妹役の高畑充希がはつらつとしている。

キュートで頭がよく英語をよくしてお手伝いさんをして家計を助ける。
兄の口下手を補う朝日軍への激励のあいさつはしんみりとして泣かせる。これぞバンクーバー市民に誇ることのできる芯のしっかりした大和撫子である、という見せ方をしている。

一方、むかしは若かったなあと感じさせたのが石田えり。最初この人誰?、というほど恰幅がよくなってしまっていて、あのぴちぴちしていた石田えりと思えなかった。

54歳、いいおばさんになって妻夫木と高畑の母を演じている。でも生き延びていてちゃんと仕事があるのがいい。

妻夫木だけ野球の経験がなく3か月、練習したと聞く。
この映画のテーマは、バカなほど野球好きの青年たち、である。
実は最近、野球のまねごとをしている。投げる筋肉の衰えが気になって、いま、武蔵野線のコンクリートの壁を相手にボールを投げている。右と左で30球ほど投げる。
投げる、拾うという動作は全身運動でいきいきする。
投球するとき一回ごと体の軌跡をイメージしつつやる。
これで同好の仲間がいて相手と闘うとなるとどれほど興奮できるかわからない。

「バンクーバーの朝日」は敵性外国人と見られた出稼ぎ日本人たちの苦悩を下敷きにしているが、そういう事情はあるものの、激務の間に野球をしたくてどうしようもない野球バカたちの物語である。
でかいカナダ人相手に勝ちたいという工夫と情熱の物語である。
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府中市にミレーが来た

2014-09-27 05:22:45 | 絵画
東京都府中市が市制施行60周年を記念して「生誕200年ミレー展 愛しきものたちへのまなざし」なる企画展を開催している。
こんなビッグネームの企画展はぼくが府中市に住んでからはじめて。

一昨日は雨模様の平日のためかえらく空いていた。
絵の番をするため立つ女性が四五人いたが見物もそのていど。おりしも《鵞鳥番の少女》という作品もあってそこの少女のほうが忙しそうに描かれていた。

肖像画のほかには、洗濯をする女、鶏に餌をやる女、バターをかき回す女、羊毛を梳く女、桶の水を空ける女、種をまく人、落穂拾い、鋤に寄りかかる男、農場へ帰る羊飼い……と牧歌的な農村風景がたくさん。
フランスの農業生産額は2011年704億ユーロでヨーロッパ1位です。
ユーロ圏最大の農業国であることを実感した。
フランスの農地は国土のほぼ半分。食糧自給率は2005年において129%(日本は40%)。



《子どもたちに食事を与える女(ついばみ)》1860年 リール美術館蔵

ぼくは絵の横にある解説をほとんど読まない主義だがこの絵の解説は目に飛び込んできた。1814年、ノルマンディー地方マンシュ県の海辺にあるグリュシーという小さな村に生まれたミレーは故郷では「落ち穂拾い」という作業を見たことがなかったとか。
長じてパリの南方約60kmのところにある、フォンテーヌブローの森のはずれのバルビゾン村に住むようになってこの光景を見て感激したそうだ。
つまり故郷では麦が生えるような良好な土地柄でなかったのか。日本ふうにいえば「水飲み百姓」ではなかろうか。う~ん、なんという僻村。



マンシュ県のとある断崖



《落ち穂拾い、夏》1853年 山梨県立美術館


絵を見ながらミレーが生まれた僻村グリュシー界隈を想像していた。
19歳の時、グリュシーから十数km離れたシェルブールへ移って修行したようだがここはカトリーヌ・ド・ヌーブの主演映画で有名なところ。
またノルマンディーはかの第一次対戦の際上陸作戦が敢行されたところ。
ずいぶん映画と縁はある土地柄。行ってみたくなった。
「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し……」と某詩人が詠嘆したようなご時世ではない。
行く気とお金があれば5日後には行ける。

けれどシェルブールという音感のよさから来る旅情はかのカトリーヌ・ド・ヌーブの魅力に拠っている。
いま行ってみてもぼくの生まれた伊那市みたいなものじゃなかろうか。
危ない危ない。情緒に溺れてはいけない。
フランス行きは思いとどまった。

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