天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

名画「バベットの晩餐会」

2021-09-30 05:53:02 | 映画



そう熱心な映画ファンではない。テレビでやるのをたまに見るていどであるが、おとといのザ・シネマHDの番組欄にあった「バベットの晩餐会」という題名に惹かれた。1987年デンマーク作品というのも興味を誘った。
【内容】
19世紀後半、重苦しい雲と海を背景にしたデンマーク・ユトランド半島の小さな村。牧師である老父と美しい姉妹、マーチーネとフィリパが清貧な暮しを送っていた。姉妹の元には若者たちや、姉にはスウェーデン軍人ローレンス、妹にはフランスの有名な歌手アシール・パパンが求愛するが、父は娘二人に仕事を手伝ってもらいたいと願い、また姉妹も父に仕える道を選び、申し出をすべて断り清廉な人生を過ごしながら年老いていく。父亡きあと、姉妹の元に家族を亡くしてフランスから亡命してきた女性バベットが、パパンの書いた手紙を携え家政婦として働くようになる。父亡きあと、村人の信仰心の衰えに気付いた姉妹は、父の生誕100年を記念したささやかな晩餐会を催して村人を招待することを思い付くが…。

ハリウッドの冒険活劇などものすごい予算を使う。爆発させたり破壊したりする車両等の多さにも驚く。それはそれでおもしろいのであるが、そう派手な見せ場がなくても映画はおもしろくなるという見本のような作品である。その点で山田洋次の「男はつらいよ」に通じる映画つくりである。
海が荒れるデンマーク北部で新教を信じる人たちの実につつましい生活ぶり。粗食であるから晩餐会に提供される食材を見て何を食べさせられるか不安になる村人。彼らは食事中、食べ物や味を話題にせず、とにかく神様の話をしようと誓い合う。このへんの畏れと、いざ料理が出てきてからの、口には出さないものの、味にうっとりしている風情のコントラストが絶妙。
それとともに厨房でせっせと料理をつくるバベットの立居振舞いにうっとりしてしまう。てきぱきと働く女、とくに料理の手際のいい女は食べてしまいたいほど美しい、ということを画面いっぱいに伝える。


バベットを演じるのは、ステファーヌ・オードラン。
•出生地: フランス・ヴェルサイユ
•生年月日: 1932年11月2日
•没年月日: 2018年3月27日(85歳没)
•本名: Colette Suzanne Dacheville

【ちなみに晩餐会にババットがつくった料理】
1. ウミガメのコンソメスープ
  アペリティフ:シェリー・アモンティリャード
2. ブリニのデミドフ風(キャビアとサワークリームの載ったパンケーキ)
  シャンパン:ヴーヴ・グリコの1860年物
3. ウズラとフォアグラのパイ詰め石棺風 黒トリュフのソース
  赤ワイン:クロ・ヴージョの1845年物
4. 季節の野菜サラダ
5. チーズの盛り合わせ(カンタル・フルダンベール、フルーオーベルジュ)
6. クグロフ型のサヴァラン ラム酒風味(焼き菓子)
7. フルーツの盛り合わせ(マスカットなど)
8. コーヒー
9. ディジェスティフ:フィーヌ・シャンパーニュ(コニャック)




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夏雲は俳句の壺に劣る

2021-09-29 05:21:24 | 俳句



シベリウス句会を手動から「夏雲」に変えて3回ほどやったが、おもしろくない。
メンバーの一人である月読が「他の方の選評を拝見した後の対話的コミュニケーション機能が準備されていない(と思う)。現状は各々が個々に記入するだけのモノローグ」というのに同感である。
選句のとき批評を書いてしまえばそれっきり。批評に対して意見を言う機能がない。ゆえに月読がモノローグと言ったのである。
ぼくは「俳句の壺」を使って二つの句会を行っていてそうとう盛りあがっている。それはいったん選評を書いてからの応答が自由にできるためである。「俳句の壺」の場合、成績が点数順に並ぶという容赦ない仕組みもおもしろい。
もっと言えば「夏雲」は通常の掲示板より劣るのではないか。ネットに無料掲示板があると知ったとき、これは句会をやるツールとして最適だと思った。その基本的な有益な要素を捨ててしまっている。「夏雲」が合評できないのは句会ツールとしては致命傷であろう。
さて、シベリウス句会はどうなるのか。「俳句の壺」に変更すべきだろう。


撮影地:武蔵国分寺公園(南)
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精神分析と添削と

2021-09-28 06:32:30 | 俳句



時間売る生業暗し百合ひらく 藤山直樹

「鷹」2021年8月号の巻頭句である。
【小川軽舟評】
 
自分の時間を提供して報酬を得る。勤務時間を働いて給与を得るのも「時間売る」ではあるが、「生業暗し」と続くと、よりなまなましく時間を切り売りする特殊な仕事であることが想像される。
 藤山さんはフロイトが創立した国際精神分析学会に所属する日本では数少ない精神分析家だ。フロイトの時代そのまま、カウチに横たわる患者の枕元に座って語らう。精神分析家になるには、まず自分自身が長期にわたる精神分析を受けなければならないと聞いて驚いた。精神分析家は自らの人格を賭して、患者の無意識にまで分け入り、その深部にわだかまるものを解きほぐす。秘儀のような営みが「百合ひらく」の印象と重なる。しかし、一回の時間はきっちり決められている。時間が来れば、次の患者がカウチに横たわる。
 藤山さんに失礼にならなければよいが、私はこの句を読んで風俗業を連想した。一定の時間、精神分析家は人格を、風俗業は肉体を差し出し、相手の心を癒す。藤山さん自身が両者に通じるものを感じてのこの句だと思われてならない。


藤山さんの句も彼の生業に関心がある。鷹主宰の言うように「精神分析家は自らの人格を賭して、患者の無意識にまで分け入り、その深部にわだかまるものを解きほぐす」ことであるなら、人の句をみて対応するのとは何か通じるのではないかと思っている。
小生は毎月3人の俳句の個人レッスンをしている。その中でМさんにはときおり心の問題を感じることがある。
例えばこの句、「菜を選る夢のなき夢霧の朝」
霧の朝、台所で野菜を選んで調理していることはわかる。「夢のなき夢」とはなんぞや。「夢のない人生だなあ」という意味の「夢のなき」ならわかるがこの場合適切でない使い方だ。このフレーズを挿入したことで「菜を選る」ことに何を付加したいのか。
小生は作者の居る世界が混乱している、混沌としている、とみる。

俳句をものすというのは混乱、混沌の中にひとすじの道を見出すことといえる。藪を歩いて山頂にいかにして到達するか、というのに少し似る。違うのは登山の場合、峰が見えている場合があるが句作の場合、藪を通りぬけて到達してはじめて山の姿が判然とする。すなわち作句は言葉との格闘のすえに「できた!」という瞬間に至る。この感覚を飯島晴子は「カチッと音がする」という表現をした。
句作は藪を抜けて空が見えるところへ道をつくって出る行為だと思っているが、もしかしてМさんはすこし違うのかもしれない。
混沌の中に沈んでいたい、わだかまっていたいという心理、そこから出たくない場合もある。これは、ぬるい温泉に入っていて上がれない状況に似ているかもしれない。泣きわめく子に何が不満か問うも言葉が得られないのとも通じる内面の混濁。混濁が行きたい方向を見定めていないとき言葉が整然と出てくるはずがないだろう。

言葉は理である道筋である。文法にのっとっているシステムである。混沌から言葉を導き出したいから俳句というシステムに乗せようとしている。Мさんはボールを投げる壁として小生を使っているのかもしれない。投げたボールの跳ねかえり方で自分がまた考える。
こういった俳句を介してのМさんとのやりとりと藤山さんの精神分析の現場は似通っている。
違うのは、精神分析家がずかずかとクランケの心中に踏み込むことはないだろう。慎重に言葉を選び語りかけ相手の言葉が出るように持ってゆくだろう。言葉のやり取りのなか、「百合ひらく」のを実感を相手と共に共有しようとするであろう。
俳句をみるのはもっと乱暴でときには季語の改変さえアドバイスする。そうしないと「百合ひらく」に至らないことは多多あるのである。
かなり乱暴な措置をする小生にМさんが嫌にならずついてきているのは、やはり混沌から自分を景色の見える峰に引っ張り出したいという衝動があるのだ、とみている。
人とのやり取り、内面の混濁、句作等について、いつか精神分析の専門家である藤山さんと話しをしたいと思っている。


撮影地:国分寺市民室内プール付近
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鷹使いという生き方

2021-09-27 06:16:45 | 

谷川宏典『鷹と生きる~鷹使い・松原英俊の半生』
2018/山と渓谷社


上記の本の目次である。
序章 鷹使いが生まれた日
第1章 現代に生きる鷹使い―狩りと生活
第2章 旅立ち―修行生活へ
第3章 運命の出会い―家族をもつということ
第4章 生きものとともに―飽くことなき好奇心と愛情
第5章 デルス・ウザーラのように


鷹使いは職業ではない。鷹を使っての狩猟等では生計は立たない。よって「プロ鷹使い」という概念はない。一方、「プロポーカープレーヤー」なる肩書は存在する。
松原英俊は鷹使いである。それもオオタカではなくもっと大きいクマタカを使う現在、日本で唯一の人であろう。
年収30万円弱。猟期でない夏場、土木工事などに従事して得た金額と、鷹に関しての講演料、山岳ガイド料などが収入のすべてである。
つまり、松原さんは鷹と生きるため以外のことはすべて鷹生活を成立させるための雑事でしかない、という生活を大学卒業してから70歳になるまで、ずうっと送って来た稀有な人間である。
松原英俊のことを熊谷達也著『山背の里から』で知ってこの稀有な生き方に惹かれ、谷川宏典著『鷹と生きる~鷹使い・松原英俊の半生』を読んだ。
本をひらいて仰天した。彼に妻子がいた、ということである。年収30万の男の妻になる女がこの世にいるのか……。

第3章 運命の出会い―家族をもつということ
この章をまず読んだ。
1984年夏の会津磐梯山。松原がきたない肌着一枚で休んでいたところに上から女性が下りてきた。通り過ぎてくれないかな、俺はきたなくて恥ずかしい、と思っているのに彼女は彼に声をかけた。道に迷っていたのだ。
道案内をしながらその人が伴多津子といい、大阪で銀行勤めをしていることを知った。
松原が自分は鷹使いであると言うと多津子が、『爪王』という話を読んだことがある、と答えそれは自分の師匠のことだと応じて、二人は一気に打ち解け、盛り上がる。
松原のような男は女に興味がないと思いきや、
漁に出て、獲物を背中に背負って帰ったとき、その獲物を喜んでくれる人が欲しい、のだそうだ。
一方、多津子は大手銀行でエリート社員(男性)の中に囲まれていた。けれど、みんな疲れた顔をしていて、この人たちは何が楽しくて生きているのだろうと疑問を感じていた。
大阪へ帰った多津子を探すために松原は大手銀行をかたっぱしから電話する。多津子の居場所を突き止め、大阪へ逢いに行く。
「どこに泊るですか」と問う多津子に松原は
「近くの公園で野宿するつもりです」と答える。ここから二人の関係が強くなっていく。

第3章の3分の1ほどを大雑把にまとめて紹介した。
むろん、多津子の両親が結婚をすんなり認めるはずがなく、この話は下手な恋愛小説を読むよりずっとリアルで興味深い。
松原多津子もほとんどこの世に存在しない種類の女性である。この男にこの女あり、という感じがする。多津子が息子を一人生んだということも奇跡のように思う。なんせ年収30万円の生活である。
生きることの意味を深く考えさせられる本である。
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鷹10月号小川軽舟を読む

2021-09-26 12:31:47 | 俳句


「鷹」10月号に小川軽舟主宰が「ひと雨」と題して発表した12句。これを天地わたると山野月読が意見交換する。天地が●、山野が○。

Wi-Fiの電波かそけし黴の宿
●今様の機器に疎いのです。Wi-Fiって何でしたっけ。
○あらためて聞かれると心許ないのですが、モバイルとかの通信端末をネットワークに繋ぐ無線システムのことです。ホテルでも新しいところはどこもWi-Fi環境が整っているので、客室でもノートパソコンとかの操作が快適に行える時代であることが、この句の背景になってますね。Wi-Fiは整備されていても建物の状況等が理由で接続具合に強弱が発生するわけですが、この句ではその“弱”の状況を捉えて「かそけし」と表した面白さじゃないでしょうか。
●博識ですね。黴くさい宿にもWi-Fiは入っているのですね。ぼくの付け足すことはありません。


朝焼や川底掃(はら)ふ稚魚の群
○生態的な捉え方もあるのかも知れませんが、「川底」まで見えるほどに澄んだ水と、きっとそれほどに深くはないのであろう川がイメージされます。「朝焼」ですから、周囲はまだそれほど明るくなり切っていないわけですが、それがいいですね。
●そうですね。浅い川でしょうね。

ひと雨のあとに風立ち洗ひ鯉
○「洗ひ鯉」というのはいわゆる鯉の洗いのことかなと思うのですが、こういう言い方は初めて目にしました。上五中七に示された状況と「洗ひ鯉」の料理法とに通じるものがありそう。よく思うのですが、料理を旨そうに感じさせるのに、主宰は「風」の吹かせ方が巧いですね。
●「風立ち」で鯉を美味そうにしています。小技が効いています。

滴りに差し出す鋺(まり)の響きけり
●鋺は金属でしょうか。鉄(くろがね)のイメージです。
○弥生土器に「まり」と呼ばれるお碗型のものがあるのは知っているのですが、「鋺」となると金属製なんでしょうね。今、調べたら「かなまり。金属製のわん」とありました。
金属性であれば「滴り」の「響き」も聞こえてきますね。山伏とか修行僧めいた雰囲気を感じます。
●書いてないですが鋺の水をごくごく飲んだことが想像されます。「響きけり」の余韻を感じます。
○そうですね、間違いなく飲むために差し出してますよね。

底の穢(ゑ)を揺りあげ暑き川流る
●12句の中でいちばん力投している句です。「底の穢(ゑ)を揺りあげ」に川に引きずり込まれそうな力を感じます。
○川底のゴミとか瓦礫を回収しているのかと思うのですが、「穢」であることを踏まえると、もっと有機的、動物由来のものの感じがします。状況的に「暑き」は至極納得のいくところなのですが、「暑き川流る」がよくわかりません。
●川底のゴミ回収ではないでしょう。ここに人はいないでしょう。水が「揺りあげ」ていると読みました。川底に草が生えていて芥や泡などが水に乗って流れているのではないでしょうか。水流が強いのです。そういう炎天下の川。
○そうか! わたるさんのいうとおりですね。人がいると思い込んでいたので「暑き川流る」がわかりませんでしたが、川の為す自然の摂理であるがゆえの「暑き川流る」だったのですね。

雨だれの樹下を出づれば虹高し
○ディズニー映画のワンシーンにありそうなくらいに幻想的。至って自然な状況なのに、何でこのようなファンタジーを生み出せるのかな。
●そうですね。道具立ては割とありふれていますが、構成されるとすっと景色が立っています。「虹高し」がものを言っています。

櫃抱いて蛸飯つぐや夏の月
●旧家の台所という感じです。いま都会の家ではほぼ電気釜ですから。
○旅館の部屋に運ばれた料理で、作者はきっと浴衣なんか着ているんじゃないですか。浮世絵にあってもよさそうな景ですね。「蛸」「夏の月」で、芭蕉の「蛸壺やはかなき夢を夏の月」を思い出しました。
●旅館ですか。いまの旅館は自分で飯を椀にもるか。「櫃抱いて」がおもしろかったです、蛸飯好きの感じが出ていて。
○かなり美味しい「蛸飯」なんですよ。

空港島沖にゆらめき砂日傘
●外国ではなく日本でどこかと調べて、たぶん神戸空港だと思います。
○なるほど。ビーチだとは思いますが、都会的な空間、センスの魅力があります。
●「沖にゆらめき」は案外言えないところです。島ですから。蜃気楼みたい感じられます。
○そうですね、蜃気楼というか陽炎というのか、そこがまた夏っぽくていいです。

部屋ごとにカーテン選び南風
○カーテンのサンプルカタログを手にしながらの楽しい時間。新居、それもまだ家具を運び入れる前の独特の広々感を感じさせる「南風」です。
●ぼくはカーテンは日を遮ってくれてそう派手な絵柄じゃなきゃいいと思っている無粋者なので、「部屋ごとにカーテン選び」には驚嘆しました。
○部屋の壁紙だってきっと部屋毎に違えているんだと思いますよ。わたるさん同様、私もあまり関心のないところですが。

噴水にパンツの子あり母さがす
●水に入ってしまったんでしょうね。母は苦笑している。
○如何にも都会の公園。「さがす」が平仮名なのは、その主体が幼い「子」であることと関係してるのかな。
●今月の12句でいちばん気に入った句です。
○それは意外ですが、日頃の育児体験から身近に感じましたね(笑)。

母やさし汗疹の首の汗押さふ
○「汗押さふ」としか書かれてませんが、これはハンカチとかタオルを使ってのことですよね。こうした状況を描くのに、そのハンカチとかを省略して事足りるという判断センスが凄いです。
●それも含めて、「汗疹の首の汗押さふ」の繊細さはこの作者の真骨頂でしょうね。

迎火に間に合ひし子のプールの香
●夕方、迎火をするからそれまでに帰りなさいと言われていた子です。「プールの香」にちょっとした意外性があります。
○そうですね。「プールの香」という表現そのものにも、この句での取り合わせ的にも心地よい意外感がありますね。プールから戻って家に上がることなく、そのまま玄関先での「迎火」が始まった様子が窺えます。



撮影地:国立市南部
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