天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

主宰とのつきあい方

2014-09-29 18:01:56 | 俳句


車座の拍手に立ちし桜かな

小生のこの句に対して鷹プラザで濱田ふゆからこんなラブコールが来た。

驚嘆した。(中略)中央例会では上五が「満場の」だったと記憶。原句に比べて、なんと一読場面鮮明。心理的距離がぐんと縮まる。人数も把握できる。笑顔も見える。野次も口笛も聞こえる。不思議なことに桜の色も濃くなった。強い語が必ずしも鮮明な句につながるものではない、と思い知った。

えらく褒められてこそばゆい。なぜぼくにこれほどの関心を寄せてくれるのかわからぬが、ずっと前この句が鷹誌に出たとき彼女から電話をいただいた。
そのとき「<満場>がだめだったら<車座>にして投句するか捨てるかに決めていた」と伝えた。

中央例会をどう使うということだが、
入って間もないころはとにかく主宰の〇が欲しかった。なりふり構わず〇を得ようとした。
それは今でも変わりないが、鷹で25年も経て中央例会へ200回以上出席してくるといくぶん余裕は出てくる。

<満場>は書いたときから危ないなあと思った。
俳句の作り手は一句でできるだけ多くのことを言おうとする。風船が弾ける限界まで空気を入れようとするような感じ。
まず具象を念頭に置くが抽象化して奥行を得ようともする。
俳句で抽象・観念はご法度であるが事実を越えた味付けは悪くないとどこかで思っており、具体性の奥に観念性を求めている。
まあそれが<満場>であった。

主宰は一読してこの観念性は無理と断じた。
ああやっぱり、という気分であった。
それで実直な<車座>にしたのであった。
捨てることも考えたが直して主宰にお目にかけるのも鷹中央例会という場の生かし方であるし、またよくした句を主宰にお目にかけることが礼儀であるかもしれないと思った。

鷹主宰のストライクゾーンと自分自身の句作の許容範囲との間で駆け引きをして楽しむのがおもしろい。
選をする人と選を受ける人という西欧の人が見れば考えられない非民主的な制度のなかでわが国の短歌・俳句は行われてきた。詩文芸のみならず茶も花もヒエラルヒーの頂上に一人が君臨するという形を当然のごとく受け入れてきた。
われわれ日本人は民主主義でなにもかもできると思っていない民族であろう。

しかし全面的に主宰に身をゆだねてしまうというのでは自分はまったく消えてしまうだろう。
主宰の世界と自分の世界の重なるところ、重ならないところを深く知ろうとするなかでなんとか自分を打ちたてていく。
そのへんの妙味がわかることが西欧人でない日本人の叡智ということになろうか。

小生は鷹主宰を優れた羅針盤と思っている。
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わたるは星か飛行機か

2014-09-28 10:43:57 | 俳句

自分の成績のぱっとしない鷹10月号。
こういうときは自分が参加した句会でぼくが採った句がどうなったかがとても気になる。
特にぼくだけが1点を入れた句が鷹誌上で日の目をみたかどうかが。
7月龍ヶ崎句会でぼくだけが採ったこの句は主宰選に入っていた。

玟瑰やコンパスの針沖を指す 清水正浩

葦切や口中赤く抱卵す 宮本秀政


玟瑰は完璧な出来と思って採った。葦切のほうはやや粗さを感じたが中七が鮮やかに立ってきたのでいただいた。
ぼくを信じて出してくれたのもうれしい。

これだけでもそうとうれしいのだが驚いたのが次の句。御嶽山噴火のニュースに接したほどの衝撃。

天の川わたるは星か飛行機か 芳住久江


はじめて龍ヶ崎を訪ねたぼくへの挨拶句。
挨拶句は出来のよしあし関係なくいただくのが礼儀だがこれはリズムもテンポもよくてうきうきする内容。
「これは採らないわけにはいきませんね」と言った記憶があるが、
よもやこの句を鷹に投句するなどとは思いもしなかった。
主宰もよく採ったものだ。このわたるが天地わたると理解したのだろうか。

久江さんはわからないことはわからないと言って真っすぐ聞いてくる潔さがいい。
こういう裏表のない人をぼくは好きになってしまいそう…。
龍ヶ崎は飛行機へ乗るほど遠くないのでまた久江さんに会いに行こうかな。
星が出逢うような恋とはなりそうもないが。
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中央例会ボツ

2014-09-28 06:21:15 | 俳句

きのうの鷹中央例会へ次の2句を出していた。

夜の長し無言の電話置きしより
雲降りしめそめそどきの烏瓜

夜の長しはかなり気に入っていてこれで〇は確実だろうと思っていた。一般選の点も雛壇作家たちの点も入るだろうと。ところが盟友TYのもしかして義理の1点が入ったがそれっきり……嗚呼。

主宰いわく、夜の長しで答えを出している。「より」が効きすぎたのかな…。
主宰はむしろ「めそめそどき」という小生の造語に関心を示し、日暮れのさみしい時間をきちんと読み取った。さすが。
ただし烏瓜じゃああおもしろくないという。
烏瓜を変える手は無いわけじゃない。

3000円払って1日費やしている。手ぶらで帰るのではあまりに芸がない。このサジェスチョンを生かして季語を変えれば大化けするのでは。
転んでもただで起きない、というのが鷹で長く俳句をやる者の姿勢である。

句会を早退して大相撲を見た。
横綱白鵬に挑戦した逸ノ城はがっちり組みとめられて上手出し投げで転がされた。白鵬は盤石の砦であった。負けて逸ノ城はいろんなことを学んだろうな。
転がされて覚える相撲とボツになって考え直す俳句、似ている。
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府中市にミレーが来た

2014-09-27 05:22:45 | 絵画
東京都府中市が市制施行60周年を記念して「生誕200年ミレー展 愛しきものたちへのまなざし」なる企画展を開催している。
こんなビッグネームの企画展はぼくが府中市に住んでからはじめて。

一昨日は雨模様の平日のためかえらく空いていた。
絵の番をするため立つ女性が四五人いたが見物もそのていど。おりしも《鵞鳥番の少女》という作品もあってそこの少女のほうが忙しそうに描かれていた。

肖像画のほかには、洗濯をする女、鶏に餌をやる女、バターをかき回す女、羊毛を梳く女、桶の水を空ける女、種をまく人、落穂拾い、鋤に寄りかかる男、農場へ帰る羊飼い……と牧歌的な農村風景がたくさん。
フランスの農業生産額は2011年704億ユーロでヨーロッパ1位です。
ユーロ圏最大の農業国であることを実感した。
フランスの農地は国土のほぼ半分。食糧自給率は2005年において129%(日本は40%)。



《子どもたちに食事を与える女(ついばみ)》1860年 リール美術館蔵

ぼくは絵の横にある解説をほとんど読まない主義だがこの絵の解説は目に飛び込んできた。1814年、ノルマンディー地方マンシュ県の海辺にあるグリュシーという小さな村に生まれたミレーは故郷では「落ち穂拾い」という作業を見たことがなかったとか。
長じてパリの南方約60kmのところにある、フォンテーヌブローの森のはずれのバルビゾン村に住むようになってこの光景を見て感激したそうだ。
つまり故郷では麦が生えるような良好な土地柄でなかったのか。日本ふうにいえば「水飲み百姓」ではなかろうか。う~ん、なんという僻村。



マンシュ県のとある断崖



《落ち穂拾い、夏》1853年 山梨県立美術館


絵を見ながらミレーが生まれた僻村グリュシー界隈を想像していた。
19歳の時、グリュシーから十数km離れたシェルブールへ移って修行したようだがここはカトリーヌ・ド・ヌーブの主演映画で有名なところ。
またノルマンディーはかの第一次対戦の際上陸作戦が敢行されたところ。
ずいぶん映画と縁はある土地柄。行ってみたくなった。
「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し……」と某詩人が詠嘆したようなご時世ではない。
行く気とお金があれば5日後には行ける。

けれどシェルブールという音感のよさから来る旅情はかのカトリーヌ・ド・ヌーブの魅力に拠っている。
いま行ってみてもぼくの生まれた伊那市みたいなものじゃなかろうか。
危ない危ない。情緒に溺れてはいけない。
フランス行きは思いとどまった。

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癌と新生姜

2014-09-26 06:27:29 | 俳句

「どすこい句会」は小生が全国津々浦々の鷹同人13名を招いて作ったネット句会。今月は総句数130で13句選で行われた。
自分の10句を除く120句の中で次の句がまず飛び込んできた。

新生姜癌の一つは退治せり  梯 寛


特に中七の「癌の一つは」が効いている。「退治せり」はその摘出手術であろう。大きい厄は取り除き一息ついて新生姜を擦って養生しようということが見える。
しかし小さくて取りきれない癌は体内に散在しているから、書いてないけれど、化学療法やら抗がん剤を服用などして対処しようということだろう。
「は」という助詞がことのほか物を言っている。

日本人が高年齢化するとともに老・病・死にまつわる句が急増している。
添削をしていても闘病の句はあとをたたない。
そこでよく見られる言葉に「小康を得る」「予後を大事に」「今生は病む定めなり」といった概念的なものやマイナス志向が多くてうんざりしている。
梯さんは類型的なことは言わず自分を即物的に見て言葉を探り出した。言葉全体にこの人らしい前向きのおおらかな気象が出ている。

また自分を書くことでいかにも平成という時代の多くの人の病気との付き合いを象徴させているのではないか。
ぼくが幼少を過ごした昭和30年代、癌は死病であった。
癌と聞けばその人は早晩死ぬものと誰しも思い同情し切ながった。
癌が死病であることは今も変わりないが、治療法も発達し、人の考え方も変わってきた。
癌を発見する機会も増えたことにより癌患者が床に伏せっていず日常活動をするようになっている。

「医療のお世話になってやるだけのことはやって生きていくさ。寿命のあるうちは寝込まないで頑張るさ」といった決意の声が聞こえてきて暗くない。
けれどそう楽観もしていない。
事実をたんたんと書いたことで言外に多くのことを伝えている。

この句はぼく一人採っただけである。
なぜほかの人が反応しなかったのか……いぶかしむ。
選句というのは医者が癌を見つけるような繊細な感覚が要るようである。
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