天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

プロ野球順位予想

2017-03-31 13:17:50 | 野球


いよいよ本日から日本のプロ野球が開幕する。
スポーツニッポンはきのうの2面で9人の解説者によるセ・パ両リーグの順位予想を取り上げた。
この中でぼくは吉村禎章氏のものに近い。吉村さんは
セ・リーグを、巨人、DeNA、広島、阪神、ヤクルト、中日
パ・リーグをソフトバンク、日本ハム、ロッテ、楽天、西武、オリックス
と予想する。

セ・リーグの台風の目はDeNA。若い選手たちがまとまって野蒜のように出てきた感じ。打つほうは不動の若者、筒香がいるし、投手も石田、今永らが急成長した。ほかにも芽が出る要素があり魅力十分。
ただし黒田が抜けたとはいえ広島より上へ行くかとなると疑問。勢いでやるかもしれないが安定感はまだない。
巨人、広島、DeNAだろう。
ぼくが去年優勝に上げた阪神は期待した投手陣が広島よりはるかに劣った。機動力攻撃も最初だけであった。
中日は去年あんなに負けた割にたいした補強をしていない。まじめに球団経営をする気があるのか疑問。
1チームでも弱いとリーグ全体の魅力は落ちる。
巨人は質量ともすごい選手層の厚さ。これで優勝できなかったら監督交代に発展するだろうが、不安はある。若手で出てきたのは坂本くらいでほかの生え抜きの若手の活躍が少なすぎる。岡本は騒がれている割に成果を出しているのか。なぜDeNAみたいに若手が出て来ないのだろう。

パ・リーグはソフトバンクがダントツだろう。
去年日本ハムにあんな大差をひっくり返されたことが奇跡。奇跡はそうそう起こらない。
ソフトバンク、日本ハム上は決まりだろう。
ロッテは知謀の伊東監督が渋くていい。今年はさらに仕掛けて上位2チームを食いに来るだろう。こちらの台風の目はロッテマリナーズ。いやらしくしぶとい球団のイメージがある。
楽天、西武、オリックスはぱっとしない。
西武は打線はいいのだがエラーが多すぎる。楽天、オリックスはこれが看板という選手がぱっと浮ばない。岸投手は好みなのだが孤独な感じ。

広島の緒方監督にはお願いがある。
5年目、22歳の鈴木 誠也選手は絶対4番に固定して1年間使ってほしい。安定して率を残し遠くへ飛ばせる山本浩二級の珠は4番においてこそ光を発揮する。
日本球界の4番をベイスターズの筒香と競い合う逸材と考える。1打席もはやく4番を張らせたい。日本球界のためでもある。
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白蓮の嫁いだ家の雛人形

2017-03-30 06:21:34 | 旅行


3月28日、博多から福北ゆたか線に乗って42分、新飯塚へ行った。タクシーで960円乗って、旧伊藤伝右衛門邸を見学した。
最近読んだ林真理子『白蓮れんれん』のヒロイン、柳原白蓮が嫁いだ家(伊藤伝右衛門邸)へにわかに行きたくなった。




白蓮の部屋。伝右衛門さんは入室不可だったという。

柳原白蓮は彼女が短歌をするペンネームであり、大正天皇の従妹として生まれたときの本名は柳原燁子。父柳原前光伯爵、母は大正天皇の生母と姉妹。
燁子は実家の経済的苦境から富裕な炭鉱王に嫁いだものの、伊藤が経営するとしていた学校事業は絵に描いた餅みたいなもので伊藤には経営権も意欲もなかった。燁子は旺盛な教育熱を持ちここで校長になれることが不遇な結婚の条件だったと、林真理子は書いている。それが叶わなかったことが幻滅の第一。
次に伊藤邸を取りしきる女中と伝右衛門は事実上夫婦関係を結んでいるような状態で燁子はすぐさま異常な生活に呆然とする。



そんななか、雑誌『解放』の主筆で編集を行っていた宮崎龍介と知り合い激しい恋に落ち、紆余曲折を経て駆け落ちしてここを去る。
燁子は10代で北小路家に嫁ぎ一子を生みまた実家へ戻り、伊藤へ再度嫁ぎそこで大スキャンダルを起こし日本中をあっといわせた。最後に宮崎燁子となった女の一里塚がこの旧伊藤伝右衛門邸なのである。


白蓮が書いた手紙。こんな達筆の恋文をもらったらたいていの男は転ぶ。


白蓮がいたとき雛人形を飾ったわけではないらしい。観光客向けの演出。3月は雛を展示する季節で幸運にも28日が雛の最終日であった。
右側は源氏物語「胡蝶」の六条の院の御殿のイメージの設営。約600体の雛人形を仕舞うのがたいへんと案内人がいう。









貝合せ。
白蓮が持ってきたのか伝右衛門が調達したかは知らぬが、うしろでご婦人たちが「貝合せよ、貝合せ、きれいよね貝合せ」と連呼されるとレズビアンの情交を思って恥ずかしくなる。公の場で貝合せはつぶやくものであろう。



遠賀川。
炭鉱事業はなやかなりしころ、福岡県中部から北部,遠賀川流域,筑豊炭田一帯の地域は「川筋」と呼ばれた。ここ遠賀川は筑豊地域の多くの支流を合せて玄界灘に注いでいるが,水運が早くから開け,川筋の筑豊炭田開発につれ,石炭輸送の大動脈となった。飯塚、田川の炭鉱の人は、気が荒く、「川筋者」と呼ばれた。
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俳句をぱくる病

2017-03-28 04:06:52 | 俳句


何年も前、ぼくの年賀状の俳句をみて俳句の弟子にしてほしいと言ってきた人がいる。
彼女はぼくが出版社で編集をしていたとき人を集めて臨床心理セラピーみたいなことをやっていた。その集まりの主宰という立場であった。そこを取材することで彼女とつきあいが生じた。
心理療法で人とおつきあいすることを業とすれば言葉は茶飲み話以上の重きを持つだろう。彼女は俳句向きの資質をお持ちなのだろうと思った。
ただしぼくが年賀状に書いているのは「戯れ句」であって俳句本来の詩精神のあるものではないことを再三言い、鷹誌も見せて納得してもらうことにつとめた。

彼女は本格的な俳句をやりたいのでぼくの弟子になりたいとおっしゃった。鷹にも入会した。
2年ほど個人教授(面談)したが次第に疲れてきた。そのころネット句会が軌道に乗ったのでそこへ入ってみなさんと一緒に句座を共にしてもらうことにした。
しばらく順調であった。
ところがある日、ネット句会で出た誰かの句とほとんど同じ句を彼女が出してきた。
3ヶ月ほど前に出た句だから盗まれた人も周りの人も気づいて大騒動になった。
彼女が寝たきりの母の介護をしていることは知っていた。俳句を考える時間も十分ないことも理解していた。したがってそうそうレベルの高い句もできないことも承知していた。彼女は「頭がこんがらがってしまって…」という弁明をしたがぼくは理解できないし彼女を弁護することができなかった。
そういった事情で疲れていたとしても人の句を自分の発想と間違えてしまうものだろうか。
俳句をやっていていちばんやってはいけないことをやってしまったのだ。
盗まれた人が今後気をつけてもらえれば一緒にやっていけると温情を示してくれたが、彼女は会から身を引いた。
ぼくは会の方々の了承を得て半年の謹慎で復帰できる道筋を用意した。
けれど彼女は戻らなかった。

彼女からずっと盆暮の付け届けが来る。ネット句会に戻らないとするとそれをいただくことが重くなってきた。
それで贈答品に応えるべくまた個人教授をはじめたのである。
しばらく句が来ないなあと思っていたら忙しいとき句がやってきた。
しかし鷹の30句に入った句と一字しか違いのない句が混じっていた。ぼくは目を疑った。
前回犯したあの間違いは彼女の頭の中でどうなったのであろう。
前回の間違いもぼくは納得できていない。
それは彼女が心理療法により悩める多くの方々の心に寄り添ってきたという実績とまるで裏切るような背信行為であったからである。
人の心の翳に寄り添ってその人が安らぐように尽力しようとする方が、人より抜きんでようとか人を凌駕して目立ちたいという欲望をあらわに表現活動をするのであろうか。
人は見かけによらぬものとはいうもののそのへんがどうしても理解しがたいのである。

ぼく自身人の優れた句を詠んでたくさん暗記している。
それは自分の作句において高い指針となっている。そういった秀句にいくら惚れこんでもそれが自分のものであるという錯覚や幻想には決して陥らない。
人の秀句を知らずに近似してしまうことはある。それは鷹主宰にだってある。けれどそういったミスは頻繁に起こすものではない。
やはり彼女の頭のなかのどこかが故障しているのだろうか。
簡単に「盗癖」という言葉では片づけられない何かが彼女の頭のなかにあるのだろうか。

「そんなに盗むのなら俳句はもうやめなさい」と引導を渡してしまおうか。
こういうとき人との関係はばっさり切り捨てるのがいいのか、つないで補正できるのか、補正するのがいいのか………わからない。
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白を着るから早稲田実は負ける

2017-03-27 14:21:23 | 野球


高校野球は未熟なので熱狂しないしあまり見ない。
しかし今日は早稲田実VS東海大福岡を最初から最後まで見た。下馬評の高い早稲田実はほんとうに強いのか興味が湧いた。

ぼくは白のユニフォームが嫌いだ。野球以外の白は悪くないのだが野球のユニフォームが白いと力感がなく弱弱しく感じてしまう。
早稲田実はマスコミがちやほやしているだけでそんなに強くないんじゃないか、と感じてしまった。
ぼくのいい加減な思い込み通り、東海大福岡が完全に主導権を握った。
東海大福岡4番遠藤の打撃が光った。
早稲田実3番清宮、4番野村と遜色ない力量で、走者を置いて長打2本放って5打点はみごとであった。

早稲田実の打撃は優勝候補レベルといっていいが投手力はそこまでいっていなかった。
東海大福岡のエース安田に比べて早稲田実の投手力はあきらかに落ちた。
服部―池田―赤嶺―〇〇とつないだが出てくる投手の力がどんどん落ちていった感がある。
試合は乱打戦となったが、安田一人でまかなった東海大福岡のほうが4人使っても芯のない早稲田実を上回ったといえる。

なお実況中継のアナウンサーは若干早稲田実びいきではなかった。解説者がアナウンサーの早稲田実びいきに乗せられた感じがした。
早稲田実が4―9と追い上げたとき、
「5点差ですが大きなチャンスが早稲田実にやってきました。満塁ホームランで追いつくあと1点取っておきたいです」とか、
「清宮くんが打つと雰囲気ががらっと変りますね。セカンドフライでも変ります」とか、
随所に人気者、人気チームへのアナウンサーの偏りが感じられた。

たしかに清宮のスイングスピードのはやさは清原、松井級であるし、打撃センスがよく俊足の野村はプロから声がかかる素材であろう。
けれどマスコミは投手陣の弱さなどもっと戦力をつぶさに報道していたずらに優勝候補と煽りたてるのはいかがなものか。
下馬評はそうとうマスコミがつくったものだとわかっただけでもこの試合を自分の目で見た意味はあった。

野球の白いユニフォームはやはり弱いのではないか。白はきれいな看護婦さん(いまは看護師というのか)にふさわしい色だと信じている。


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天童荒太『永遠の仔』

2017-03-27 03:19:03 | 


本書の主要人物は3人。
久坂優希、長瀬笙一郎、と有沢梁平。
3人はそれぞれ看護婦、弁護士、刑事となって社会へ出て表向きはまっとうに職分を果たし暮らしている。
18年前3人は愛媛県の双海小児総合病院第八病棟で一緒に療養した過去を持つ。3人とも人にはいえない親子関係の深い傷をかかえていた。
ある雨の明神山の洞窟で彼らが自分の生い立ちと、それで受けた深い心の傷を打ち明けたことで3人は終生切っても切れぬ関係となる。
その固い関係が退院記念登山において何かの事件を起こす。

誰かの死に関する事件が冒頭であいまいに知らされる。
「わたしたち三人は、あれをやった」という一件が本書のミステリーのおおもとである。何かの一件が霧の山で起こったという上っ面のみ知らせてそれはまた袋の中に深く沈む。
米が60キロ入った麻袋を考えよう。
その隅に1センチほどの穴があってそこから米がこぼれ落ちている。少しずつ流れ出ているが量が多いのでいつになったら全部なくなるのかわからない。
内部に無数の米に雑じって「あれをやった」という固い岩があるのに米粒が流れ出るだけで一向にわからない。
3人が行った「あれ」とは何かをずっと見せないで読者に緊張感を持続させるテクニックは抜群である。
たんたんとした急がない筆致で固い岩のありかとその真実は何であるか、作者は原稿用紙2385枚、上下巻あわせて912ページの大作を書いた。新聞より小さい字が上下段に組まれていてたいそう読みでがあった。

ネタバレにならぬよう枝葉末節に触れると、
第八病棟を子供たちは「動物園」と呼び、英語表記の動物の名をもとに自分たちにあだ名をつけていた。

優希はルフィン、ドルフィンの省略。何度も病院を脱出して山狩りなどさせたためか。
梁平はジラウ(giraffeキリン)。全身にキリンのような火傷の痣がある。母に折檻を受けたもの。
笙一郎はモウル(もぐら)。暗いところでパニックを起こすことを逆手に取った逆説的命名。母がしょっちゅう男を家に連れ込むので押入れで過ごした暗い過去を持つ。それが暗所恐怖につながっている。
ちなみにほかの子は以下のよう。
ラトル(rattlesnakeの略)四六時中音を立てて生きていることを確かめている少女。
リザ(とかげlizardの略) 拒食症で自分の肩の肉をナイフで削いだ少女。
イフェメラ((ephemeraかげろう)はかなく死ぬようなことばかり言う少女。
アダ(adder蝮)いじめられたことの復讐のためダンベルで鍛えている筋肉少女。蝮のように睨む。
メア(雌馬mare)気性が荒くからかうと蹴る。
オスト(駝鳥ostrichの略)現実逃避の気があり運動会で園外へ逸走。
このへんは漱石の『坊ちゃん』における「赤シャツ」「山嵐」を思って興味深い。

本を手に取ったときから不思議な題と思っていた、どうして仔が永遠なのだろうか、と。
それは30歳になろうとする3人が生立ちの深い傷から脱出できていない子どもの状態であるということであろう。社会へ出て認められる地位にあっても真に自分の生存基盤に疑いを持つ弱い子どもとして「永遠の仔」なのである。
社会に出て巡り合った3人に次々悲劇が襲いかかる。

天童荒太は前に書いた『家族狩り』で悲惨な家族的要因は白蟻が孵化して飛んでいって別の家の家族を毒していく、という絶望的な見解を示しているが本書もこのペシミズムを踏襲している。
18年経って彼らが成人しても新たな凄惨な事件が起きるのである。いや3人が偶然また出会ったことが新たな惨劇を導き出したかのように作者は展開する。

天童は救いを書こうとしない。
悲劇のもとを徹底的に書き尽くそうとする。彼の洞察力と筆致の鋭さは読者をまぬかれがたく引っ張り込む。うわべの救いを拒否するかのような物語は逆に人間関係、家族関係の究極の井戸を掘り進むような感じ。
ドルフィン、ジラフ、モウルのたったひとつの願いは、「生きていてもいいんだよ。君は穢れていない。本当に生きていていいんだよ」ときちんと言ってもらいたいことなのだろう、父と母に。
言ってくれる父と母が逆に子どもの生存を拒否しようとする。
したがって3人は深く強く結びついた、けれどそれが惨劇を起こし、3人は散り散りになってゆく……。

天童荒太の代表作といわれる『家族狩り』、『永遠の仔』、『悼む人』。
発表されたのはそれぞれ1995年、1999年、2008年である。『家族狩り』、『永遠の仔』は惨劇と悲劇べったりといっていい。この深い闇から天童が救いを願って『悼む人』を書くまでに9年を要したのが本書の闇を知ると納得できる。
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