天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

加藤静夫を再読する

2024-06-15 03:20:41 | 俳句




「鷹日光集同人」の加藤静夫。現在71歳。小生より2歳年下にして2年はやい昭和63年に鷹へ入った先輩。日光集は無鑑査同人にて、細谷ふみを、布施伊夜子、岩永佐保、奥坂まや、加藤静夫の5人。加藤は最年少の無鑑査同人。
平成3年「鷹」新人賞、平成13年「鷹」星辰賞、平成14年角川俳句賞、平成16年「鷹」俳句賞受賞と内外に輝かしい句業を誇る奇才である。
最近届く句集のどれもが序文に鷹主宰の誉め言葉がにぎにぎしくある中で、彼の処女句集『中肉中背』(平成20年発行/角川書店)は、藤田湘子の序文が無いばかりか、湘子選に入らなかった句も堂々と載せている。つまり「中肉篇」として湘子選の220句、「中背篇」として自選の180句を併せたのである。16年前の句集の編み方に改めて感動した。
この句集刊行に関して高柳編集長が加藤静夫にインタビューした記事『人生最後の日も「笑い」を』(鷹2009/4月号)がたまたま手元にあった。
湘子選と自選を併せて句集を編んだことについて加藤の答えが振るっている。全文を紹介する。
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湘子先生はよく「俺の句について批判するのは構わないが、俺の選に文句を言うことは許さない」といった意味のことを仰っていました。湘子選とそれ以外の句をごったにして並べると、先生が夢に出てきて「俺はそんな句、採った覚えはない」と怒られるのではないかと。冗談に聞こえるかもしれませんが、そう考えただけでも、ほんと、怖かったんです。私が星辰賞を受賞したときも、選考会で最初先生は私を推しませんでした。ほかの選考委員の方々の意見に押し切られるかたちで私の受賞を認めたわけですから、そのときの二十句は湘子選に採られたとはいえません。選考会で「この句は悪くない」と言われた句もありますが、「悪くない」は、「この句、採る」とは違うのです。そこを勘違いしてはいけません。それで受賞作は湘子選の「中肉篇」には入れず、選外の「中背篇」のほうにまわしました。湘子選とそれ以外の句とを一緒にすることは怖くてできなかったのであのような構成にした、というのが正直なところです。
(以下、作者の発言を赤で表示する)
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人を食った気配もないではないがこの主張は几帳面で明快、筋が通っている。冗談とも本気とも取れるような物言いこそ加藤静夫の魅力。冗談めかして本音を述べる能力は句作同様冴える。これが加藤静夫の人となりではなかろうか。
以下、おもだった句を検証する。

【中肉篇】
折返し運転にして初電車
作者いわく、「いわばデビュー作です。初電車というめでたい季語に折返し運転を取り合わせたところなど、すでに静夫俳句の句の作り方の基本に則っているといえるでしょう。」
季語に近いものでありながら季語の正面ではなく少しずらした角度から別の文言を付ける。それが実に巧い。このずらし方は天性のものである。勉強して獲得したというものでなく、できる性質のものでもなかろう。

探梅行商店街にとどこほる
梅の花を探していて商店街に引っかかってしまう。よくあることである。
この句をみてサッカーのヘディングを思う。サイドから中央に飛来したクロスボールにジャンプして頭で合わせる。頭に触れたボールが10度くらい軌道を変えることでゴールマウスに入る。これが2人の選手が協同して点を取る極意だが、加藤は同様の感性で二つの言葉を小気味よく操る。

うすらひに婚期遅れてしまひけり
「うすらひ」のはかなさが以下の不遇を味付けする。

椿寿忌の全員に日の当りたる
「椿寿忌」は「虚子忌」。流派が違えども今俳句をやっているほとんどが高浜虚子の影響下にあるだろう。いつまでも虚子の傘の下にある俳句界を川柳人など茶化すのだがこれは間違いない。それが「全員に日の当りたる」なのである。

年頭にあたり電柱数へをり
「年頭にあたり」は会社などで社長が抱負を述べる前置き。次に壮大なことを述べるのが常だが、それをずらす。ずらすが「電柱数へをり」は案外人がやることである。まったく奇異なことでないのが巧いのである。

向日葵に問い詰められてゐるごとし
小春とは風呂敷づつみ解くごとし
比喩を使った一物仕立ても冴える。加藤の使う言葉数の少なさはずっと注目している。言葉数が少ないから比喩が威力を発揮する。

三乃至五秒をおいて滴れる
三と五、それに七は日本の七五調文化の基礎になる数字であり俳句もまさにそれ。日本人のほとんどが親近感を持つ。滴りの実情に三秒五秒が叶っており、さらに伝統からの援護を受ける分厚さ。俳句の骨法を心得ている。

トラックの幅が道幅金木犀
トラックがやっと道を擦り抜けて行く。徐行である。バックミラー等が金木犀を擦って花を散らせている。この場合散る花がいいのでありこの季語はすば抜けている。

春祭いつたん家にもどりけり
「いつたん家にもどりけり」……それがどうした、なのであるが、この付け合わせが意味を消した巧妙な付け方なのである。「わかる人はわかる」で出してはたと膝を打って湘子が採った。

東京の春あけぼのの路上の死
「春はあけぼの」というとかの清少納言の「枕草子」の叙景を思わせるが読み手は裏切られる。なんと「路上の死」である。現在の都市であり得る事態を配してはっとさせられる。

信州の露は大粒歩くなり
諧謔系の作者にしては体験をまともにとらえた異色の句。対象に正面からぶつかっている。こういうとき「歩くなり」という素っ気ない措辞が効く。

中肉にして中背の暑さかな
句集の題とした句。作者いわく、「中背はともかく中肉は疑問と言う人もいましたが、確かに二十年前と比べ、われながら太りました。自分が中肉中背の頃もあったという証拠になればいいのですが」。作者らしい気の利いた句であり、題名である。

初笑ひして千葉県へ帰りけり
俳句は読み手の意表をついて笑わせる芸であるという作者のしたり顔が垣間見えるような句。「初笑ひ」と「千葉県」だけでおもしろくかつふくよかな世界を披露する。「千葉県」を置いたことで首都「東京都」を思う。「千葉県」でなく「船橋」と限定するとこの可笑しみが出ない。「ダサイタマ」という埼玉への蔑称があるが千葉県も首都に対して在の意識、日陰の思いがある。「千葉県へ帰りけり」は、田舎者が花の東京でいっとき楽しんでまた田舎へ帰りました、ということ。大様に書いて諧謔の極致といってもいい出来である。
以下、どの句もおもしろい。

春月に出しつぱなしの旗と犬
台風が来る猿股を替えにけり
嘆いてはをれぬ焼藷屋がとほる


【中背篇】
涅槃図の奥から風が吹いてくる
現実にはあり得ないことだが句にすると結構リアリティがある。狙いがいい。

ほとぼりのさめたる梅の木なりけり
青梅を取った後という見方もあるが花が散った梅の木とみる。花を見る人々がいなくなった静かさであろう。「ほとぼりのさめたる」なる難解でない言葉を適切に使っている。

葉桜や扉ひとつのわが暮らし
自分の暮らしを見つめた句。「扉ひとつのわが暮らし」で集合住宅の一角に住むことがわかる。時節を過ぎた静けさの「葉桜」で目立たない暮らしぶりを暗示する。

生涯を現金払散水車
俺は月賦で買わないし付けもしないよ。ましてや借金など、という内容。すっきりした生き方に季語がどんぴしゃ。

身に覚え無き裸子がついてくる
作者は女嫌いゆえわからない子供がこの世にいるとは思えない。作者いわく、「主人公は人間ですから、私のプライバシーとは必ずしも一致していません。自分の内面ではなく、人間全般の内面を詠むと言う意味では、大胆にさらすというより、大胆に暴くといったほうがいいのかもしれません。」男のあり得べき状況、しかし起こってほしくない他人の事例を巧妙にこなす。

たましひをいれそこねたる海鼠かな
「息の根のごとき海鼠を摑み出す 奥坂まや」と比べて揚句は正反対。息や魂といった生命力がうろんであるという立場である。奥坂はプラス志向、加藤はマイナス志向で海鼠をとらえ、どちらもリアリティを獲得している。マイナス志向に諧謔のエッセンスがある。

欠勤は無断に限る甜瓜
作者いわく、「この私が無断欠勤すると思いますか? サラリーマンが、朝、会社に連絡もせず、このまま休めたらどんなにいいだろうと思いながらも、やはり出勤するしかない、そんな時の思いを逆説的に代弁してみただけです。本当に無断欠勤するような人は俳句など作らなくても生きていけまよ。」

全身にシャワー信長忌であるか
シャワーの勢い。いざ出陣の雰囲気濃厚。

乗り換へて乗り換へて太宰忌のふたり
「乗り換へて乗り換へて」でどんどん寂しいところへ行く男女を思う。死の道行、心中を暗示する。

向日葵の百人力の黄なりけり
作者いわく「湘子選ボツの句でも角川俳句賞が取れると、多くの人に誤解を与えた句です。ボツはボツでも、出来ているが納得できない句と、出来てもいないし納得もできない句とがあるのです。先生にとっては前者だったのでしょう。」確かに出来ている句である。一句の精度のよしあしと内容が受け入れられるかどうかを峻別する作者の緻密さを称えたい。

始祖鳥のこゑを思へばしぐれけり
これも角川俳句賞を受賞した50句の中の句。「始祖鳥のこゑ」から「しぐれ」へ転じた距離感に圧倒された。これぞ湘子の提唱した二物衝撃である。諧謔をモットーとする加藤であるからこそこの感覚の冴えに注目した。いまでもこの句は加藤の諧謔系でない代表句の一つだと思う。

空間を時間素通り夜の秋
「空間を時間素通り」は体感として受け止めることができる。抽象的な概念を感覚的に摑んでいる。ゆえに一句が浮いた感じにならず落着きを有する。非凡な才能である。

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加藤静夫は「鷹」だけでなく、「俳句研究」や「日本経済新聞」の藤田湘子選に投句した。
本名の加藤静夫だけでは足りず、「王子爽太」、義兄の名「塚田広」、甥の名「加藤龍平」「加藤慧」、はては母の名「加藤喜代子」まで借りてはがきを書きまくった、とあとがきに記す。
湘子にぞっこんであったといっていい。
ある秋の多摩句会で「紅葉且つ散る清潔なお付き合ひ」を見て仰天した。湘子指導句会である。先生をおちょくっているとしか思えない。はたして先生は「清潔なお付き合ひとは何だ! 俺を馬鹿にしてもいいが俳句を馬鹿にしたら許さんぞ」と声を荒げた。当然の怒りであろう。作者は加藤静夫、よく名乗れたものである。
先生からあのような名言を引き出すとは……剛の者と思った。こんな句、怖くてとても出せない。先生との付き合い方も季語同様、付かず離れずの絶妙の間合いを醸成する加藤静夫。「鷹の句があるのではなく俺の句がある」と言って憚らない加藤静夫の生き方、世界を高く評価している。
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