
8月27日6時半開始と同時にホテルの朝食をとりそそくさと札幌駅へ。学園都市線に乗って「あいの里公園駅」をめざす。札幌からいちばんスムーズに海へ行くのはここを基点にするのがいいと判断した。石狩川と石狩湾あたりに身を置きたい。あいの里公園駅で下車しタクシー運転手に料金の概算を訊くと5000円という。散財である。財布の中を確かめてタクシーに乗ると決める。左右は農地が広がりこれぞ絵に描いたような牧歌的北海道である。タクシーはやがて茫洋とした荒蕪地へ来て止まる。左に海の音がする。1時間20分後の9時10分に来てくれるよう頼み、タクシーを降りる。
飛行機を降りて広いと感じた北海道。関東平野も広いが何か違う。それは植生であろう。繁華街の札幌も新宿も人工物が密集する。そういうところでは空の広さを感じない。地べたに人工物がないところは広さを感じその点で関東平野も北海道も同様に広さを思う。違うのは植生の荒々しさ。大和が蝦夷を畏れた気持ち、それが今も東京の人間に空間の大きさを突き付ける。
大地広し空また広し鳥渡る
広さにゆったりした気分。渡り鳥はいないが「大地広し空また広し」と言ってしまうとこれを受け止める重みのある季語が見当たらない。仕方なく3カ月先の風景を想像した。今はない景色を夢想しても誰も文句は言うまい。

草の絮無辺の空へ飛び立ちぬ
草は何のために絮を飛ばすのか。人知の及ばぬ植物の営みをつらつら眺めて空の広さを感じる。得難い時間である。
濁流に突き出て朽ち木秋の風
空も広いが石狩川も広い。毛沢東が泳いだ揚子江に突起物はなかったであろうか。

濁流の波止にごめ鳴く晩夏かな
石狩川の岸にかくも船着場があるとは思わなかった。また、ごめの集まる場所であることも。現地に来て見てわかることの多いこと。俳句は出会いがしらに賭ける詩である。
霧荒びごめの鳴き声ちりぢりに
「石狩挽歌」の「ごめが鳴くから鰊が来ると……」を思う。ごめの声は哀愁に満ちていてメロドラマでは女が来て泣いて絵になる。霧のなかでごめが鳴くといたたまれない。


大河いま大地の色やはたた神
水が土を削って流れる。川は土を運び続ける。深海はどうなっているのか。雷は大地と川を囃す。
最果てや花野なだれて海に絶ゆ
公園でない勝手に生える花が好きだ。彼らはしぶとい。


新涼やさざなみ立ちし水溜り
海のそばの雨水は不思議な存在である。激浪のそばで静かにゆらぐ。
秋晴や雨流れたる砂の綾
雨を吸い込んだ海砂を歩く心地よさ。しっとりと足を受け止める。砂が吸い込みきれない水の作る模様に見とれる。

玫瑰の実の色遊子止めたる
不愛想な海岸風景の中で草叢に赤や黄が点在している。何の実か知らなかったが場所柄、ハマナスだと感じた。一つ取って食べる。えぐみの無い鈍い甘さ。そう水分がないがナツメほどぱさついていない。
烈風に立つ玫瑰の実を噛みて
雨と風を容赦なく受ける過酷な環境にハマナスが根を張る。人が絶えてもハマナスが生きていそうである。
天に謝す玫瑰の実に遭ひしこと
知らないものに出くわすのは最大の楽しみである。名前の知らないものでもいい。未知の物に感覚が喜ぶ。それが嬉しい。
北辺の芒小振りや風の中
芒は風圧で成長できないのか。風に四六時中、嬲られている。

稲妻や雲の湧き立つ地平線
北海道は大地を感じるところ。そこに立つ自分を強く意識する。立ち続けたいと思う。
白々と葉の吹かれをり涼新た
何の木か知らないが裏が白い葉である。葉が揉まれて秋の到来をまざまざ見せてくれる。


海から同じ路線で札幌へ戻り、南の藻岩山(標高530.9m)をめざす。東京の高尾山みたいな存在かと思ったが、風情はそうとう違う。原生林である。大学生のころ小屋番で滞在して仙丈ヶ岳中腹の原生林を思い出す。
俳句を考えたが茫洋としていてポイントを見出せない。滞在して何かに出会はないと言葉は出てきそうにない。

昼寝覚窓いつぱいに雲光る
27日午後3:05発の飛行機は遅延した。北日本が荒れていて気流が乱れているという。30分ほど遅れて飛んだが窓の外の雲がおもしろい。
早口の機長の英語休暇果つ
耳が遠いので人の声がふがふが聞こえる。英語はよけい風のように聞こえる。早口でな機長をい機長を探すのはむつかしい。
紙コップ転げ晩夏の飛行場
風に飛びやすい紙コップ。それが転がる音は何か失う音である。夏が行く。さらば、サチ。12月、元気で横浜へ帰れ!
