天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

川柳は密林の呪いである

2017-02-28 17:20:11 | 俳句・文芸
50代に川柳を数年やったことがある。
その縁で今でもときどき川柳雑誌が届く。最近、来たのが「川柳木馬」(第150/151合併号)と「銀河」(№201)である。
前者は発行人=清水かおり氏(土佐市)。後者は発行人=島田駱舟氏(松戸市)。



「川柳木馬」は「作家群像」で徳永怜氏を特集している。
60句をざーっと読んだが次の一句をのぞきほとんどの句に首を捻った。
その一句は、

湖は平たく言えばシーツです

これはい完璧にできていると思った。「平たく」を掛け言葉として使っていてうまい。「平たく言えば」という文脈であるとともに湖面の平らを滲ませている。こういう言葉の芸はうきうきする。川柳はこういう言葉遊びを俳句より気軽にできるジャンルだと思う。
ほかはよくわからない。
新家完司氏が「徳永怜川柳を読む」という評論を書いている。彼は以下のように括る。

[具象の力]
左手を添えてやさしくなる右手
ほどいてもあなたを記憶する毛糸
りんごむく地球のように傾けて
誰からも遠く林檎をひとつ買う


[独特の見つけ]
背びらきで私取りだすワンピース
月光の投網を打たれ動けない
一日に一錠海をのみなさい
裏起毛の声で寒さに耐えている
スプーンは涙のかたちして掬う


括るのは評論の基礎作業である。

左手と右手の演出は芸はあるのだが俳人にとってはこの情緒は甘い。「ほどいても」は無理やり抒情をつくろうとしている。「りんごむく」は幼稚。「誰からも遠く」は俳人からみればやや甘いが一番詩情がありのんでもいい。
背びらきは俳句にも類想がある。たとえば、蟬のように背が割れたとか、肩甲骨に天使の羽の痕があるとか。「月光の投網」は観念の遊び。海を飲むは読み手に中身を委ねすぎていないか。解釈の幅が広がりすぎないか。
「裏起毛の声」は感覚的で俳人好みではあるが字余りをなんとかしたい。「スプーンは涙のかたち」は俳句に頻出した「勾玉は涙の形」を思う。

時事川柳を仲間と認めず俳句、いや短歌的抒情を好む川柳人はかなりいて、この「川柳木馬」の意識は詩情の追求にある。時事川柳などの、穿ち、批判、当てこすりといった、ぼくから見て川柳の王道の要素を遠ざける。
詩情を目指すのはいいとして五七五みたいな半端な長さで短歌のような抒情を目指しても破綻する。これが多くの俳人の認識にて、季語の支援と文体の切れで一句を持たせようとするのだが、彼らは句の形に頓着しない。能天気で幸せだが危険である。
中途半端な言葉は仲間内しか通じない呪(まじな)いになってしまう。よって俳句より句についてたくさん語る必要があるわけである。呪いの解明のために。





「銀河」へは投句したことも選者として招かれたこともある。
この会は「印象吟句会」を謳っている。すなわち、すべて題詠で句をつくる。俳句ならその題は季語であったり、漢字であったりするが、彼らの題は物の映っている写真や絵絵画だったりする。
たとえば次のような絵である。

「渋谷・広尾小学校横の歩道」である。これを見て想像の翼を広げて句をつくる。
吉住義之助選
    五客
盲導犬命をかけた地図を持ち 福島久子
頂上で別れた妻に手を振られ 茂呂美津
ロボカーがしり込みをする難コース 多田宏史
まっすぐに歩かなくても着く未来 岩崎能楽
競うこと止めた靴から老いていく 林マサ子

    三光
目の前に敷かれた道は歩かない 永田吉文
秀才の地図は理屈も付いてくる 佐藤潤子
道草を食うおいしさを知るつくし 稲森あこ


「頂上で別れた妻」、「まっすぐに」、「競うこと」などはこの絵からよくイメージを広げたものだとは思う。「盲導犬」はやりすぎではないか。
「道草を食うおいしさを知るつくし」は穿ちがあって川柳的なひねりはある。みなさん、イマジネーションの拡散にかけるハートの熱さは感じる。
けれど、こうして題詠でできた句に独立性、普遍性といったものがあるのだろうか。一度じっくり題と関係なくこれらの句が立つことができているか、駱舟さんと話したい気がする。
一句はたとえば、駅の掲示板になんの注釈もなくあって、人の心を打つというのが本来だと思うのである。
川柳、俳句、短歌を問わず。

川柳は密林の呪いのように小生には不可解なところが多いのである。
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東京マラソン考

2017-02-27 05:37:13 | スポーツ


きのうNHKの「日曜討論」からチャンネルを変えるといきなり黒い大きい選手たちの集団が映った。
東京マラソンである。
5キロを14分31秒というとてつもない速さで通過したところであった。トップ集団はみな同じような顔をしていて速い。
こんなに大勢来て日本人をいじめなくていいじゃないかと思っていたら3人がペースメーカーであった。

ペースメーカーは結局2時間3分台のすごい記録で優勝したキプサング選手の引立て役をつとめたことになる。
けれどこれほど傑出したランナーにペースメーカーなんて要るのだろうか。彼は世界記録のラップを体で感じ取ることのできるランナーである。
いや、そもそも、マラソンにペースメーカーなんて要るのだろうか。
ペースメーカーは記録向上を意図した装置といった認識でいいのだろうか。ならば、同じとき行われた車椅子マラソンにペースメーカーはいたっけ。いなかったように思う。

瀬古選手や宗兄弟のころペースメーカーなんていなかった。それでもおもしろくてテレビ観戦した。
瀬古選手と3回ほど戦った選手にイカンガーがいた。イカンガーは常に先頭を走りそれにぴたっと瀬古がつけて最後に差して勝つということが多かった。イカンガーは気の毒で瀬古はセコイなあと感じていたが、いま思えばイカンガーは瀬古のペースメーカーであった。
けれどイカンガーにトップ引きをして損をした、という気持ちがあったのだろうか。
性格や脚質はいかんともしがたい。それでいいのではないか。

ペースメーカーでほかに疑問を感じているのが競輪。競輪におけるペースメーカーを「先頭誘導員」という。
現在の競輪競走は全て「先頭固定競走」といって、先頭誘導員がレースの序盤から中盤にかけて走者を誘導するルールになっている。
この先頭誘導員は余り早く追い抜いてしまうと失格になってしまうので、ルールに定められた場所までは先頭誘導員を追い抜くことができない。
昔は先頭固定競走ではなく、ヨーイドンで出たらどんなふうに走ってもよかったそうだ。けれど先頭を行く選手は風の抵抗を受け不利を被り、ついてきた選手に交されてほとんど負けた。それで先へ行きたがらない。
それでペースメーカー出来となったらしい。

わかるけれど自由に走ったらどうなるか見てみたいのである。
競馬にはペースメーカーの馬はいない。ときに先に立ちたくない馬ばかりでぐずぐすしたレース展開になるがそれはそれでおもしろい。速いだけがおもしろいわけではないのである。
瀬古とイカンガーの闘いは2時間8分レベルであり今のキプサングのレベルからみると5分も劣るが速く感じた。記憶のなかではとてつもなく速い。イカンガーは機関車みたいで好きだった。

はやい話、黒い影武者集団が跋扈する画面をあまり見たくないのである。
瀬古さんがイカンガーに勝てたのは当時アフリカに走る文化がそうそう根付いていなかったせいか。走ることで世界に自分を誇ることができるとの自覚をしかと持った選手がアフリカにどんどん増えて今後もっとマラソン界を席巻するだろう。
選手もペースメーカーもすべてアフリカ勢の黒い影武者集団が走り回るのだろう。





車椅子マラソンは見ていて辛い。
走り終えた選手たちの腕と背中はバリバリに張ってたいへんではなかろうか。
1月に穴を掘る、土をさくる、ウドを植える、ツツジを引っこ抜くという仕事をした。廃棄する本棚を鋸で切って小さくする作業もした。その結果、左肩甲骨周辺がバリバリ張ってしまい、先日優秀な鍼灸師の施術を受けてやっと楽になった。
屈んでする作業の辛さの象徴が車椅子マラソンだと思った。みなさん、ご苦労さま。
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誕生日の中央例会

2017-02-25 20:16:45 | 俳句

左から奥坂まや、小川軽舟主宰、高柳克弘編集長


1951年2月25日生。
父母が小生の誕生日を上記のように届けたらしい。これが正しいとすると本日66歳。四捨五入すれば70、えらく生きてきた。
平成2年7月にはじめて中央例会に出てから2月の中央例会は27回出たが誕生日とかちあうのははじめて。

一般選から点が入ってめでたい。
ビニールのびろびろゆれて鴉の巣
馬の首抱いて宥むる雪解川

上の句に2点、下の句に2点入った。主宰は下の句を採った。やれやれである。

馬は去年いまごろの蘖句会に出したものだ。
そのころ会で馬の句を書く奴がいて刺激を受けた。一頭の馬を思っていたら山師をやっていた叔父が安曇の山奥で馬を扱っていたのを思い出した。あそこは急流であった…などと考えがめぐり一気に言葉になった。一気にできた句はまあ悪くないのだ。
しかし蘖句会で1票も入らなかった。マジかよ。バカヤロウたちめ!句会終了後ぼくはみんなに文句を言ったものだ。
こういう句に1票も入らない句会はだめだ。みんなの選句眼を上げることもぼくの課題と感じて句会をやっている。
鷹主宰はわかってくれるだろうし、採る確率大と信じた。
だからやれやれなのだ。選に洩れたらぼくの自信は失墜する。小句会でぼくの自信句に点が入らなくとも人のいけそうな句(主宰が採る確率大の句)を逃さないことを強く念じている。


いつも隣にいるレイカちゃんが都合で来ない。代りに来た男性が割と話しやすい。ぼくより一回り年上の方だがぼくのブログを見ているとか。彼は私小説の素材にした句を鷹に出していてぼくは小説はそうとう読んでいるので話を合すことができた。
話しやすき人と隣りぬ春の昼
などという句かできたから彼と馬が合ったのだろう。
句会などで女性とおつきあいするのは慣れたが男性は概して苦手である。

多くの男性は家を出て会社や社会といったものに揉まれるうちに見過世過の垢がべったりついてしまう。課長、部長、もっと地位の高いところまで上りつめると、そういう要素で自分を偉く感じてしまい、そういうレッテル抜きの赤裸々な自分を忘れてしまいがち。
ほんとうは赤裸々の自分にとって俳句が必要なのに垢が真っ直ぐに俳句に向かう気持ちを阻害してしまう。
だから男性は気の毒に思うがつきあうのに難渋する。
けれどぼくの隣の彼は世間の垢がすくなくてつきあいやすかった。

主宰選に入ったし、隣の男性は素性のいい方だったし、いい誕生日であった。
そうそう、誕生日を覚えていてチョコレートをくださったご婦人もいたのである。
ハッピー・バースデイ!
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弔堂が呼び出す湘子、晴子

2017-02-23 16:18:47 | 身辺雑記


京極夏彦『書楼弔堂 炎昼』は終盤、生死に関するアフォリズムが冴える。
目についたものを拾うと、

「繰り返しまする。死後の世界は、生きている者の中にしかございません。今、生きている私達が、生きていくために生み出すものなのでございます」

「戻らぬ者を戻そう、戻って欲しいと願うから、幽霊は出る」

「人は、死ねばそれまで。そして二度と生き返りはしません。しかし、あの世が生者の中にある以上、幽霊はいつだって――逢えるのでございます」

「生きている者の心こそがあの世。人が生きている限り、あの世は常に、この世にありまする。ならば、この世こそが」
常世でございます。


説得力がある。京極さんはアフォリズムの本来持つ説教臭さを弔堂の喋りとして使い鼻につかないよう処理する。
生死、幽霊に関するくだりを読んでいてなぜか、亡き藤田湘子や飯島晴子の生前のあれこれをいきいきと思い出した。

藤田湘子について。
先生の思い出はあまたあるのだが、指導句会の終った戸塚駅ホームで一シーンを思い出した。
指導句会が終りホームで確か玄彦さんと先生のことを話していた。
話のなかで「莫迦がつくくらい指導が熱心」みたいなことを言っていたように思う。三橋敏雄が湘子のことを「教え魔」と称して呆れいたという。そういうことを含め先生のことを熱く語っていた……と、後ろに先生の影がありぎょっとした。
よもや先生は「莫迦」しか、耳に入らなかったのではとわれわれは黙りこくったが、先生は表情を変えず景色を眺めておられた。
「先生、いまの話聞いてました?」ともお伺いできずぼくらは静かにしていた。

飯島晴子について。
彼女はぼくが鷹に入ったころ先生を支える№2であった。鷹の凡百を鍛えようと晴子さんは東京西支部句会を担当していた。
出した句でダメな句についても晴子さんは「これはどういう気持ちでお書きになったのですか」とまるで皇后が被災地の方々を慰問するような優しい言葉かけをなさったものだ。
ぼくはそれが晴子さん本来の姿ではないと感じ、憐れでしかたなかった。
晴子さんはダメな句は切って捨てるほうが似合う。孤高の俳人であり指導など嫌いなのだ。
その優しい言葉かけにぼくは「ダメな句は何も聞かずに捨ててください」といったところえらく怒った。
それは予想していた。
そのとき晴子さんは何といって怒ったかをまるで覚えていない。
それが残念でならない……。記憶していたらぼくの財産になっていただろう。

死者のことをかくもいきいき思い出させる契機になったことでも『書楼弔堂 炎昼』は優れた本だと思うのである。死者を身近に引き寄せてくれる本である
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俳人の行くべき本屋「弔堂」

2017-02-22 06:35:38 | 


京極夏彦『書楼弔堂 炎昼』(集英社/2016)を読んだ。同じ著者の『書楼弔堂 破暁』に続く第2弾である。

読書家ao-nekoさんが本書の魅力を手際よく述べる。
「シリーズ二作目。ありとあらゆる書物の集まる「書楼弔堂」を舞台に繰り広げられる物語。実在の偉人が数々登場するのが読みどころです。そしてやはり、本好きとしてはこの設定だけでわくわくさせられます。
哲学的とも思える考察が語られるのもまた魅力の一つ。「常世」での幽霊に関する議論には目からウロコでした。なるほど、そういうことかあ。
全編通して登場する松岡がいったい何者なのかが気になっていましたが。うわ、あの人だったんだ! とラストで驚愕。」


京極さんは本の世界の淀川長治といった存在。映画解説の淀川さんはどの映画もさもおもしろそうに述べることで映画界に奉仕した印象がある。
京極さんも同じように、おもしろくない本はない、と常にいう。このあたりが淀川さんふうで本の世界の宣伝マンという印象。本の文化にえらく貢献していると思うのである。

弔堂の主人はむかし僧侶で還俗した人という設定ですこぶる博識。
つまり京極さんが博識なのだが、それを利して明治時代の政界、言論界等の大物相手にその人の悩みをじっくり聞きつつ、その人がいま一番読むべき一冊を提案する。弔堂はそういう本屋さんである。
弔堂の薦める一冊が明治時代の登場する各人の後の人生をひらく一書になった、という展開に興奮する。

わがはいが本書をあえて「俳人の行くべき本屋」などと紹介するのは、随所に言葉の本質に触れた箇所がありそれらはすこぶる洞察力に満ちているからである。
たとえば、言葉は呪術であり文字は言葉を封じ込める記号であるという。
「科学論文も短歌俳句も経典も、新体詩も新聞記事も小説も――全て呪文です」
などという切り口にうっとりするではないか。
俳句や短歌の解説書で写生がああだこうだという記述はよく目にする。しかし方法論ばかりをうんぬんしても浅い。
言葉を論じて俳壇歌壇に京極さんほどの深みを持つ人がいないように思うのである。

この本だけでなく京極さんが自分の著作の随所で展開する言葉についての論考は俳人におおいに参考になる。
水を通すための施設としてU字管がある。これを空間におくだけでは弱い。U字管は両側に土があることで強度を得て盤石となる。

たとえば俳句をやる人が言葉の重要性、写生の大切さを学ぼうとして俳句解説書を読むのは空間のU字管を認識するようなもの。
京極さんの言葉についての造詣の深さはU字管を支える土の厚みなのである。
そのような印象をわがはいは京極先生に感じているゆえ、「俳人の行くべき本屋」といって憚らないのである。
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